スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&永遠の観点

2012-11-22 18:31:58 | 将棋
 一昨日と昨日,滋賀県近江八幡市で指されていた第25期竜王戦七番勝負第四局。
 渡辺明竜王の先手で丸山忠久九段の一手損角換り4。後手の腰掛銀に先手の早繰り銀で3筋で銀の交換になる部分的にはよくある将棋。
                         
 ここで先手は▲1五銀と打ちました。棒銀で銀が1筋に出ていくのは普通ですが,中央で交換した銀を端に打つのですから,これは珍しい手だと思います。
 それに対する△4五角は難しい手。ただ▲3八金とこちらに上がって受けるのは先手としては本望ではない筈で,この局面で打った価値はあったと思います。また,この角は一局を通してそれなりに働きましたので,後手の勝因の一角を構成したと思います。以下△2二銀▲2四歩△同歩▲同飛△2三歩▲4四飛△5六角▲4六飛△8六歩▲同銀△5五銀と進みました。
 そこで▲2六飛と逃げたので△1四歩で打った銀の行き場がなくなりました。もちろんうっかりではなく▲7七角△5四歩▲5七金△9二角▲5六歩で取り返すことができます。ただ,手順中▲5七金と上がる手も,先手としては指したい手ではないという印象です。
 △8五歩と打って1日目が終了。封じ手は▲9五銀で,先手の銀が1筋と9筋の5段目にいるという非常に珍しい形に。以下△1五歩▲5五歩△9四歩▲同銀△6五角▲5四歩△9四香。
                         
 後手の銀得ですからさすがによいでしょう。先手は暴れなければじり貧ですから攻めましたが,丁寧に受けた後手が反撃を決めて勝ちました。
 丸山九段がようやく初勝利で1勝3敗。第五局は28日と29日に新潟県南魚沼市で。

 第三種の認識というのは直観といわれているわけですから,人間の知性がどのようにして物体の十全な観念を形成するのかということについて,その方法を具体的に示すということはできません。ただ,スピノザが第三種の認識によって人間の精神個物を十全に認識するというときに,それが個物の存在のうち,物体が神の延長の属性に包容されて存在する場合についていっているのであって,物体が現実的に存在する場合について言及しているのではないという根拠に関しては,消極的な側面,すなわち第二部定理二六第二部定理二五とを合わせることによって帰結する,人間の精神は現実的に存在する物体に関してはそれを十全に認識することができないということからだけでなく,もう少しだけ積極的な側面から根拠を見出すことができます。
 第一部定理一九からして,延長の属性というのは永遠です。よってどんな物体も,延長の属性に包含されて存在している限りは,永遠であるということになります。同様に,思惟の属性も永遠であるのですから,物体の観念が思惟の属性に含まれてある限り,第二部定理八系のいい方に倣っていうなら神の無限な観念が存在する限りにおいて存在するといわれる場合には,永遠であるものと考えられなければなりません。
 ところで,第二部定理四四系二によれば,事物を永遠という観点から認識することは理性の本性に属します。理性とは第二種の認識のことであり,これは共通概念による認識ではありますが,十全な認識であるという点では第三種の認識と相違ありません。したがって,ある事物を十全に認識するということと,その事物を永遠の相の下に認識するということは,ある思惟作用と,その思惟作用の本性を構成する要素といった関係にあるということが理解できます。したがって,もしも人間の精神が物体を十全に認識するということがあるなら,それを永遠であるものとして認識するという意味になるだろうと思うのです。しかるに物体が現実的に存在するなら,その物体は永遠ではあり得ません。なので物体の十全な認識は,延長の属性に含まれてある物体の認識であるということになるといえるでしょう。
コメント
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