治しやすいところから治す−−発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

敬意と哀れみ

2016-05-27 10:23:11 | 日記
先日お知り合いになったばかりの方が、猫本読んでくださったようで、自分もこよりさんと同じだとお手紙くださいました。
どう同じかというと、やはり長年介護していらしたそう。

そうなのか。
みんなそれぞれ乗り越えてきたものがあるね。
この歳になると素直にそう思える。
そしてその人の過去に敬意が抱ける。

こよりさんは猫本に私が「こよりさんはつねに私の尊敬の対象でした」と書いたのを読んで、嬉しいなと思ったとメールをくれましたね、出版時に。私はまたこよりさんの尊敬の対象だということ。mutual respect なのね。

そして敬意があるからこそ、長年介護してきた人に介護経験の今のところない私が哀れみを表してはいけないと思うのよ。
それが私の基本的態度なの。
敬意があるからこそ、哀れんだりしない。
その人はその人の人生の課題をやり遂げている。そこに敬意を表しはしても、「大変ね〜」とか「私にはとてもできない」とか言わない。

そしてそれがギョーカイと違うところなの。
ギョーカイはとにかく、かわいそうがるよね。
それが私にはバカにしているように見えるの。その人の抱えているものに敬意がないように見えるの。
普通人は誰かが幸せになると嬉しいもんでしょ。
だけど幸せになった当事者を偽者がったり軽がったりして不満たらたらの当事者を神輿に載せてつらい話を聞きたがるギョーカイが変態集団に思えるの。もっともっともっと生きづらい話がききたいなんて、ど変態だよね。

ところが花風社クラスタの中でも
「親に愛されなかった自分に同情を持ってほしい」と要求したいらしい人がいて

そうか卑屈な人でも花風社の本を読んでくれているんだな、と思う反面

同情を持ってほしいのならギョーカイ人と付き合えばどうかしら

とも思いますよ。

私が神田橋杉山対談のあと崩れて見つけたギョーカイトラウマの根っこはそれなの。
私の本性に反する「人をバカにした哀れみ」であふれているギョーカイ。
あの心地いい空間で、なぜか私はそれを思い出してしまったのね。

でも当事者が哀れみを望んでいるんだったら
そういう支援者には事欠かないと思いますよ。
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釣りかもしれない質問にあえてまじめに答えてみる

2016-05-26 09:43:01 | 日記
さて、先日のエントリに来たコメント。

=====

2016-05-26 07:56:27
浅見さんこんにちは。いつもブログ拝見させて頂いてます。先日アルバイトが受かったと報告させて頂いた、もえです。あの、色々試行錯誤を重ねて来て、資質が何も見つからなくて、ただ性欲が強いっていう事が分かりました。(^_^;)バイトは続きませんが、精神的には問題もありません。それで、発散させるべくとにかく動き回るくらいしかなく…ですが、性欲が強いって資質になり得ますか?変な質問ですみません…年齢的なものもあるかと思いますが、それしかないとか絶望的です…すみません、お返事下さい。

=====

この方には先日から何度も「性欲」についての質問(というかご報告)があって、気持ち悪くて何度も削除しました。性欲を否定するもんではないです。あって自然。短期的スパンでも長期的スパンでも盛り上がる時期とそうじゃない時期はあるけど。そして他者に被害を与えるような行動を伴わないのなら満たすのも解消するのも自由。そうなんだけど、何度も何度も性欲性欲性欲という言葉がコメント欄に踊るとキモチワルイ。そしてネット上のこと、本当に同性かはわからない。もしかしたら変態かも。だから削除してきました。

でも今日のこの質問はとりわけムカついたので公開して「変な質問ですね」と面と向かって言うことにしました。

そのあとなんでこの質問がこんなにムカつくのか考えてみました。そして必ずしも性欲絡みだからじゃないなあとわかりました。

性欲が資質かどうかとか、そういうのを他人にきく他者依存的な態度がいやなんですね。っていうか別に性欲じゃなくてもなんでも、自分の資質を他人にきくっていうその主体性のなさが情けねえ。

とここまで考えたところで

「なんだ私処方箋持ってるじゃん」と思いましたよ。
主体性のなさに対する処方箋。
というか「この先どう進めばわからない」人に対する処方箋。
つまり「自分の信念のありかがわからない」という問題に対する処方箋。

それは就労支援施設に行って「なんの仕事につけばいいかわからない」という人々の身体を見た栗本さんといかがわしいおっさん(New!)が「こういう身体の人は信念見つけにくいよね。こういう身体作ると信念育つよね」って話し合ってて、その記録が私の手元に今ゲラとなってあるわけです。

とりあえずヘディングしてみれば?

