ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

銀河鉄道の夜。

2014-09-30 18:45:01 | Weblog


「あなたが書いた一年前の記事」。
そんなタイトルのメールが、ブログの運営会社から届く。
たまに、読む。去年の今頃は何をしていのかなぁ・・・的な。

今日届いたメール。
記事のタイトルは『イノチダケハネ』。

気になったから、読んでみた。

僕はオホーツク海沿いの町、興部(おこっぺ)にいる。
『銀河鉄道の夜』みたいな電車に乗っている。
それはそれは、素晴らしく幻想的な夜を過ごしている。
夜が明けて、列車を降りて、駅の周りを歩いている。

そして、ブログにはこう書いてある。

朝、お散歩中のおばあちゃんが言った。
「なんぼ無茶しても、命だけは持って帰りなさいな。親が心配するからな」


ジーンとしたしね。今読むと、特に、ジーンとしたしね。

何がどうなって、何がどうあったとしても・・・命は持って帰って来られて良かった。

色んな人に心配をかけてしまったし、迷惑もかけてしまったけれど。

健康でいられることの幸せとか?
旅をできることの幸せとか?
当たり前の中にいられる幸せとか?

銀河鉄道に乗りに行きたいなぁ。
今度、銀河鉄道に乗れたならきっと。
去年よりもずっとずっと、幸せを感じながら過ごすことだろう。

そんな気が・・・するんだなぁ。

せきねつとむかまきり。

2014-09-28 13:31:21 | Weblog


理学療法士の上村さんが、退院に際してくれた言葉。

「太陽の光にいっぱいあたってください。太陽の光には、体を良くする成分がたくさん入ってますからね」

そんな素敵な言葉を頂いて、退院後は頑なに言いつけを守る僕なのである。

日がな一日中、縁側に置いたバンブーチェアーに寝転んで過ごしている。

時々・・・寒い。

時々・・・暑い。

今は・・・暑い。

季節外れの日焼けをしそうなくらいに、暑い。

カマキリがやって来た。カマを二本、ブンブンと振り回しながら、のしのしと歩く。

秋だなぁ。・・・カマキリは、秋なのか?

暑いなぁ。

太陽って、すごいなぁ。

毎日一回、超音波治療ってのをやっているんだけど。それをやると、骨の回復が40%くらいアップすると言われているんだけど。

太陽の光にあたっていると、細胞がソワソワと動き回り始めるような、そんな気さえするんだね。

暑いなぁ。汗が出てくるなぁ。

僕らはやはり生き物で、太陽に生かされているんだなぁ・・・太陽にしか生かされていないんだなぁ・・・などと想いながら過ごす今日この頃。なのである。

お見舞い金翼ライダー。最終回

2014-09-27 12:04:37 | Weblog


豊頃のノノサン宅にて。

ノノサンの家の壁には、写真がたーくさん貼ってある。

四ヶ月の間、ノノサンが家に招いたライダーや旅人たちの写真とか、家族の写真とか。

「これ、誰ですか?」と僕が聞く。

「えっ?どれ?・・・おれだよ!」と、ノノサンが答える。

「えっ?ノノサン?えっ?これノノサンなの?」

サラリーマン時代のノノサンの写真。

「あははは」と僕は笑う。

「ノノサン、ちょー若返ったじゃん!」と、失礼にも僕は笑う。


新潟の小さな町の病院の隣の公園の芝生の上で。

隣に座って陽射しを浴びるノノサンに僕は言う。

「ノノサン、また若返ったね」

「そうかなぁ?」とノノサンは照れる。


ノノサンは生きてるなぁ、と僕は想う。
生きてるから輝いてるんだなぁ、と僕は想う。

ノノサンは真面目に働いてきた人で、真面目に働いて来なかった僕とは、人生の歩み方がまるで違う。
ここまでの歩み方はまるで違うのに、今居る場所はそれほど違わない気がする。
なんとなく、同じ風景が見える場所にいる。

ノノサンみたいになりたいなぁ・・・と、僕は想う。
僕の知らない世界を、ノノサンは先に歩いてる。僕が進む未来を、ノノサンは今歩いてる。
ノノサンみたいになりたいなぁ・・・と、僕は想う。


