みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

ソロモンよりまさった者

2016年07月02日 | 歴代誌第二

歴代誌第二 9章1−12節

 散歩の途中、うさぎを見つけて忍び足で近づき、逃げるやいなや猛スピードで追いかけていく犬を見ました。野生を垣間見た瞬間です。

 9章にタイトルをつけると「ソロモンの栄華」ということになるでしょうか。前半は南からソロモンの名声を聞いてはるばる訪ねて来たシェバの女王の様子が記されています。ソロモンを訪ねた女王からは,次のようなことを教えられると思います

 女王の行動力:ソロモンの評判を伝え聞いたら,実際に会いに来て確かめるという実行力があります。
 女王の素直さ:ソロモンの知恵と映画を体験して、ソロモンをたたえ、そればかりか神をたたえています。
 女王の気っぷの良さ:多量の金や貴重な香料、宝石をソロモンに贈りました。

 そして,そのような女王にソロモンは、ほしいだけの物を何でも与えたというのです。この二人のやりとりは、私たちの日常とはかけ離れた感じがして、「ふーん、そうなんだ」というような受け止め方をすることが多いのかもしれません。けれども、主イエスの一言が、この二人のやりとりが主イエスと私たちとのやりとりにつながっていることに気づかせます。

 「南の女王が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。」マタイの福音書12章42節

 ご自分を認めようとしないパリサイ人や律法学者に、主イエスは、「シェバの女王ははるばるソロモンの知恵を聞くためにやって来たではないか。それなのに、あなたがたはここにソロモンよりもまさった者(主イエスのこと)がいるのに、わたしのところに来ようとしないとしない」とおっしゃるのです。

 女王の姿勢は、主イエスのところに行こうとする者にとっての大切な模範として示されているのです。

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主の宮は完全

2016年07月01日 | 歴代誌第二

歴代誌第二 8章

 7月を迎えました。写真は庭のバラです。

 8章は、ソロモンが主の宮と自分の宮殿を建て終えたときのことが記されています。一つはソロモンの外交、もうひとつは内政です。外交では、彼が宮を建てる際に援助を願い出たツロのフラム王との関わりです。2節には、「フラムがソロモンに返した町々を建て直し、そこにイスラエル人を住まわせた」とあります。このことに関連して列王記第一9章には、ソロモンはフラム(ヒラム)が用立てた木材や金の代価としてガリラヤ地方の20の町々をヒラムに与えたのですが、気に入らなかったヒラムはそれらをソロモンに返したという記事があります。20年の歳月をかけて神の宮と自分のための宮殿を建てたソロモンは、経済的にはかなり厳しいところを通されていたという事情が垣間見えます。しかし、歴代誌8章では、そのあとにソロモンとフラムの協働が記されていますので、関係は保たれていたと考えられます。

 また、ソロモンが建てた、ハマテ、タデモル、上ベテ・ホロン、下ベテ・ホロンなどの地名が記されています。いずれもエルサレムから遠方の地名です。その中のタデモルとは、ダマスコの北東200キロにある地であり,後にここはパルミラという名前の通商都市として知られるようになります。最近ではISが占領中に、世界遺産であるパルミラにあるローマ時代の建築物を破壊したとして報じられました。

 また、神殿や宮の建設にイスラエル人以外の人々を苦役に徴用したということが記されます。緊張が絶えなかった近隣諸国の民を用いたということは、外交面での施策の一つであり、内政面でもこの時点では国を治めていたということを伝えているのでしょう。

 この章では、それらの政治的な出来事の中に、ソロモンが神を礼拝していたという記事が挟まれています。特に、16節に「主の宮は完全であった」とあります。これは、宮が立派に設計どおりに造り上げられたということを表しています。それとともに、彼の神との関係のよさを表しているのではないかと受け止めたのですが、いかがでしょう。

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礼拝から心楽しく帰る

2016年06月30日 | 歴代誌第二

歴代誌第二 7章

 ここ数日の当地は、さらっとしてさわやかな天候が続いています。陽射しも強いのですが、焼けるような…というものではありません。こんな6月最後の日。2016年の半分が終わろうとしています。どのような半年でしたか。

