ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

眠らないライオン。

2015-08-31 03:41:39 | Weblog
最近頻出の「横浜徒歩旅行with昭和くん」を敢行した時のブログにはこうある。

「スタートの時点で、僕は31時間寝ていません」

僕は・・・そういうヤツなのである。どういうやつ?って?つまり・・・バカである。

どんなバカって?
絶対に寝なければいけない時に寝ないバカなのである。

今にして想うと、31時間寝ていない状態で、ストリートライブでしこたま歌った後で、横浜まで歩き始めるという無謀さに呆れる。そのバカさ加減にほとほと呆れてしまう。

その徒歩旅行、実のところ、Trash Box Jamのギターリストシッシーが、あわよくば参加しようという計画を企てていたという話は、あまり知られていない。
仕事の都合で、参加は叶わなかったわけなのだが、今にして想うと、シッシーもいたら、さぞ楽しい旅になっただろうなぁと、しみじみ想ったり・・・。シングとシッシーと昭和くん・・・変な三人組なのである。

まぁ、それはいいとして、今日はバカの話なのである。

僕といバカは、大事なコトの前になると、寝ないのである。絶対に寝なければいけない時には、絶対に寝ないのである。なぜならば、バカだから。

仕事の初日の前日とか、絶対に寝ないね。
旅に出る前日とか、翌日に過酷なドライビングやライディングが待っていようと、絶対に寝ないね。
そりゃあもう、決まりごとのように、絶対に寝ないんだね。なんでだろうね?バカだからかなぁ?

ライブの前日なんてのも、ほぼほぼ、絶対に寝ないね。
でも、ライブの前日っていうのは、寝ないといけないんだね。なぜなら、寝不足ほど喉に悪いモノはないからなのさ。寝不足な時なんてのは、基本的に喉が嗄れているんだからね。ガッサガサだよ。

何が言いたいのかっていうとね、7/25の下北沢ラウンのライブ当日、ライブ開始の時点で、僕は24時間寝ていなかったってことなんだね。コンディション最悪ってやつね。そうそう、だって、バカだから。

それで想い出したってわけ、横浜徒歩紀行の時の事をね。

まぁ、あれよ。みなさんに下北沢くんだりまで足を運んでもらってよ、しんぐ復活だ!なんて楽しみにしてもらってよ、ワクワク待ってやっとライブが始まったとしてよ・・・
「寝不足で声がガッサガサでーす!よろしくぅシクヨロォ!ゲホゲホッ」
なんてことになったらどうすんのよ!

と想えば想うほど眠れないわけなんですよねぇ。

さてさて、暑い暑い7月の末の土曜日の真昼間。アコースティックギターを二本抱えて、ヨロヨロフラフラと下北沢の街を迷いながら歩く僕がいるんですわ。

不安?
そんなものはない。

だって、おれってば、いつもこうなんだもん。

そう、こんなピンチはね、100万回も乗り越えて来たんだよ。ははは。とね。

自分で招く自分のピンチ。これ、お得意のヤツなんです。

さてさて、下北沢ラウンはどこかな?どこかな?
なんでいつも迷うのかなぁ?

ヘラヘラしてる場合じゃないよ。

2015-08-29 05:37:10 | Weblog
下北沢ラウン・・・吉田さんが魔法使いだとして・・・でも、それは二年前のたった一回の話であり、果たしてそれは本当なのだろうか?と、疑問が湧かないというわけでもなく。

はぁ・・・とため息をつきながら、「あれは偶然の産物だったんだなぁ」とつぶやくのかもしれない。
ウググ・・・と苦虫を噛み潰しながら、「あぁ、おれの勘違いだったのか・・・」と自分を責めるのかもしれない。

そう、それは確信ではないのだ。そう、それはたった一回きりの出来事なのだ。

でも、僕は信じていた。何を?・・・吉田さんの魔法を。
いつにも増して、今回は、その魔法が必要なのだ。魔法無しには歌えない。そんな、わけが僕にはあった。

そもそも、ほぼ一年間、まるっきし歌っていないのである・・・。

14歳でバンドを組んで以来、こんなことは無かったのである。

そんな昔のことはいいとしても、この16年間、路上ライブを始めてからというもの、ほぼ毎週、鬼のように歌って来たのである。喉を苛め続けて来たのである。

そして、この一年間、歌うどころか、大声さえも出したことがないのである。

そりゃあ、不安にもなるさぁ。ということなのである。

試しに歌ってみた、軽く。ギターを弾いて歌ってみた、軽く。
ガーン・・・と来るのである。ガーンと来ちゃうのである。
一曲歌い終わらないうちに声が嗄れるのである。ガラガラのガッサガサになるのである。

