ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

お疲れ様でした。どうもありがとう。心から。心から。

2018-06-25 03:47:43 | Weblog


2018.6.23 下北沢lown セットリスト

1. Lookin' for sky
2. 帽子からまだハトが出ないし
3. フラワー
4. 十七歳
5. アンジュイックの丘
6. 半分の月


7. Human Pain
8. 雨の降る街
9. 希望の唄
10. アルカディア
11. 祈りの花
12. ブリキのライオン
13. 泣いて笑って


14. ライオンソング
15. スマイル
16. 裸の王様
17. 3グラムの奇跡
18. ジュークボックススター
19. 卒業
20. 三日月の夜


21. クイーンオブランブルフィッシュ

一度やってみたかったんだよ、トークショー。

2018-06-23 06:36:19 | Weblog


6月23日(土) 下北沢lown
「ライオンの上に雨は降らない・・・いや・・・たぶん・・・降るかもな」
sing (from trash box jam)

open18:00 start19:00
charge2500+1Drink


さぁ、時は来た。
ライブだ。
歌う。
準備は万端だ。たぶん。

さぁ、しんぐくんのトークショーへようこそ。
いや、ちゃんと歌うよ。唄をまじえてトークをしよう。ははは。喋る気満々。
さて、時間内に終わるのか?
いや、そもそも、時間内とはなんだ?
12弦ギターの調子がいい。弾くよ。たくさん。

エムケイが迎えに来てくれる。

さぁ、少し眠ろう。

ではでは、下北沢lownで逢いましょう。

どんな時代だ?

2018-06-22 05:58:17 | Weblog


明日はライブだ。
いよいよだ。

台湾から帰ってきてから、ずーっとライブの準備をしていたような気がする。特に何をしていたってわけではないのだけれど、ずーっとライブの準備をしていたような気がする。実のところ、ほぼほぼ準備なんてしてなかったんだけれど、ずーっとライブの準備に心を囚われていたような気がする。

だから、いよいよライブだ。という気持ちになっている。

「体調が悪くてライブに行けるかわかりません」なんぞというメールがきたが、是が非でも体調を治して来て欲しい。

さぁ、ライブだ。

CDの代わりに、小銭入れを作った。
CDなんて、もはや売れない時代だからね。
小銭入れは売れる時代なのか?と聞かれたらこう答える。
「そんなの、売ってみなきゃわかんない」

さてさて、ライブだ、

ライブのテーマは・・・とりとめもなく。

2018-06-21 02:09:24 | Weblog
ライブまでもう少し。ですね。
毎日毎日夜になると歌いに行くのです。これ、日課。

上手く歌えたり上手く歌えなかったり。
上手く歌えない夜には落ち込んだりするのです。
落ち込んでる自分に、「今さらそんなんで落ち込むか?」と問いかけたりして。

車の窓を開け放つと、少し冷たくて気持ちのいい風が入ってきます。

なにかを伝えるために僕は歌って来たのだから、なにかを伝えるための唄を、僕は歌わなければならない。

煙草の煙が、冷たい風に押されて窓の外へと流れ出て行く。

ねぇねぇ、長い時間が流れたよね。
僕は少し大人になって、君も少し大人になった。

雨に滲んだ街灯がボンヤリと闇の中に浮かぶ。大きな星みたいに。いくつも。

とりとめもなく、とりとめもなく。
僕の気持ちがとりとめもないのは、六月のせいかもしれないね。

ライブまでもう少し。

おじいが散歩にやって来る。ヤァヤァヤァ。

2018-06-15 01:27:24 | Weblog


雨が降っている。シトシトと。
梅雨だから。雨が降っている。

梅雨時にライブをやると、お客さんが入らない。これ、通説。
でも、あえて梅雨時にライブをやるのは、オレのライブに通説は通じねぇぜ!という自信があるからでは全然なくて、どうかみなさんお願いします!という願いだけでやっているというわけです。

梅雨時じゃなければお客さんは入る?
いやいや、そういうもんではありません。
四月はみんな忙しいし、五月はゴールデンウィークで誰も来ないし、六月は梅雨だし、夏は夏でみな来ないし、九月と十月は旅の季節だし、冬は寒くてみんな来ないし、三月はライブっていう気分にならないみたいだし・・・あっ、お客さんが来る月がないじゃーん。

ということで、梅雨時にライブをやるってわけなのです。

よくよく考えてみると、嬉しいことに「ライブ、行きます!」というメールがちらほら来ているのですが、よくよく考えてみると、すごくちらほらしか来ていないという現実。この現実を、どう受け止めていいのか、僕はよくわからないよ。もう、現実から目を背けるしかない。

