山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

どうするセイタカアワダチソウ!!

2021-10-31 22:15:40 | 植物

  少し遠回りをして買い物に出かける。久しぶりの道路から見える風景はセイタカアワダチソウの群落が目立っていた。思いなしか群落が拡大しているように見えた。画像でははっきりわかりにくいが、そのセイタカアワダチソウを沿線沿いにきっちり定植しているかのような見事な群落もあった。

         

 きょうは衆議院選挙の投票日及び開票の日だ。残念ながら政治は都会中心主義から脱却できない戦後を継承している。地方議員の羅針盤はどこにあるのだろうか。道路や観光地が良くなったとはいえ、どういう生き方をめざすべきか、どういう日本であるべきか、どういう地方にすべきか、という基底的な問いが政治家から欠落している。つまり、それを選ぶ側の姿勢も問われているということは言うまでもない。

         

 農業や林業では生活ができない現実、地方を捨てさせない政治が喫緊の課題だ。地方議員の危機感のなさにいつもがっかりする。そんなことだから、わが集落においてもセイタカアワダチソウの侵出もじわじわと迫っている。すでに隣の耕作放棄地からの侵出が激しくなったので、まずは刈り払い機で境界の前後をきれいに刈り取る。一緒に刈り取ったススキは畑のマルチに使う。

               

 刈り取ったセイタカアワダチソウはわが家の焚き火場で灰にする予定だ。選挙結果もその後も、大きな変化を期待はできないので、セイタカアワダチソウの猛威は今後もしばらく蔓延していくことは確かだ。

 しかしながら、セイタカアワダチソウの有効な利用法もあるようだ。漢方の薬とか煎茶にするとか入浴剤に効くとかがあるが、それも考慮するにしても量が多すぎる。       

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前アメリカ人の日本への凄すぎるエール

2021-10-30 20:38:15 | 読書

 「日本という国は世界にとって、なくてはならない必要な存在」と熱く語るロジャー・パルバース氏の『もし、日本という国がなかったら』(角川書店、2019.2)を一気に読む。波瀾万丈な人生を前向きに生きてきたパルバースが見つけた安住の国は日本だった。その理由を張り裂けんばかりの熱愛で日本人に若者に訴えた書である。

    

 日本の自然災害の歴史的多発や経済的政治的沈滞があったにしろ、「日本という国は希望と前途」があると言う。その鍵は「日本の文化の中にある」として、しばしば宮沢賢治らを登場させる。そして、うわべだけの日本カルチャーではなく、伝統的に培われてきた「日本人の振る舞いかた、態度、人間関係、ものの考え方、独自の世界を創り出す手法などが、21世紀の世界が抱える問題に対して、具体的な解決策を提供できる」と断言する。

   

 世界の国々を渡り歩いてきた豊富な経験だけでなく、日本に定住して日本語をマスターし、日本人特有のニュアンスを観察し、伝統的日本文化を考察してきた彼の好奇心は並外れている。それだけに、著者の言葉には力が内在する。日本人にとってはこそばゆいエールも多いが、つまりはもっと反逆せよ、異議申し立ての意見を貫け、という応援歌なのだった。

  

 著者の確信は、日本の祭り・陶芸・茶道・武道・楽器・書道・能・話芸・和食・美術など多岐な例をあげてその論拠を掲げ、日本よ自信を持てと鼓舞する。そうは言われても、敗戦国の名残か同調圧力か、もごもごしてしまう自分がいる。

  

 そんな日本人に対して、明治の「富国強兵」ではなく現代的「富国強芸」を著者は提唱する。それが日本再生の鍵であり、世界に打って出る「外交」でもあるという。そこには、「気配り・譲り合い・無私の心・利他の精神」といったものが基底・模範になるというわけだ。いやー、現実の世界はもっと厳しいと思うけどと言い訳をしたくなる日本がいる。

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なんとか滑り込んで「紅くるり」

2021-10-29 19:12:53 | 野菜・果樹

 秋にあわてて種蒔きした「紅くるり大根」をやっと収穫することができた。愛知の松永種苗が開発した「紅くるり大根」は、首から先端までの外皮が赤いだけでなく、果肉も見事な紅色に染まっている。赤大根の中でもこれだけ見事なものは少ない。