ヘディングですよヘディング。サッカーボールじゃなくていいのよ。紙風船でもビーチボールでもバランスボールでも環境が許すもんでいいの。私はニトリで買ったお値段以上のフェルトのボールで時々ヘディングしているよ。シュート! とかさ。

というわけでもしかしたら変態の人の釣りかもしれない質問にまじめに答えてみましたよ。
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自閉特性と愛着の問題

2016-05-25 09:29:22 | 日記
さて、6月12日のセミナーに関し、続々質問をいただいていますが
非常に長い質問文が多いです。
これ自体は別に悪いことではありません。
とりあえず私は全文読むし、愛甲さんにも全文送るつもりです。

ただし今回は「質問をする会」ではなく「お勉強会」なので
一つ一つの事例に突っ込んでお答えをきくのではなく
ある程度パターンを抽出した方が皆さんの時間を無駄にしないかと思います。飛行機に乗ってやってくる人たちもいますので。
さらに個人的にききたい人はまた質問会に出てください。

そこでいくつかのパターンを見ると
1 親の期待に沿えなかった自分
2 親自身に問題があってそのとばっちりを受けて育った自分

等愛着の典型的な問題の他に、自閉特性絡みの質問もあって、そこには「罪悪感方面のもの」と「被害者意識方面のもの」と2パターンあるみたいですね。
罪悪感方面は、自分の自閉特性のために家族にさみしい思いをさせたのではないかということ。
そして被害者意識方面は「そもそも愛着の問題とアスペルガーが関連づけられるのが腹が立つ」といったご意見もあれば「これだけ特性の強い私が普通に育てられた結果つらかった」方面もあります。

罪悪感方面と被害者意識方面に分かれるのは、これは障害以前に性格の問題かもしれませんね。

今回セミナーを開くといったら藤家さんがすぐに飛んでくることを決めて私はびっくりしたのですけど

彼女はその昔、親の愛情をかけてもらうお金で測っていて、高校入学のとき買ってもらった時計が妹さんの方が数千円高かったと大荒れしたそうです。

今回改めて「なんで親の愛情がわかるようになったのか」話してみて、「いや、私を初めとする周囲のサポートが大きかったんじゃないの」と恩に着せておきました。私はギョーカイと違って自閉っ子には恩に着せるのがサポートだと思っているのです。ニキさんの言葉を借りると「恩に着せる=情報提供」ですからね。お母さまが出勤前の忙しい時間に起きてこないちゅん平さんのために朝ごはんを用意してラップをかけておいたのを、「見えないものは、ない」認知の人は「忙しい中作った心づくしの朝ごはん」だとわからない。湧いてきたように見える。そこから教えてあげたんですから。だってイマドキ子どもの朝ごはん作らない親だっているでしょ。そういう親じゃなかったんですよ、ちゅん平さんのお母さまは。


でもね


今回初めてちゅん平さんが教えてくれたこと。それは「母親はそういう係りの人だと思っていた」ということでした。自分がドラッグストアに行ってレジを打つように、お母さんはそういう役目の人。仕事をしているだけなのだから、感謝なんか感じなかった、と。おおそうか。

そして被害者意識方面に走る人の中には、そういう「サービス業としての親」という認識の人も混じっていそうです。しかもさ、サービスって色々段階があるでしょ。キャッシュオンデリバリーの店もあればきれいなお姉さんが横についておしぼりの袋破って渡してくれる店もありますね。その濃厚なサービスの方を期待していて「与えられなかった」と怒っている人もいそうですよ。

自閉特性と愛着の問題にはそういうのも潜んでいそうです。

だからサポートとしては「恩着せ支援」もありなんではないのかな。
まあちゅん平さんに関するなら、ご両親の代わりに周囲が恩に着せたわけですが。

毒親とかカサンドラとか

今は不満を持つ人を煽る励ますキーワードが行き渡っています。
だからさ、「袋破っておしぼり渡してくれなかった!」と不満をぶちまける人が、仲間を見つけやすいのかもしれませんね。
でも一歩外に出てみれば
「別にうちの親、おしぼり渡してくれなかったよ?」と何の不満ももっていない人に出会うかもしれませんよ。