現実から目を背けて、ライブのために練習に来ています。外です。車の中です。ギターをかきならしてます。まだ何を歌うかなんて、何も決めていない。

昨日は三時間も歌った。
歌詞をめくりながら、ただただ歌うのです。
なんとなく楽しくなって来て、とても楽しくなって来て、歌詞やコードや唄を作った時のことを思い出したりしながら、何度も失敗しながら歌うのです。気に入ったら二回も三回も歌うのです。
「路上で座って弾いてる時みたいだな」とか思いながら、歌うのです。
二回も三回も歌ってみたりした曲をライブでやるわけではないってところが、楽しかったりするのです。ははは。

みんな、何が聴きたいかなぁ?とか、想いながら歌っています。

昨日は空が明るくなって来て、「あっ、帰らなきゃ!散歩のおじいが来ちゃうかも!」と、ぶつぶつ呟いたりしてました。

さぁ、今日は何を歌おうか。

目を閉じたら聴こえるかもしれないよ・・・僕の唄が。

雨が降っている。シトシトと。
唄を歌うには、とてもとても手頃な日。

自作自演乙の見本。

2018-06-12 03:28:30 | Weblog
私ごとなんですが、肋骨が折れていると思われるわけで。すごく痛いのであります。

なぜ肋骨が折れていると思うのか?というと、それは、僕は何度か肋骨を折ったことがあるからなのであって、一番ひどい時は、肋骨が6本折れたりしたのであります。

肋骨が折れていると確信したのは、あまりに胸が痛いので、肋骨が折れた時にするバンドを胸に巻いてみたら、すごく楽になるわけであって、つまりそれは肋骨が折れているということになるのであります。

あぁ、肋骨が折れた時に巻くバンドを持っていて良かったなぁ。とか、思ったりしているのであります。

肋骨が折れた時にどうするか?病院に行くのか?レントゲンを撮るのか?
肋骨が折れた人に医者が出来ることなどないのです。せいぜい、肋骨が折れたよ安静にしてねバンドを巻いてあげるのと、痛み止めを処方するくらいなのであります。

なぜ肋骨が折れたのかという重要な問題。これは、ちょっと言えない。本当に言えない。

畑の草むしりをしていたら・・・
しゃがんで草むしりをしていたら、
太い草の根を抜こうとして、引っ張ったら、
自分の膝が自分の胸に当たって、肋骨が折れたなんて・・・絶対に言えない。

さて、ライブが近い。
肋骨が折れた、とか言っている場合ではない。

さっき唄を歌ってみたら、肋骨は問題なさそうです。
はい。ご心配なく。

以上、近況報告でした。

バカはバカなりに頑張っている。いつもいつも。

2018-06-09 05:29:02 | Weblog


一眼レフカメラは重い。大きい。荷物になる。邪魔。

旅に一眼レフカメラは必要か・・・という問題。

以前ならば、迷うことなく。一眼レフをバッグの中へ。

出発当日の朝まで迷っていた。・・・iPhoneのカメラで事足りてしまうんじゃないだろうか・・・。だって、一眼レフは、重い、大きい、邪魔。

僕の一眼レフは古い。古い上に、三年前の事故の時に雨にさらされてしまった。そのせいか、あまり調子がよろしくない。その上、三年前からほとんど使っていない。

以前ならば、迷うことなく・・・なのだが。

以前は、外国で撮った写真をポストカードにして、路上で売った。売りまくった。海外への渡航費用は、ポストカードで賄える。つまり、僕は旅人写真家、と言えなくもなかった。つまり僕は、詩人として海外を周っていたり・・・とか。

今は・・・撮った写真を売りまくれるわけでもないし、iPhoneのカメラの性能はすこぶる良いし。というわけなのである。

荷物は出来るだけ減らしたい。

ヨーロッパを三ヶ月放浪した時は、Tシャツとパンツと靴下を3枚ずつ。それしか持って行かなかった。それだけで旅をした。それと、寝袋と、MA-1。

荷物は出来るだけ減らしたい。何せ、リュックを背負って歩くのだから。

台中の夜市へ出かけた。逢甲夜市。

夜市に着いた時、もうすでに疲れていた。一日中歩き回って、バスを乗り継いで、夜市まで来た。

ところどころで座って、また歩き、座って、また歩き。何をしたわけでもないのだが、ウロウロと歩き回って、宿へと戻るバスに乗った。

バスに乗って10分ほどだったか。
宿まであと20分ほどだったか。やっと宿へ戻って寝られると思っていた頃だったか。

あっ!あれ!うそ!

