詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ルネ・クレマン監督「禁じられた遊び」(★★)

2011-03-21 16:24:02 | 午前十時の映画祭
監督 ルネ・クレマン 出演 ブリジット・フォッセー、ジョルジュ・プージュリー

 私はこの映画がそんなに好きではない。子供の描き方が気に食わない。無垢と無知は違ったものだが、この映画ではそれが混同されているように思う。
 幼い少女は「死」について無知である。そこから「無垢」な「遊び」が始まる。この前提が私には奇妙なものに思える。死について何も知らなくても、実際に体験するとそこからなにごとかを感じてしまう本能が人間にある。両親が死んだとき、ポレットは母の頬に手を触れ、自分の頬の感じと違うことを知る。(そんなに早く、体温が奪われているとは思わないけれど。)この、肉体を通して知った「事実」というものは重いものである。それがこの映画の中では丁寧に取り扱われていない。
 少女は死んだ犬のことを気にしているが、その前に母の頬に触り、その異変を知っているのだから、母を置き去りにして犬を気にするというのはあまりにも変である。その直前の、犬を追い掛けるシーンは、まだ母が生きているからありうるが、母に異変があったと知って、それも肉体で確かめた後、それでも母を見捨て犬を追い掛けるとしたら、これは「無知」というより感じる力をなくしている。
人間の感覚を狂わせてしまうのが戦争であるという見方もあるだろうけれど、そうならそうで、感覚の狂いをもっと丁寧に描くべきだろう。あまりにもご都合主義的な展開である。
この映画では、ポレットとミシェルの「泣かせるストーリー」よりも、ミシェルの家と隣の家のいがみ合いがとてもおもしろい。戦争の最中に、隣人同士がいがみあっている。そのくせ、その家の娘と息子は恋愛関係にあり、フランスだから(?)もちろんセックスもする。この日常感覚が、あ、やっぱりフランス、あくまで「個人のわがまま」を最優先する、というのがいいなあ。両家に、脱走兵がいる、というのも人間っぽくていい。わがままでいい。ミシェルの兄が馬に蹴られて、それが原因で死ぬという「日常」もいいなあ。田舎の「日常」がくっきり描かれているのが、とてもいい。
こういう丁寧な日常を描くくせして、ポレットとミシェルだけが「メルヘン」の残酷さと美しさを生きるというのは、あまりにも変だねえ。
最後の駅のシーン。悲しいというより、フランスの「個人主義」がくっきり出ていて、それもいいんだけれどねえ。



最近「白いリボン」をみた影響かもしれない。厳しい評価になった。
(「午前10時の映画祭」青シリーズ7本目、天神東宝、03月19日)


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ファーストトレーディング

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