山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

「萩の花 思ふ通りに たわみけり」

2020-09-30 22:21:00 | 植物

 少し山に入ると「ヤマハギ」のたくましい群団が迎えてくれることがある。萩の花をよく見ると微妙に違うのがわかったがとても品種を同定できない。5・6年前だろうか、半額で買ってきた萩の花の2本が生き残って今ではたわわとなっている。その株は道路の三分の一くらいに進出している。車がほとんど通らないことをいいことにハギと共謀して「たわわ」を黙認しているというわけだ。

   

 そういうわけから、子規が詠んだ「萩の花 思ふ通りに たわみけり」に注目した次第だ。子規の晩年には、「萩咲くや生きて今年の望足る」(明治30年)とか、「首あげて折々見るや庭の萩」(明治31年)とかに、庭の萩を凝視する子規の「生」が彷彿とする。

    

 万葉集の中でも、萩は141首も詠まれているくらいトップクラスの花だった。以来、萩は秋の七草に数えられるほどに日本人の暮らしのなかに浸透していく。まだ訪れてはいないが隣町には「はぎ寺」という名所もあるくらいだ。

    

 今後、たわわになった萩の苗を株分けしたり挿し木にしたり増やしていきたい。また、萩は道路の法面に植えて地盤を強化する工法もあるくらい生命力ある花なので、わが家の森づくりの一員にしていくつもりだ。仕事がどんどん増えてしまうが、畑の面積を縮小していくのも大切なのかもしれない。

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草むらの冬瓜発見

2020-09-29 22:46:36 | 農作業・野菜

 毎日のように草刈りに追われる。草に埋もれた畑を草刈りしていたとき草むらの奥のほうで「冬瓜」を発見。放任野菜の最たるものなので公表したくないのだが放任農法の成果でもあるのだ。低カロリーなのでダイエットに好評だ。これはミニトウガンつまり「沖縄冬瓜」だったようだが、それでも持つとずっしりの重さがある。

                

 果実の皮に白い毛があるのはまだ熟成が足りていない。しかし、収穫が遅いとカラスやイノシシに先に食べられてしまうので、いつ収穫するのかの判断が難しい。案の定、カラスやタヌキらしき歯型が残っている物もあった。さらに、草刈機の刃が冬瓜を削ってしまったものもあった。(これは和宮様には内緒だよ)

       

 俳人・村上鬼城の「冬瓜のころげて荒るる畠かな」という俳句がぴったりのわが畑だが、寒さが急速にやってきただけに、温かい煮込みのレシピに冬瓜はあっている。冬まで保存できるというが歯が弱いオイラには、そろそろとろける冬瓜を胃袋に迎えたいところだ。

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曼殊沙華を愛でるアゲハたち

2020-09-28 23:03:09 | 生き物

 畑のそばに植えてある曼殊沙華こと彼岸花が咲いた。曼殊沙華は別名「葉見ず花見ず」という。葉と花は同時になることはないことから、葉は花を想い、花は葉を想い、お互いの成長を助け合う「相思相愛」の花というわけです。

 そこへ、いろいろな昆虫が群がってくる。やはり目立つのは、アゲハ群の蝶だ。とりわけ圧巻だったのは「カラスアゲハ」だった。草刈機を隣に置いて眺めるのも至福のひと時だ。とにかく、メタリックなカラーがいい。

  

 しかし、光の角度でそのカラーが変わるのも見ものだ。また、図鑑の写真と現場の蝶とが違うのもしばしばだ。しかも、春型やら夏型やら、オスやらメスやらの違いもあるし、個体差もあるのでいつも混乱させられる。こちらの存在がわかると蝶も一時どこかへ飛んでいくがいつの間にかまたやってくる。「モンキアゲハ」もやってきたがレンズがストライキを起こした。

      

 カラスアゲハがいなくなると今度は「ナミアゲハ」がやってきた。やっと安心して曼殊沙華の蜜を吸えるというわけだ。同じ仲間でも違う仲間でも相手を排除しようと喧嘩が始まるのも人間とおんなじだ。