・・・カメラが・・・ない。

迷いに迷った挙句、台湾まで運んで来た僕の一眼レフ。首からぶら下げていた一眼レフカメラがないのである。・・・がびちょす。

バスに揺られながら考えた。

「もういいかな・・・カメラ」

「見つからないよな・・・カメラ」

「いつからないんだろう・・・カメラ」

「どこへ置いて来たんだろう・・・カメラ」

僕は、そのまましばらくバスに揺られていた。
少しだけ呆然としていた。

逢甲夜市は広い。あてどもなく広い逢甲夜市を歩き回った。探すといってもどこからどこまで・・・。広すぎる上に、疲れすぎている・・・。

探すだけ探して・・・警察に届けて・・・運が良ければ出てくるか・・・カメラ。

僕は、ピンポーンと、バスの降車ボタンを押した。

座った場所に置いたはずである。カメラ。

記憶をたどりながら。
タトゥー屋の前の道端。
大学の入り口の垣根。
屋台の横のシャッターの前。

・・・ないなぁ。まぁ、あるわけないよなぁ。警察、遠いかなぁ。時間かかるよなぁ。

すると、屋台の横のシャッターの前、の屋台のお兄ちゃんが手招きをした。

カメラだろ?とジェスチャーを送ってくるじゃないか。

うそだろ?

カメラ、あんの?

ほんとに?

屋台の奥の店の中のテーブルの上に、僕の一眼レフがチョコンと置いてあった。

逢甲夜市に着いて、最初に座った場所である。 つまり、かれこれ3時間。3時間も、僕は自分がカメラをなくしたことに気づかなかったというわけ。バカだねぇ。

バカがバカたる所以は、バカは自分がバカだということを知らないということ。

それからの旅。
僕は一度も首から下げたカメラを、首から外さなかったんだよ。どんなに重くても、どんなに疲れていてもね。

僕はもうバカじゃない。

でも、バカがバカたる所以は・・・なんでもすぐに忘れちゃうということでもあるんだけどね。

一眼レフは、重くて、大きくて、邪魔だけど。
一眼レフにしかない良さがある。
それは、その重さと大きさと邪魔さをカバー出来るものなかどうかは分からないのだが・・・。
帰って来て、一眼レフで撮った写真を眺めていると・・・
あぁ・・・やっぱり一眼レフはいいなぁ・・・などと思ったりする。

そして、それを忘れて、また一眼レフを持っていくかどうか、散々迷ったりするんだよなぁ。

いつもいつも。


ドキドキさせないで欲しい。

2018-06-07 16:35:20 | Weblog


成田空港発、奇跡の森林公園行きのバスというものがある。奇跡としか言いようがない。なぜある?なぜだ?乗る人いるのか?

僕が乗った飛行機の成田空港着時間は、19時20分。
奇跡の森林公園行きバスの発車時刻は、19時45分。

間に合うか?間に合うのか?・・・間に合って欲しい。

台北空港を飛び立った直後、機長のアナウンスがあった。
「台北空港の滑走路の混雑のため、離陸が遅れたことをお詫び申し上げます。成田着も遅れるよ。よろしこ」

がびちょす!

あぁ、間に合わない。奇跡の森林公園行き。

まぁいい。奇跡の森林公園行きはあきらめて、ほかの帰り方を模索する。

さて、成田空港に着いた。

出国審査を済ませて、バゲッジクレームで荷物を待つ。

全然出てこないじゃーん!

僕のバックパックが全然出てこない。なかなか出てこない。

あっ、出てきた。

荷物を背負って、税関を目指す。

時計を見る。

「おや?もしかしたら、間に合っちゃう?」

税関審査の列に並ぶ。

ちゃっちゃっちゃっと抜けて、奇跡の森林公園行きへ!

さて、昔の僕はよく税関で引っかかったものだ。どこの国のどこの空港でもどこの港でも、「おまえはこっちへ来い」と呼ばれてあれこれと調べられた。
最近は違う。もはや格が違う。こんなナリでもちゃっちゃっと通れてしまうのである。良かったなぁ、ちゃっちゃっと通れるようになって。

さて、税関のおじさんが言う。

「台湾ですかぁ」

はい。

「色々周っちゃったりしたんですか?」

はい。

「申告するものはありますか?」

ないです。奇跡の森林公園行きに乗るんです。

「金とか、ゴールドの近年か、持ってたりしませんか?」

いやぁ、残念ながら持ってませんねぇ、えへへ。早く早く。早くしてよ。

「バッグの中とかね、見せてもらっていいかな?」

えっ?まさかのぉ、これはぁ、引っかかってる?
えっ?引っかかっちゃってる?おれ?

