ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

砂浜と四つの坂を歩く

2017-05-03 21:04:09 | 日常
起きた。
天気良いので鉢植えを日に当ててやろう。
さて、外の空気を吸いに出かける。

勇んで外に出てみたが目的の路線バスは40分後にならないと来ない。
少し歩く事にした。




 

木々はまだ芽が出ないが陽光を浴びて生き生きと光っている。

10分ほどバス待ち。
ベンチで押田成人師の著作を読んでいる。
「土の器」が抽象的な概念ではなくなった。

  本来、土というものは生きもので呼吸しているものです。
  色々なものを消化して自分自身にしているという消化作用と、
  自分の中で呼吸をしてその中に孕むものを芽ぶかせるという神秘的なものなのです。
  土というものは化学的思考の向こうに、
  このどうにも思考では把握できないある神秘の現実をもっているのです。
  こういうものに対しての感覚をすっかり失って、抽象的にただ頭で考えることによって、
  何でも処理できるように思うということに、悲劇の根本原因があるでしょう。
  田の土が固くなると、実りの時には稲は鉛色をしています。
  近頃、私の身辺でも癌の病人と、精神病が異常に増えてきました。
  限界に来ている、というより夙に限界に来ていたのです。
  鉛色の米や、見たとこだけ綺麗な有害野菜、果物を食べていて今まで通りのわけがありません。

  ・・・・・

  愛情とは、過去を受け止める勇気です。
  深いところに潜んでいる思いやりです。
  愛情とは、同時に耐えて見つめるまなざしです。
  私共の人生は、矛盾にみちた私共の存在を、来る年も来る年も同じ困難に立ち向かいながら、
  汗を流して耕すのに似ています。
  であるからといって、
  それでおのずから私達の存在という畠が身に沁みたものになる、というわけのものでもないようです。
  来る年も来る年も祈らねばならぬのです。

  ・・・・・

  たがやすのは、わが生き身であります。
  植物的ないとなみから、ことばのいとなみまでのわが生き身であります。 
  
  ・・・・・

  肉迫は、人間において信仰という形であらわれます。
  それは未来の夢というものとは全く性質を異にするものです。
  未来の夢を追う者は、現在の快楽を追う者に似て、夢幻の中に自分自身を失ってゆきます。
  畠はいたずらに荒らされてゆきます。

  ・・・・・

  聖書の中で、「人間は、神が土を捏ねてつくり、自分の息を吹き込んだ」とありますが、
  これは、お伽話ではありません。
  非常に深い知恵の光です。
  もし、土というものがなくなると、人間もなくなります。
  日本の土の香りがなくなったならば、日本の命、日本人の存在はなくなります。
         
                              (押田成人著『藍の水』思草庵 1977より)


読み進むのを止めて、しばし「土」を考える。
創世記をもう一度読んでみようと思う。

・・・・・

海岸に来た。




遠く微かに突き出した高台が見える。
後で行くよ。


波はさらさらと穏やかだ。
 

 

 

 


樹木が根こそぎ打ち上げられている。
何か巨大な動物の亡骸に見える。


砂浜はアイヌネギ(行者大蒜)を探す人々で賑わっている。


ひなたぼっこしながらソフトクリーム食べる。
ソフトクリームはいいね噛まなくても食べられるから。


実は、今日海岸に来たのは散歩だけではなくて道の駅の売店で買い物をするのが目的だった。
冷奴に付ける蕗の薹味噌を買いに。
地元で獲れるタコも買った。
母が刺身にして楽しむだろう。

日差しが強い。
眼をやられそうだ。

連休のイベントでテント屋台をやっている。
地元名産のタコを炊き込んだタコ飯が1パック200円だ。
2人分買った。

・・・・・

母宅にタコとタコ飯と蕗の薹味噌を届けた。
一度帰宅して昼食にタコ飯を食べてから反対の方角に出掛ける。

タコ飯。
あっウマい!

タコは噛めなくて丸呑みしたけど旨味が全体に滲みている。

・・・・・

いつも散歩する高台まで来た。


ハリストス教会の玉葱屋根が見える。


車通りの無い高台で深呼吸をする。




 


第一の坂を上った。
今日の海は冴え冴えと青い。


明日も休みだから時間に制約が無い。
のんびり歩く。
浜に向かって下る。


浜に来た。
湖のように静かである。






採炭貨車は来ない。
 

連休だから休みなのかな。
来ないなら海岸線沿いの線路の上をずっと歩いて行きたいが、
以前休日だからと思って歩いていたら真正面から貨車が来て慌てたのでやめておく。

第二の坂は急勾配である。
より高い場所からの海の眺め。
ここからさっきまでいた郊外の砂浜の辺りが遠目に見える。
午前中私は向こうからこちらを見ていた。






 


 


日が傾いて来たな。


坂を下って少し歩く。
第三の坂を上がると展望台がある。
バブルの時代に建てられたものだ。






小さい螺旋階段。
天井部は正八角形。
正七角形だったら面白いけど誰も喜ばないだろうな。


街を見下ろす。
聖公会の赤い屋根が見える。











幼稚園か小学校に上がる頃か、それくらいの年齢の頃に両親と妹と一家4人でここに来た事があった。
市内の池のような小さい湖のある草の上でおにぎりを食べた後、
車も無かったのに乳幼児を2人も連れて両親はどうやってここまで移動したのだったか、
この場所から望遠鏡10円玉を入れて街を見たり坂を走り下りた記憶がある。
今の展望台の建物は当時勿論無かった。
望遠鏡は今の展望台の上の階に設置されており100円玉を入れて覗くようになっている。
当時は見晴らし良いだけのただの草地に過ぎないだだっ広い公園だった。

坂を下って旧市街に一度に出た。
なだらかな第四の坂を上る。
短い急斜面を上るよりも長いなだらかな坂をゆっくり上る方がしんどいな。
けけけきぇぇぇぇーっ

何かと思ったらオオセグロカモメ達があんな腐食したトタン屋根の上で威嚇し合っている。
縄張り争いか。
鳥類の仁義無き戦い。

日本基督教団の屋根の十字架。
尖塔部分がパラジャーノフの映画に登場するアルメニア教会の尖塔と似ている。

全体を見ると、十字架のある尖塔が建物本体と乖離した珍しいデザインの建造物。

展望室のある公共施設まで来た。
バスが来るまでここから街を見る。
ここからもハリストス教会の玉葱屋根が見える。


青い蛇のように市内を横切る川。


港に船は見えない。
連休だからな。




・・・・・

バスを降りたら頭上に月があった。
上弦の月は薄雲がかかっている上にこの古い携帯電話のカメラでぼやけて、ちっぽけな朝顔の種の如し。

今日は一日中、朝から日の暮れるまで出歩いたな。

晩飯はもういいや。
温めた牛乳に塩を入れて飲みながらちあきなおみの歌を聴く。
酒と泪と男と女 ちあきなおみ(ライブ )

いいなぁ。。。聴き惚れる・・・