スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

蒲生氏郷杯王座競輪&持続の原因

2012-11-20 19:13:15 | 競輪
 ビッグとビッグの間が長く,記念競輪が9連続開催となりましたが,いよいよフィナーレとなる松阪記念の決勝。並びは後閑ー中村の関東,桐山ー勝瀬の神奈川,浅井-浜口の中部,村上ー市田の近畿に合志。
 前受けした浅井を抑えに出たのは桐山。このラインに後閑が続き,残り2周のホームの出口では内に浅井-浜口-村上ー市田-合志,外に桐山ー勝瀬ー後閑ー中村で並走に。バックに出てから桐山が浅井を叩きましたが後閑が続かず勝瀬の後ろに浅井。打鐘で後閑が上昇し桐山を叩くとさらに外から村上が巻き返し,村上の先行。4番手に後閑,6番手に桐山,8番手に浅井で一列棒状。バックに入ると市田が村上との車間を開けて牽制。直線入口まで横にだれかが並ぶというところまでいかず,ここから市田が踏み込みました。市田にとっては絶好の展開でしたが,後方からの捲り追い込みとなった浅井の外強襲が届き,浅井の優勝。市田が2着。浅井に続いた大外の浜口が3着。
 優勝した三重の浅井康太選手は8月の小田原記念以来の記念競輪優勝で記念競輪6勝目。地元となる当地は初優勝。8番手に置かれたので絶望的ではないかと思ったのですが,今回は完全優勝ということからも分かるように絶好調であったようで,問題なく届きました。脚力は現在の競輪界ではトップクラスで,おそらく地元記念に向けて作ってきた体調のお釣りがある筈で,次の競輪祭でも優勝候補のひとりでしょう。

 このふたつが矛盾しないと僕が考えることの根拠は,第二部定義五にあります。つまり僕は,現実的に存在する個物の本性にその個物自身が持続するということが含まれているということを,その個物自身の現実的存在の無限定な継続が含まれているというように解するのです。そしてそう考えるならば,これは第三部定理七とは矛盾しないといえるでしょう。なぜなら,現実的に存在する個物が自分自身の存在に固執するということと,現実的に存在する個物の本性にその存在の無限定な継続が含まれるということは,本性として相反するどころか,むしろ相補的な,あるいは相補的とはいえないまでとしても,対立するような関係にはないからです。よって僕は,現実的に存在する個物の持続の範囲に関しては,その個物自身の本性のうちに含まれるということは不可能ではあるけれども,それが持続するものであるということ自体は,その本性に含まれるということが可能であると考えるのです。
 そこでこの観点から第二部定理三一を再考察してみるならば,その定理でいわれている事柄が,人間の精神が現実的に存在する外部の物体の持続を十全に認識し得ないということの,ひとつの要素を構成するのではないかと僕には思えるのです。すなわち人間の精神は,たとえばある現実的に存在している外部の物体について,それが持続的なものであるということ,いい換えればその本性に無限定な継続が含まれているということに関してはそれを十全に認識し得るのだと仮定しても,しかしその持続の原因に関しては何も知り得ないからです。つまり,ある物体が現実的に存在しているときに,その本性に自身の無限定な継続が含まれているのなら,それが含まれている原因というのが求められなければなりません。これは第一部公理三がいっていることです。もちろんその原因はその物体自身の内部にはありません。これを主張するのは第一部定義一により,物体すなわち第二部定義一における個物が自己原因であると主張するのに等しいですから論外でしょう。むしろそれは第一部定理二四系により,神を原因としているといわれなければならないのです。そして重要なのは,これが現実的に存在する個物に,どう適用されるのかということです。
コメント
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