スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&第二部定理一二と一三の関係

2012-09-11 21:11:29 | 将棋
 互いにホームで1勝ずつをあげて迎えた第25期竜王戦挑戦者決定戦三番勝負第三局。
 振駒で山崎隆之七段の先手。丸山忠久九段は一手損角換り4に。後手の腰掛銀,先手の早繰り銀から3筋でその銀の交換に。先手は5筋の位を取って角を打ちました。
                         
 ▲2三角成△同王▲2四歩△同銀▲3四銀△3二王▲2四飛というのが狙いだったよう。後手は▲3四銀のときに△1三王と逃げるべく△1四歩。ここから▲3四歩△2二銀▲4六歩△7三桂▲7四角と進んだのですが,△1四歩の一手で狙いを阻止され,こちら側に角を出なければならないのでは,角を打った手が空振りになってしまった形で,ここですでに差がついてしまったのではないかと思います。
 この後,後手が銀を得する展開に。先手も何とか勝負に持ち込もうとしましたが,さすがに挽回はできず,後手の勝ちとなりました。
 丸山九段が昨年に続いて挑戦者に。今年も角換りシリーズとなるのでしょうか。

 仮定の話である第二部定理一二を,実在的な意味を備えるものとして理解するために必要となる条件というのは,人間の精神を構成する観念の対象ideatumというのが,その人間の身体であるということです。そしてそのことは第二部定理一三において示されているわけですから,少なくとも『エチカ』の内部において,第二部定理一二がこうした意味でも実在的な定理であると理解するということは,これを単にそれだけでみれば,十分に成立する理解の仕方であるというように僕は考えます。ただし,もしもこの定理をこのような意味として把握するためには,別の条件が必要とされるでしょう。
 第二部定理一二というのが,第二部定理九系から直接的に帰結するとするならば,いい換えれば,第二部定理九系が十全な原因causa adaequataとなって第二部定理一二が結果として生じてくるのだとすれば,実は仮定の話というのはあくまでも仮定の話にとどめて理解されるべきなのだろうと僕は思うのです。なぜなら,スピノザによる定理の配置の意図から察するに,第二部定理一三が第二部定理一二の原因である,この場合には第三部定義一における十全な原因であろうと部分的原因causa inadaepuata,causa partialisであろうと,どちらの意味でも原因であるということが不可能だからです。つまり,人間の精神を構成する観念の対象ideatumの中に起こることの観念は,その人間の精神によって認識されなければならないということは出てきても,その人間の精神を構成する観念の対象ideatumがその人間の身体であるということは,そこからは出てくることができないからです。
 したがって,当面の問題となるのは,まず,第二部定理一二と第二部定理一三との間には,どのような関係性があるのかということになります。すでに明らかになっているところによれば,第二部定理一三が原因となって第二部定理一二が帰結されるということは不可能です。これがつまり第二部定理一三は第二部定理一二のいかなる意味での原因ではあり得ないということの意味です。したがって第二部定理一二と第二部定理一三の関係は,第二部定理一二が何らかの意味での原因であって第二部定理一三がその結果であるか,そうでなければふたつの定理の間にはいっかな関係がないかの,どちらかであることになります。
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