さてそんなところで親子で先日のコンディショニング講座に参加された方からご感想が。

=====

今回の講座は私自身、愛着を結ぶとはこういうことなのかも!?
と思い当たることがありました。
健常らしい私と発達障害の娘、一般的な会話や抱っこなどのやり取りでは関係が結べず、
娘が体調を崩してから、自己流のマッサージもどきで娘の緊張や不安を弱めようと
やってきたことが22日と通じていたからです。

発達障害の知識を元に、自分の指先の感覚のみで、相手の身体の声を聞く。
これが、私と娘の愛着の結び方かもしれないと思うのです。

=====

だとしたらこの方の場合
お嬢さんが体調を崩されたことが自己治療だったんですよね。
愛着障害の。

この方も今度ご参加で、質問をいただいています。
面白い簡潔な質問です。
まあ愛甲さんのお答えは、わかるような気がするんですけどね。
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いい子キャラと愛されキャラ

2016-05-24 09:13:16 | 日記



今朝起きてFB開いたら、白鵬関が稀勢関に苦言を呈したという記事の紙焼きが貼ってありました。

ネットでもあるみたいですが、紙面の方が詳しく
要するに愛想がないということを言っているようです。
取沙汰しているのが、相撲協会が広報用に作ったこのVTR
並み居る上位の関取たちが熱心に参加し、白鵬関も含めて上位陣がソロも担当しているのに対し、稀勢関は「うわーつまんね」っていう感じで参加しています(5分30秒すぎ)。

そして我々は、その仏頂面にまたキュンとするのですよ。
それが白鵬関にはわかんないかも。
なぜなら白鵬関は、元いい子キャラ。たぶんいい子キャラが報われな過ぎて、今ダークサイドをあらわにし始めたんだろうなあ。いい子キャラが報われる、ということ自体が誤学習なんだけどね。

それに対し愛されキャラというのは、持って生まれるもので、後天的な努力で手に入るものではないのです。勝っても負けても、ニコニコ笑っても仏頂面しても、なんの戦略も立てなくても愛されます。

この二つのキャラでは、愛着形成のプロセスが違って当然なんですけどね。
横綱もまだ30歳。そこまではまだ読めていないのね。

それにしてもしょっぱなの菊関笑顔いいですね。
この大関もきっと目指せ愛されキャラだったんでしょう。そしていまいち不完全燃焼だったのが愛する人ができて満たされたんでしょう。でもその後舞い上がりすぎた、っていいうのがイマココなのね。

勢関、美声でイケメンですね。
でも好感もてないな。
同じイケメン力士でも

勢関→イケメンであることを自覚して武器に使ってる
遠藤関→イケメンが重荷
隠岐ノ海関→イケメンである。それだけ


っていう感じがして(個人の意見です)、私的には隠岐ノ海関の方が見てて安心だな、勢関より。お相撲は二人ともいいですが。

私はいわゆるいい子キャラって大嫌いなんですが、この白鵬発言を聞いてなぜだかわかりました。

なんかいっぱいいっぱいな感じがしますよね。まあ横綱クラスだとそうじゃないんだろうけど。

世の中には成功しているいい子キャラと、疲弊しているいい子キャラがいそうです。

そして疲弊したいい子キャラによる愛されキャラへの怨嗟のこもった攻撃っていうのもけっこうめんどくさいもんなんですよね。

白鵬vs稀勢の里は

モンゴル人vs日本人
完璧に強い人vs取りこぼす人
感心させる人vsはらはらさせる人

という構図の他にも

いい子キャラ(元)vs愛されキャラ

の戦いなのかもしれません。
この先白鵬関が優勝回数をどれくらい伸ばそうと、尊敬されこそすれ稀勢の里の方が愛され続けるでしょう。

「いい子にしていたら愛される」って
それ、誤学習ですから。

いい子キャラが好きな人もいれば、嫌いな人もいる。
中途半端な白鵬、実力のない白鵬を目指しても、愛されることはありませんから。

それならば菊関のように、世界で自分を一番愛してくれる人を見つけてそこで充足していた方が愛着の問題は解決するかもしれませんね。
そしてそれに成功している人もたくさんいますね。


