和銅の道③丁石巡り 「高倉神社」から「炭窯と司馬遼太郎」碑へ

2022-01-22 14:51:42 | 和銅の道補陀洛寺跡丁石巡り
番屋の辻・芭蕉句碑」を後にしてどんどん進みます。
丁度、「高倉神社 一の鳥居」が見える辺りに
九丁石
  
お坊さんが「大日堂」への案内をしてくれてます、今回はパス。

始めて通る道なのでちょっとおさらいをすると

地図的にはこんな感じで進んでいます。
「ケヤキの大木」横の鳥居をくぐると
 「國史見在郷社」碑
この先を川の方に降り「明神橋」を渡る(本来この道が「参道」です)と、
いよいよ…到着です。
高倉神社】(祭神:高倉下タカクラジ)
ここで「神話」より「高倉下」ってどんな人?
 ※高倉下:神武天皇東征中の最大の危機を救った熊野の土豪
 『古事記』『日本書紀』に登場する。
 それによれば、神武天皇は、紀伊に迂回して大和を目指すが、
 途中、熊野の村で大きな熊の毒気によって兵士たちともども気絶してしまう。
 このとき高倉下が天皇に大刀を献上し、目を覚ました天皇はその大刀で荒ぶる神の邪気を払った。
 高倉下がいうには,「夢に、武甕雷神(タケミカヅキノカミ)が天照大神の命を受けて、
 下界の平定を手助けするために大刀を下すというお告げがあり、
 翌朝、を見ると夢の通りに大刀があった」という。
 高倉下というのはこれによるが、クラジは倉主の意ともいわれる。
 その大刀は石上神宮(イソノカミジンジャ天理市)に収められた。≫(コトバンク:朝日日本歴史人物事典より)

さて、ここで伊賀と熊野の関係も分かったことで「縁」を感じます。

--- この場所で、ワタシの個人的な「縁」を見つけました(笑)、
 「富士正宗」(平和酒造)
家人の家は元々酒蔵があり、酒造りをしていました、
やがて数軒合同で「平和酒造」を起こし、美味しい「富士正宗」というお酒を造っていました。
今は酒蔵そのものもないし、酒造りもしていません、
でも懐かしいその「樽」を見つけて、ちょっとホロっときてました…
余談でした。 ---

   
「高倉神社拝殿扁額」「八幡社」「本殿と春日社」
(もう少しきちんと撮りたかったです
朱塗りが美しく、「檜皮葺屋根」、「擬宝珠付き高欄」を持つ、
彫刻や彩色には「桃山時代」の特色が表れています。
本殿・八幡社・春日社の三社すべて「国重要無形文化財」。

ここで、下記ブログ御参考に
dawnさんのブログをリンクさせていただきます「倉庫・運輸の神を祀る
(拙い当ブログ「高倉神社」)

 伊賀コリドールロード横断要注意
再び宮谷川沿いに旧道を進むと、
八丁石

昭和29年に拾得された石碑なので「国指定」から洩れています。

次に、「獣害対策用柵」の向こうに
七丁石
 

そして、ここに司馬遼太郎さんの紀行文集「街道をゆく」に登場している炭焼き窯跡、
「炭窯と司馬遼太郎」説明版。
 

炭窯の隣は「高倉区配水池(タンク)」があり、
旧道とコリドールの交差する辺り「大杉谷と大杉谷橋」の説明版。
これは自動車で通った時によく見ていましたが、
いつもは素通りなので、今回はじっくり読みました(笑)…
 
そのまままだまだ旧道を進みます。

ではまた続きます…
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「和銅の道」②  補陀洛寺(フダラクジ)への町(丁)石を追う

2022-01-21 15:39:24 | 和銅の道補陀洛寺跡丁石巡り
前回のウォーキングマップのA地点辺りから歩きます。
  
(本通りと裏道っぽいその中間地点になります)

A:「廃補陀洛寺町石(国指定)」(三重県文化財データベースより)
史跡補陀洛寺町石碑】があり、そこを曲がると【十五丁石】があります。
『碑』には「町」と彫られていますが、「石」にはこの字なので、
ちょっと悩ましいのですが、こちらの字で統一することにします。
  
 ≪伊賀市の高倉神社から約800m上(西高倉字水上)に、
 鎌倉時代である建長年間(約710年前)に、補陀落寺が建てられました。
 この門前から、一町(約109m)ごとに石が置かれ、
 道しるべとして立てられたのが廃補陀落寺町(丁)石
である。
 信者たちが建てたもので、現在十基が残っています。
 自然石の表には、梵字や寺からの距離、それに寄進者名などが彫られています。
 自然石を用いた町石では、在銘最古の町石として広く知られています≫