「まだ三時間くらいは走れるな。これから長野まで行くから、そろそろ行くよ」

そう言って、ノノサンは腰を上げる。

タフだ。460キロ走って来て、これからまた200キロ近く走ろうというのだから。。。ないない。ないない。おれだったら、疲れ果ててここで寝る。

「また会おうね」

また会おうねっていう言葉が、僕は好きだ。
絶対に会おうねっていう意味の「また会おうね」っていう言葉が、僕は好きだ。

来年も、再来年も、僕が旅を続ける限り、ノノサンが旅を続ける限り、会える気がする。


土手の上から、ノノサンが手を振る。

「かっこいいなぁ、ノノサン」

手を振りながら、僕はつぶやく。


「お見舞い金翼ライダー」おわり。

ノノサン、ありがとう。

お見舞い金翼ライダー。7

2014-09-27 11:44:38 | Weblog


いつ死んじゃうかなんてわかんないから、生きているうちに、会いたい人や、まだ会っていない人に、たくさんたくさん会いたいなぁ・・・と想う。

今までも、そう想いながら来たわけだけど、死にかけちゃったりした僕は、一層、そんなことを強く想うようになったりするのかもしれないな。

大切なのは、この想いを、忘れないでいること。
そうすれば、いつか死んじゃうってことも、それほど怖くなくなる気がする。


ノノサン立ち会いのもと、カズヤくんと事故の実況見分を始めたりする。芝生に座って。

僕は事故の前から数時間後までの記憶を失っているから、知りたいことが山ほどある。

だから、「それで?それで?おれはどんな風に飛んでいったの?」とか、「それで?それで?おれはどんな風に転がってたの?」とか、「それで?それで?その時おれは意識があったの?」とかね。

僕の質問に、カズヤくんは出来得る限りの説明をしてくれる。それを、ノノサンが微笑みながら、頷きながら聞いている。

ポカポカとした日曜日の昼下がりの風景。

「よく生きてたなぁ」と、ノノサンが言う。

「うん、よく生きてた」と、僕が言う。

隣でカズヤくんが頷いている。

日曜日の昼下がり。

ポカポカと暖かい、新潟の小さな町の穏やかな秋の一日。



お見舞い金翼ライダー。6

2014-09-27 11:23:40 | Weblog
まぁまぁ元気に歩けるようになってきた頃のある日曜日。
移動したばかりの病室の入り口に、お土産を山ほど持ったノノサンが姿を表した。

一年振り。

豊頃の別宅の前で別れて以来。

あぁ、ノノサンだぁ。

ホントに来てくれたんだぁ。

福井から460キロ。

もちろん、金翼ライダーだから、ゴールドウィングを、駆って。

460キロったら、埼玉から京都を越えて、大阪近くまでたどり着ける距離だ。つまり、相当遠いってことなんだよ。
そんな遠路を・・・。涙が出るよ。

ノノサンが持って来てくれた紙袋の中に、目に付く一品が。

手品の小箱。

何これぇ?

するとノノサンは、タネも仕掛けもありません。と言って、手品を見せてくれる。

きゃはははは!と喜ぶと、ノノサンは「これを練習すれば、ちょっとはリハビリにもなるんじゃないかと思ってさ」と、手品セットを二つくれた。

僕は、きゃはははは!と喜んだ。

ノノサンが持って来てくれた紙袋の中には、病院の味気ない食事を補助してくれる逸品が満載で、それを物色しながらキャッキャと騒いでいるところに、カズヤくんとユキノちゃんが現れた。

お見舞い日和の日曜日だ。

病室が騒がしくなりすぎてもなんなので、僕のお気に入りの公園へと、みんなで出かけることにした。




お見舞い金翼ライダー。5

2014-09-26 02:47:25 | Weblog


ある日、ノノサンからメールが届いた。

病室で横たわる僕の所へ。

「事故ったの?大丈夫?」

ブログを見て、メールをくれた。

今年も北海道で会うのを楽しみにしてたのだけれど、今年のノノサンは、六月頃に一ヶ月半ほど洞爺湖のそばの街で過ごし福井へと帰ってしまっていた。
つまり、今年は北海道で会えないってことになっていた。