 人間はつい利益や効率で土地の収益ばかり考えてしまう。昆虫の楽園を確保する人がいなくなるほど余裕がなくなってきた。江戸の園芸国家・田園都市の精神が無くなってきているのではないかと思うことが少なくない。エンデの『モモ』に登場する多くの大衆の忙しさそのものが現実化している。

 生きる羅針盤を喪失した高齢者が多いから若者も生きている意味を見いだせない。おっと、高齢者のオイラも昆虫の楽園を作っているかと問われれば答えに窮してしまう。バタフライガーデンを作りたいとは思うので、まずは曼殊沙華を増やすところから始めている。

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しばらくぶりのウナギに感謝

2020-09-27 20:44:44 | 特産品・モノ

 和宮様の退院祝いに二女様から真空パックのウナギが献上された。故あって赤貧の生活を選択した和宮様の暮しにとっては、ウナギはほど遠い食材だった。そんなことを考慮し、また和宮様のお体の滋養を願って養殖ウナギ生産日本一の鹿児島からの宅急便だった。

          

 鹿児島県産のウナギは、スーパーでも国内産として健闘している。安い中国産の価格に迫ろうとする勢いを感じる。というのも、養殖ウナギ生産の4割は鹿児島が占めているからでもある。それは、養殖に適した気候と自然が鹿児島にあるということでもある。火山灰の土からは殺菌力ある弱酸性とミネラル豊富な地下水を確保するという背景がある。

 そうした安定した環境の中で生産が支えられてはいるが、なかには年商40億も稼いでうなぎ御殿の豪邸に住んでいたり、「総理と桜を見る会」に招待されるなどが気になる。

      

 そうは言っても、この匂いとうまさにはかなわない。二女様の心配りに感謝したい。立派なウナギを食べたのはいつだったろうかと、考えてみるが思い出せない。それほどにほど遠い世界に住んでいたわけだ。せいぜい、200円のウナギのにぎりの回転寿司がせめてものごちそうだった。

  それでも、食べるのが困っているわけではない。むしろ、畑の野菜類を食べきるのが難しいほどの飽食に追われている。この状態を格差というのか、幸せというのか、孤絶というのかはわからないが、ストレスが蓄積しないのが何よりだ。和宮様もいたくお悦びしておりましたぞ、ごちそうさま。       

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エゴマの葉で佃煮

2020-09-26 20:50:43 | 食彩・山菜・きのこ

 エゴマの生命力はすごい。一昨年から種を蒔いていないのに毎年芽が出て野生化している。それを畝に移植してエゴマの種を収穫してきた。そのエゴマを摘心すると収穫も多いというので先端の葉を摘心する。

   

 摘んだ葉を洗いだす。エゴマは、βカロテン・ビタミンE・Cの含有量が多く、その抗酸化作用で免疫力が向上するなどいいことづくめの食材だ。紫蘇より葉がやや硬かったり、香味が独特だったりして料理の幅はまだ未分野だが、韓国料理では人気の食材だ。

              

 葉を家庭用乾燥機でカラカラにする。ちょっと乾燥が甘かったが、手のひらに乗せてバラバラに粉砕していく。できるだけ細かいほうが味になじむようだ。

              

 鍋に入れてもう一度乾燥させる。エゴマは、地方によっては「じゅうねん」と呼ばれ、これを食べると10年は長生きするという。確かにそれはその生命力を見れば納得できる。

              

 油・酒・砂糖・胡椒などの調味料を入れて、ゴマ・ジャコなどをブレンドしてよくかき混ぜる。冷蔵庫に眠っている食材を入れてみるのもいい。今回は塩昆布や干し大根を入れてみた。

             

 最後に、醤油や酒で味を調整してついに完成。ご飯にかけて食べてもいい。今回は玉子焼きに添えて食べてみたらじつに旨い。鍋いっぱいにできたので消費が大変となった。万能の作り置きとなったエゴマ佃煮はおやつにもいける。野生化したエゴマはとても食べきれない。

