みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

行く先々で…

2016年05月24日 | 歴代誌第一

歴代誌第一 18章

 久しぶりに最寄り駅からUバーン(地下鉄)に乗りました。前にも書いたように、2週間以上も運休していたのですが、道床の砂利を入れ替えたり大がかりなメンテナンスをしていましたので、やはり乗り心地がよくなった気がします。乗り換えずに中心街まで行けるのがうれしいですね。

 18章には、ダビデが周辺諸国を平定し、または友好条約を結んだということが書かれています。順番で行くと、ペリシテ、モアブ、北にあるツォバ、アラム、ハマテ、エドムなどの諸国の名が登場します。歴代誌の著者は、これらの勝利を前に述べたこととの結びつきで描こうとしたのではないでしょうか。つまり、神の箱をエルサレムに運び入れ、聖歌隊を編成して神を力一杯賛美する姿の先に、この勝利があるのだということです。

 この章に描かれている勝利は、ダビデ側に当時としては最新の装備があって相手を圧倒したというようなものではありません。たとえば装備についてみますと、ダビデはツォバのハダデエゼルの家来たちが持っていた金の小楯に関心を示していますし、非常に多くの青銅を持ち帰っています。これらのものについていえば、ダビデ側は明らかに劣っていたということなのでしょう。けれども、装備の違いが必ずしも戦いの勝敗を決するわけではないということも言えます。

 私たちの周りはとてつもないスピードで変化しています。小さな電話の中にナビもあればカメラもあり、美味しいレストランがどこにあるかを調べられ、電車やバスのチケットも買えるし辞書もも収められ、音楽も聴けるし、自動翻訳をしてくれると思うと、脈拍もスピードも測れる、自分の上を飛ぶ飛行機がどこの航空会社のものでどこからどこへ行くのかもわかってしまうなどということを、10年前にはだれが想像できたでしょうか(Appleのあの人は考えていたのかもしれませんが…)。

 そのような中にいると、この流れに乗っていないとだめなように思うことがあるかもしれません。いいや、そんなことはない。もっともっと大切なものがあるのだと、改めて教えてくれる箇所です。

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建ててはならない

2016年05月23日 | 歴代誌第一

歴代誌第一 17章

 

 日曜日をどのようなお過ごしになりましたか。当地は今年初めて「ちょっと蒸すかな…?」という天候でした。雨の前触れのような感じがしましたが、案の定礼拝から戻り夕食を終える頃に夕立がありました。月曜日は最高気温が15度に戻って、涼しくなる(肌寒くなる)とのことです。

 神の箱を天幕に安置したダビデは、次には建物を造りたいと預言者ナタンに相談します。動機は、「私が杉材の家に住んでいるのに…」というものでした。預言者ナタンは、「あなたの心にあることをみな行いなさい」とダビデを励まします。ナタンは、ダビデの願いを信仰に裏打ちされたものだと受け止めたということなのでしょう。

 しかし、主はナタンによって、ダビデの願いに「否」と答えます。4−6節の主のお答えには、ご自身の強い自己主張が感じられます。ダビデの動機はおかしなものではなかったのですが、「私が杉材の家に住んでいるのに…」ということばに潜む、ダビデ自身も気づいていない危うさを主はご存じだったのでしょうか。

 むしろ主はダビデに、ダビデをここまで引き上げたのはご自身であることを確認させ、逆に「主があなたのために一つの家を建てる」とおっしゃるのです。さらに主は、この「一つの家」の王座をとこしえまでも堅く立てると約束なさいます。それは、ダビデの子としてやがておいでになる救い主のことを指しているのです。圧倒的な恵みの大きさ豊かさを突きつけられた思いのするようなことばです。

 これに対し、ダビデはふてくされたりすることなく、自分がどれほど小さなものか、主がどれほど偉大なお方かを申し上げ、ただただ主のお約束のとおりになるようにと願っています。ちょっとしたことで自分を肥大化しやすいのが私たち。そんな者に主は圧倒的な恵みを賜わって、あるべき所に戻してくださるのではないか、などということを考えました。

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その日その時

2016年05月21日 | 歴代誌第一

歴代誌第一 16章1−22節

 

 朝は鳥の美しい鳴き声で目が覚めます。見ると近所の高い木の上で鳴いています。時々は我が家の屋根の上でも鳴いてくれているようです。朝5時すぎには東の空が明るくなり、夜10時ごろまで西の空に明るさが残っていますので、ずいぶんと昼が長くなりました。

