曽我部絵日記

曽我部昌史の写真絵日記

2017年3月6日〜12日

2017-03-13 | 日記
3月12日(日)
「丘の上に残されたバラック@旧市街の北端部の丘(ウラジオストク・ロシア)」

まずは、帝政ロシア時代の建物が残るスヴェトランスカヤ通りを東へ。日曜の朝ということもあってメインストリートといえども人通りは多くない。その後、北の小高い丘の上へ。1992年の早稲田・戸沼幸市先生の研究室の論文(日本建築学会関東支部研究報告集)で紹介されていたスラヴォートカ(スラム)の移転先にあたるエリア。ほとんどが斜面地型の団地に入れ替わっていて街区割りも更新されているけれど、山頂付近にその痕跡が残る。まだ住んでいる模様。向こうには凍結しているアムール湾。


「谷地に残されたバラック@旧市街の北端部の丘の南(ウラジオストク・ロシア)」

その丘の南側に、事前情報には無かったけれど、バラック的建物が並ぶエリアがあったので近くまで行ってみる。東西に細長い谷状のエリアで、北側にそれぞれの小さな農地がついている。クリスチャニア(コペンハーゲン)の住宅エリアにも似た印象。集中の郵便受けもあるし、住所も得ているみたい。暖かい季節にどんな風になっているのか見てみたい。


「アムール湾を歩く人々@アムール湾(ウラジオストク・ロシア)」

スラヴォートカの移転前のエリアに行ってみると、開発中のエリアになっている。上述の論文によると、移転は1893年だったということだから、その後にできたエリアを再開発しているということか。すぐ脇はアムール湾。行ってみると、たくさんの人たちが海に向かって散策。みんなどこまでも向こうに向かって歩いていく。犬と一緒だったり、自転車の子供たちだったり。少し不思議な光景。


「囲まれたブロックの内側@旧市街の中心部(ウラジオストク・ロシア)」

町の中心エリアはグリッド状に街区が割られていて、各街区にロの字状に建物が建つ。背割り的に通り抜けの道が貫通していて(地元の人に道を聞くときにでてくるアーチというのはこれのことらしい)、平面的には関内にも近い?。実際には平坦な関内に対して急な起伏が複雑あらわれるので、空間体験は相当違う。この背割り的な場所は、あまり整備も進んでいない。
夜は新しい劇場でバレーをみてからカジュアルな夕食とバーで一杯。


3月11日(土)
「輪郭ライトアップ@ウラジオストク(ロシア)」

研究室メンバーでの視察でウラジオストク。シベリア航空で2時間ちょっと。映画の画面はないし機内食は固いパンのサンドイッチ。感覚的には国内線。タクシーの車窓にはところどころの建物の輪郭がライトアップされている風景。


「ビールのバー@旧市街の西の端あたり(ウラジオストク・ロシア)」

ところどころに格好いいバーがある。どれも古い建物の改修なんだけれど、元の躯体をあらわしにしたり、大きな黒板でメニューなどをまとめたり。ロシアのIPAを、といって出てきたボトルにはAmericanの文字。あれっと思ったけれど、KONIXを調べたらロシアのクラフトビール屋だった。


3月10日(金)
「点字ブロックの道と駐車スペース@熊本市内某所」

熊本から横浜に戻って、防火帯建築活用関連のミーティング等。地方出張7連続は無事に終了。
熊本某所では点字ブロックのルートと駐車スペースが重なっている。UDの熊本でこのダブルレイヤーは。。。


3月9日(木)
「River Port 9@九品寺(熊本)」

くまもとアートポリスのシンポジウムで熊本。午前中の会議に続いて、ラウンドテーブル型のシンポを二つ。司会担当なんだけど、時間のコントロール不能でなかなか苦しい。いろいろ反省。地元建築関係者に話しを振ろうと思っていたのに時間切れ。打ち上げはオシャレ改修ビル。


3月8日(水)
「六角橋のアーケード@横浜上麻生道路(横浜)」

一泊二日の地方出張が連続する中、終日横浜にいる例外の一日。大学院入試などもあって大学に向かうと、工事が続いていた角の建物が完成して一階にはまたもやコンビニ。この工事に合わせるかのように、通り沿いのアーケードが撤去されていた。


3月7日(火)
「山田別荘@別府(大分)」

山田別荘での朝。季節感と時間の変化が感じられる気持ちの良い時間。食事を含めて、自然の営みとともにある生活が浮かび上がる。別府もインバウンドの波が迫っているようで、朝食の右隣は熟年夫婦、左隣は若い女性グループのいずれも韓国からの観光客。静かに山田別荘の時間を堪能している。


「糸永家住宅主屋(ギャラリー桝屋)@浜脇(別府)」

BEPPU PROJECTの方々と再び南部エリアを歩く。スタートは浜脇温泉。昨晩は気がつかなかったんだけれど、温泉前の広場には開発前の浜脇温泉の平面図が描かれている。開発前は、ここから放射状に道が広がっていたんだとか。写真の道もそのひとつ?。建物は明治4年。とてもキレイに維持管理されている。


「別府市児童館@別府(大分)」

最後に見たのは吉田鉄郎設計の元別府郵便電話局分室。最近改修されたらしい別府公会堂の設計者も吉田鉄郎設計。何度か見ているのだけれど、認識していなかった。。。初期の吉田鉄郎を別府に連れてきたきっかけは何だったんだろう。。。
秒刻みでリムジンバスのバス停までおくっていただき、慌ただしく横浜へ。


3月6日(月)
「東別府駅(元浜脇停車場)@別府(大分)」

久しぶりの別府。別府南部地区を対象としたワークショップのための事前調査。宿に荷物を置いて、別府駅から一駅。もともとはこのあたりが別府の中心として栄えていた場所だったそうで、別府駅の設置や役場の移転などで衰退を重ねたらしい。全面改修(平成16年。前年に市指定有形文化財)されていて、建物自体は明治44年に建てられた。


「長屋群@南別府エリア(大分)」

現在の別府の繁華街の南端が流川通り(or秋葉通り)までだとすると、そこからアーケードの続く永石通りまでは繁華街の延長線でありながら空き家化が顕著なエリア、その南に隣接する朝見川までは古い長屋と新たな住宅とが混在するエリア、川の南側は東別府駅や浜脇温泉などのある歴史的風情が残るエリア。とある資料によると、これらに棚田のある山間のエリアまでを含めた範囲が「南部」らしい。それぞれ、地域の個性が結構違っている。


「元別府永久劇場(その前は、A級別府劇場)@別府(大分)」

一通り散策してから、永久劇場の状況を確認に。最近BEPPU PROJECTが手放すことにした、というのは連絡をもらっていた。地震もあったし解体されているかと思ったら新たな設えだけ撤去して、そのまま。永久劇場としての再生時に戻した矢印の看板もそのまま。
その後は、以前通っていた居酒屋「うれしや」が無くなっていることにショックを受け、遅くに良くいっていたおでんの「ふくや」の休みが日・月に拡大していることに追い打ちをかけられ、失意のまま適当に済ませる。。。