そりゃあ、不安にもなる。ということなのである。

これで、「吉田さんは魔法使いではありませんでした!」なんてことになったら、一貫の終わりなのである。ガーン( ̄◇ ̄;)

それでも、僕は元来の楽天家なのである。
吉田さんが魔法を使ってくれるから、なんとかなっちゃうだろう、と信じているのである。
なんとかならなかったとしても、結局なんとかなっちゃうだろうと、疑わないのである。

なぜならば、不安こそが大敵だと、知っているからなのである。

例えば人生において。
何をするときも、邪魔をするのは、自分自身が抱く「不安」というものなのである。
誰もが、不安から逃げることに四苦八苦しているのである。
だから、不安を食い物にする悪の商売が横行しているのである。
不安が、不安こそが、一番の敵なのである。

例えば歌うことにおいて。
不安を感じれば喉が閉まる。喉が閉まれば声は出ない。声を出そうと必死でガナる。ガナればガナるほど、喉は閉まる。そして、嗄れる。そして壊れる。

人生も歌も同じだ。不安など、感じてはいけない。
不安さえなければ、何にでも挑戦して、何度でも失敗して、何度でも学んで、何度でも挑んで、さぞかし楽しいライフを送れるってものだろう。

だから、僕は想う。

「大丈夫、大丈夫。吉田さんがなんとかしてくれるって!」

そして、ヘラヘラと笑うのである。

万が一、一曲目で喉が潰れて歌えなくなったとしたら・・・。うんうん、その時は、「ゴメンね」と謝ってから、掠れた声で、僕が旅した国の話を、僕が出逢った人たちの話を、僕が教わった色々なことを、二時間かけてみんなに教えてあげよう、それもライブだ!

よし、なんとかなるな、と、へへへ、と笑うのである。

魔法使いの話。

2015-08-27 21:02:22 | Weblog
なんで下北沢ラウンなのか?
どうして下北沢ラウンでやりたかったのか?
そこまで下北沢ラウンにこだわる理由はなんなのか?

ということである。

下北沢ラウンのオーナーは吉田さんである。音響も料理もドリンクを出すのも、すべて吉田さんである。

理由は、この吉田さんにある。

二年前に一度だけ、下北沢ラウンで演奏をさせてもらった。キトウケイゴにーさんとのソロツーマンである。

吉田さんは、魔法使いなのである。どこをどう見ても、どこからどんな風に見ても、風貌は、優しいおじ様なのである。がしかし、吉田さんは魔法使いなのである。まちがいない。

ライブの前には、リハーサルというものがある。
ソロのライブ、つまりアコースティックのライブってのは、音決めってのがシビアなのである。出来れば、自分が理想だと想う音で演奏したいのである。それが無理なら、出来るだけ自分の理想に近い音で演奏したいのである。それも無理なら、せめて嫌いな音じゃない音で演奏したいのである。いやいやもう、それも無理なら、わかりました、なんでもいいんで、ほんとに、このキンキンシャリシャリボワボワだけは取っていただけますか?ってな感じなのである。

そういうのは、人それぞれにこだわりがあって、そんなこだわりにそれぞれ応えるのがプロのPAってものなんだけど、なかなか、そんな人はいない。

僕なんてのは、路上上がりのミュージシャンなもんでね、音のこだわりなんてのはほとんどない。「歌えればいい」ってのをスタイルにしているくらい、こだわりはない。いや、もちろん、出来れば理想に近い方がいいのだけどね。

Trash Box Jamの三人でアコースティックライブに臨む時、いつもマコが僕に聞いてくれる。
「リーダー、どうですか?」
ほとんどの場合、僕はこう答える。
「大丈夫、歌える」

でも、たまにある。
「リーダー、どうですか?」
「・・・全然歌えないよぉ、どうしよう?」

そうすると、マコがPAに言ってくれる。
「ギターの100ヘルツ辺りをガツンと削ってみてください」とか。

それで、ちょっとはマシになる。
気に入ろうが気に入らなかろうが、歌えればなんとかなる。それが僕のスタイルなんでね。路上スタイルなんでね。

そんでもって、ラウンの吉田さん。

初めてのラウン。

リハーサル。ギターを持ってステージに上がる。シールドを差してギターを鳴らす。ギターを鳴らして唄を歌う。

「あれ?」

ピックを置いて、指で弾く。

「あれ?」

僕の音決めは終了である。

音決めに一秒もかかっていない。一秒どころか、吉田さんは何もしていないじゃないか?