 16章には、ダビデを始めイスラエルの人々が、神の箱を安置した後に神に全焼のいけにえと和解のいけにえをささげ、民を祝福し、さらに楽器とともに神をほめたたえたとあります。

 神の箱を安置するまでには、ウザの事件も含めて、大変なところを通されてきました。けれどもダビデは、みんなよく頑張ったね、私もがんばったし…などというように自分たちがどれだけ苦労したかについて、互いにねぎらい合うようなことはしていません。神に自分たちをささげ、神の前で祝い、神への賛美を楽器と歌とをもってささげているのです。

 8節から記録されているほめたたえる歌は、8−22節は後に詩篇105篇1−15節に、23−33節は詩篇96篇1−13節に、34−36節は詩篇106篇に通じています。これらの詩篇がダビデによる神の箱安置の際の礼拝で歌われたことを知るのは、味わう上でとても意義のあることかと思うのです。

 7節に「その日その時」とあります。その日その時に神をほめたたえる、事ある毎に神をほめたたえるようにと、私たちが招かれていることを改めて思うのです。鳥たちに負けていないだろうか…と。

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体裁ではなくて

2016年05月20日 | 歴代誌第一

歴代誌第一 15章

 当地は夜の10時になってもまだ西の空が明るい…、そんな時になってきました。夕食以降にたっぷりの時間があるという、何か得した気持ちになります。寝不足にご用心を、ですね。

 ダビデは、再び神の箱をエルサレムに運び入れたというのが、きょうの箇所に書かれていることです。前回は、高揚感が先に立って、神がするようにとお求めになったことを抜かしてしまったために、ウザが打たれて死にました。ですから、ダビデは今回は、もともと神がお定めになったとおりに、祭司やレビ人を神の箱を運ぶための奉仕者として選び、しかも、彼らの身をきよめた上で奉仕に当たらせようとしました。

特別な装束を身にまとって、喜びを隠さずに身体全体で表すダビデの姿に、改めて教えられます。

 一つは、ダビデは前回の反省から静かにおごそかに神の箱を運ぼうとはしていないことです。あの、大きな事件のゆえに萎縮することなく、前にもまさって大きな喜びを体全体で表しています。王であるゆえの威厳などというのはかなぐり捨てて、一人の神の民として、精一杯神をほめたたえようとしています。それは、妻のミカルのさげすみを身に受けることになるのですが、さげすまれても、けなされても、神がともにおられることの素晴らしさをなんと言われても、身をもって表しています。

 かなぐり捨ててよろこぶ…このことの意義について、考えさせられています。

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神に伺って…

2016年05月19日 | 歴代誌第一

歴代誌第一 14章

 この章では、王権が確立したダビデの周囲との関係が描かれています。ツロの王ヒラムはダビデを尊敬し、王宮建設のための資材や職人を提供するほどでした。双方は良好な関係を保ち、ダビデの子ソロモンが神の宮を建てる時にも、ヒラムは多くの資材を提供します。

 妻たちをめとり、多くの子どもをもうけます(多くの妻を得るのは神がお定めになった結婚のあり方とは違いますが…)。

 そして、長い間イスラエルを脅かし続けたペリシテ人を打ち破るのです。しかし、ペリシテと戦うのは、ダビデにとっては複雑なことだったことでしょう。サウルに追われ、ダビデはペリシテ人の地に逃げ込み、ある意味では彼らにかくまわれたのですから、ペリシテ人にしてみたら、恩を仇で返す裏切り者のダビデということになるでしょうか。

 この章では特に、ダビデが戦いの前に必ず主に伺う姿が印象に残ります。それは、複雑な思いを引きずったままペリシテ人と対峙するのではなくて、神のみこころにしたがって行動しようとしたからではないでしょうか。もし、彼が自分の思いを先に立てたとしたら、ペリシテをそっとしておこうというようになったかもしれません。

 神はダビデが尋ねる度に答えてくださり、具体的な作戦をお与えになります。名声や良い評価は、気づかないうちに自分が大きな存在だと錯覚させてしまいます。神に聞こうとしないで自分の才覚で事を行おうとします。ダビデの姿勢は、そのような誘惑から自分を守るものなのです。

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