湿度83%。
霧がかかって不快指数ウナギ上りである。
仕事は今日も定時に終えた。
どんよりと白く沈殿した空は空気が生臭く、低温にも拘らず蒸し暑い。
帰りにスーパーで半額パンとスイカを買って母宅に寄った。
母は元気そうである。
最近動悸や眩暈を訴えなくなった。
今日はズッキーニの味噌炒めを作ったと言って分けてくれた。
ウマい。
ズッキーニは大好物だ。
蒸したヤリイカに岩塩を振ったのと共に夕食にした。
感謝。
さっき父の遺影の花を新しくした。
写っていないが同じ青色のガラスの花瓶に挿した。
眠くなりそうだがようつべ動画を見る。
凄いこのグルジア剣舞、本物の火花が飛んでいる。
✔ ,,სუხიშვილები“–ს ახალი თაობა - ,,ფარიკაობა“ New Generation Of Sukhishvili Сухишвили 22.02.2017
・・・・・
ここ数日『カルメル会修道女の対話』の字幕を書き留めて、3つの場面について考える事がある。
1つめ。
革命直前に病で世を去るグロワシー老修道院長の主人公ブランシュに対する台詞。
「自分自身にしがみつき、自分の孤立に執着していたら無意味です。」
「幻想というものは最も危険です。」
「世間は私達(観想修道会)が何の役に立つと批判しています。
もっともな事だと言えるでしょう。
誤解はいけません、魂の苦行が仕事なのではありません。
ここは祈りの家、私達の存在は祈りにのみあるのです。
祈りの力を信じない者にとっては私達が偽物か寄生虫に見えるのです。
神への信仰が普遍ならば祈りを信じる事も同じでしょう。
すべての祈りはたとえ羊飼いの少年によるものでも人類全体の祈りの筈です。
私達は昼も夜も祈るのです。
優しさと同情を処する所ではないのです。」
私はこれと同じ事柄を20年以上も昔、見ず知らずのカトリック信徒の方と行き合って聞いた事がある。
「私はこれまで世に出て働く活動修道会にばかり注目して、
修道院に引き籠る観想修道会を軽く見ていました。
でもトラピストを訪れてみて考えが変わりました。
修道士達は人生の全てを捧げて全世界のために祈っているんです。」
2つめ。
革命政府に父の家を乗っ取られ、父が断頭台で処刑された後、
下女となって実家だった家屋で虐げられながら家事労働するブランシュを探しに来た顕現のマリア修練長の台詞。
「最大の不幸は軽蔑される事ではなく自分で自分を軽蔑する事よ。」
3つめ。
私が最も注目する場面。
顕現のマリア修練長が逃げたブランシュを探す間にコンピエーニュの修道女達が全員逮捕され死刑判決を受けた。
仲間の死刑判決を聞いた時の顕現のマリア修練長と司祭との会話。
修練長は自分が自ら殉教の請願を言い出し皆に奨励していた。
「私をおいて皆を死なせる事は出来ません。」
「貴方の望みがどれほど重要だというのか。
誰を受け入れるかは神様が決める事だ。」
「私は殉教の誓願を立てました。」
「貴方は神に誓った。
それなら神に対して責任がある。仲間に対してではなく、ね。
貴方の意志は問題ではない。
誰を召されるかお選びになるのは神ご自身だ。
貴方の解放が神の御心ならば主に属する者だけが召し返される。」
神が生き残るように選ばれたのだから生きなければならないと司祭は言う。
「私の誇りはどうなるのです」
「ただ神の意志のみを見つめるべきだ。」
魂の奥深く、信仰者の厳しい対話である。
フランス語が分からず翻訳本が絶版で簡単に手に入らず、断片的にしかわからない対話に
重要な事柄が含まれている気がしてしつこく何度も反芻している。
原作となったル・フォールの小説とベルナノスの戯曲を読みたいが翻訳本は絶版で
取り寄せたいがお高いのでチェックしただけで保留してある。
いつかちゃんと読みたいなぁ。
寒い。
今夜も暖房入れている。
ダメだ。
霧のせいか眠くて。