 7章には、ソロモンの祈りに応えて、天から火が降ってきて全焼のいけにえなどを焼き尽くし、主の栄光が宮に満ちたことが書かれています。そのため祭司は宮には入れず、人々は地面に顔をつけて「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」とひれ伏し拝み主をほめたたえました。神殿奉献式とそれに続く祭りは半月近く続いたのです。そして、終わると民は「心楽しく帰って」行きました。この「心楽しく帰って行った」ということばを心に留めました。

 主の栄光をおぼえて恐れひれ伏すという態度は、私たちの礼拝の姿勢に通じることだと思います。ソロモンや人々が体験したような、いけにえが天からの火で焼き尽くされるとか、主の栄光が宮に満というような目に見える現象は伴わないことですが、私たちが集まって神を礼拝することには、主の栄光の前に恐れひれ伏してほめたたえるという要素が確かにあります。けれども、このような体験が決して礼拝者を縮こまらせてしまうのではないということにも、教えられます。ソロモンは、莫大な数の牛と羊とをささげ、祭司たちは神をほめたたえ、民は礼拝し、ともに食べるという奉献と祭りの半月を過ごして、「心楽しく帰って行った」のです。

 神への恐れと喜び(楽しさ)が、礼拝をはじめとする教会の歩みにあるでしょうか。また、礼拝を終えて「心楽しく帰って行く」ことがどれだけあるだろうかと、数えたくなります。

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天からこれを聞き

2016年06月29日 | 歴代誌第二

歴代誌第二 6章24−42節

 借りている庭の芝刈りをしました。手で押して刈るものですので、なかなかコツがつかめないでいましたが、何回かやっているうちに虎刈り具合がそれほど目立たなくなってきました。写真は庭で撮ったものです。

 ソロモンの祈りが続きます。「みことばの光」が書くように、祈りのほとんどは罪に関するものです。「罪を犯さない人間は一人もいないのですから」ということばにうなずかざるを得ません。

 心に留まったのは、36−39節の祈りです。歴代誌を読む人たちはバビロン捕囚からエルサレムに戻り、これから町を、いや何よりも礼拝を再建しようという志を抱いています。バビロンの捕囚は70年ですから、一世代は確実に交替していることになります。すると、これを読み、聞いている人々は、捕囚された人々の子どもや孫たちということになるでしょうか。

 すでにソロモンの神殿はそこにはありません。しかし、人々は神殿が完成したときのソロモンの祈りを心にしっかりと刻んだのです。ソロモンの祈りは預言的でもあります。自分たちの親が遠くバビロンの地からエルサレムに向かって悔い改めの祈りを神にささげたこと、そして神は彼らの祈りに応えてくださったので、自分たちの今があることを涙とともに聞いたのではないのか、想像するのです。そしてこれは、どれほどエルサレムを再建する、神殿を再建するという彼らの思いを力づけたことでしょう。

 私たちはどこででも祈ることができます。しかし、いっしょに集まって祈る幸いをこの箇所から教えられます。自分たちが今あるのは、侵攻の先輩たちの罪の悔い改めに神が答えてくださったからかもしれないと考えますと、今自分が何を祈るかがとても大切だということに気づきます。

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祈りを聞いてください

2016年06月28日 | 歴代誌第二

歴代誌第二 6章1−23節

 この章の多くを、神殿が完成して奉献をする際のソロモンの祈りが占めています。神を礼拝し、祈るために場所を建設したソロモンは、まさにこの場で祈りを捧げたのです。

 1、2節は、祭司たちが神殿内に契約の箱を置き神をほめたたえた時に宮が主の栄光で満ちたことを見て、ソロモンが祈ったことばです。とても主がお住みになるはずはない所に、お住まいになるとの驚きを、まず祈っています。

 「みことばの光」には「毎日聖書を読む聖書同盟の方法」というページがあります。この中の「考える」に沿って「神はどのようなお方かについて」を探して読んでみますと、次のようになりました。

 ・暗やみの中に住む
 ・御口をもって語り、…御手を持って成し遂げるお方
 ・お選びになるお方 (エルサレムを、ダビデを、ソロモンを)
 ・お語りになるお方
 ・約束を果たすお方
 ・心を尽くして御前に歩む者に対し、契約と愛を守られるお方
 ・地も、…天も…、神をお入れすることはできない
 ・祈りをお聞きになるお方
 ・正しいさばきをなさるお方

 このようなお方にソロモンは祈り、今、私たちは祈るのです。礼拝をする、いっしょに祈る、また一人で祈ることへの強い促しをおぼえます。

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