ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

休日徘徊

2016-10-07 23:25:31 | 日常
昨夜職場からの呼び出しは無かった。
爆睡し過ぎて起床時腰の痛みで飛び上がった。
朝食よりも何よりも先にストレッチと筋トレをした。
整復するのに30分もかかった。

体組成計とカロリズムのスコアを入力してからやっと朝飯。
ずっとどんな味か気になって買い置きしてあった「いなばタイカレー」の黄色缶、
ウマい。
常備食として買っておこう。
タイカレーは赤も緑も大好きだ。
仕事のある日は毎朝カレー食べているが、タイカレーはまた別腹で大好きだ。

快晴。

そして寒い。
暖房なしだと辛い季節に入った。

珈琲時間。
モカ・シダモ、うまぁー。

耳がまだ痛い。
熱と腫れが退くと痛痒くなる。

押田茂人師の著作を読んで以来
「コトことば」を黙殺して語られた事、自分が読んできた事、教わった事を
掘り起こして考え直している。
押田師の使う日本語は何故染み入るようにすんなりと入って来るのだろう。
「コトことば」でないただの「言語」でこれまで読んだり語って来たものは何だったのか。

自分は時代に逆行しているのだと思う。
例えば教会で歌う讃美歌がそうだ。
これまで何十年も歌い継がれた讃美歌をどれもこれも
「NGワード」「差別用語」「わかり難い日本語」とばっさばっさ削り切り落とし書き換えて
「讃美歌21」と称し近年新しく編纂し直されたのを教会で用いるようになって以来、
ゴロの合わない珍奇な糞歌ばかりになって歌うのが苦痛になったのと関係ある気がする。
新しく編纂した讃美歌21は元の英語歌詞の意味に忠実だとか、
賤(しず)の女をば母として」が女性差別用語だから「乙女マリアを母として」に書き換えたとか
「慈しみ深友なるイエスは」が“わかり難い日本語”だから「慈しみ深友なるイエスは」に
書き換えたとか、礼拝で讃美歌を歌う事自体が苦痛ですらある。
押田師の述べる「意思疎通の道具に過ぎない言葉」で書かれた歌詞、
上っ面の機械音の如き歌詞が心の奥底に浸透して来る筈が無い。
しかし浸透して来ない機械的言語解釈による「言葉狩り」を経て寄せ集められた讃美歌は
如何にもNGワード排除しました感に満ち満ちて押しつけがましく疎ましい。
植物に譬えるなら、
生の花は花粉がそこらに落ちて汚いし匂いも人によって好き嫌いあるし枯れるからと言って
プラスチックの造花に置き換えたようなものだ。
新しい讃美歌を幾ら教会で歌っても、夜道を一人疲れて歩く時に讃美歌21の歌は出て来ない。
歌詞に違和感があるからだ。
「NGワード」「差別用語」「わかり難い日本語」を排除した健全な讃美歌は全然浸透して来ない。
たかが歌の歌詞と言えばそれまでであるが、
歌は心の奥底のもの、たとえ病気の後遺症で発語出来なくなっても一度憶えた歌は出て来る。
それほど深いものである。
卑しい言葉狩りでずたずたに切り貼りしたとしても動かしようなく焼き付くものだ。
その「動かしようのない何か」の中に重要なものが含まれている気がする。


昨日の未明に聴いた英神父様の説教ライブの中の

「故郷は何処にあるのか。帰る家のない人々が世に溢れている」

という言葉が漠然と耳に残っている。
この地上では文字通り路上生活者の事でもあり、
自分の帰る場所をとうに失ってしまった今の時代の私達の事でもある。
父には無かった。
私自身を省みても、やはり無かったと思う。
帰る家は、この地上には無いのだ。
それは多分こういう事かも知れない。
昔、通った学校の学長が言っていた。

 πάροικοι  και  παρεπίδημοι
              (Πετρου Α 2;11)


“旅人、宿れる者”。
忘れないようにメモっておこう。

・・・・・

間もなく正午だ。
午前半日ずっとストレッチとダンベルやって足腰の筋肉もほぐれた。
では、歩きに行ってくる。


空が高い。


足元に蜂が。
息絶え絶えだ。


空き地のすすき。


遠回りして昔通った中学校の近くに出た。
私が在学中は新築だったのが今では老朽化して無残な状態だ。
当時から植わっていたものだろうか、樹木の背丈はやたらと高い。


この夏の長雨と台風の塩害で一度枯れた枝が冬目前の今になって若葉を出している。




これは何という蝶だっけ。


陸橋に来た。



この線路は途中で寸断されたまま復旧の見通しも無い。

下りて反対側に出る。
私が子供の頃からある倉庫らしき廃屋。


線路の先には駅舎。


線路の傍に立って見る。


路肩のこの植物、あちこちで見かける。
何だろ?