「あれ?」

こんなことは、かつて体験したことがないのである。

何もしていないってことがあるのだろうか?でも、吉田さんは何もしていない。
なぜならば、ギターの弾き始めから音の質が少しも変化していないのである。
つまり、最初から、僕の理想とする音が出ていたのである。

ギターには、ギターの音には、それぞれ特性みたいなものがあって、特性というか個性みたいなものがあって・・・個人の好みにもそれぞれ違いってものがあって・・・。ねぇ・・・。

リハーサルが終わって、本番までの時間。僕は吉田さんに言った。

「最初からすごく歌いやすかったんですけど・・・なんなんですか?」
これは、何をしたんですか?という意味である。

すると、吉田さんは、穏やかにこう答えるのである。

「僕は何もしていませんよ」

謎なのである。ナゾなのである。吉田さん、恐るべしなのである。

プロっていうのは、こういう人のことを言うんだなぁと、つくづく想う夜だったのである。

フライヤーは、なんのためにある?

2015-08-26 23:04:11 | Weblog


ライブの告知フライヤーである。なかなか良い出来である。

ライブの告知フライヤーってのは、日付や時間や場所や地図を入れて、「ライブをやりますよぉ、来てくださいねぇ!」という意味で作り、配るものである。

だが、これは違う。ライブの当日に出来上がって、ライブの当日にしか配らないのだから、全然告知フライヤーではないのである。

しかも、ライブの当日に、ラウンのスタッフさんが来場者に配ってくれず、ライブの途中でその事実に気付き、学校のプリント配布のように列ごとに回して配るという・・・ちっとも告知フライヤーではなかったのである。

しかし、それにしても、いい出来なのである。
告知フライヤーって、カッコいい。


僕の部屋に の壁に、三枚の告知フライヤーが貼ってある。

何年か前、何年前だったかはすでに忘れた。二年か三年か四年くらい前。
新宿のネイキッドロフトというライブハウスにソロで出演させてもらった。一ヶ月おきに三回ほど。
壁に貼ってあるのは、その時に作ってもらった告知フライヤーだ。

この三枚の告知フライヤーは、しっかりとした告知フライヤーだった。路上でも、ライブハウスでも、たくさん配った。


今回のソロライブ、Trash Box Jamのライブも無いし、路上ライブをお休みしているので告知フライヤーを配る場所が無い。つまり、告知フライヤーは不要なのである。
不要なはすの告知フライヤーかなぜ存在したのか?

僕と、スタッフとのやり取りである。

「フライヤー作ってくんないかな?」
「なんの?」
「ソロライブの」
「どこかで配るの?」
「いや、配らない」
「じゃあ、なんで?」
「記念に」
「は?」
「いや、記念に」
「は?」
『オレの部屋の壁に貼りたいんだよ!』
「・・・」

そんなこんなで、出来上がったのが、この告知フライヤーなのである。

ただの告知フライヤーだと侮るなかれ。これは、記念の告知フライヤーなのだよ。とね。

みんなも部屋の壁に貼り付けておくれ。そしたらさ、オレの部屋とお揃いだ。


そんなわけで、文句ひとつ言わずに、編集、加工、印刷屋さんへの手配などなどをしてくれたスタッフのクミさんに、多大なる感謝を、この場を借りて。どうもありがとう。

また次も、記念のためにご尽力を、よろしくシクヨロ。

フライヤーは、想い出すためにある。よろしくシクヨロ。

ゴマシオセンセイと不確かな世界。

2015-08-22 01:11:34 | Weblog


センセイは今頃どうしているだろうか?と、時々想う。
センセイがまだ生きていたとして、何かの虫の知らせみたいなものを感じたとして、センセイをライブに誘ったとして、センセイが来てくれたかというと・・・多分来なかっただろうなぁ・・・とか、想う。

センセイが死んじゃったから想うのだろうけど、やっぱり、センセイがまだ生きていたとして、ライブを観に来てくれたとして、ステージの上からセンセイを呼んだりして、一曲だけでもいいから、逆に、一曲だけがいいから、僕の横でマラカスを振ってくれたりしたら、すげぇ楽しかっただろうなぁ・・・とか、想う。


無記名で書き込みがあったのだけれど、こんな風に。

「昭和くんの情報もっとください」

誰が書いたのか、なんとなく察しはつくのだけれど、誰が書いたのかは不確かなのである。

昭和くんの情報とは、どういう意味なのだろうか。僕とセンセイの想い出をもっと書いてくれという意味なのだろうか。横浜徒歩紀行の想い出話をもっとくれ!ということなのだろうか。きっと違うのだろうね。書き込みの主が誰なのかという、僕の察しが当たっているならば。でも、それもまた不確かなのである。

では、一体何を知りたいのだろう。と、思いを巡らせてみる。彼女は、どんな情報が欲しいのだろう。
センセイが自殺をした日付のことなのだろうか?その方法なのだろうか?その理由なのだろうか?