そろそろ愛甲さんに送る質問をまとめはじめます。
「脳みそラクラクセラピー」、愛着の問題の解決に興味がある方は読んでくださいね。
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体軸を「鍛える」のではなく

2016-05-23 09:35:39 | 日記
今回のコンディショニング講座は、告知後すぐ
「体軸」という言葉の持つアピール力にびっくりしました。
それだけ皆さん「発達凸凹の子は体軸が弱い」とか「身体がふにゃふにゃ」とか思っていらっしゃるのでしょうね。
そしてスポーツと身体アプローチの違いに注意していない人が多いから
「腹筋鍛える」「深夜の通販で売ってる道具買う」みたいな方向に行き
その結果、別に学習障害や認知方面が改善するわけではなく、身体アプローチに見切りをつけるのは実に残念です。

昨日は栗本さんに教えてもらいながら、その場でちょっとした動きで改善していくことがわかりましたね。
それは「鍛える」のではない。
「整える」のほうがいいかなと思いましたが
より的確に表現しているのは「体軸を見つけて、それを太くしていく」感じだと思いました。

体軸がない、体軸を育てなければ、というとき
アスリートが競技に勝つための体軸ではないのです。たとえばピッチで当たり負けしないような体軸を求められているのではない。

そうではなく、人間生活に必要な体軸がないことが学習や認知の問題につながっているのです。
人間生活とはたとえば、椅子に座ること。
椅子に座るには、腰は垂直に立っても膝は曲がり、そして足の裏を地面につけるという動きがラクにできることが必須です。じゃないと立ち歩きしたくなりますね。
それをひとつぶの卵ボーロで「座っていたらあげます」とかやってもそれは調教。
「腰はまっすぐに膝は曲がっていて足の裏が地面についている」状態をラクにできる身体を作ってあげた方が近道です。
そしてそれは深夜の通販で売っている道具ではかなえられない。
むしろ本人にトレーニングしている意識がなくても親の接し方ひとつで体軸が育つことが昨日はわかりましたね。

そしてこよりさんが興味深いエピソードを話してくださいました。
場面緘黙だったころ、腕がまっすぐに上にあげられなかったそうです。
しゃべれるようになると、腕がまっすぐあげられるようになったそうです。
腕と表現は関連があるのですね。要するにそういうことです、身体から治すというのは。
栗本さんからは股関節と脳みそぐるぐるの関連の話も出ました。

北は岩手から(しかも二組五人)、南は鹿児島、沖縄から皆さんが集まり、楽しい貴重な時間を過ごしました。

終わったあと皆様のおかげをもちまして空箱になった箱を荷台に積んで自宅へ。
綱取りが来場所につながった一番を見て、家を出ました。
饗宴の席は突然の呼びかけにもかかわらず円卓二つ。
画伯と山城さんが隣同士に座っているので「あそこは地雷原だな(ダジャレ的に)」と思って別のテーブルに座りました。二人はお互いのダジャレを褒めあって楽しかったそうです。

宴も進むとたくさん席替えもして、たくさんの人とお話しできました。
四国から初参加の方もいらっしゃいました。
いかがわしいおっさん(New!)の噂話は結構駆け巡っているみたいですね。

某所で私の隠密行動を目撃したけど見てみないふりしてくれた方もいました。
「隠密行動するつもりならもっと地味な洋服着なきゃだめです」と言われました。おおお、たしかに。

栗本さんのガールズトークも少しだけ出ました。でも皆さん、本気になったらあんなもんではありません。それでもまあ、一部の女子勢がドン引きしていましたが。
まあ栗本さん、今回のギャラは半分でいいそうです。
あとの半分は被災地に寄付してほしいそうです。
ので、私の方でどっか控除が受けられるところに栗本さんの名義で振込み、確定申告用に領収書をお渡ししたいと思います。
そういういいところもあるので、誰かいい人がいたら紹介してあげてください。

北から南からのお土産もいっぱいいただき、
楽しくてためになる一日でした。

7月29日にミニ運動会やります。
夏休みの予定に入れておいてくださいね。
またきっと楽しい一日になるでしょう。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
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本日のコンディショニング講座のレジュメ