税関のおじさんが僕に聞く。

「ここには何が入ってるのかな?」

ここにはねぇ、えっと、何だったかな?
あぁ、カメラのレンズを拭き拭きするやつ。

「ここには何が入ってるのかな?」

ここはねぇ、えっとぉ、ライオンの人形。

「ここには何が入ってるのかな?」

もう!絶対間に合わないじゃん!バカ!

税関のおじさんが、僕のバッグの中から何かを取り出した。

「これは?これは何?」

えっ?それ、なんだっけ!!!?
そんなの入れてたっけ!!!?
そんなビニールのパケに入れた怪しいもの!!!?

あっ、それはウーロン茶!

台北のお茶屋でお茶を飲んだ時、余った茶葉をビニールの小袋に入れてくれた。それをバッグのポケットに入れておいたのを忘れていたよ。

税関のおじさんが言う。

「一瞬、ドキっとしちゃいましたよ」

おれもっす。おれもドキっとしちゃいました。

あぁ、おれの後ろに並んでた人、可哀想だったなぁ。だって、全然行かせてくれないんだもん。おれのせいじゃないよ。

そんなわけで、奇跡の森林公園行きのバスを逃した僕は、1時間も待って、準備奇跡の坂戸行きのバスに乗り込むのである。

奇跡の坂戸行きのバスの乗車人数・・・4人。ある意味、奇跡の4人。

赤字だよ、赤字。

赤字なのにバスを走らせてくれて、本当にありがたいっす。

そんなわけで、なんとか無事に帰国しました。

時間は止まる。

2018-06-05 01:46:31 | Weblog


台北の街をぶらぶらと歩いている。

台湾は50年間日本だった。日本が台湾を占領していたという歴史がある。
第二次世界大戦という名の戦争が終わって、戦争に負けた日本が台湾から去った。
日本の代わりに台湾にやって来たのは、毛沢東率いる共産党軍に追われた、蒋介石率いる国民党の軍だった。
中華人民共和国に追われた中華民国が台湾にやってきた。

それ以来ずっと、中華人民共和国と、中華民国つまり台湾は戦争状態にある。

台湾には中華人民共和国が攻めてきた時のための防空壕がたくさんある。


僕は普通に街を歩いた。ただ街を歩いていた。
交差点に差し掛かると、警察官が笛を吹いた。
ピーーーーピピ!!!

こっちへ来いと手招きをされた。
手招きをされた方へ歩いていく。

日本人か?と聞かれた。

そうだ。と答えた。

警察官が日本語で言う。

今、防具避難訓練をやっている。
今は街を歩くことは出来ない。しばらくここにいろ。ここでじっとしていろ。

見ると、大通り、つまり、いつもはバスや車やスクーターがひっきりなしに何千台も通っている大通りがひっそりとしている。車は一台も走っていない。バスがバス停で停車したままになっている。
お店から出てきて通りを歩き始めた人は、すかさず警察官から笛を吹かれる。

何時までだ?と僕は聞く。

2時までだ。と警察官が答える。

ははは。一時間もあるじゃん。

僕はアーケードの下の日陰に入って腰を下ろした。

待つしかない。避難訓練に逆らった人は罰金を払わなければいけない。

アーケードの下の日陰に座って、僕は考えていた。

街の機能を、一時間も停止させる。これは尋常なことではない。おざなりな防災避難訓練とは少し違う。

この国はいまだに戦争状態にある。という話を本で読んだ。この国の軍事費は世界第6位だという話も本で読んだ。

アーケードの下に、人々が次々と入ってくる。警察官は日本語と英語と中国語で、それぞれに説明している。みんな、渋々、アーケードの下で時間を潰している。

蒋介石が死んで、蒋介石の息子の蒋経国も死んで、台湾の政治が変わった。
台湾は、自由にモノを語れる国家となって、経済的に豊かになった。

時計の針が2時を回った。

警察官が、訓練終了の合図を出す。

止まっていた街の時間が一斉に動き出す。

止まっていたバスは動き出し、止まっていた人が歩き出す。

たった数分で、街はいつもの街の姿に戻っていった。何事もなかったかのように。

僕も、歩き出す。

「そろそろ帰るかな・・・」

さっきまでバスが停車していたバス停に向かって歩きながら、僕はつぶやいた。

相変わらず、陽射しは強い。
僕はだいぶ陽に焼けたみたいだ。

よく歩いた。

さて・・・そろそろ帰るよ。

止めていた僕の時間も、そろそろ動かさないといけない、

全部時代のせいだから。

2018-06-04 23:06:48 | Weblog


世界を変えたのは何か?
世界を変えたのは、蒋介石でもなく、毛沢東でもない。
世界を変えたのは、スマホだ。

僕が世界を旅をしていた頃とは違う。
今は便利な世の中だ。
宿を探すのに、重いリュックを背負ったままホテルを一軒一軒回る必要はない。スマホを使って、安いベッドを探して、ポチッとすればいい。世界は変わった。