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武将文人「織部」の遺したもの

2020-09-25 22:10:45 | 読書

  織部焼の斬新な作品の輝きは、つまり桃山文化の燦然は現代に比肩するアートでもあった。今度はそれを磨きだした織部の死の真相が知りたくなった。諏訪勝則『古田織部・美の革命を起こした武家茶人』(中公新書、2016.1.)を読む。

  信長・秀吉・家康とそれぞれの時代を代表する権力者の茶頭を颯爽と務めた織部。武将でありながら一流の文化人であった彼がなぜ切腹させられたのか、の闇が深まる。

                 

 

 著者は茶道の持つ難解を解きながらわかりやすさを心掛けているようだが、それでも利休や織部の手紙の原文の引用には閉口する。秀吉の戦の中心的武将として、また関が原では徳川方の交渉役として武人としての役割を発揮する。

 しかし、豊臣方への内通を疑われ一族は殺される。当代を代表した茶人の死は何を語るのだろうか。矢部良明氏は織部の「当為即妙、有為恬淡、臨機応変、融通無碍の価値観」がその茶道具や生き方に表現されると指摘するとともに、その自由度が死を招くとする。

                  (画像はなんでも鑑定団から)

 織部のそういう自由度や魅力が文化人ネットワークとして豊臣側にも徳川方にも隠然とした影響力があった。著者は、「織部は多弁で粗忽者という見方もあるが、実際のところは緻密で冷静沈着な人物であった」と評価する。続けて、織部の茶の湯に向かう姿勢は「計算し尽くされた曖昧さ」であり、「その最たるものが<ヘウゲモノ>の茶碗である」と断言する。しかしながらその魅力は権力者にとっては危険な因子だった。

   

 織部は、徳川が全国統一を完遂するための犠牲者だった。山上宗二・千利休・古田織部と当代一流の茶人はことごとく殺された。政治と文化との相克は古くて新しい。政治主導は文化をいびつにすることで一元化に成功する。

 独裁国家はそれがもろに出てくるが、先進国はそれを感じさせないように支配ができるかどうかが腕の見せ所だ。一見、多様に見える日本も「本当のもの」が窒息させられ、「同調圧力」効果が成功している。そんなことを感じさせられた著書だった。そして、武人であり茶人である高山右近・小堀遠州の生きざまも垣間見たいと触発させられた織部だった。

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久しぶりのヤマブシタケ

2020-09-24 22:07:42 | 食彩・山菜・きのこ

 和宮様の退院にあたり、その娘様から「ヤマブシタケ」(サンゴハリタケ科)が送られてきた。ヤマブシタケと言えば、中国の宮廷料理に出てくるような珍味の代表格。むかしはほとんど中国からの輸入しか手に入らない高価なものだった。それが今では国内の生産が成功して長野の「久保産業」が製品化していたというから驚き。というのも、以前、キノコ狩りに出かけてヤマブシタケを発見するのは結構少なかったからだ。オイラも今までに2回くらいしか収穫したことがない。

                

 さっそく、和宮様は、庭に生えている三つ葉を入れたお吸い物を作って、「ヤマブシタケの旨みがだんだん汁に沁みてきたぞよ」と喜んでいた。オイラもご相伴にあずかり久しぶりのヤマブシタケを堪能する。針状の塊は焼き鳥の皮を食べているような食感だった。

           

 さらに、ヤマブシタケに鳥肉を混ぜて、塩胡椒・バターを入れたホイル焼きで食べる。これは実に旨かった。肉は鮭でもいいかも。よくブレンドして味を絡めるとさらに旨みが増す。

            (画像はweb「いらすとや」から)

 ヤマブシタケの名前は、山伏の胸のポンポン、つまり「結袈裟(ユイケサ)」につけられた白い「梵天」の形に似ているからだという。身分が高いとその色が白から赤や紫等となる。柔道と同じだ。初めてヤマブシタケを見たとき、なるほど山伏が着けていたものだとネーミングにロマンを感じた。「梵天」は、修行中の災厄を防護してくれるものだという。

 ちなみに、ヤマブシタケは認知症にも効果のある食材でもあるようだ。まさか娘様はそれを…… 。    

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イノシシの猛攻をまずはSTOP!