2016-05-22 08:19:57 | 日記
貼っておきます。

=====

1)梅雨から夏にかけてのコンディショニング

仝撞朶鏃呂梁从

泌尿器系の対策

G嘶を誘導するために

げ独茲譴笋垢なった腎臓のコンディショニング

2)体軸を作る

〔未亮敢遒
中心軸作り

=====

こんな感じです。

終了後に関する事務連絡です。
ほんの二日前までこの日は優勝ががかった千秋楽の予定でした。そして今日を迎えてみると、ものすごくどうでもいい千秋楽になっていました(怒)。
今日はJリーグ等ありませんので、当日でもお店は取れると思います。終了後遠くからお客さんも来るので、私はとにかく飲み会です。そこに参加したい人は現場で申し出てください。

お天気がいいので私は自転車で行くつもりです。本は少し持っていきます。帰りの荷物を軽くしてあげたい方は本を買ってね。

楽しい一日にしましょう。
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親の愛は身体性

2016-05-21 09:30:51 | 日記



さて、

祝福された子ども(新刊マンガ発表)


の記事にちゅん平さんがくれたコメントを分析して、身体アプローチと愛着障害と「他の誰かになりたかった」の意義に一気に触れてしまおうと思います。
まずはちゅん平さんのコメントから。

=====
ああ、そうなんだ。 (ちゅん平)
2016-05-20 14:03:42
みなさんが画伯の絵や浅見さんの言葉に感動したと書いていて、そうなんだ、みんなはこんな感じで子供時代があったんだ、と羨ましくなりました。
私には全く身に覚えがない絵です。
絵本の中でこういう雰囲気は見たことあるけど。
懐かしいとか、ジーンとするとかなくて、ただ、みんなは共感できるんだ〜〜、いいな、と思いました。
だからって、私が両親に愛されていなかったとは思いません。
ただ、私の懐かしい景色は、お金を与えてもらっているところや、物を買い与えてもらっているところ。
両親なりの愛情の注ぎ方だったんだと理解しています。

=====

この現象にはいくつか原因が考えられます。

1 本当に夢中になって親子で遊ぶことのない家庭だった
2 遊ぶことは遊んだのだけれど、ちゅん平さんにその記憶がない
3 ご両親としては普通の親子のように遊ぼうとしたが、特性の強かったちゅん平さんはノリが悪くご両親はくじけてしまった

全部ありうると思うのです。いずれにせよ「他の誰かになりたかった」を読むと、ちゅん平さんにとっては「遊んでもらった記憶がない」ことが真実なのだとわかります。あの本に載っている文字でも写真でもね。そして思春期に大崩れした。

大崩れしたのは、どこかで子どもらしくいたいという気持ちがあったからです。今この絵に共感している皆さんのことをうらやましいと感じるのも、実は遊びたかったからですよね。「こんなの馬鹿らしい」と思えば、「うらやましい」とは感じないはずですから。

この事実を皆さんは大事に受け止めてほしいのです。

私は発達障害の仕事を始めてから、1のパターンが意外と多いのに気づきました。
それも、高機能よりの、お勉強重視の家庭でそれが起きているのです。
どうも「頭を良くするには勉強していればいい」という誤学習があると思うのです。

そしてそれを障害児療育に持ってきたのが犬の曲芸系療育です。
人間の脳は三層構造になっているのに、その一番上にしか働きかけない療育。多いですよね。それで効果が上がらない。そして治らないことになっている。

下の土台となる脳に働きかける身体アプローチを入れると効果が出るのは、土台に働きかけているからです。
そのあたりの理論武装を、新刊ではわりと徹底的にやっています。

情報化社会の中で人は上の脳を駆使して、ときには酷使して、事態に対応しています。
だから上の脳だけいじるとどうにかなると思っている人が多いのでしょう。
お勉強方面でもその誤学習をすると、結果として家庭生活もしつけも(そして療育も)「頭でっかち」になります。
学習障害への対応も小手先になります。
いかがわしいおっさん(New!)の本を作ったあとは、学習障害関係者の中で激論が交わされる「反復練習の是非」とかそういうのがちいさく思えてきますよ。もっと根本的な治し方がそこに提示されているからです。