           

 色から分かる通り、アントシアニンが豊富で青首大根の3倍もある。つまり、抗酸化力があることで長生きできるはずなのだ。わが家はもっぱらくるりの酢漬けをやることで紅色をより鮮やかにしている。ちょっとしたつまみに重宝している。ここ数年、はまっている酢漬けで、年内に食べることができた滑り込み収穫となった。

 とは言っても、白大根をやめたわけではない。地大根の「宮重大根」(愛知県宮重町)もだんだんと太くなってきている。こちらのような伝統野菜も遺伝資産として継承していくことも大切だ。

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禁断の「カップメシ」の味

2021-10-28 21:27:17 | 特産品・モノ

 即席の「カップメシ」が旨いという「カンブリア宮殿」からのTV情報から、試しに食べてみることにした。とりあえず、スーパーから入手した「カレーメシ」と「ぶっこみ飯」を食べてみる。

   

 「カレー」味の方は、キーマカレーだった。「キーマ」とは「細かいもの」というわけで、ひき肉のカレーだ。「ぶっこみ飯」はチキンラーメンを継承したデザインだ。

    

 熱湯を注いで5分を待つ。そして、熱いままハヒハヒしながら食べ出す。カレー味の方はルーがあったのでよくかき混ぜる。辛さは濃い目だったが、かなり旨い。ひき肉よりスパイシーの強烈さが後まで漂う。これはお代りがしたくなる。

 「ぶっこみ飯」は、チキンラーメンのなかにご飯が混ざっている感じ。見たくれはお茶漬けかおじやのような様子だった。しかし食べてみるとまったく違和感がない。こちらもお代わりができそうな勢いだ。

  

 日清のたゆまぬ企業努力の成果が確かに表れている。わが家はカップ麺はほとんど買わないが、この「カップメシ」は舌が伸びてしまいそうだ。「カップヌードルよりウマい(自称)」と豪語するだけの食品革命と言っていい。次回は何にしようかなと思うほどだ。

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屋根に新顔、地上にしかばね !??

2021-10-27 23:12:49 | 生き物

 庭で作業していたら上の方でカッカカッカと音がする。「ジョウビタキ」(ツグミ科)だ。人懐っこいジョウビタキは人の近くまでやってくる好奇心旺盛な渡り鳥。屋根の上をよく見たら胸が褐色のオスが止まっていた。いよいよ心温まる風物詩が始まった。寒中で心が折れそうなときにはホッとした潤いを与えてくれる。

      

 この小さな体でどこから渡ってきたのか聞いてみたいところだ。中国かロシアか、厳しく遠い所からやって来ているようだ。オスメスそれぞれ縄張りを持って自立している。火打石を打つような音を出すところから「火焚き・ヒタキ」の名がある。

 

     

 いっぽう、畑の地上では「ヒミズ」の死体を和宮様が発見。鼻としっぽが長いのが特徴だ。いぬいさえこさんのかわいいイラストがモグラとの違いを的確に表現してくれる。そう言えば、今年の5月の春にも近くでやはり和宮様が発見している。

               

 最近、畑の周りのあちこちに小さな穴が掘られている。これはニホンアナグマがミミズを狙っての徘徊のようだ。ひょっとすると、落葉の下の浅い所で暮らすヒミズはアナグマの一撃の被害に遭ったのかもしれない。寒さがじわじわと迫ってきているいま、生き物たちの動静も変わってきている。アサギマダラも来なくなっているようだし。   

 

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脱炭素革命にはこれもある

2021-10-26 23:28:54 | 風景

 久しぶりに郊外ではなく、都会の近くに出かける。すると、セイタカアワダチソウの群落の奥に2台の風車が見えた。以前から、とくに洋上風力発電には注目していたが、政府からの支援がなかなかなくて苦悩している研究者・開発者の姿が伝わってくる番組を観たことがあった。

               

