少し山に入ると「ヤマハギ」のたくましい群団が迎えてくれることがある。萩の花をよく見ると微妙に違うのがわかったがとても品種を同定できない。5・6年前だろうか、半額で買ってきた萩の花の2本が生き残って今ではたわわとなっている。その株は道路の三分の一くらいに進出している。車がほとんど通らないことをいいことにハギと共謀して「たわわ」を黙認しているというわけだ。
そういうわけから、子規が詠んだ「萩の花 思ふ通りに たわみけり」に注目した次第だ。子規の晩年には、「萩咲くや生きて今年の望足る」(明治30年)とか、「首あげて折々見るや庭の萩」(明治31年)とかに、庭の萩を凝視する子規の「生」が彷彿とする。
万葉集の中でも、萩は141首も詠まれているくらいトップクラスの花だった。以来、萩は秋の七草に数えられるほどに日本人の暮らしのなかに浸透していく。まだ訪れてはいないが隣町には「はぎ寺」という名所もあるくらいだ。
今後、たわわになった萩の苗を株分けしたり挿し木にしたり増やしていきたい。また、萩は道路の法面に植えて地盤を強化する工法もあるくらい生命力ある花なので、わが家の森づくりの一員にしていくつもりだ。仕事がどんどん増えてしまうが、畑の面積を縮小していくのも大切なのかもしれない。