老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

「辞書的な戦闘」と「法的な戦闘行為」とはどう違うの?

2017年02月10日 20時06分12秒 | 政治・経済・環境・核兵器など
 国会での大臣からの返答には、思わず噴き出したくなるこじつけや珍回答が多々ありますが、今回の稲田防衛大臣の「戦闘」に関する発言などは、その最たるものの一つでしょう。

 南スーダンにPKO(国連平和維持活動)に派遣されていた陸上自衛隊の昨年度の日報を巡っての国会での質疑応答の中のやりとりですが、
日報の中で「戦闘が生起」と記述されているにも拘わらず、安倍総理の秘蔵っ子と言われている稲田大臣は“法的な意味での戦闘行為ではない。武力衝突だ”と説明されました。

・デジタル大辞典では戦闘とは、「兵力を用いて敵に対し、攻撃・防御などの行動をとること」とされており、単なる素人ではなく戦闘訓練を積んでいる自衛隊員が日報に記載している以上は“戦闘”と判断される状況があったことは疑いないでしょう。

・これに対して、稲田大臣は“一般的な辞書的な意味で戦闘という言葉を使ったと推測している。確かに武器を使って殺傷したり物を壊したりする行為があったかも知れないが、法的な意味での戦闘行為ではない。単なる武力衝突だ”と発言されたようです。
このような発言をされる以上は、「辞書的な戦闘」と「法的な戦闘」の区別を明確に説明するべきでしょうし、武力衝突と戦闘との区別についても同様です。

・昨年秋の「駆けつけ警護」承認と南スーダンへの部隊派遣に際して、“戦闘行為のある地域には派遣しない”という規定を睨んでのこじつけでしかなく、現場の責任者が日報という書類で記述した事実判断を、その現場に居なかった政治家が政治的な判断で勝手に捻じ曲げているだけでしょう。

 この報道を見て、戦時中に“撤退”を“転進”と言い換えて国民を欺いた事実に重なる思いを感じたのは私だけでないでしょう。

 以前にも書いたと思いますが、政治家や弁護士などが憲法や法律を勝手な解釈で捻じ曲げることはおかしさの極みです。

 憲法や法律は、我が国の義務教育となっている中学卒業の学力で、ごく素直に理解できる解釈できることが本来の真意でしょう。(まさ)