2020-09-23 21:31:24 | 屋外作業

  イノシシの狼藉は止まらない。こんなことはここ数年からひどくなってきている。ネギの畝は4回、種まきしたニンジンの畝は3回、ブロッコリーの畝は2回、サツマイモの畝は2回、ピーマンなどの畝も4回、蒟蒻畑は5回等々、次々やられてしまい、秋野菜の栽培ができない状態だった。もう、電気柵の検討をと調べ始めたが、転がっていた竹支柱がそこそこ作っておいたので、これをやってダメなら電気柵とすることにする。毎日のようにやってくるので、電気柵を買いに行くよりすぐ手を打つ必要もあった。

  

  種まきしていない畝も荒らされていたが、何とかニンジンの種を蒔き直して(3回目だ)トンネル支柱をして寒冷紗をかけていく。いただいていた大量の青いネットが役に立った。これだけ広い囲いをするのも初めてだった。

 それでも、他の畑からは、ツルムラサキ・ゴーヤ・オクラ・ピーマン・甘長トウガラシなどは確保できているのでふだんの食生活は困窮していない。ゴーヤなどは食べきれなくて近隣や知り合いへ押し付けて、食品ロスをなくすのも忙しい。だから、イノシシの狼藉は深刻な被害というほど落ち込んではいない。これが生産農家として生活するとなると事情は大いに変わっていくのは言うまでもない。

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2尾の鮎を献上

2020-09-22 20:13:59 | 出会い・近隣

 夕方、ボランティア仲間のMさんが突然やってきた。近くの川で釣りをやっていたという。久しぶりの再会だ。手には2尾の鮎を持ってきた。「きょうはなかなか釣れなくてこれしか釣れなかったんだ」と残念そう。釣りが趣味とはいえ、岩がごつごつの上流の岸辺を歩いたのだろう、疲労困憊の様子だった。しかも、頭部に腫瘍ができそれが耳に影響して最近治療してきたばかりだという。お互いに体の異変を心配し合った。

 さっそく、貴重な鮎を和宮様に献上することにする。

                    

 そういえば、昼間の空には魚の骨みたいな雲が出ていたのを想い出す。天空も鮎を一緒に食べようと薦めたのかもしれない。夕飯はもちろん塩を振って焼いた鮎をいただく。鮎の川の景色が旨みに出ている。久しぶりの川魚だった。Mさん、ありがとう。遠くからわが家近くまで遠征してくれたのがうれしい。Mさんが釣ってきた100匹以上の保存鮎をイベントに寄付してくれたことを懐かしく思い出す。またもや心がアツくなる。

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たき火常設場にきのこが

2020-09-21 21:26:07 | 食彩・山菜・きのこ

 アメリカ西部の山火事は東京都9カ所分の焼失面積にもなったという。その煙が、ハワイや西洋にも届いたとのニュースもあった。それを考えると、焚き火はどうしても自粛せざるを得ない。しかもこの数年、近隣の火災も続いている。だから、火をつけるときはかなり用意周到の準備をしてきたつもりだ。例えば、雨が降った翌日に焚き火をすることも多くなった。

 それにしてもしばらくたき火をしていない。そのせいか、焚き火常設場の木のポールにキノコが生えてしまった。見るからに、食べられないキノコであるのが残念だ。

               

 どうやらこのキノコは、「カワラタケ」(多孔菌科)のようだ。ちょっとした山へ行けば、カワラタケは必ずと言っていいほど出会うことが多い。しかしその多くは、黒色か濃青色が圧倒的で、褐色というのは少ないように思う。

  

 傘の表面は同心円状の「環紋」があるのが特徴だ。また傘の裏はひだ状になっていて分岐も見られる。肉厚は革質でいかにも食えそうにない腐朽菌でもある。しかし、これを煎じて飲むと癌に効くという話はよく聞く。免疫力が向上するのは確からしいが、制癌にまで及ぶのは今後の研究しだいかも。

   心配なのはこのままだとポールが腐っていくということだ。早いとこ焚き火を復活しなければね。古い竹支柱や雑草も集まってきたことだしー。

 

 

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