「また来年、会えたら会おうね」てな具合のメールを、だいぶ前に交わしていた。

そんなノノサンが、病室に届けてくれたメールに添付されていた写真。
豊頃のノノサン宅を去る時に、ノノサンが撮ってくれた写真。
マグナに跨る、在りし日のシングである。
今は亡き、クレイジーホース仕様のマグナの姿である。

「近日中に、お見舞いに伺います」

というメールが来た。

怪我の状態もよろしくないし、お見舞いの類はほとんど断っていたのだけれど・・・。

事故のお陰で、北海道で会えるはずだった人に、今年は会えなくなってしまった僕である。
なんだか、ノノサンに会いたいなぁ・・・などと迂闊にも思ってしまい、病院の名前を入れたメールを返信してしまったのである。

その時の僕は、福井と新潟がどれくらい遠いかなんてことは、まったく考えていなかったんだなぁ。

お見舞い金翼ライダー。4

2014-09-25 23:30:02 | Weblog


先日うちの母ちゃんがね、「めちゃ落ちくん、要る?」と言いながら、「激落ちくん」らしき物体をかざしたわけ。
それは、めちゃ落ちくんじゃなくて、激落ちくんだよ!間違えてるよ!と想いながら、「要る、要る」と答えて、置いていってもらったわけ。

さっき、母ちゃんが台所に置いて行った激落ちくんをチラッと見たらさ、「めちゃ落ちくん!」て書いてあって、メチャメチャびっくりしたんだよ。
激落ちくんの類似品だったんだよ!

うちの母は正しかった。って話。


豊頃のノノサンの家の話。

家具付きの一軒家。必要な物は全て揃っている。それはそれは素晴らしい家で・・・実際、ため息が出た。

庭がある。畑がある。見える景色は、一面のトウモロコシ畑。庭に立って空を見上げると、タンチョウが視界を横切って行く。

こんな所に住めたら、毎日「ひゃっほー!!!」と叫んでしまうよ。

ノノサンに、焼きそばやらトウモロコシやらコーヒーで歓待され、ご機嫌になるのである。
何よりも、こんな暮らし方もあるということを知れたこと。教えてもらえたこと、それが素晴らしいではないか。

ノノサンは、近くの農家やら何やらで、暇つぶしのアルバイトなんかもやったりしながら、北海道ライフを満喫している。と。

体験期間が終わったら福井に戻って、また来年、北海道のどこかの街に来るかもね。って、そういうスタイル。

つまりそれは、また来年、北海道のどこかの街で会えるってこと。
旅の楽しみ、人生の楽しみが増えたってこと。

いろんなスタイルの旅があって、いろんなスタイルを持つ旅人がいる。

六十代にして、キラッキラと輝きを放つノノサンは、僕が憧れる人の一人となったのである。

つづく。

お見舞い金翼ライダー。3

2014-09-25 16:33:53 | Weblog


北海道でのノノサンの家は豊頃にある。
別荘ではない、と書いた。では、何か。

北海道というところは、いい所だ。間違いない。
自然も豊かだし、食べ物も美味しい。
でも、住むとしたらどうか?
自然は想像を超えるほど厳しい。一年のうちの半分近くは雪。雪に閉ざされた世界だ。

北海道では、札幌以外のほとんどの都市で過疎化が進んでいる。人口の減少が急速に進んでいる。

極端な話をすると、歌志内市は、ピーク時4万6千人人いた人口が、今では3千9百人しかいない。日本で一番人口が少ない「市」として名を馳せている。

北海道に限ったことではないが、過疎や人口減少に悩む自治体が行っている政策の中に、移住者募集というものがある。
秩父別では、一坪1円と謳って話題になったし、中頓別あたりでは「土地をあげます!」という看板を見かけたし、どこもかしこも、自治体維持のためにしのぎを削りながら頑張っている。