空の色が濃く深くなった。
冬が近い。




観光客向けの市場を通り越すとカトリック教会がある。


聖母像。


少し歩くと交差点。
信号待ちしていると通りの向こうに「考える人」がいた。


ここは昔画廊だった。
日曜日になると父が散歩がてら絵を見に出かけていた。

バスが来た。
高台までほんの2区間だけ乗った。

降りてまた歩く。


港の向こう側から立ち昇る雲。


薄雲が伸びて来た。
風が顔に刺さる。
手袋がほしかったな。


いつも歩く崖の近くまで来ると通路を塞いで樹木を伐採している人達がいた。
大きな廃屋の窓に打ち付けたベニヤ板が強風に煽られて剥がれ落ちるので
危ないから落ちる前に剥がすのだそうだ。
窓に近付くために障害となる樹木の枝を切り落している。
廃屋もいずれは取り壊すと言う。
この強風の中を高い場所に上って作業するのは難儀な事だ。
海を見に散歩しに来ただけだけどここ通り抜けたらダメでしょ?と尋ねると
意外にも「いや、今ならいいですよ」と言ってくれたので脇を通って崖に出た。

海は今日もこんな色。


太陽がもうあんなに傾いている。


寒い。
もっと歩こう。
作業する車の脇を通って坂を下る。

浜に来た。
試験採掘の石炭を運ぶ貨車の通る線路。



波はこの前来た時ほど荒れていない。


踏切の警鐘が鳴り始めた。
貨車が来た。
見るのは久しぶりだ。




波が穏やかなのでウマいものにありつけないのか
オオセグロカモメの一団はコンクリートブロックではなく砂の上にぺたりと座っている。
多分日光で温まった砂が気持ちいいのだろう。


頭上で別の群れが大騒ぎしながら行き来する。


波打ち際。






水は緑色をしている。


日が翳って来た。


座って寛いでいたオオセグロカモメ達のうちの一羽がこちらに向かって来る。
物珍しそうに歩いて来る。


悪いね。
何もウマいものを持っていないのさ。

また警鐘が鳴った。
さっきの貨車が戻って来る。









また採炭場に戻って行った。

もっと見晴らしのいい崖に行く。


向かい風に逆らって坂を上り切った。




立っていると足元を風に足元を掬われそうになる。


光が氾濫する。





草も薙ぎ倒されるほどの風だ。


坂を下りて5分ほど待っているとバスが来た。
岸壁に向かう。

バスを降りて岸壁から港に向かって少し歩く。


変な形の街灯が見えて来た。
何かひょうきんな妖怪みたいな恰好をしている。


またここに来た。


傍の外階段を上がり切って港の方角を眺める。

一足歩く毎に足元のコンクリやタイルが崩れ、細かく砕けた破片が風で飛ぶ。

寒いからとりあえず建物の中に入った。

蔵書、主に写真集を集めた閲覧室。

ロバート・メイプルソープの写真集見つけた。
しばし眺める。
土門拳の昭和写真もある。

職員のおじさんがわざわざ室内照明を点灯してくれた。

時間に余裕があるのは有り難い事だ。
ゆっくり気の済むまで写真集を眺めた。

西向きのガラス窓から黄色くなった日光が差し込んで来た。


日が暮れないうちに帰ろう。
日没過ぎると真冬並みに冷え込んでくる。
私は軽装で出かけて来たのだ。


倉庫街。
間もなく日が落ちる。


古い小さな商店の戸口を覗いていた黒猫。

あれ、前に出会った事なかったっけ。
あんた岸壁にいなかった?
いやこの先の自転車屋の老夫婦に引き取られた兄弟の方だっけ。

帰りのバスを降りたら既に日は沈んだ後だった。


ううう寒い。

もう冬物ジャケットでないと厳しいな。

・・・・・

ニ連休初日の今日は予報で終日晴天、明日は雨天と言うので昼から散歩した。
特に所用も無く時間制限もないので好き勝手気ままに歩き回っり際限なく写メ撮り過ぎて
途中崖の上で携帯電話がスタミナ切れで気絶してしまった。
帰宅して、撮った画像を整理している。
何でこんなたくさん撮ったんだ。(愚

はっ。
カロリズムの電池切れが近い。
あと3時間半。
がんばってほしいカロリズム。
午前0時かっきりに電池交換するから。