行きたい場所へ行く時に、小銭を握りしめてバスに乗り、運転手に行き先を告げ、目的地に着いたら教えてもらってバスを降りる。そんなことはしなくてもいい。そんな時代じゃない。スマホの地図に全部出てくる。乗るべきバスも、降りる停留所も。かかる料金さえも。時代は変わった。


台北の永康街。葱油餅で有名な屋台がある。クロワッサンのような葱油餅が美味しい。夜になると大行列のその店も、昼間はそれほど並ばずに買える。

葱油餅を買った僕は、葱油餅が入った袋をぶら下げて公園のベンチへ。

ベンチに座っていると、ひとりの青年がお盆に紙コップをたくさん載せて公園の入り口に現れた。
通りすがりの観光客に紙コップに入ったお茶を配っている。試飲というやつだ。ベンチで葱油餅を食べている僕にこそお茶が必要なのだけれど、もたろん、僕のところへはお茶を持って来ない。なんでだ?

お茶を配っては、お店のカードを渡している。
相変わらず気温は高い。陽射しも強い。・・・きつい仕事だ。

葱油餅・・・これ、どうやって作るのかなぁ?などと、僕は思っている。

お茶屋の店員の青年は、お盆をそこらへんに置いて、スマホをいじりはじめている。

葱油餅・・・これ、旨いなぁ。もう一個食べるかなぁ?などと、僕は思っている。

お茶屋の店員の青年は、お盆をそこらへんに置いたまま、日陰に入ってスマホをいじっている。

葱油餅・・・これ・・・

お茶屋の店員の青年は、日陰に入ってしゃがみこんで、スマホを横向きにして、両手でスマホをいじっている。

ねぇ、ゲームしてんじゃん!それ!

ははは。あいつ、全然仕事しないじゃん。
見つかったら怒られるぞ。


世界を変えたのは、蒋介石でも毛沢東でもない。
世界を変えたのはスマホだ。

屋台のおばちゃんが、暇つぶしに、椅子にもたれかかってスマホをいじっている。目の前を通り過ぎるお客には目もくれない。そんな光景を何度も見かけた。

旅も変わった。

世界も変わった。

これから訪れる未来が、楽しみで仕方がなくもない。

炸裂半熟卵と爆裂金柑人形焼通り。

2018-06-03 00:44:09 | Weblog


花蓮の話をもう一つ。

花蓮の名物は、葱油餅らしい。中国語でなんと読むのからわからないから、僕はずっとネギアブラモチと呼んでいる。

葱油餅街というのがある。そこにはネギアブラモチ君の像が建っている。

葱油餅街には、二軒の葱油餅屋がある。逆に、二軒しかない。逆の逆に、二軒しかないのに、葱油餅街。

この二軒にストーリーがある。誰でも知っているストーリー。たぶん。

49年前の話。たぶん。

ある男が、伝統的な葱油餅に一手間加えたものを考え出した。
そもそも、葱油餅とは、ネギを練りこんだ生地を揚げたもの。たぶん。

その伝説の男が考えだした一手間とは、葱油餅に卵を入れる。しかも半熟。これが「うまい!」と評判になり花蓮の街は騒然となった。たぶん。

その男には娘がいて、娘には旦那がいた。つまり、婿。つまり義理の息子。英語で言うとヒズサンインロー。

その義理の息子が義理の親父の店から100メートル離れた場所に店を構えて、義理の親父が編み出した半熟卵の葱油餅を売り始めた。

義理の息子は、テレビや雑誌を巧みに操り、その店はみるみるうちに繁盛していく。話題が話題を呼び、行列が絶えることがないほどに。人々は、話題の半熟卵の葱油餅を食べるために花蓮を訪れ行列を作る。

かたや、伝説の親父の店には行列ができない。オリジナルなのに・・・。

そしていつしか、この通りは葱油餅街と呼ばれるようになった。とか?