また、10基のうち「国指定」は8基、市指定は2基、復元町石1基です。
それを順に追いかけます…
 「和銅の道」案内碑
そのまま北進すると、
 「高倉神社」&「和銅の道」石碑
ここを「右」へ進むと、
「十四」がなくて(多分、水害時に流されたかもしれない…と)
十三丁石
 

十二丁石
 
振り返るとこんな感じ…


すぐに、三差路っぽいところに来ます、
ここは【番屋の辻
  石仏さまたくさんおられます
 ≪奈良街道の四ツ辻で、田水を配る水分神の依る処である。
 五月より八月まで毎夜 水番 が交代で出役した場所なので
 「番屋の辻」と呼ばれるようにな った。
 子どもの作った燈灯がヨノミの木に掛けられ、
 夜十時頃まで子供の声がしきりに聞こえて夏の夜の風物詩になっている。≫

昔の風景が蘇るような場所です、その前には

芭蕉句
『しぐるるや 田のあらかぶの 黒む程』
 ≪元禄三年(1690)冬の作。季語は「時雨」。伊賀上野の実家へ帰る道中の吟。≫
 ≪句意:山道沿いの田圃に点々と居並ぶまだ新しい稲の刈り株が、
 折しも回り来たった潔い時雨にぬれて、みるみる黒ずんだ濡れ色に変ってゆく。
 こういう時雨が、通り過ぎていくたびに伊賀の冬は深まっていく≫

ここを過ぎるともうすぐ「高倉神社」です。
 
鳥居の横にはケヤキの巨樹、圧倒されました。
が、実はワタシはここからお参りするのは初めてでした、
いつも県道沿いに「西山」への入り口から行っていたので…
でも、この鳥居が「一の鳥居」だと思います、正式参拝です(笑)。

ではつづく
十一丁石、十丁石はありません
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今日は「大寒」、お堀も凍る寒さです…

2022-01-20 18:20:53 | 花や風景など
降ったりやんだりの雪で、ほぼ一日籠ってました。
このままでは体がなまる、
意を決して(たまたま所用があったので)、上野公園の周りでも歩こうと…

いつも楽しそうに泳いでる水鳥さん一家も姿が見えない、と思ったら、
「お堀」は凍ってました、全面ではないけれどほぼ2/3ほど。
久しぶりに凍った堀を見たような気がします…

 

 ちょっと暗いです
いつもならゆらゆら揺れている水面ですが、さすが「大寒!」と妙に納得してました(笑)。

本日2本目になりました…
寒さに負けるな!と気合を入れるも、
伊賀の底冷えはたまりません
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一人では勇気が出なかった…「和銅の道」ハイキングコース①、行ってみた

2022-01-20 14:49:21 | 和銅の道補陀洛寺跡丁石巡り
グループ行動の仲間に入れていただいたから歩けた、ということです。
一人で行けばきっと迷子になるか、途中であきらめてしまうかもと思っていました。
ワタシにしては、大変珍しいというかほぼ初体験みたいなもんで、
説明してもらいながらみんなでワイワイと楽しく歩くことが出来ました

どんな道かというと、
和銅の道ハイキングコース地図

旧上野市時代、市役所の健康福祉部健康推進課が中心となって
 「健康21事業」の一環として【健康の道コース ウォーキングマップ】が作成されました。
*①「和銅の道」はいくつかのコースがあるその中の一つです。
 和銅4年(711年)、藤原京からの平城遷都に伴い、
 東海道への官用の通信連絡のため現在の京都府加茂から
 笠置、島ケ原、上野へと通じる道のこと。

*②伊賀市になって「伊賀上野観光協会HPの『和銅の道』島ケ原編」の説明では---
 ≪和銅三年(710)、藤原京から平城遷都に伴い、東海道に対する官用の通信連絡のため、
 岡田駅(今の京都府相楽郡加茂町舟屋あたり)から、笠置町、南山城村押原を経て
 島ヶ原奥村、大道、中矢、伊賀市西山、新家駅(にいのみのうまや)(今の伊賀市東高倉字官者付近)に至る道路が開設され、
 「和銅の道」と称される。≫
こちらはちょっと長い行程です。

※参考:「古代の道について」(asahi-netより)

上記マップの中の北西部分(左端)のコースを歩きましたが、
ここは「お斎峠から多羅尾」「諏訪・音羽方面」「信楽方面」へ行くときに
よく通る道(🚙)で、まさかここを歩いて通るなんてことは想定外でした。
ただよく見る看板があり、これってこんなことが書いてあったのね…とビックリ。
地味な道だけど歩けばなかなか面白いし、歴史ある道だということがよくわかりました。

そんな様子をボチボチと綴ります。
今日は、マップのみ(笑)。

ではまた
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「川上ダム」、ここまで溜まった…「試験湛水」途中。

2022-01-19 15:21:51 | ダム(おもに川上ダム)
川上ダム試験湛水」の様子(川上ダムtwitterより)


