治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

障害児の親よ、甘えるな

2010-07-14 13:00:00 | 日記
「障害のあるお子さんを授かった家族は保護されるべきである」

これに異論を唱える気はない。まっとうな要求だと思う。
どんどん要求すればいいし、そのための情報提供はうちとしても仕事。

たとえば体温調節がうまくいかない子どもたちのために、学校に冷房を入れてほしいという要望。
このためにはうちの著者の方たちの生の声をどんどん使っていただきたい。

ただし、いくら障害児の親でも社会人である以上、許されない要求はあります。

・見知らぬ他人の事情の詮索
・非上場・民間のよその会社への口出し

保護者であるぶんパパは民間人。
花風社は民間の非上場の会社。別に行政から出版事業を委託されているわけでもない。

それに対して一ユーザーを越えた口出しをし
無視していたら吠えたのが誰かさん。

そして、ネット上で本来明かす必要のない、よそんちのお子さんの処方箋まで問いかけたのが誰かさん。

こういう他人への(しかも民間人への)度を越した要求は
障害児の親だからって許されることではありません。
それは「保護の要求」ではありません。
ここんところをカンチガイしているから
次々と度を越した要求をしてくるんじゃないかな。

要求は「公」に向かってしてください。
行政委託されているわけでもない民間人にそれを向けるのは
「弱者」の立場を利用したパワハラです。
(私は「弱者」だなんて思ってないけどね。)

そらパパ問題のとき、応援してくださる読者からこういうメールをいただきました。

「一部のネットの親のつながりを見ていて
自分達は恵まれていたんだと自覚しました」

親の会で活動はする。
ときどきは食事をともにしたりもする。
でもお互いの家の事情はそれぞれであることはリスペクトする。

そういうつきあいが自然にできていたことを
幸せなことだと気づきました、と。

だって意見はみんな違うもんね。そして、意見が違っても、それを表明しつつ共存できるのが大人。
もし相手が度を越えて意見を押し付けてきた場合には
「聞くべきでない意見をシャットアウトする」っていうのも社会人としての使命なのよ。権利じゃなくて使命。

そらパパはどうしてもうちの編集方針に口を出したかったみたいだけど
(嫌いな出版社の編集方針に口を出したいっていうのも不思議な話だけど)

そらパパの意見を聞き入れていたら、神田橋先生の本はとうてい出せませんでしたね。
あの本には多くの感謝の声が寄せられ、そして即効性が生み出されています。

つまり、
私がそらパパの意見を聴いていたら、救われない人がたくさん出た。
そらパパの編集方針への意見を断固はねつけるのは、私の社会的使命でした。

それに、そらパパの意見に耳を貸さないことのリスクは私は取っています。
そらパパを応援する人は花風社の本を買わないでしょう。悪口を言って歩くでしょう。
それでも私は自分の信条を貫くことを選んでいますよ。
「修行系」「治せんといかんわな系」の本を出したいから。

=====

それにしてもね

自閉症の人は「知りたい、知りたい」が多いから
私は早くから自閉症の人に「いくら疑問に思ったとしても、世の中のルールとして、教えてもらえないことがある」って教えておくべきだと思います。
これを放っておくと、触法行為にも結びつきかねないよ。

でも親がそれ知らなくて、本来すべきではない質問をネット上でしちゃったら
子どもに教えられるわけないけど。

まあ別に触法まで行かなくても、

かつて藤家さんだって、森羅万象について理由を親を問い詰めていました。
親御さんは大変だったみたい。

それに対してニキさんが、「自閉っ子、こういう風にできてます!」の中でこう語っていましたね。
これがヒントになって、藤家さんは家族を問い詰めるのをやめた。

「私も自閉ですから理由は知りたいんですが、「理由はたしかにあるんだけど、それを知る手段がなくなった」と考えるようにしています。あるいは「理由はいくつかあるんだけど、それを一つに絞るすべがなくなった」とか。(同書P227)

これ、「知りたい、知りたい」攻撃で困っている人には参考になると思いますけど。

でもなんで、そこまで知りたがるんだろう。
他人の家の事情を。

私はそれも取材しましたよ。

次の記事に「なぜ他人の事情を知りたがるのか」私なりの推測を書きますね。

お題は「抜け駆けは許せませんか?」です。

アップは本日17時です。

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