そんなしのぎの中、「移住体験」の希望者を募っている自治体があったりする。

これが答だ。

ノノサンは、移住体験、体験移住で豊頃に住んでいるのだ。四ヶ月。
だから、豊頃の家は紛れもなく、「うち」なのである。

国道沿いのコンビニから脇道に入って間もないところに、可愛い赤い家が二軒建っていた。
平屋と二階屋。平屋の方が、ノノサンの家。

ノノサンは、家の前で手を振りながら僕を迎えてくれた。

つづく。

お見舞い金翼ライダー。2

2014-09-25 16:01:42 | Weblog


よっぽどのシングブログマニアの人は覚えているかもしれない。
去年の九月の第3週くらいに書いたブログに、金翼のおじさんという名が登場したことを。

書こう書こうと思いながら、早一年。時が経つのは、驚くほどに早い。

シング属するTrash Box Jamの演目に、金色の翼という名曲があるのはご存知か?

ノノサンが駆る、超がつくほどのどでかいバイクの名前はHONDAゴールドウィング。つまり、金色の翼。
詳しくは知らないが、安く見積もっても400万円は下らないという、目にすることの少ない高級車なのである。

ノノサンは福井県から来ている。

福井県から来ているのに、北海道で「今晩、うちに泊まりにおいで」と言う。その心は?

そう、そりゃあ、そうだ。

400万円の超高級バイクに乗っているお金持ちだとしたら、福井に本宅、北海道に別荘。いいなぁ、それ。

そう、そりゃあ、そうだ。その発想は普通だと想う。

でもね、違う。ブブー。ブブブブー。違う。

そう言う普通の金持ちは、行きずりのライダーを家に泊めたりはしない(個人的見解です)。
そういう普通の嫌味な金持ちとは、行きずりの極貧ライダーは波長が合わないのです(個人的見解です)。

ノノサンのおうちは、帯広から30キロほど離れた町、豊頃にあるのです。

豊頃といえば、日本で一番美味しいスイーツのお店。アメリカンドーナツで有名な朝日堂がある町じゃないが。と。

どうせ、寄るじゃないか。と。
何がなんでも、寄るじゃないか。と。

そんなわけで、ノノサンと会った翌日、帯広を出た僕は豊頃を目指して走り始めるのであった。

お見舞い金翼ライダー。

2014-09-25 15:49:52 | Weblog


去年の北海道の話を。

天空へと続く道、ナイタイ高原。

どでかいバイクに乗った、ある人と知り合った。
名前をノノサンという。

どでかいバイクのどでかさに驚く僕を面白がるように、ノノサンは、バックギアに入れてバックしてみてくれたり、機械をパチパチっといじってみたりしてくれる。

ノノサンは言う。

「今日、うちに泊まりにおいでよ」

僕は言う。

「いや、今日はちょっと。おれ、帯広に泊まってて、そこに帰らないといけないんで」

ノノサンはまた言う。

「いいじゃん、うちに泊まりにおいでよ」

僕はこう言う。

「いや、無理だって。荷物が帯広にあるし」

ノノサンは言う。

「そうか・・・残念だ」

せっかくの誘いを無下に断ってしまい、僕もちょっと気まずいってもんじゃないか。

そんでもって、僕は言う。

「明日、釧路に向かうんで、その途中でノノサンの家に寄りますよ」

そんなわけで、ノノサンとメアドを交換し、ナイタイ高原を後にしたのである。

ちなみに、ノノサンのバイクのナンバーには「福井」の文字。

ノノサンの家ってどこなんだぁ!って話なんだね。

つづく。

コーヒーANDシガレット

2014-09-23 13:53:53 | Weblog


いい天気だね。ポカポカと暖かい。

今日は秋分の日。

休日なんだけど、家の庭にいても、さっぱり休日感がない。賑わいとかざわめきとか、そういう気配がまったくしない。
近所に家が無いってのは、そういう感覚を感じられないってことでもあるんだな。

入院中、隣のベッドのおじさんが、しょっちゅうコーヒーを飲んでいた。
病室に湯沸かしポットを持ち込んで、インスタントコーヒーを淹れて飲んでいた。
いいなぁ・・・と想っていた僕。