そして親子が互いに愛情や不満を抱くとき、それが「頭でっかち」になっている例もとても多いと思うのです。それが「○○してもらえなかった」「○○してくれた」なのだと思います。
だから「物をもらったという愛情の感じ方」は「身体性」が乏しい人の感じ方だと思います。

コタツの中の脚がない人に、脚が生えてくると、親の愛情をもっと身体レベルで感じられるようになると思います。
そうすると愛されていたことに気づくと思います。
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満面の笑み

2016-05-20 11:11:40 | 日記



両国駅で会った母はよそいきでした。
イッセイミヤケのパンツスーツにパールのネックレスとイヤリング。手にはダイヤの指輪。
そうか、前回の東京オリンピックによそいきで出かけた世代にとっては国技館もよそいきなんだ、と普段着の私は思いました。キティTシャツよりはこましな服装できてよかったよ。

力士幟の並ぶ道を通って国技館へ。中へ入り案内しながら一周します。稀勢の里弁当を買って席へ。見やすいのにあまり歩かなくていいという奇跡のような席でした。国技館に高齢者を伴う方にご忠告。結構館内で歩くし、高低差もあるので、ご高齢の方はわりとひいひい言って上り下りしていることがあります。とくに二階の椅子席は大変。母はまだ足腰しっかりしていますが今痛いところもあるようなので、あまり歩かなくていい席でよかったです。



それからはお相撲見て、おしゃべりして、お弁当食べたあとは名物の焼き鳥。もうおなかは一杯かもしれないけど国技館に来たらこれ食べなきゃだめだからと思って買ってきて二人で完食しました。私はお酒を一本だけ飲みました。幕下から結びの一番まででたった一本ですから、まあ画伯と来た時と比べると飲まないも同然です。五十過ぎても母親っていうのは抑止力になりますね。



途中入り待ちにも行き、高安関の入りなどが見られました。お相撲さんは近くで見るととても美しい生き物だということが、母にもわかったと思います。あとびっくりしたのは、基本的に社会人で幕内以降しか平日は自分に見ることを許可していない私に対し、母は下の人たちにも詳しかったこと。考えてみればあの年代の人はずっと相撲を見てきたわけで、国技館にも初めて来た気がしないと言っていました。そして客席を面白がっていました。贔屓の力士が出てくると掛け声もかけていました。



稀勢の里も無事に勝ち、結びが終わり、弓取りも堪能してゆっくりと両国駅へ。
ちゃんこ屋が混んでいたので夫と考えた末、タイ料理を食べにいくことにしたのです。
うちの父は、高齢男性の例にもれず、味覚が保守的でした。エキゾチックなものは受け付けない。それに対し味覚の幅が広い母がロンドンに一緒に行ったときでタイ料理を結構おいしがっていたのを思い出し、誘ってみたのです。

メニューを選ぶのはだいたい真性食いしん坊である私の方が上手なのですが、さすがにタイ料理だと夫もツボを心得ており、いいチョイスで母も堪能してくれました。一応私のバースデイディナーだったのでスパークリングワインも開けました。

食事をしながら、私は夫の数々の辛辣な発言を母に暴露してやりました。
四十九日から帰ったあと、夫はこう言ったのです。「あんなに立派な戒名もらって、荷が重いんじゃないの」
私は大笑いして言いました。「いいのよ。パパは実力以上の人生を送ったから、その締めくくりにはふさわしい」
そして二人で笑った話を母にしたら、母も笑っていました。
父も天国でくしゃみをしていたことでしょう。

それから母が私の生まれたときの話をしました。当時住んでいた東京から横浜に里帰り出産していた母。生後一か月まで私は祖父母の家にいたそうです。最初から私は、満面の笑みを浮かべる赤ちゃんだったそうです。しかも日に三回。祖父はその笑顔にメロメロになり、私が東京の家に帰ってからも会社の帰りに訪ねてきて「今日はもう笑っちゃったか?」と笑顔を見に来たそうです。

それを聞いた夫。
「一日三回の満面の笑みーーそれは食事時ですね」

これまで赤ちゃんだった私の「日に三回の満面の笑み」は我が家にレジェンドとして語り継がれてきたのですが、あっさりと解明してくれたわが夫でした。「僕はカンタンに満面の笑みを引き出せます」と言っていました。週末の昼時「焼肉食べに行こうか?」と言うと私は満面の笑みを見せるそうです。