ここまでの話は、本で読んでいた。

だからこそ興味があった。
確かめてみたいじゃないか。オリジナルの味と、人気店の味の違いを。

一日目。
片方の店しか開いてなかった。
行列。
実食。・・・めっちゃ旨い。一個30元。100円と少し。

二日目。
売り切れで閉店してしまっていた。

三日目。両方食べた。
どちらの店も行列。あれ?同じくらいの人気。
どちらの店も旨い。値段も同じ。


葱油餅街には色々なお店がある。
細い通りに二軒の葱油餅屋。行列は道にはみ出す。車やスクーターが路上駐車をするから、もう大変。時々カオスな状態になったりする。

それを目当てにしてかどうなのか?色々なお店がある。
葱油餅屋の目の前の「紅茶屋」に僕は通った。
なぜか、葱油餅を買って、紅茶を買って、その葱油餅を紅茶屋で食べるのである。食べた後の葱油餅のゴミも、紅茶屋の主人が引き受けてくれるのである。
だから、僕は、ジーユートゥモローと言って、店を去るのである。なぜなら、葱油餅、毎日食べたい。

紅茶屋の主人は、流暢な英語を話す。
僕は聞いてみた。この二つの葱油餅のストーリーを。

紅茶の主人はこんな言葉から話し始めた。

ワンスアポンナタイム・・・昔々。

話は、僕が知っているものとだいたい話同じだった。
ただ、49年前の話である。もう、どちらの店も代替わりをして、セカンドジェネレーションになっているという。
今は恨み辛みもなく・・・みたいなことを言っていた。そう、期待していたライバリーな感じではない。

僕が持っている本は7年ほど前に刊行されたものだから、情報は10年くらい前のものなのかもしれない。この10年で、どちらの店にも行列が出来るようになったのだろう。たぶん。

僕は、紅茶屋の主人に聞いた。

「明日は何時にオーブンするんだい?」

11時頃だけどなんでだ?と主人が聞く。

明日、花蓮を発つから、発つ前に、紅茶を飲みに来るよ。

葱油餅は午後の1時頃から始まる。つまり僕は、紅茶屋に別れを告げたくて来るわけだ。だって、三日もお世話になった。

紅茶屋の店先に綺麗なお姉さんが現れた。紙袋を紅茶屋の主人に差し出して何かを話している。

お姉さんが去り、紅茶屋の主人が、お姉さんから受け取った紙袋を僕のテーブルの上に置いた。

「隣のお店のお姉さんがくれたよ」

おれに?なんで?なにを?

袋の中身を見ると、金柑爆裂弾人形焼、みたいなやつだった。
つまり、隣のお店は金柑爆裂弾人形焼を売っているお店なのである。

なんでかなぁ?と思いながら、僕は人形焼を食べる。すごく美味しい。肉球の形をした可愛い人形焼。

さて、帰り際、お隣の店を覗く。
さっきの綺麗なお姉さんと、ご主人か?スーパーイケメンなお兄さんが二人で店先に立っている。

爆裂人形焼をくれた経緯が分からなすぎて、どんな顔をしたらいいのかわならすぎて、ペコリと頭を下げて、シェイシェイと言ってみた。

二人はすごく照れた顔をして、ペコリと頭を下げて手を振ってくれる。

なんか、こういうことが良くある。ような気がする。ここでは。

花蓮を発つ日。つまり今日だったのだが。
紅茶屋に寄ったついでに人形焼も買おうと思っていた。

がしかし、人形焼屋、12時まで待ったがオープンせず。

お礼を言える日が来るかはわからないのだが、優しさとその味は忘れない。そう誓う僕なのである。

花蓮・・・素敵な街だった。


世界がどんなに広くても、やることは同じ。3

2018-06-02 01:47:31 | Weblog


急な階段を降りきって、川を覗く。温泉が出ている場所が白くなっている。温泉が川に湧き出している。・・・つまり、温泉は枯れてはいない。

窪みの中に川の水と温泉が混ざっていそうな場所がある。あそこが湯船か?
いや、違うだろう。大理石でできた洞窟温泉だと聞いている。

洞窟はどこだ?洞窟を探すんだ。洞窟風呂・・・洞窟風呂。

そして、見つけた。・・・わぉ。・・・洞窟風呂。

見事な・・・湯船。全部、大理石。天然。これは幻か?というほどに幻想的な風景である。

大理石で出来た大きな窪みに、岩肌を破って温泉が勢いよく湧き出している。

閉鎖中ね・・・。温泉閉鎖中ね・・・。温泉は、閉鎖していない。

台湾には温泉がそこそこある。台湾の温泉は人気がある。
がしかし、日本も台湾では温泉の文化が違う。台湾の人は、水着で温泉に浸かるのである。言うならば、真っ裸で温泉に浸かるのは、日本人だけだと思われる。

