ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

ありったけの

2017-07-22 23:36:35 | 日常
朝から土砂降り。
靴は古いのを履いて行こう。

野鳥の群れと遭遇した。
いつだったか電線に集団で鈴なりになって無遠慮なでかい声を張り上げて点呼取っていた連中に違いない。
スズメよりは大きくヒヨドリよりは一回り小さい茶色の野鳥である。


今日は5連続日勤の最終日。
湿度高い。
また帰りには汗だくなのだろうな。

・・・・・

定時に仕事終えた。
明日1日休みだ。

今、時間の事を考えている。
SNSで楽しく文学や音楽の話をして下さった方がTLでご自身が癌の宣告を受けたと告白され
かつての教会仲間がそうであったように、自分が受け持ち天に見送った患者さん達がそうであったように、
時間との戦いを意識するようになった。
一度でも対話して何かを共有した人が余命宣告を受けた事を知るとどうしても
時間という容量の限られた袋を満杯にしたい衝動が起こる。

抗癌剤投与の合間に原野に車を走らせ藪蚊に刺されながら独りサックスの練習に明け暮れ
市内の老舗ジャズ喫茶でライブに参加し、飲みに誘われれば誰とも飲んで楽しんだ教会仲間を思う。
土曜の夜だった。
夫婦と私は一緒にイタリア料理の店に出かけ、店のあらゆるメニューを総なめにし、ワインを空け、
何を話したかも思い出せないほど飲んで食べて笑い、語り、飽食の限りを尽くした食い改めよう、
などと酔っぱらって駄洒落を飛ばし、翌朝の礼拝に遅刻して行ったら牧師先生が説教の中で
偶然にも「悔い改め」の話をしていて吹いた。
礼拝中、声を殺し笑いを堪えるのに必死だった。
あの時も彼らは戦っていた、時間と。

時間という容量の限られた袋を満杯にするという発想は、何故か誰かから教わった記憶がない。
自分の意識の奥底から湧き上がって来る衝動が単なる衝動でなくなり切迫感となって追い立てられる、
追い立てられる自分は一体何をしているのか何に追い立てられているのかを日々自己問答するうちに
“自分は今、時間と言う袋の中に出来得る限り詰め込んでいるのだ”と自覚するようになった。

土曜の夜に食を共にした教会仲間がこの世の生涯を最後まで完走し天に凱旋して行った後、
在宅介護していた私の父の衰えと生きたまま薄皮を剥がされるように身体能力を失っていくのを
日々目の当たりにして、否応なしに時間を意識するようになった。
何の病であろうとどんな境遇であろうと、流れ落ちる砂や秒針の動きからは逃れる事が出来ない現実がある。

父に対しては、意思疎通可能な僅かな残り時間のうちに出来るだけの楽しみや喜びを詰め込んでやらないと
後々自分は必ず後悔すると思った。
自分でしたいようにしていた体が思い通りに動かなくなる、好きだった刺身も蕎麦もケーキも珈琲も、
嚥下すら出来なくなって全部気管に流れ落ち誤嚥して肺炎を繰り返す現実に直面すると、
切迫感はほぼ強迫観念に変わった。
僅かな残り時間が苦痛に耐えるだけで費やされてしまううちに使い切りみすみす時間切れになってしまうのだけは
断じて嫌だと思った。
教会仲間も父も、彼らは私の目の前で時間と戦っていた。
何も出来ないのではなく、今現在出来る事が1つでも2つでもありながら何もしない自分を、後の日の自分は必ず裁く。
自分の心は誰よりも自分が一番知っている。

・・・・・

時間と戦う事を初めて意識したのは外科病棟の勤務時代、消化器癌の患者さん達相手にしていた頃だった。
きちんと文章化しブログで組み立てたのはずっと後になってから、転職し外科勤務を離れた後、
今このブログを遡って検索すると2007年になってからだった。
読み返してみる。

  時間(ローマ14;7~8) ぱんくず通読帳 2007-10-03 15:27:32
          http://blog.goo.ne.jp/t-i801025memo/e/5e30fcc218223512770b952cda73bc90

  私たちの中でだれひとりとして、
  自分のために生きている者はなく、
  また死ぬものもありません。
  もし生きるなら、主のために生き、
  もし死ぬなら、主のために死ぬのです。
  ですから、
  生きるにしても、死ぬにしても、
  私達は主のものです。(ローマ14;7~8)