久しぶりにコーヒーを飲みたいなぁと想ってね、インスタントコーヒーを淹れた。
縁側に出て、ローテーブルにコーヒーの入ったカップを置く。

コーヒーカップの横にハイライト。ハイライトの横に灰皿。

これ、黄金比じゃね?と想ってしまう。

コーヒーとタバコとハイザラ。
時代は変われど、こんなに似合う組み合わせってのは、他にはないんじゃないかと思わせるくらいのお似合い具合。


そうそう、僕は肺をひどく傷めてしまったからね。
タバコは絶対に吸っちゃダメなんだよ。
お医者さんにもリハビリの先生にもキツく言われているからね。

そうそう、僕の骨折の具合は、難治骨折た言われるほどに悪いものだからね。
タバコは絶対に吸っちゃダメなんだよ。
ほんとにきつーく言われているからね。

ただあれだよ。コーヒーとタバコと灰皿の並びの美しさについて、ちょっと語ったって話。

ただあれだよ。治った時のために、タバコの差し入れは受付中だよって、そういう話なんだよ。

えっ?吸ってるだろって?おまえ、絶対に吸ってるだろって?

えへへへへ・・・吸ってないってばぁ。

吸ってないですよぉ・・・レントゲンを撮る日はね。バレちゃうからね。えへへへへ。

拾ったものを食う。の巻。

2014-09-23 00:39:56 | Weblog


うちのバンドのドラムのマコくん。

マコ君も去年、鎖骨を折った。バイクで転倒して、鎖骨を折った。
鎖骨が折れたまま仕事をさせられて、仕事が終わってから病院に行って、手術をして、五日くらい入院して、さらに五日くらい療養して、そんで仕事に復活したと言っていたような気がする。

たった十日で?

そこんとこ、どうだったか、今度聞いてみたい。

僕は、絶対に運転をしてはいけないらしい。運転なんてしてません!と宣言をしたのだけど。リハビリの先生にキツく言われた。バレてるみたいだ。

マコくんの骨折は、どんな骨折だったのか知らないが。僕の骨折は、鎖骨が斜骨折。そして、多少の粉砕。つまり、粉砕斜骨折。

僕もマコくんもプレートとボルトが胸に入ってるんだけど・・・同じ状態なのに、十日で運転をした人と、三週間を越えても、絶対に運転をしてはダメ、のちがいは・・・そういうことなのかなぁ。


近所を散歩している時、大きな銀杏の木の下に、ポトポトとギンナンが落ちている。進行形。ポトポトと音を立てながらギンナンが落ちてくる。

落ちてくるから、拾うかな。と、1ダースほど拾って持って帰った。

ギンナンは美味しい。
ギンナンは栄養がある。
ギンナンには中毒になる毒もある。
子供は食べちゃいけないよ。

何もしちゃいけない僕は。
縁側に腰掛けて、拾って来たギンナンを食う。

秋だなぁ。

あぁ、秋だなぁ。

想ったよりも。簡単じゃない。

2014-09-21 23:16:59 | Weblog


嵐山の我が家の庭に、見慣れない花が咲いている。

彼岸花。

もうすぐお彼岸だ。彼岸花が咲いていても、なんら不思議なことはない。

我が家の庭に彼岸花が咲いているのを、初めて見た。

よく考えてみたら、この季節に家にいたことがない。
嵐山に引っ越して来てから二年と少し。この時期はいつも、北の大地を疾走している。

リハビリを兼ねて、近所を散歩した。

通りに沿って、たくさんほ彼岸花が咲いていた。

稲刈りの時期でもある。五月に植えた苗が、首を垂れながらたわわに実る。それを、コンバインが刈っていく。

少し分けてくれないかなぁ・・・などと思いながら、しばし作業に見惚れる。

帰って来て想ったのは。

病院では、入院患者の中で一番元気なんじゃないか?と想うほどに元気だったのだけれど・・・普通の世界に戻って来ると、自分の弱者振りを思い知らされる。

道を歩いていると・・・
車も怖いし、自転車も怖いし、人も怖いし、子供でさえ怖い。
ぶつかられたら、子供にさえ、僕はへし折られてしまいそうだ。

少しずつ少しずつ、慣れていくつもり。

今はまだ、自分の限界がさっぱりわからない。
何が出来て、何が出来ないのか。
何が痛くて、何が痛くないのか。
何をすべきで、何をすべきじゃないのか。
何をしたら平気で、何をしたら壊れるのか。
僕にはまだ、さっぱりわからない。

