スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

銀河戦&原因の把握

2012-09-28 19:08:07 | 将棋
 第20回銀河戦の決勝は昨晩の放映でした。収録は8月17日で,その時点での対戦成績は羽生善治二冠が10勝,阿久津主税七段が1勝。
 振駒で阿久津七段の先手となり角換り相腰掛銀。先後同型も目指せたと思うのですが,先手が4筋に飛車を回りました。
                         
 先手が1八に香車を上がっているのは,後手の金が4二にいるときに仕掛けるため。なのでここで▲4五歩といきます。△同歩▲同桂△4四銀に▲3七角と打ち,△6二飛に▲1五歩。△同歩▲同香と進みました。
                         
 羽生二冠は1992年9月の竜王戦の対佐藤康光戦では先手,12月の王将戦の対村山聖戦では後手でこの局面を経験。どちらの将棋もここから△1四歩▲同香△同香▲1五歩と進み,△4六歩と垂らしていました。
 この将棋は第2図で△1三歩。これは一昨年の棋王戦で行方八段が丸山九段を相手に指した手。そこから▲2四歩△同歩▲2五歩△2七角▲2四歩△1六角成▲6五歩まで,同じ展開。行方八段はそこで△8六歩と突いたのですが,この将棋は佐藤戦と村山戦で出現した△4六歩がここで出ました。
                         
 どうもこの焦点の歩が玄妙であったようで,後手がリードを奪っているのではないかと思います。この後,先手もかなり魅せてはくれたのですが,どうしても攻め手が少し足りないという局面がずっと続き,最後に反撃に転じた後手の勝ちになっています。羽生二冠の経験と研究が生きたという印象の一局でした。
                         
 羽生二冠の棋戦優勝は昨年度のNHK杯以来で41回目。銀河戦は第5回,6回,8回,9回,12回,14回と優勝していて,これが7回目。羽生二冠が強いということはだれでも知っていることですが,近年の早指し戦における強さは驚異的に思えます。

 次に考えてみるべきことは,ある十全な観念が原因となって別の十全な観念が発生するというとき,この原因というのが『エチカ』においてどのように把握されるべきなのかということです。
 第一部公理四が示していることは,結果の認識が原因の認識に依存しなければならないということです。つまりこの例でいけば,結果として生じるとされる十全な観念の認識は,その原因と仮定されている十全な観念の認識に依存しなければなりません。一方,第一部公理三によれば,ある原因が与えられたならば必然的に結果は生じるのですから,結果とされる十全な観念の認識というのは,原因となっている観念の認識には依存しますが,ほかのものの認識には依存しないということになります。いい換えれば,ここで結果とされている十全な観念の認識は,原因とされている十全な観念の認識のみによって十全に把握されるということになります。したがってこの場合の原因というのは,第三部定義一における十全な原因であると考えるのが妥当であるということになるでしょう。もちろん僕は,たとえば現実的に存在する人間の精神のうちに,十全な観念Aと十全な観念Bのふたつがあって,これらAとBがともに原因となってCという観念が結果として生じるということは,あり得ないことではないと思います。そしてこの場合には単に観念Aと観念Bとして考えるならば,どちらの観念も観念Cに対しては部分的原因であるということは認めます。ただ,実際にこうした仮定は,確かに観念Aも観念Bも現実的に存在するある人間の精神の一部を構成しているから意味を有するのだといえます。したがってこれを単純に観念Aと観念Bとは考えずに,現実的に存在するある人間の精神という観点から把握するならば,その人間の精神が十全な原因となっているということは明らかです。よって,ある人間の精神のうちで,何らかの十全な観念,それはひとつの十全な観念ではなく複数の十全な観念であって構わないということになりますが,そこから別の十全な観念が発生するということが生じるなら,これはその人間の精神が十全な原因となっていると理解して差し支えないということになると思います。
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