みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

すべて知っていながら

2017年04月20日 | ダニエル書

ダニエル書 6章17−31節

 きのうは雪がちらつくほどの寒さでした。桜も散り、リンゴの花も満開だというのに…。祈祷会の帰り道にスピード違反取り締まりに遭遇。そこは50キロが制限速度。でも、スピードオーバーしやすい場所なのです。私は制限速度で走っていましたが、多くの自動車が停められていました。オーバーしても取り締まりはないだろう、だいじょうぶというのは、よく考えるととても危ない予測なのですね。

 ベルテシャツァル王の前に連れて来られたダニエルは、指で書かれた文字を読み、解き明かしができたらほうびを取らせるとのことばに、ほうびを断って王のために文字を読み、解き明かします。

 それは、かつて祖父ネブカデネザルが高ぶりのゆえに一時王座から退けられた時のことから始まりました。人の中から追い出されて獣として野に放り出されてようやくのこと、ネブカデネザルは神が国を支配し、みこころにかなう者を上に立てることを知ったのです。

 ところが、子である(正式には孫)ベルシャツァルはこのことを知っていながら心を低くせず、生ける神を冒瀆し、偶像を拝むのです。ダニエルはここでも、恐れずに権力者を責めています。それは、ダニエルの考えではなくて、神の霊が彼に教え、語るように促したからです。真に恐れるべき相手が誰かを知っている者の姿勢です。

 心に留めたのは、「あなたはこれらのことをすべて知っていながら、心を低くしませんでした」というダニエルのことば。それはいのちにかかわる警告であったのですが、王は高をくくっていたのです。「彼らは、そのようなことを行えば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら…」というローマ人への手紙1章32節のことばを思い起こします。

 もしも王が、自分のいのちがこの高ぶりのために取り去られると知っていたら、悔い改めてへりくだったのだろうかなどとも考えさせられます。いや、人は自分のいのちの長さを知らないのです。だからこそ、備えが必要なのです。

 高をくくってはいられません。

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