僕は日本人である。だから、出来得ることならば、裸で温泉に浸かりたいと思うのである。

本日はお日柄もよく、折しも、ここには今僕しかいない。

ここはもう、「失礼まーす」と叫び、服を脱ぐのである。

誰かがやって来たら、その時はその時なのである。

ここの温泉は、その日によって温度が違う。場合によっては、入れないくらい熱くなるとか。

足を浸けてみる。けっこう熱い。45度といったところか。入れない温度ではない。

へへへへ。上富良野、吹上温泉の上湯で鍛えたこの身体。福島飯坂、鯖湖温泉で修行を積んだこの身体。45度くらいなら楽勝でクリアできる。

大理石の湯船、硫黄泉に浸かりながら、国家公園の峡谷を眺める・・・これを至福といわず、何が至福か・・・。これを至福といわず、何が至福か・・・。二回言った。ははは。

硫黄泉は湯船を通り抜けて、川へ流れ出し、そのままタロコの峡谷を流れて海へ出る。

さて、帰るかな。

タロコ、楽しかったな。

気持ちよかった。

さて、今、ブログを書きながら、iPhoneで撮った写真をパラパラと見た。
温泉の写真は50枚くらい撮ったのに、タロコ峡谷の写真は3枚しかなかった。・・・我ながら・・・ひどい。ドイヒーなのである。

こめんよ、タロコ峡谷。

おわり。


世界は広くても、やることは同じ。2

2018-06-02 01:17:49 | Weblog


タロコの終点から数キロ、スクーターを走らせる。そこに秘湯の入り口がある。

文山温泉という名前がついている。ちゃんと名前がついているわけだから、秘湯というほど秘湯ではない。が、行き難いという意味では秘湯といってもいいと思う。行く人があまりいないという意味でも、秘湯と呼んでもいいと思う。

そこんとこ、どうだろうか?

北海道で知り合ったコーカタにーさんはなんというだろうか?

「うーん・・・あれは・・・秘湯とは言えませんね」と言うだろうか?どうだろうか?

何年か前、コーカタにーさんとコデラーマンと三人で、那須の辺りへ秘湯を探しに行った。僕の鎖骨がまだ折れていた頃だ。
川沿いを3時間も歩いて秘湯を探し、結局秘湯は見つからなかったという・・・そんなこともあった。
秘湯の痕跡はいくつも見つけた。その痕跡を追って・・・。秘湯マニア・・・恐るべし。

