スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ケンタッキーダービー&協力

2024-05-05 19:44:49 | 海外競馬
 日本時間の今朝,アメリカのチャーチルダウンズ競馬場で行われたケンタッキーダービーGⅠダート2000m。
 フォーエバーヤングは後方5・6番手,テーオーパスワードは後方3・4番手を追走。向正面で外に出たフォーエバーヤングは最終コーナーで漸進。前を射程圏に入れて直線へ。直線でもう少し外に出そうとしたところでシエラレオーネと接触。そこからシエラレオーネと競り合いながら先行策から抜け出したミスティックダンに迫っていきました。シエラレオーネが内に寄ってきたのでフォーエバーヤングも左前方に進むような形になったものの,フィニッシュでは3頭がほぼ並び,写真判定に。ハナ+ハナ差の3着でした。テーオーパスワードもフォーエバーヤングを追うように伸びたものの,こちらは優勝争いに加わるまでの伸び脚はなく,3着から6馬身半差で5着。フォーエバーヤングは直線で真直ぐに走れなかったのは,展開の上ではありましたがちょっと残念でした。テーオーパスワードは離されはしましたが,後方からのレースでもある程度の形になったのは収穫だったと思います。
 テーオーパスワードに帯同したテーオーサンドニは日本時間で4日の朝に同地で行われたアリシーバステークスGⅡダート1700mに出走。逃げて2着に粘り込みました。この馬は2勝クラスの馬ですから大健闘といえますが,かなり悪化した不良馬場で逃げるという戦法が功を奏したというところはあったと思います。

 最後に,次のこともいっておきます。
 僕はチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausが自主的に『エチカ』の草稿をステノNicola Stenoに渡してしまったということはないと想定しています。これは,ステノがホイヘンスChristiaan Huygensには自身が草稿を所持しているということだけでなく,そうしたものが存在するということさえ秘密にしたということからの類推です。しかしこれはあくまでも類推ですから,ステノの場合には事情は違っていたということを排除するものではありません。そうであったという可能性がまったくないとまではいえないでしょう。
                                        
 ステノが草稿を証拠として提出し,それに弾劾書を付したことによって,後に発行されることになったスピノザの遺稿集Opera Posthumaは,早い段階で禁書扱いされることになったのです。なぜ禁書扱いにされたのかといえば,当然ながらその内容にカトリックにとってあるいはキリスト教にとって許容し難い部分が含まれていたからです。僕は部分といいますが,その全体と考えてもらっても構いません。
 だとしたら,そうした草稿を保持していたチルンハウスも罪に問われてもおかしくはなかったといえるのではないでしょうか。ところが,チルンハウスがこのことで咎められたという話はまったく伝わっていません。これはもちろん,ステノがそれを入手した経路を秘匿しなければならない,不法なものであったから,所持していた人物がだれであるのかが明るみには出なかったからかもしれません。しかし一方で,このことに関してチルンハウスがステノに対して協力的であったからだという可能性も残るでしょう。
 チルンハウスが何らかの罪に問われていたとしたら,きっとそのことについての記録が残っている筈です。これは証拠物件であった『エチカ』の草稿が現在まで残されていることから明らかだと思います。ところがそういう記録が残っていないということは,たぶんチルンハウスが罪を咎められることがなかったからだと考えなければなりません。つまり,チルンハウスが何の罪にも問われなかったという史実は,チルンハウスはステノに協力したということの根拠にはなり得るのです。なので僕は実際にはそうであったという可能性をも排除することはしません。
コメント
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