まあ人間あまり変わらないっていうことですね。

そんなこんなで親孝行できた誕生日でした。そして、稀勢関がそこに寄与してくださったのは間違いありません。

今日はどうなるでしょうか。ドキドキです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
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祝福された子ども(新刊マンガ発表)

2016-05-19 07:33:54 | 日記
さて、お誕生日です。
だから今日は
いかがわしいおっさん(New!)の新刊に画伯が(お相撲も観ずに・たぶん)描いてくれたマンガを公表します。

五月に出す予定だったのに父のことがあって伸びている本ですが
この本を作っていたときだからこそ、父との思い出がきらめくようになったのかもしれません。
本気で遊んでくれたこと。
それが私の土台を作ってくれたと思うから。

親にも遊ぶのが上手な人とそうじゃない人がいます。

発達凸凹の大人の中には
親の方針で知育偏重の教育をされてきた人もいます。

きっとある種の焦りを持った親御さんだったのでしょうね。

でもそのおかげで苦しんでいる人は多いのも事実です。
神田橋先生の言い方をお借りするなら
「無駄なことをせんと、ダメな人になる」からです。

親にも遊ぶのが上手下手があるし
昨今はそういう余裕のない人もいるかもしれない。

でも安心してください。
取り戻せますから。いくつになっても。

それをわりときちんと理論化したのがいかがわしいおっさん(New!)の新刊です。
栗本さんの本より専門書テイストの本です。
クリアカットな実践だから、超重度の人、そして子どもに身体アプローチをやる気がおきない人にも役立ちます。

栗本さんはこんなこと言ってます。

「チェックの際、思わず鳥肌が立ちました。
発達をここまで詳細にしかもわかりやすく解説した例は見たことがありません。
更にどんどん良くなる人が増えると思います」

専門書テイストなんですけど、やわらかい要素もほしくて画伯に描いてもらったマンガです。







さて、私は母と一緒に国技館に行ってきますね。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
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親からのプレッシャー

2016-05-18 09:41:04 | 日記





昨日の記事をFBにリンクしたら支援者の方からこういうメッセージをいただきました。

=====

「ある青年が『親が期待で言っているのはわかるけれど、人を裏切るって悪いことでしょ』と言うことがありました。きっと期待を裏切った先の
「親の思い通りの自分にならなかった」ことが
結果的に最高の親孝行だったりするのよ。
という浅見さんのおっしゃられる未来が彼には想像できていなかったのだと思いました。

=====

これを読んでちゅん平さんのことを思い出しました。
「他の誰かになりたかった」は今思うと、ハイパーりちぎな認知を持つちゅん平さんがどれだけ家制度に縛られて解離性障害に至ったかがわかる本でもあります。今思うとそこには地域性もあったのでしょうね。

今回愛着障害のセミナー前に、皆さん愛着障害の本を読んで勉強されるとおっしゃっていますが、「愛着障害」と書いてある本だけが愛着障害の本ではありません。愛着障害を背負ってきた人の手記も参考になります。私も昨日、電子書籍で「ファザーファッカー」を買いました。1993年の本ですからほぼ四半世紀ぶりですね。

そういう目で「他の誰かになりたかった」を読み直すと、というか見直すと、気づくことがあります。ちゅん平さんの小さい時の写真です。

ちゅん平さんは愛甲さんの「脳みそラクラクセラピー」を読んだとき、「子どもは子どもらしく育ってほしい」という愛甲さんの思いに涙が出たそうです。おそらく「自分の子ども時代は子どもらしくなかった」という自覚があるのでしょう。

そしてそういう目で本に載っている子ども時代の写真を見ると

実に大人びているのです。今回私が改めてみることになった自分の子ども時代の写真と全然表情が違うのです。

ここなんだな、苦しみの根源は。

と思いました。

これは決してちゅん平さんのご家族を責めているのではありません。
それはおわかりいただけると思います。

障害について知らなかっただけです。
だからやはり、早期発見は大事ですね。

そしてやはり、親もまた文化の縛りを受けていることを
大人になった子どもは学ばないといけないと思います。
無用に親を恨まないために。
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