 洋上・陸上の風車は技術的には日本は世界でも指折りだった。地熱発電も同じだった。こちらは世界一の技術だった。それも、それを実現させる支援はさびしいものだった。むしろ当時、政府の姿勢は原子力に向かっていた。ここからすでに世界から後れを取り始めた。それは、「IT」にせよ、電気自動車にせよ、有機農法にせよ、目先の利益と既得権益の保身にうつつを抜かし、結果的に世界の趨勢を読み取れなかった。    

             

 再生可能エネルギーを具体化するには数々の困難がある。実際、風車を中山間地に設置するとなると電磁波を心配して反対運動がわが地域にも伝わってきた。技術的困難もさることながら地元との信頼関係を形成するのも課題山積だ。それは、太陽光パネル設置にも同じことが言える。自然を破壊して自然エネルギーを獲得するのはいかがなものかというわけだ。

   

 とはいえ、世界はすでに自然エネルギーにギアチェンジしている。あわてて、菅前首相も脱炭素革命を言い出したが、気が付いてみるとエネルギー自給率はすでに34位(資源エネルギー庁・資料)だ。1950年代には水力を中心とするエネルギー自給率は60%だったものが現在では10%を割っている。有事のときや防衛上のことを考えると太平洋戦争勃発前の「ABCD包囲網」状態と似ている構図が想起できる。

 

     

 NHKがまとめたものによると、日本の「エネルギー基本計画」は再生可能エネルギーにシフトしていく考えだ。しかし、先の総裁選挙で河野太郎を応援した小泉進次郎は原発をはじめとする既得権益者からの圧力・切り崩しはすさまじいものがあったという。

 ヨーロッパの再生可能エネルギーの主力は風力発電。世界的には、中国が圧巻で次にアメリカ・ドイツ・インドという順番で、日本はなんと19位。さて、岸田君はこの現状をどう突破していくのだろうか。いや、それより、小水力発電やバイオマスなど、地方からエネルギーを自給する仕組みを形成するっきゃない。研究者・技術者の出番でもある。そんなことを考えさせられながら風車を後にしたのだった。

 

 

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あわただしい焚き火ライフとなった

2021-10-25 21:39:23 | 野外活動

 雑草・畑の残渣・抜根木立などが溜まりにたまって2mくらいの山になった。防火を考慮して降雨の翌日にやりたいのだがなかなか雨天が少ない。小雨が降る予報を受けた先週18日、やっと実現となった。一気に燃やすと危険なので、隣にドラム缶かまどを設置して少しづつ焚き木を移しながら燃やしていく。それが忙しかったので最初のころの写真を撮る余裕がなかったのが残念。

                     

 後半になって、積んでいた山がかなりなくなり余裕ができたので夕飯の魚を焼くことになった。もちろん七輪でだ。いつもは焚き火でできた炭の使用で十分だったが、今回は雑草が多かったのでそれがかなわず手持ちの竹炭で焼くこととなった。こういうときは、ホッケがうまい。最初は火力が強くて焦がしてしまったが、後半は時間をかけてじっくり焼いていく。おかげで夕飯の焼き魚はサイコー。

             

 さらに、祭礼でいただいた紅白の丸餅を焼く。白い餅は焼けるとすぐに食べ始めたがあわててシャッターを切る。畑で採れた秋のキュウリの塩麹漬けがまた久しぶり。もちろん、定番のダッチオーブンの焼き芋もやったが丸焦げ状態だった。余裕がないとこういうことになる。

         

 火元をドラム缶かまどから本来の常設の常設焚き火場に移す。そこで、和宮様のご要望の「うどん」も茹でる。和宮様の持病である「ツルツル病」(頭ではない!!)は相変わらず治癒していないが、麺類をお食べになると元気が出るようだ。適度にツルツルを喉に通さないと禁断症状が出るので注意が必要だ。

 画像ではわかりにくいが、燃えカスの灰がかなり溜まってきた。きょうはその草木灰をガーデンにたっぷり蒔くことができた。ついでに、小さな梅の苗木3本も定植し、その際にも草木灰は活躍した。こういう循環ライフができるのがうれしい。

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イチョウを救ったのは日本 !??