話はタロコの奥へ戻る。

文山温泉の入り口に看板が立っている。
そこに文字。
「Onen is closed」

つまり、温泉は閉鎖しています。

なるほどね。温泉は閉鎖中かぁ。行っても入れないのかぁ。といってあきらめると思う?
思わないね。が、正解。「はいはい、閉鎖中ね」とつぶやいて先へ進むのが正解。

だって、温泉は、自然のものだから。人間が決めるものではない。

眼下200メートルに川が見える。けっこう高い。ここを川まで下りていくと上りがきついなぁ・・・そんなことを思いながら、トコトコと階段を降りていく。

工事現場の音みたいなセミが鳴いている。日本では聞いたことのない鳴き声だ。

細くて小さな吊り橋が、川の上にかかっている。
30メートルほど下、眼下に川、川の横に大きな窪み。なんとなく温泉の湯船のようにも見える。中身は空っぽである。

閉鎖中・・・の文字がよぎる。

なるほどね。なるほどね。

吊り橋を渡ると、大きな鉄製の門がある。門は閉まっている。施錠してある。なぜか?・・・閉鎖中だからである。

なるほどね。なるほどね。閉鎖中だもんね。

門を抜ける場所を探す。
ここは崖の上。

ここで、先へ進む道がなけれな、秘湯探検は終了するしかない。まさか、崖をボルダリングしてまでたどり着こうとは思わない。

大きな鉄製の門の横に人が通り抜けられそうな隙間がある。その隙間を抜けて、柵を越えれば門の先へと出られる。

ひょいひょいと行く。こういう道は人が作ったものだ。人が作ったということは、人が行くということだ。

さて、タロコは大理石の産地。文山温泉、ここは天然の大理石の湯船に湧き出す硫黄泉。

滑り落ちたら死ぬだろうなぁという、急階段を降りていく。

湯船があろうがなかろうが、温泉が湧き出ていようが枯れていようが・・・そんなことは、まぁ、どうでもよい。

結局のところ、こういうのが楽しいのだと思う。

「わぁ、すごい峡谷!」と感嘆するよりも、「やべぇなぁ、この階段・・・滑るなぁ」とか。

結局のところ、バカなんだと思う。ははは。
こういうのを、バカっていうんだと思うよ。僕は。

つづく。


世界は広いが、やることは同じ。

2018-06-02 00:58:44 | Weblog


太魯閣峡谷というのがある。タロコと読む。
深く切り立った断崖に挟まれた場所。台湾随一の景勝地だという。

行かねば!と思ったわけではないのだが、タロコへ行くことにした。
僕にはスクーターがある。スクーターに乗ってブイーンと、タロコまで行こう。

花蓮から少し北へ。

タロコは観光客がいっぱい。それはそうだ。台湾随一の景勝地。ツアー客、観光バス、が沢山いる。土日ともなると・・・大変な大騒ぎらしい。
台湾へ行ったことがある人のほとんどがタロコへ行くらしい。台湾の人も行くらしい。だから人がいーっぱい。

嫌だなぁ・・・人がいっぱいの場所。などとは思わない。僕には、タロコへ行かねばならない理由がある。

タロコへ向かった。

国道9号線を北上して一時間ほど走って、山道へ入るともうそこはタロコ。断崖絶壁に挟まれる。

けっこうすごい。やるなぁ、タロコといった具合。
タロコは崖崩れが起きる場所でも有名。けっこう人が死んでいる。今にも崩れそうな崖の道を行く。時折、崖が崩れた後の処理をしているところを通り過ぎる。

名所らしき場所ではスクーターを停めて写真を撮ったりする。

そしてタロコの終点。
実際、あっという間に通り過ぎてしまった。台湾随一の景勝地なのに。申し訳ない。でも、僕にはここへ来た理由があるんだよ。ほかにね。

タロコ観光のバスも路線バスも、タロコの終点、天祥という場所で引き返す。
僕の目的地はその少し先にある。

どこへ向かうか、おわかりだろうか?
深い山の奥。そこには何があるか?
ブログ読者の面々なら薄々は・・・?

スクーターのシートの下に入れた小さなリュックには、一応水着が入れてある。タオルも持ってきた。

さぁ、いざ進もうか・・・

秘湯へ。

つづく。

武器を手に入れた。

2018-06-01 02:36:36 | Weblog


花蓮という街にいる。
ファーリェンという読み方をするらしいが、カレンと読んでいる。

宿の主人に、僕は言う。

あのさ、モーターバイクを借りたいんだけどさ、日本人だと貸してくれないんだよね。まぁ、貸してくれるところはあるんだけどさ、高いんだよね。ぼったくるわけ。まぁ、ほかに貸してくれるところがないから仕方ないんだけどさ。

宿の主人が知り合いのレンタルバイク屋に電話をかけてくれる。

中国語の電話の会話をしばし聴いている。
電話を切り、宿の主人が言う。

「ドイツ人がな、この前な、バイクを借りてスピード違反をしてな、そなまま帰国しちまったからな、その罰金をレンタルバイク屋が払わなければならなくなったんだってよ。だからな、外国人には貸せないってよ」

まぁな、そういうことなんだよな。

オッケー。
想定内。

そんなわけで、法外な値段で、法外というのは相場の二倍の値段で外国人にバイクを貸すレンタルバイク屋へと僕は出かける。
ぼろーいバイクを相場の二倍の値段で借りに出かける。

まぁ、考え方によっては、それが相場だということになる。外国人は二倍払うという相場。

そんなわけで、125ccだか150ccだかはわからぬが、台湾では極々一般的なスクーターというモーターバイクを、僕は手に入れたというわけだ。

台湾は、日本と逆の右側通行。
これ、思ったよりきつい。
ふと気がつくと、左側を走っている自分がいる。

死んでまうがな。逆を走ってたら死んでまうで。

交差点を曲がった後が一番危ない。一番逆走してしまいがち。習慣というのは恐ろしい。

日本にて、二段階右折というものをしたことがない。
台湾のスクーターのルール。二段階左折。これがけっこう多い。左折、すごく面倒くさい。そして、僕は慣れない。すごく危ない。わかりにくい。

こちらのスクーターはウインカーをほぼほぼ出さない。車も出さない。歩行者は車やスクーターを無視する。車もスクーターも歩行者を無視する。行ったもん勝ちの世界。

だいたい、一時停止がほとんどない。停止なんかしない。行く。ただ行く。おまえが止まれや!の精神が強すぎる。

怖いのなんのって。ははは。

二段階左折が嫌だから、なるべく右折だけで目的地へ・・・と、運転初心者のようなことを初めて思う自分に失笑。

でも、まぁ、面白い。肝心なのは・・・勇気。
いつだって、肝心なのは勇気と思い切り。
クラクションをならされても、「うるせぇ!おれは外国人や!」の精神で、今日は100キロくらい走ったかな。