病院の生活に慣れるのには時間がかかった。

元居た世界の生活に慣れるのに、時間がかかるなんて、思いもしなかったけど・・・少し時間が必要な気がする。

とりあえず、ギターを弾きながら唄を歌った。半分の月。
ストロークで弾くのは、まだちょっと難しい。折れた骨に響く。

とりあえず、今日の僕は、そんな感じだ。

さよなら、またね。

2014-09-20 08:47:25 | Weblog


お世話になった人がたくさんいる。
米どころ、新潟県南魚沼市。
お医者さんや看護師さん、リハビリの療法士さん、病院のスタッフの方々、売店のおばちゃん。入院している患者さんたち。お見舞いに来てくれた方々。

新潟県南魚沼市の風景にも、心癒された。
病室から見える風景。リハビリ室から見える八海山。公園で見る山々と大きな空。清々しい朝。陽射しが降り注ぐ午後。雄々しい夕焼け。形を変えながらゆく雲たち。

僕を優しく取り巻いてくれた全ての人とモノに感謝。

遠くで、僕を見守り、祈ってくれた人々にも感謝。

神社へのお参りを続けてくれた人。神様に祈ってくれた人。いっぱい泣いてくれた人。いっぱい心配してくれた人。ジッと待っていてくれた人。

僕を忘れないでいてくれた、たくさんの人に感謝。

僕は、忘れないようにしなければいけないね。
死にかけたことも。
生き残ったことも。
痛かったことも。
癒えていくということも。
色々と考えたことも。
優しかったってことも。
ごめんねってことも。
ありがとうってことも。
全部、忘れないで、生きていきたいな。

ちょっと名残惜しくはあるけれど、そろそろ行かないといけない。

我が家へ。

旅に出た時の予定よりは、だいぶ早い帰還だ。

入院した時の予定よりは、ちょっと早い帰還だ。

みんな、どうもありがとう。

さらば510号室。

2014-09-19 23:29:15 | Weblog
僕は今、通称「元気部屋」と呼ばれている、タコ部屋にいる。

ICUから移されたのは、個室だった。

重体で運ばれて来たので、個室に入れて完全看護といった感じ。

手術を前にして、病棟を変え、518号室に移された。四人部屋。
この部屋は、手術を待つ人や、手術が終わった人などなどが入る緊急部屋といったところか。看護師さんたちの目が届きやすい位置にある。
この部屋が、長かったように思う。

一週間前に、遂に僕に声がかかった。

「しんぐさん、お部屋を移動しますね。行き先は、タコ部屋です」

個室とか、緊急部屋とかで、大事に扱われてきた僕なのに、とうとう看護師さんも滅多に顔を見せないといわれる、放っておかれ部屋に入れられてしまうんだ・・・。

まぁ、いい。まぁ、いい。と。

だって、病室には変わりないじゃないか。と。

看護師さんがベッドやら荷物やらの移動はやってくれる。
準備が出来たら呼ばれるというシステム。

知っていたけど、そこは六人部屋。いわゆる大部屋。大部屋だけど、部屋は大きくない。つまり、人口密度が高くなる。
四人部屋と同じ広さの部屋にベッドが六床。つまり・・・ぎゅうぎゅうね。

四人部屋のカーテンが付いている部屋にベッドが六個。つまり、区分けが変則的。微妙に仕切られてないんですけど・・・的な。

通称「元気部屋」。

元気な人が入る部屋。

元気じゃない人も居たりするんだけど、基本的には元気部屋。元気な人が入る部屋。

もうすぐ退院だったり、まだ退院出来なかったり、色んな人が居るけれど、みんな、僕の退院を祝福してくれた。

一週間、楽しかった元気部屋。

ワイワイワイワイ。

さらば510号室。

タコ部屋、楽しかったなぁ。