  これまでに
  生涯忘れられないような人々の死に直面した。

  まともに直視できないようなむごい状態の死。
  痛くて苦しくて精神的に破綻した末の死。
  まだ死ねない死にたくないと泣きながら頑張って力尽きた死。
  末期癌の疼痛コントロールが成功して愛妻手作りの卵焼きを味わいながら迎えた幸福な死。

  私が病室に一歩入ると満面の笑みと聞き取れない言葉で
  「おはよう」とか
  「また明日ね」と合図を送ってくる人達がいる。
  今日は寒いとか暑いとか天気悪いとかいい天気だねとか
  私は毎日の事些細な事を
  その人達と分かち合っている。
  日々の生活のいろんな事に埋もれて苛立ったりへこんだりする時に
  自分が彼らによって癒されていると感じる。

  彼らの中には
  身内がいても全く関わりが途絶えてしまっている、
  長生きしている間に子供達の方が年取って先に亡くなってしまった、
  そんな身内が一人もいない立場に置かれた人もある。
  天涯孤独。
  私の祖父もそんな死に方をした。
  そんな死に方とは、
  誰にも見送られずに病室から移送され霊安室には立ち寄らず
  線香1本手向ける人も無く
  祈りを捧げる人も無く
  息を引き取った病床からそのまま直接火葬場に直行する。
  そのようにしてこの世の人生を終えるという事。

  最愛の家族がいて
  生きたまま身を引き裂かれるような悲痛な別れを味わう人達とも
  誰も見送る人のない
  病室から火葬場に直行する人達とも
  職場の先輩同僚と私は時間を分かち合ってきた。

  眠れない長い長い深夜、
  夜明けを迎えた空の色、
  今日の天気、ニュースや新聞や些細な日常の出来事、
  午後の陽の長さ、
  夕暮れの空の色、
  明日の天気予報、
  毎日毎日私達は分かち合ってきた。

  この世で一緒に過ごす事の出来る時間は限られている。
  バタバタと仕事の合間にしか視線を交わす事が出来なくても
  大河ドラマと和菓子と煎茶で或いは笑点の大喜利と蕎麦で
  ゆっくりのんびり共に過ごしているつもりでも
  私達は時間に追い立てられて四苦八苦する。

  時間を分かち合うために時間と戦っている。
  時間という限られた器の中に
  ありったけの楽しい事と
  ありったけの面白い事と
  ありったけの嬉しい事と
  ありったけの感動する事とを
  ぎりぎり一杯まで詰め込むために
  時間と戦っている。

  「うまい。おい、そのタマゴ味噌もくれ」が最後の言葉となった人と出会った。
  冗談が好きで人情家で親分肌で愛妻家。
  闘病も末期になった頃、自宅で鎮痛剤を使っていたが痛みがひどくなると入院して薬剤を増量していた。
  疼痛コントロールが出来てくるとまた自宅に退院して行った。
  何度か入退院を繰返す間に、私達はずいぶん笑った。
  その人は私が鎮痛剤の座薬を入れに行くと手をあげておどけた。
  「ようっ尻係!(笑)」
  奥さんが茶化す。
  「あらお父さん、おしりあい?(笑)」
  私も返す。
  「しりません!(笑)」
  「頼むぜ尻係さんよ!(笑)」
  末期癌の痛みの日々に病室に入るための儀式のように駄洒落を飛ばして私達は笑った。
  入院中は奥さんが毎日病室に通って来て病院食の膳の横に手製の料理を並べていた。
  ご夫婦は私の父と同年代であった。
  奥さんは夏も冬も毎日毎日病室に通い洗濯物を持ち帰り、洗った物と手料理と共にまた運んだ。

  その人は頑張っていた。
  それ以上に奥さんはもっと頑張っていた。
  戦っていたのだと思う。
  時間を分かち合うために時間と戦っていた。
  時間という限られた器の中に、
  ありったけの楽しい事と
  ありったけの面白い事と
  ありったけの嬉しい事と
  ありったけの感動する事と
  ありったけの美味しい事を
  ぎりぎり一杯まで詰め込むために
  時間と戦っていた。

