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自縄自縛日記

金達寿『わがアリランの歌』

2013-06-22 06:59:30 | 韓国・朝鮮

金達寿『わがアリランの歌』(中公新書、1977年)を読む。

金達寿(キム・ダルス)氏は、在日コリアン文学の嚆矢のひとりである。嚆矢ということは、おそらくは、直接的にも、間接的にも、「在日」たることを強いられたことを意味する。

本書は氏の自伝であり、ここに書かれた体験は、まさにそのために負わなければならなかった労苦の数々だ。日本により併合された韓国にあって、生家は土地を奪われ、自暴自棄になった父親がさらに土地を売った。困窮のあまりに両親と兄は日本へ出稼ぎに渡り、氏は祖母のもとに残されてしまう。10歳になり、自分自身も日本へ。そこではさらに貧困に苦しみ、廃棄物の仕事で糊口をしのぎながら、文学に夢中になっていく。

そして差別と暴力。文学と民族主義に目覚めたのは、これらの理不尽に対峙しなければならなかったからでもあるだろう。

本書を読んではじめて知ったことだが、著者と、金史良(キム・サリャン)とは、終戦までの何年間か親密な交際を続け、お互いに影響を与えていた。1940年に芥川賞候補となり、戦後平壌に帰郷、朝鮮戦争に参加して消息を絶った作家である。著者が書くことからわかったことは、金史良の作品に登場する奇怪な人物たちは、抑圧されている状況において、そうしなければ自民族を表現できないというせめぎ合いの中で生まれたものでもあったのだ。

著者はやがて神奈川新聞に入社し、日本人女性と恋愛をするも民族間の壁を意識して絶望、京城(ソウル)に渡って、京城新聞社に入る。地方紙よりも(中国新聞や河北新報といった地方の新聞に比べ、変に関東に近い新聞のほうが競争力がなくてダメだったという指摘は面白い)、部数の多い新聞のほうが立派に見えるというだけの理由だった。しかし、著者は、そこが朝鮮総督府の御用新聞を出すところだと気付き、屈辱にまみれる。故郷を支配する国の一大勢力、その中でさらにまた差別に苦しむという場所に立っていたわけである。

このあたりのエピソードは、のちの長編『玄界灘』(1953年)に、かなり直接的に生かされていることがわかる。如何に苛烈な体験であったか。それは噴き出す場所を求めるほどの鬱屈であったということだ。

●参照
金達寿『玄界灘』
青空文庫の金史良


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