スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

高松宮記念杯競輪&概略

2014-06-15 18:34:53 | 競輪
 12日から宇都宮競輪場で開催された第65回高松宮記念杯競輪の決勝。並びは菊地に大塚,浅井-吉村の中部,脇本-稲川-東口の近畿,岩津-柏野の岡山。
 極度に様子を見合う発走。バックに入ってようやく東口が誘導を追い始め,後ろに入ったのですが,外から浅井が被せるように前での近畿の連結を嫌うと,東口は下げ,浅井の前受けに。岩津が3番手,菊地が5番手,脇本が7番手の周回に落ち着きました。残り2周のホームを過ぎてから脇本が上昇すると,機先を制するように菊地も動き,バックでは引いた浅井を叩いて前に。外を上がっていた脇本は打鐘から踏み込み,菊地は番手戦。ホームに入るところで外の稲川が気迫で守り,菊地は3番手。以下,大塚,東口となり,バックに入るところでは5番手と6番手の岩津に決定的な差が開き,岡山勢と中部勢は優勝圏外。稲川は直線に入ろうかというところで早くも踏み込み,菊地は脇本と稲川の中割りを狙いましたが相互接触で落車。稲川が優勝。外に回った大塚が4分の3車輪差で2着。1車身半差の3着には岩津が届きました。
 優勝した大阪の稲川翔選手はこれがグレードレースの初勝利。それをGⅠで達成するというのは珍しいケースといえるでしょう。ただ,昨年後半あたりからはめきめきと力をつけ,ビッグの決勝も常連のような存在となっていましたから,勝っておかしくない力があるということは分かっていました。今日は脇本の先行がほぼ約束されたようなメンバー構成。当然ながら狙われやすい位置で,実際にそうなりましたが,わりと簡単にその位置を守れた時点で,優位に立ちました。岩津がなぜあんなに前と離れてしまったかよく分かりませんが,捲ってくる選手も不在になったのは幸いでした。ビッグはもちろん,記念競輪でも優勝を重ねていく選手になる筈だと思います。

 ここからは,僕がどのような論理構成で,因果性が「唯一」であると結論するかを,詳しく説明していきます。
 最初に概略だけ述べておきます。福居流の結論朝倉の結論も,因果性が「唯一」であるという点では僕と一致します。ただ無限の一義性の把握の仕方において,相違があるだけです。おそらく『個と無限』が参考になったものと思われますが,両者は神とその属性が無限であるということから無限性を把握します。いい換えればそれは,無限様態は無限ではないと理解することに繋がります。つまり無限様態を個物res singularisに類するものと規定することによって,因果性の唯一性を導出します。これに対して僕は,無限様態も神や属性と同じ意味において無限であると理解します。そこでres singularisの方を,無限に類するものと把握するのです。
                         
 この概略から分かるように,実際の相違は無限様態の位置付けに存します。なので僕がここから説明することの中心は,なぜres singularisを無限に類するものと考えることが可能であるのかということになります。それが可能になるならば,朝倉がいうように垂直と水平に因果性を分類すること自体が意味を喪失します。つまり因果性は「唯一」でなければならないということが,そこから自然に帰結してしまうからです。出発の地点は異なっても,平行した道筋で同じ終着点に到達するので,その道筋の方については,それほど詳しい説明を付与することはありません。
 次に,永遠の相と持続の相に関連するテクストのうちには,無限性に関する言及がすでに含まれているものがあります。第一部定理二一はその代表的なものですし,第二部定理四五などもそうです。そこで永遠性と持続性に関して述べた事柄は,無限性と有限性にも妥当しなければなりません。この点に関しては,ここからの考察でもまったく触れないということにはなりませんが,詳細には説明しません。同じことを繰り返す必要はないからです。ただし,持続性が永遠性の特殊な形態であるということは,これからの説明の中心と関係することになります。
コメント
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