  その戦いがあったからこそその人は底抜けに明るい患者でいる事が可能だったのだと私は思う。
  良い事ばかりではなくて嫌な事や職員への不満や気に入らない事もはっきり言い表した。
  何回目の冬だったか市内で大雪が降った日には交通が麻痺状態で私達は日勤の後しばらく帰る事が出来ず
  ロビーでタクシー待ちした事があった。
  その人がロビーの大型テレビでローカルニュースを見て私達の事を心配してくれた。
  「何だ、まだ車が来ないのか。
   仕事終わって疲れてるのにまだ帰れないのか。
   そうか、除雪されてないから車がここまで来られないんだな。
   一体何時になったら除雪車が来るんだ。
   よし、オレが市役所に電話かけて文句言ってやる。」
  慌てて引き止めたけど本当に市役所に電話かけちゃった。
  電話口で誰かにドえらい声で文句言って怒鳴っていた。
  ふふふハラハラしたけど有難かったよ。
  ささくれ立って仕事していた時に笑えて有難かった。
  同じ頃に入院していた人達の中にはその人を見てへこんでてもしょーがないわと
  気づいた人がいたかも知れない。

  どんな病気でも一度病気を抱えるとその人のようでいられる人は少ない。
  治るか治らないか、検査データが上がったか下がったか、見込みがあるのかないのか、
  仕事はクビになるのかならないのか、治療費払えるか払えないか、高い新薬が効くか効かないか、
  そんな現実に常に追い詰められて一喜一憂しいつもいつもやきもきする、白黒どっち?と。
  底抜けに明るい笑顔の下では不安に苛まれ日常に何かいい事あっても上の空で、
  嬉しい事があっても喜べない。
  そして皆、同じ苦しみを共有し、同じ苦しみと戦っている。

  戦う相手は病気そのものではない。
  自分自身の恐れや不安でもない。
  本当の戦う相手は時間である。
  時間が相手。
  それが私にとって患者さん達から教えられた事だ。
  限られた期間に、患者さん達とその家族に出逢って教えられた。
  どんな病気でも
  病名を告知されて、余命を宣告されてからは時間との戦いになる。
  残り時間が長くても短くても関係ない、
  時間との戦いになる。
  どんな立場の人であろうとどんな病であろうと一人の例外もない事を思い知らされた。
  何故なら相手は時間だから。

  時間という限られた器の中に
  生きて味わう事の出来る最大限の喜びを詰め込む。
  共感し共有し分かち合う事の出来る喜びを、出来る限り最大限詰め込む。
  気づいていてもいなくても誰もが皆そういう戦いをしている。

  もちろん初めから放棄してしまった人達もあり、途中で投げ出してしまう人達もいる。
  それはそれで辛い。
  戦っても放棄しても時間は容赦なく過ぎ去って行く。
  しかしその人も奥さんも勝っていた。
  私は思う。
  あの人達は長い時間との戦いに勝ったと思う。

  その人の最期の日、私は夜勤明けだった。
  夜半に急に苦しいと訴えて救急車で搬送されて来た。
  鎮痛剤を微量だが増やして明け方近くからやっと少しうとうとしていた。
  少し落ち着いたので奥さんは一度帰宅して朝ご飯のおかずを作って持って来たのだったろうか。
  それともおかず持参で入院準備して来たのだったろうか。
  よく思い出せないが朝食の時間になった。
  その人は普通にベッドに起き上がり経鼻カヌラから酸素を微量ずつ吸いながら
  朝ご飯を食べ始めた。
  奥さんの手料理に箸をつける。
  食欲はしっかりある。
  食事の様子を見届けて病棟を巡回していると、しばらくしてブザーで呼ばれた。
  「看護師さん、お父さんが卵焼きを食べてたら動かなくなった。」
  その人は手に箸を持ったまま呼吸が止まっていた。
  まさか喉に詰めたのか!?
  医師を呼び、心肺蘇生を施した。
  誤嚥かと咄嗟に思って口をこじ開けたが何も無く、チューブで吸引したが
  口腔内からも気管内からも何も出て来なかった。
  奥さんが横で私に言った。
  「お父さんが卵焼き食べてうまいって言って、私に、
   おい、その卵味噌もくれって言ったから出してやったら箸持ったまんまで動かなくて。
   眠いのかと思って食べないの?って声かけたら何だか息してなくて」
  何年もの長い闘病生活の一番最後の瞬間に愛妻の卵焼きを食べて味わい、
  「うまい。おい、その卵味噌もくれ。」と言った。
  それがその人の最期の言葉だった。
  最後の瞬間まで愛妻の卵焼きを味わった。(あ、卵味噌はちょっと心残りだったかも。)
  