2021-10-24 22:16:19 | 食彩・山菜・きのこ

  近くでギンナンを拾う。意外にも近隣の人はあまり拾わないようだ。それだけ、徳川の上様のいた静岡は裕福だったからだろうか。わが家は縄文経済なので採集は基本的な生活手段なのだ。見方を換えれば自然の恵みは大切にするというのが基本的スタンス。

 さっそく、手でにおいの強い果肉を取り去る。そのやり方はいろいろあるようだが、今までは使い捨てビニール手袋をはめて種子をバケツの水を張りながら果肉を揉むようにして取り去っていった。今回は素手でやってみた。しかし、手の皮が剥がれていくような気がした。おかげでツルツルの肌にはなったが、皮が剥けていったようだ。教訓、やっぱり手袋が必要だ。

     

 イチョウは中国から鎌倉時代以降に伝来したらしい。江戸に入ってからは神社やお寺を中心に植栽されていったようだ。絶滅しかけたイチョウを広めていった日本の役割は意外に知られていない。シーボルトの前に来日した医師・ケンペルがイチョウをヨーロッパに紹介する。それは園芸がブームだった日本の植栽技術が世界的にも優れていたという背景もうかがわれる。

 というわけで、毎朝の食卓にギンナンの恵みが参入するようになった。食べ過ぎに注意しなくちゃね。

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「乞食苺」だって!??

2021-10-23 21:27:16 | バタフライガーデン

   茶畑を抜根した跡地には次々意外な植物が顔出しする。その多くは裸地に最初に侵出するパイオニア植物でもある。それはそのまま裸地から森への変遷を語る歴史でもあると思われる。その一つだろうか、触るのが危ない棘だらけの枝を伸ばした植物が所々に見られた。

   

 とても素手では触れられない。それも結構な長い枝ぶりなので残念ながら途中で剪定させてもらっている。立派な鉤状の棘に痛そうな腺毛、それに羽状複葉の葉からなるのは、「コジキイチゴ」(バラ科)だった。どんなイチゴがなるのかはお楽しみということにする。名前がユニーク過ぎる。その由来を調べてみると、実の形が袋状だという、つまり中空であるらしい。以前、食べたことがある気がする。

     

 その形状から、古来から蒸す道具である土器の「甑(コシキ)」に似ているので「コシキイチゴ」となり、訛って現在のコジキイチゴとなったという説が有力らしい。しかし、素人感覚では、乞食がこの旨いとも言えないイチゴを食べることから「乞食苺」と呼んだのではないかという我流の解釈はどうだろうか。

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10mm未満だけど社会貢献バッチリ

2021-10-22 22:22:21 | 生き物

 夜間にわが家に侵入してきた「クロツヤシデムシ」(シデムシ科)。しかも体が5mmくらいの大きさしかない。体つきはいかにもシデムシっぽい。わが家に腐ったものがあるのだろうか。それも2週間ほどの間に合計3匹も捕まえたのだ。もちろんすぐに解放したがその後どうしているだろうか。

     

 一般的にシデムシは森のお掃除屋と呼ばれている。それによって森はきれいになり循環されていく。そんな一翼を担っている。しかしながら、この「クロツヤシデムシ」の情報が極めて少ない。図鑑にも載っていないことのほうが多い。クワガタやカブトムシばっかりが本屋を飾っているのがおかしい。こういう目立たない益虫を掘り起こしてほしいものだ。

     

 庭で作業をしていたら小さなアブが飛んでいた。畑でも小さなアブが飛んでいてときどき刺されることもあって警戒していた。オイラの汗のにおいが気に入ったのかホバリングして離れない。そのうちに、着地したところをカメラに収めてみる。お腹が平たく細いのが特徴の「ホソヒラタアブ」(ハナアブ科)だった。

 こちらは10mmくらいのミニアブだ。果樹のある農家にとっては花粉を運んでくれる頼もしい益虫だ。最近は農薬で日本蜜蜂の激減が問題になっているが、ホソヒラタアブはその小さな体で懸命に人間に貢献しているし、幼虫はアブラムシをも捕食してくれている。こちらのほうも本屋で取り上げてほしい生き物だ。『残念な生き物』シリーズもいいが、『ありがたい生き物』シリーズを企画してもらい、そのなかにぜひこの二つの昆虫のページを確保してくれないかなー、とお願いするばかりだ。

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