残念ながら、僕は、何も知らない。僕が知っていることは、全部書いた。
僕が知っていることは、センセイが五月に自ら命を絶った、サヨナラも言わずに。ということだけ。
それは確かなことなのか?と聞かれても、僕には答えられない。

先月、センセイが通っていた教会で、センセイのお別れ会が執り行われたそうだ。その時の写真が送られてきたので、それを一枚。


そういえば、北海道に北根室ランチウェイというのがあるそうだ。
総距離70キロを超える、歩くためだけに作られた一本道があるそうだ。
次に北海道へ旅をする時は、その道を歩いてみようと想う。
センセイと一緒に歩いた距離よりも、だいぶ長い距離である。
一人ぼっちで脚が痛くなっても、肩を貸して支えてくれるセンセイはいないのである。

僕はこれからも、そんな風に、センセイと共に、生きていくのである。
みんなにも、そんな風に、センセイと共に、生きていって欲しいのである。

ビートルズにはブライアンエプスタイン、シングには・・・?

2015-08-21 03:10:35 | Weblog
11月のライブをあきらめ、年が明けて3月のライブもあきらめ、新年度の4月を迎え、「あぁ、おれって、このまま復活ライブなんてしないまま、布団の中で息絶えるのかもしれないなぁ、あぁ」などと想っていた4月の終わり頃。

それまでも、メールは何通も頂いていた。「ライブやらないんですか?」「ライブやらないの?」「ライブ、いつやるの?」とかね。
そんなメールをもらうたびに、僕は心の中でこう答えていた。「あぁ、やるやる、まぁね、やるかなぁ、やるかもね、あぁ、うぅぅ、ふむふむ、うぃ~」とかね。もちろん布団を被りながらね。

そして、とうとう、そのメールはやって来た。

「7/25に、下北沢ラウンでライブやらない?やるならブッキングするよ!」

ここ数年の僕の定番、他力本願マンが布団から抜け出す日がやっと来たというわけである。

前にも書いたが、これもまた「見るに見かねて」というやつだ。

僕は唄を書いていた。それは冬の唄だった。スノーバードという雪の唄だった。
だから、夏真っ盛りの7/25は、ちょっと嫌だなぁと想わないでもなかった。想わないでもなかったが、選択の余地はなかった。

もちろん「やる!」。即答である。暑い夏にスノーバードも、ちょっといいかなぁって、そう想った。


事故に遭う少し前、2014年夏の話。これまたウダウダしていた僕がいたわけで、そこに阿佐ヶ谷ハーネスでのツーマンライブの話を持ってきてくれたのも同じ人物なのである。

僕はもはや、ブッキングマネージャーの存在なしに、ライブは出来ないんじゃないかなぁ。とかね。

優秀なブッキングマネージャー、プラムちゃんに、超×100の感謝なのである。

ではでは、この場を借りて。
「ブッキングマネージャー!次のライブはいつですかぁ!!!?」

とかね。

布団はなんのためにある?

2015-08-20 03:53:38 | Weblog
新潟の南魚沼の少し古ぼけた病院のベッドの上。
僕は大した怪我をして、ベッドの上で寝ていたわけなんだけど・・・それは去年の夏の終わりの話。

僕の声はとても小さかった。何かを伝えようと一生懸命に話すのだけれど、僕の声はとても小さかった。それは、片方の肺が潰れかけていたせいなのだと思う。

僕は大した怪我をして入院していたわけなんだけど、入院してから十日目、手術が終わって三日経った頃くらいに、やっとヨタヨタと歩けるようになった頃くらいに、こう想っていた。
「・・・ライブがやりたい」

「11月頃かなぁ。10月の終わり頃でもいいなぁ・・・。下北沢ラウンのスケジュールは空いているかなぁ?」

最初から決めていました。復活ライブは「下北沢ラウン」で。
どうしてかはわからない。どうしてかはわからないが、僕の頭の中に浮かぶ映像は、下北沢ラウンで歌う僕の映像だった。だから、下北沢ラウンで歌うのだ、と、最初から決めていた。

