The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

思想や宗教の自由を否定するコミュニスト政党は民主主義国には不要

2017-02-21 06:34:25 | Weblog
国会議員は数千万の賃金をもらって日本国および日本国民の生命と財産を守るための政治を実行する。だが、日本国憲法で保障されている思想や宗教の自由を否定する共産党は日本国民の意思とは反するコミュニスト政党だ。昨今話題の私立小学校の土地取得についても、検察なみにあれこれ国会で追求している。確固たる証拠すらないのにだ。むしろ、違法というのなら、何故、裁判で争わないのだろうか、という疑問がある。そもそもあれだけの国会議員を裁判よろしく全員が参加して、確固たる証拠もない審議をすることこそ、税金の無駄。一体、目的は何だろうか。それとも国会議員および政党は訴訟することはできないのか?そんな法律があるのなら、それは問題だ。

さて、もっともおかしいのは、神道の小学校といいながら、授業中にのりとをあげることもせず、単なる教育の一貫として、教育勅語などを取り入れているだけだ。おまけに君が代は日本国の国歌であり、これを否定する政党など、とてもじゃないが日本国の政党とは思えない。そもそも国会議事堂に国旗と国歌があって当然なのだから、それを否定する政党こそ、問題だ、と指摘できないメディアこそ、中立とは言い難い。ついでに言わせてもらえば、天皇は神ではなく、単なる祭祀。天皇は神の子孫というのなら、神の力を持っているわけで、先の戦争だって負けるはずもない。だから神じゃないとご本人が認めたのは当然だ。それを宗教すら否定するような政党が今更、天皇は神なんて、時代錯誤も甚だしい。こうやって宗教についてもフェイクされていくのだろう、と強く憤りを感じる。

神道は、世界の三大宗教のように人間に優しくはない。今風に言うなら、自然ファーストだろう。その中に人間がいる。この概念は他宗教とは大きく違う部分だ。なにせ人間が死んだらあの世で幸福になんてなれないのだから。本はひとつの御霊で、それが別れて人の魂となる。死んだら本の御霊に戻る。修行とかそういった類もない。日々の生活こそが、神なる自然と大きく関わる。そういえば、どこかのタレントだかが、日本万歳みたいな番組で「四季があって凄い。」とヤラセを言わされるとあった。日本の四季は気象から見れば、他国と同じような変化だが、日本文化としての四季は違う。そこには日々の生活がいかに神々と関わるのかが重要だ。農耕民族ゆえに、作物の種蒔き、収穫を暦にたよる。行事にしても同じ。もっとも面白いのが神無月という表現が、出雲では神在月になることだ。花鳥風月をはじめ、雨風雷雪があってこそ、生まれた数々の日本文化。別に外国人にわかる必要はない。日本文化それぞれに魅入られて、学ぶ外国人なら理解できるからだ。

日本国民がやるべきことは、世の中を煽動し、不安をより濃く万永しようとする集団、組織などに惑わされないことだ。雪がとけ、梅が先、やがて桜が開花する。これだけのために、四季がある、と誰だかが歌ってた。どんなに派手が色、形や音だとしても、桜が開花するまでの春の訪れこそ、多くの日本人が美と感じる点だ。四季おりおりの色、形や音があり、そこから生まれた和歌、文楽、能。多種多様性による文化とはこういったことだ。決してどこかの外国から文化を押し売りされることではない。

最後にコミュニストとは、独裁者による恐怖政治以上におそろしい未来を実現したいという人たちだ。これを忘れてはいけない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする