スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王位戦&本筋の説明

2011-08-24 18:40:28 | 将棋
 阿波踊りの町,徳島での対局となった第52期王位戦七番勝負第五局。
 羽生善治二冠の先手で広瀬章人王位は十八番の四間飛車穴熊。先手も居飛車穴熊に籠って相穴熊。広瀬王位は岡崎の将棋まつりの席上対局で渡辺明竜王に負けてから四間飛車穴熊を封印していたとのことですから,それに対して何らかの対策の目途が立ったということなのだろうと思います。
 先手が2筋から仕掛けて馬を作ると後手がそれを捕獲。先手は銀との交換の代償にその銀を打ち込んで成銀とと金を作りました。封じ手の近辺は変化が多そうで,一手一手が重大な決断だったように思うのですが,結果からみるとそもそも先手の仕掛けがあまりうまくいってなかったように思われ,双方がかなりの時間を残したまま後手の勝ちになっています。ここでは後手が決定的な差をつけたと思われるところを。
                         
 ここでは△5九龍と桂馬を取る手が普通ですが,わざと△6九龍と入り,▲7九金と引かせてから△5九龍と取りました。▲4四角の反撃には△6一歩と受けておき,▲1一龍とされたところで△9五桂と取った桂馬を設置。先手は仕方なく▲7八金と戻りましたが今度は△1九龍で香車を入手。▲5二とに構わずその香車を△8四香(第2図)と設置しました。
                         
 手順から明らかなように先手が金を引いてまた上がる間に後手は桂香を入手した勘定。第1図の時点で先手は劣勢でしょうから,この交換で急所に桂香を打たれては大勢が決してしまったといえるのではないでしょうか。
 広瀬王位が防衛に王手の3勝目。スピード勝負に持ち込んで先手に付け入る隙を与えなかったというのが全体の印象で,会心譜ではないでしょうか。第六局は29日と30日です。 

 観念をその内的特徴から観察した場合には,十全な観念か混乱した観念のどちらかであるということは,別に外的特徴というフィルターを経由せずとも,次のような仕方で明らかにすることができます。そして方法論としては,多少は複雑であったとしても,こちらの方がスピノザの哲学においては,本筋の説明であろうと僕は考えています。ここではまず,ある人間Aの精神のうちにXの観念があるという場合を考えてみます。
 第二部定理一一系が示しているところによれば,人間Aの精神のうちにXの観念があるのなら,この観念は神の無限知性のうちにあるのでなければなりません。いい換えるなら,この観念はAの精神という思惟の有限様態に変状した限りで,神の思惟の属性のうちにあるのでなければなりません。
 第二部定理七系の意味により,神の無限知性のうちにある観念はすべて十全な観念です。そしてそれがAの精神に変状した限りで神のうちにあるという場合には,次のふたつのあり方以外にはありません。第一に,Aの精神に変状した限りで神のうちにXの観念があるという場合で,第二に,Aの精神に変状するとともに,何かほかのものの観念も有する限りで神のうちにXの観念があるという場合です。したがって,このどちらかの場合に該当するときにのみ,Aの精神のうちにXの観念があるのであって,それ以外の場合にはAの精神のうちにはXの観念があるということはあり得ません。第二部定理一一系は,ここの部分までは意味として含んでいなければならないと考えられます。
 そこでこのとき,Aの精神というのをそれ単独で観察してみた場合には,第一の場合にはAの精神のうちにXの十全な観念があるということになり,第二の場合にはAの精神のうちにXの混乱した観念があるということになります。そして,実はここがここでは重要なことなのですが,それ以外の仕方ではAの精神のうちにはXの観念というのはあることがないのです。よってここから,Aの精神のうちにXの観念がある場合には,それをただそれ単独で観察するなら,それは十全な観念としてあるか,そうでないならば混乱した観念としてあるかのどちらかであるということが帰結していることになります。

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