ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

熊野の由来

2010-04-21 06:22:30 | 2010春紀伊半島ツーリング~旅日記
クマとは「奥まった処」「隠れたる処」の意味があり、そこは「上座」であり「聖」なる地と位置づけられる。
「クマ」と「カミ」は同じ意味があり、「クマノ」は「カミの野」で神々の住む場所。そんな意味になる。

神倭伊波礼毘古命(かみやまといわれびこ)は、九州からこの地に上陸し、神の使い「八咫烏』(やたがらす)の案内で大和の地(宇陀)に着き、神武天皇となる。その時に那智の瀧を大己貴命の御霊代として祀られたのが那智山信仰の起こり。約1860年前に、仁徳天皇がこの地に社殿を建立したと伝えられている。

わかりやすく言うと、神武天皇が熊野灘から那智の海岸に上陸した時、那智の山に光が輝くのをみて、大瀧をさぐり当て、その瀧を神とし祀り、その御守護のもとに、八咫烏の導きによって無事大和へ入ることが出来た。という話。

これは古事記や日本書紀に出て来る話。伝説として扱われることが多い話だが、あながちそうでもないという説・・・つまり、九州で起こった大和朝廷が東に上って来る時の話を、神話調にまとめたのではないか?とも考えられているらしい。


日本の初代天皇「神武天皇」が、神として祀った瀧、何千年前からずっと、滝自体が神様であると信じられている場所。
それが、南紀勝浦、那智山の奥深くにある那智大社と那智の大滝。



まずは那智大社へ向かう。参道は五百段近い階段。桜を見ながらのんびりと登る。大きな鳥居が現れる。そしてまた階段。
参道の途中には、かつて上皇たちが熊野詣での際の宿として使った建物もあったりする。







息を切らしながら、最後の大鳥居をくぐる。息を切らすのが好きなわけではないが、息を切らした分、ありがたみが湧いて来る・・・朱塗りのこじんまりとした神社、那智大社に到着。

樹齢850年の大楠。平重盛が熊野詣での際に手植したと伝えられている。大人七人が手を回しても抱えきれないほどの太さの大木。
諸行無常の平家物語。ほんの一瞬しか現世を謳歌できずに滅んだ、平家一門の魂が込められているとかいないとか・・・。



幹の根元には人が入れる洞がある。500円払えば入れる。いい事があるようだ。500円分の願い事が思いつかなかったので、やめておいた。



この神社の御神体は「大瀧」。つまり、ある意味、この神社自体も参道のようなものなのかもしれない。そんなことを想いながら、門を出るのであった。

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