霧がかかって不快指数ウナギ上りである。
仕事は今日も定時に終えた。
どんよりと白く沈殿した空は空気が生臭く、低温にも拘らず蒸し暑い。
帰りにスーパーで半額パンとスイカを買って母宅に寄った。
母は元気そうである。
最近動悸や眩暈を訴えなくなった。
今日はズッキーニの味噌炒めを作ったと言って分けてくれた。
ウマい。
ズッキーニは大好物だ。
蒸したヤリイカに岩塩を振ったのと共に夕食にした。
感謝。
さっき父の遺影の花を新しくした。
写っていないが同じ青色のガラスの花瓶に挿した。
眠くなりそうだがようつべ動画を見る。
凄いこのグルジア剣舞、本物の火花が飛んでいる。
✔ ,,სუხიშვილები“–ს ახალი თაობა - ,,ფარიკაობა“ New Generation Of Sukhishvili Сухишвили 22.02.2017
・・・・・
ここ数日『カルメル会修道女の対話』の字幕を書き留めて、3つの場面について考える事がある。
1つめ。
革命直前に病で世を去るグロワシー老修道院長の主人公ブランシュに対する台詞。
「自分自身にしがみつき、自分の孤立に執着していたら無意味です。」
「幻想というものは最も危険です。」
「世間は私達(観想修道会)が何の役に立つと批判しています。
もっともな事だと言えるでしょう。
誤解はいけません、魂の苦行が仕事なのではありません。
ここは祈りの家、私達の存在は祈りにのみあるのです。
祈りの力を信じない者にとっては私達が偽物か寄生虫に見えるのです。
神への信仰が普遍ならば祈りを信じる事も同じでしょう。
すべての祈りはたとえ羊飼いの少年によるものでも人類全体の祈りの筈です。
私達は昼も夜も祈るのです。
優しさと同情を処する所ではないのです。」
私はこれと同じ事柄を20年以上も昔、見ず知らずのカトリック信徒の方と行き合って聞いた事がある。
「私はこれまで世に出て働く活動修道会にばかり注目して、
修道院に引き籠る観想修道会を軽く見ていました。
でもトラピストを訪れてみて考えが変わりました。
修道士達は人生の全てを捧げて全世界のために祈っているんです。」
2つめ。
革命政府に父の家を乗っ取られ、父が断頭台で処刑された後、
下女となって実家だった家屋で虐げられながら家事労働するブランシュを探しに来た顕現のマリア修練長の台詞。
「最大の不幸は軽蔑される事ではなく自分で自分を軽蔑する事よ。」
3つめ。
私が最も注目する場面。
顕現のマリア修練長が逃げたブランシュを探す間にコンピエーニュの修道女達が全員逮捕され死刑判決を受けた。
仲間の死刑判決を聞いた時の顕現のマリア修練長と司祭との会話。
修練長は自分が自ら殉教の請願を言い出し皆に奨励していた。
「私をおいて皆を死なせる事は出来ません。」
「貴方の望みがどれほど重要だというのか。
誰を受け入れるかは神様が決める事だ。」
「私は殉教の誓願を立てました。」
「貴方は神に誓った。
それなら神に対して責任がある。仲間に対してではなく、ね。
貴方の意志は問題ではない。
誰を召されるかお選びになるのは神ご自身だ。
貴方の解放が神の御心ならば主に属する者だけが召し返される。」
神が生き残るように選ばれたのだから生きなければならないと司祭は言う。
「私の誇りはどうなるのです」
「ただ神の意志のみを見つめるべきだ。」
魂の奥深く、信仰者の厳しい対話である。
フランス語が分からず翻訳本が絶版で簡単に手に入らず、断片的にしかわからない対話に
重要な事柄が含まれている気がしてしつこく何度も反芻している。
原作となったル・フォールの小説とベルナノスの戯曲を読みたいが翻訳本は絶版で
取り寄せたいがお高いのでチェックしただけで保留してある。
いつかちゃんと読みたいなぁ。
寒い。
今夜も暖房入れている。
ダメだ。
霧のせいか眠くて。