実際、去年の10月でも11月でも、歌えたと思う。少しフラフラとしながら、少しゼーゼーとしながら、少しフーフーと言いながら、歌えたと想う。
僕が描いていたのはそんな映像で、フラフラ、ゼーゼー、フーフー言いながら、優しく懸命に必死に歌いたかった。というのもある。

その頃は目眩がひどかったから、もしかしたら、ステージの上で目の前がぐるぐると回り始めて、ドテンと倒れてしまったかもしれないのだけれど、そんなギリギリさが、復活ライブ!って感じがしていいなぁと、描いていたっていうのもある。

なんか、そういうのって、バカバカしくてカッコいい。

退院して家へと帰ってきた僕は、下北沢ラウンの吉田さん宛にメールを書いた。
久しぶりの無礼を詫び、大事故に遭った経緯を書き、現状の自分を語り、復活への手助けを頼むという、長文のメールである。

送信ボタンを押す寸前で、ふと想う。
「そもそも、下北沢ラウンのスケジュールは空いているのだろうか?」

下北沢ラウンのスケジュールは、年末までほぼビッシリと埋まっていた。
そりゃあそう、なのである。

僕は、少し恥ずかしくなり、吉田さん宛のメールを送信せずに消し、恥ずかしさのあまり、ベッドに潜って布団を被るのである。

それは多分、事故の後遺症なのである。世界は僕のために動いていると思い込んでいたのである。事故の前にも多々あったことではあるのだが、事故後にひどくなったということなのである。
「あぁ、おれの復活なんて、誰も望んじゃいないんだ・・・、あぁ」と、布団を被るのである。

そこで、三月頃にライブを組めば良かったのである。でも、僕はショックのあまり布団を被ったのである。
その機を逃した僕は、当初の計画から九ヶ月も遅れて、先月7月25日に、下北沢ラウンで復活を遂げた、という話なのである。

ははは。あの時、布団を被らなければ・・・と思わないことはないが、布団は被るためにあるというのも、これまた真理なのである。

ライブハウスの予約は三ヶ月前にね。最低でも二ヶ月前までにね!
これは、まぁ、常識、みたいなものなのである。

お久しぶりです。

2015-08-12 01:21:41 | Weblog
無事ですか?生きてますか?大丈夫ですか?

と、たくさんのメールを頂いてしまった。

僕は生きているし、無事だし、大丈夫なんだけど。
マグナちゃん亡きあと、現在の僕の唯一の相棒のジムニーちゃんは、半死半生なのである。

半死半生のまま、1500キロもの距離を走らされたジムニーちゃんは、たぶん、この世界で、最も可哀想な車なのである。

1500キロも走れるなら半死半生じゃないじゃん!と言われる向きもあるのかもしれないが、間違いなく、半死半生なのである。なぜなら、ジムニーちゃんには一速と二速のギアが無いのである。無いのであるというか、なくなっちゃったのである。
まぁ、アイルトンセナは、六速だけで走って母国グランプリを勝ったこともあるわけだから、一速と二速がなくなったって、三速と四速と五速があるじゃないかって話なんだけど、一速と二速が無いと、車ってのは発進が出来ないのである。いや、出来ないことはない。でも、大変。

まぁ、そんな話はどうでもいい。

そんなわけで、遠くへ出かけて、帰ってきたわけなのである。その間、ブログをたーくさん書くつもりではいたのだけれど、なかなかどーして、バタバタとしてしまい、もういいやと、投げ遣りな気持ちになったりもして、まったくもってして、プロのブロガーとして失格の烙印を押されまくっている僕なのであります。

で、何を書けばいいんだっけかなぁ?
世の皆様方は、お盆休み的なものに突入する頃じゃないですか?
いかがお過ごしなんですかねぇ?
友達の永岡君は、札幌にいるそうですよ。
こでらーまんは、雨の北海道を走っているみたいです。

僕は、六年ぶりに、お盆のこの頃、何もせずに家にいるのです。魚釣りもせずに。魚釣りもせずに。魚釣りもせずに。

で、何を書けばいいんだっけかなぁ?

あっ、ライブのこと!
ライブのことを書きましょう。

あぁ、もう遥か昔のことのようだなぁ。懐かしいなぁ。ソロライブ。楽しかったなぁ、ソロライブ。

じゃあ、またね。