  誰もがその人のように幸せな最期の日を迎える事は出来ないかも知れないが
  私はあの日から密かに目標をここに置いた。
  高い高い目標であるが不可能ではない筈だ。
  今関わっている患者さん達に対して、自分の父に対して。

  しんどい現実の中で希望をもたらす人と出会ったと思う。
  主なる神があのご夫妻を通して何を私にお示しになりたかったかを考えた。
  ここに引っ越して来て間もない頃に聞いた、ご近所の神父様の言葉が浮かんでくる。

  「私達は誰かを許すために、誰かを愛するために、この世に生まれて来ました。
   私達は人を許すために、愛するために、
   生命を与えられ、生かされています。」(ロンデロ神父)

  いつも病室でお喋りして、喧嘩して騒いで、お互いを楽しませて、冗談言って笑って。
  笑って。
  それが武器なんだよ。
  時間の器の容量があとどの位かは誰も知らないから、
  気づいたらもう幾らも残ってないかも知れない。
  それでも私達は誰かの時間の器の中に詰め込む。
  生きて味わう事の出来る最大限の喜びを、
  共感し共有し分かち合う事の出来る喜びを、
  出来る限り最大限詰め込むのだギリギリまで。

  これは信仰告白である。
  あのお方が一緒にいて下さるから大丈夫。
  きっと出来る。


・・・・・

この文章を書いた2007年当時、私は在宅介護の真っ只中にありながら父を看取る事を
まだ遠い将来の事のように現実感なく漠然としか捉えていなかった。
しかしそれから僅か7年後にそれは現実のものとなった。
今考えている。
自分は勝っただろうか。
勝てる筈が無い、初めから勝ち目のない時間相手の戦いに。
父の事では後悔する事は山ほどある。
まだ出来る事が残っていたのに時間切れで終わってしまった気がする。
後悔を引き摺る私に構わず父はこの世の総ての悩みと苦しみを終え天に凱旋して行った。
一昨日スーパーの生花売り場にあった空色の朝顔の鉢植えを見て思わず手が出そうになったのは
空色の朝顔に触発されて、父を見送った朝の記憶が不意に甦ったからだった。

(2012-09-02 13:57:00撮影)


私自身が後悔や感傷によって何をどう考えようと、父が天に凱旋して行った事には確信がある。
教会仲間の訃報を聞いた時もそう思った。
理屈では無い。
根拠なんぞ勿論無い。
しかし何故か教会仲間も父も、その死には暗い印象が一つも無い。
快晴の深い青空を誇らしげに完走して行った後に一陣の風を感じたのみ。
あの空色の朝顔はそんな記憶を呼び起こし、時間と戦う事を今も考えさせる。

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4 コメント

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なんとなく (mondlicht 7/9)
2017-07-25 14:39:16
どう表現すればいいのか・・・
もどかしさが残ります。

最近、急に自分に残された時間の事を考え始めていました。
それは余命を宣告された、そんな事ではなく、
単純に年を重ねてしまい、慌てて残された時間の事を考え始めただけの事でした。

好きな音楽を聴き、好きな食べ物や、好きなお酒を嗜み、そして好きな人達と語らう。
なったそれだけの事なのに・・・

ブログを読むたびにいろんな思いが巡ってきます。
返信する
お久しぶりです! (井上)
2017-07-25 22:19:25
>mondlicht 7/9様

  お元気ですか?
  今も音楽ラジオを聴いておられますか?
  のんびり音楽を聴いて暮らす生活とは無縁な毎日です。
  それでも貪欲に隙間時間には何か聴く事もしております。
返信する
相変わらず聴いております^^; (mondlicht 7/9)
2017-07-26 14:24:20
井上さま

 5才ちゃんも7才ちゃんに成長したというのに、
 相変わらず聴いております。
 取り巻く環境は常に動いていますが、
 ひとつひとつ良い思い出に変わっていけば、そう思っています。
 御身体大切に、お互いそこそこ頑張って生きていきたいですね。
返信する
早いものですね (井上)
2017-07-28 21:12:37
>mondlicht 7/9様

  音楽ラジオを聴かなくなって2年が過たのですね。
  私自身の音楽の嗜好も変わって、
  これまで聴いた事のなかったJAZZを聴く事が多くなりました。
  生活の変化が目まぐるしく、付いて行けなくなりつつあります。
  mondlicht 7/9様もどうぞご自愛ください。
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