できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

今日(9月17日)のプリキュアの話です。

2017-09-17 09:38:11 | プリキュア話

おはようございます。日曜日の朝なんで、いつもどおりプリキュアの話から。

今週から新アイテム「キラキラルクリーマー」が登場するので、今週のプリキュアは「どうして、こういうアイテムが生まれたの?」という説明が中心ですね。

まあ、「お子さまとその保護者たちにいかにアイテムをモデルにしたおもちゃを売り込むか?」という意味では、「プリキュア自体がおもちゃ産業の大きなCMだ~」なんていう話(=このことは、いつもメディア・リテラシー論関係の授業とかで私、学生に伝えてますけど)からすれば、当然といえば当然ですね。

ただ、ここに例のプリキュアの結晶の変化の話がからんで、その説明内容がとっても深いんで、お子さまたちに理解できたのかどうか・・・。

でも、このおとなが納得するくらいの深い話がないと、プリキュアはお子さまとともにおとなが見るアニメにならない。おとなの鑑賞にたえる部分がないと、「プリキュア自体がおもちゃ産業の大きなCMだ~」なんていう話も成立しませんからね。なにしろ、お子さまにプリキュア関連のおもちゃ買い与えているのは、おとなたちですから。

ひとまず、ここらあたりで余談はおいといて、まず、大きな今回の物語の流れを説明しますと・・・。次のとおりです。

(1)プリキュアたちが自分たちの持っていた結晶のかたちの変化に疑問を抱き、古のプリキュアのいるいちご山のある場所に行く。

(2)そこに、今までプリキュアとたたかってきた敵・ビブリーが「最後のたたかい」を挑みにやってくる。これをプリキュアが退治しようとしても、ビブリーも相当な闇の力に染まっていて、手が出せない。そこで、古のプリキュアの力を借りるために、プリキュアたちは昔のいちご坂の町に行く。

(3)昔のいちご坂の町では、古のプリキュア・ルミエルが、闇の力を操る強敵・ノワールとひとりでたたかっている。いちご坂の町全体が闇に染まっているなか、ルミエルのパティスリーに逃げ込んだ町民だけが、ルミエルのつくるスイーツをたべて、闇の力に染まらずに居る。

(4)プリキュアたちはそのパティスリーで、ルミエルのスイーツづくりを手伝う。そのなかで、プリキュアたちの結晶がひとつひとつ、ちがった光を放つことにルミエルは気づく。

(5)一方、ビブリーはその昔のいちご坂の町が、かつて自分がひとりぼっちにされた町だということに気付く。また、その闇の力に染まった町をつくったのがノワールだと気付き、自分がノワールに騙されつづけてきたことがようやくわかる。

(6)そして、そのことをプリキュアたちに伝えようと入るがルミエルのパティスリーに来たとき、ノワールの攻撃がはじまる。ノワールの攻撃を「昔を守るのは自分」「みんなが守るのは未来」といって、ルミエル一人で守ろうとする。ルミエルはそのとき、未来を託すという。

(7)今のいちご山にもどってきたプリキュアたちは、同じようにもどってきたビブリーのさみしい心を解きほぐし、再び闇の力に染まらないように声をかける。しかしビブリーが大事にしていた人形・イルにこめられた闇の力が、再びビブリーを闇の力に染め上げ、そのなかに閉じ込めてしまう。

(8)闇の力が支配する人形・イルのなかに閉じ込められたビブリーは、そこから助けてほしいと声を発する。その声を聴いたプリキュアは、自分たちひとりひとりの個性の結晶と、ルミエルから渡されたクリーマーをつかって、新たにキラキラルクリーマーを生みだし、その力でビブリーを救い出す。

まあ、ざっと、こんな物語の展開ですね、今日は。

それで「今回もプリキュア、深いなあ・・・」と思ったのが、次のような点でしょうか。

(A)まず、毎年そうなのですが、プリキュアの世界に「根っからの悪人」というのは、敵の大ボス以外には存在しない。むしろ、その大ボスの手下になっている存在は、「何らかの事情があってそうならざるをえなかった」ので、プリキュアが「救い出す対象」になるんですよね(場合によれば、その大ボスですら「救い出す対象」になりかねなかったりするわけですが・・・)。

今回のビブリーが、まさにその代表的な存在。そしておそらく、プリキュアたちに救い出されたビブリーは、来週以降、なんらかの形で「更生」の物語を歩むことになると思います。ついでにいうと、過去のプリキュアのなかには、その「更生」の物語のなかで、自分自身もプリキュアになったというケースもあります(キュアパッション、キュアビート、キュアスカーレットがそれ)。

(B)一方、今回の古のプリキュア・ルミエルがそうですが、プリキュアにとってのたたかいとは、「みんなが喜んでスイーツをたべて、にこにこ笑って居られる」ような、そういう日常生活を取り戻すこと、そのものです。

プリキュアたちは別に、この世から邪悪なものをすべて取り除くとか、そこまで大それたことは考えてません。それよりも、まずは、自分の身近にいる大事な誰かが笑っていてほしい。そのために、いま、自分にできることをやりつづけること、それ自体がたたかいなんだ、ということ。そういう考え方が今回、ルミエルのことばで示されています。

と同時に、人々が闇の力に支配されて狂暴化してしまうのは、そういう「みんなが喜んでスイーツを食べて、にこにこ笑って居られる」時間や空間、仲間関係が守られていない時。あるいは「ひとりぼっちでいるとき」なんだ、ということも、今回描かれていますね。

だから、プリキュアたちがビブリーを「ひとりぼっちにしない」と決めて、闇の力に染まった人形・イルのなかから救い出そうとする・・・ということになるわけですね、はい。

「プリキュア」の「キュア」はまさに、英語で「治す・癒す」という意味をもつことばのキュアです。だから、プリキュアたちは闇の力に染まった人々を治し、癒し、救済する。また、人々を闇の力に染まらないように、常に光あふれる日常生活を創り出そうとする。そういう存在だということになりますね。

(C)その一方で「光があるから、影がある」ということも、プリキュアの世界では大事にされていますね。次週の予告編を見る限りですが、プリキュアたちの大事にするきらきら輝いたスイーツの世界があるから、同時に影や闇の部分もあるということ、それを闇の力の支配から解き放たれたビブリーが、プリキュアたちに伝えようとしているようです。

ということで、今週のプリキュアの「解説」でした。

あ、来月末公開の劇場版映画のCMもいよいよ、流れ始めました。劇場版映画の始まる頃に、次年度のプリキュアの商標登録ができていれば・・・。来年も「放送あり」ですね。


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