 2021/11/14の様子
(試験湛水前見学会にて)
このtwitterでは、ダムに水が貯まっていく様子がリアルタイムで見れます、とのこと。
久しぶりのダム!
水が貯まってくると…ダムらしく見えてきますよねぇ、近くで見たい、
この目で確かめたい。

ここまで書いたのは昨日のこと。
エライコッチャ見に行かなくちゃ…と、本日青山方面に向かいました、
1/19 10時56分…
その途中、この電車のお尻部分(最後尾車両)が撮れました。
(前後確認して一瞬の間に)

近鉄カラーがより綺麗に鮮やかに見えました…
特急ひのとり 公式プロモーションムービー

さて、「川上ダム湛水状況」はどこで見られるのか?
グルっとダム周回路(高尾方面への道)の途中でチラっと
 

その先、やっぱりいつもの場所で
  

昨年の12月頃の様子から見ると、水はどんどん溜まってる感じ。
  
一番(右)写真は、湖面に沈む何かの装置(おそらく「ばっ気装置」)だと思ってましたが…
※参考:「高山ダム謎の渦」(blog)

この場所の近くには

記念碑?なども整えられており、「見晴らし広場」が出来るかもしれませんね…

川上ダムLIVEカメラ」(時間外は写りません)

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三重の城郭めぐり №5-⑥「松坂城跡」二ノ丸、遠見櫓跡、そして観光トイレは最重要。

2022-01-18 20:52:05 | 三重の城郭めぐり
「本丸上段」から「中御門跡」を何度も曲がるその途中、
上を見上げれば「太鼓櫓跡」。
登ってどんな風景になるのか?上から見てみたいと思いました…
  
これは、攻め入ったところで「矢」なり「鉄砲」で攻撃される!
「本丸」には簡単には入らせないぞ!と。

途中にある「史跡本居宣長旧邸」(有料施設)の門を見て、(後世に移築されたものらしい)
 
裏門跡」(【№5-①】のココ)に出ます。

前を見れば「御城番屋敷」入口「松阪まちあるきマップ」
 
ここは、宿題として残しておきます(笑)。

「裏門跡」を出て左側にこの「観光トイレ
これは  「二ノ丸」の下です、是非忘れずに行ってください。

行きたくなるトイレ」は重要選択肢の一つですので(笑)。

さぁ、滞在時間が長いということは書くことも多くなっちゃって、
端的にまとめられない自分が情けないですが、
備忘録ということでもう少しだけお付き合いくださいませ

昼食は、「本居宣長ノ宮」横の「本居庵」で…
 
鳥居の下では山茶花満開、自然薯は体にやさし

さて、「隠居丸」という場所に行きたくて入ったところは、
  
埋門(ウズミモン)」から「本居宣長旧宅・鈴屋」・「米蔵跡」など。

その先を進むと「二ノ丸」へ出ます。
ここは松阪市内南から東方面を見渡せる場所になります。
ここには「藤棚」があり、冬の選定作業真っ最中!
 
※明治23年(1890年)愛知県海部郡鍋田村(現・弥富市)から樹齢200年の老藤が移植された、とのこと。
二ノ丸」から東南方面の風景です、
   
見下ろせば、この「石垣」&真下に「トイレ」です。
 

時間も迫り、ぼちぼち帰ろうと「表門跡」「助左衛門御門」の石垣を眺めていたら…
まだ見落としていた「櫓跡」が見えます(不覚であった!)。
  
遠見櫓跡
  

  
無垢な「白い山茶花」に送られて松阪城跡を出ました…

松坂市役所に戻り

何度も曲がるややこしい出入口は「食い違い虎口」というんだって…
↓「最新松坂城平面図」です

より詳しいことは、松阪市HPより「松坂城概要」をどうぞ

平日はここへ止めるのがいいかもです🚙
 「松坂市営駐車場」

「完」
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三重の城郭めぐり №5-⑤「松坂城跡」いよいよ天守閣跡、そして

2022-01-17 14:54:36 | 三重の城郭めぐり
  
本丸下段」から「多聞跡」を見ながら、早く春になればいいなぁ、
梅や桜、ドウダンツツジ等など、折々の季節の風景が楽しみなところです。
天守台の石垣」をグルっと廻るように進みます。
 
「松坂城跡」やっとの「本丸上段」の広場着。
メインステージのような雰囲気であり、まさに市民の憩いの場!
「石垣」見物の方も多いし、ベンチで寛ぐ方も…
陽射しが暖かかったこともあるのでしょう、ほんと絶好の散策日和。

天守台(天守閣跡)」着きました!
  西方の山を望む

  
「天守閣跡」から前の「多聞跡」を眺め、
その横には「敵見櫓跡」です。
お城の真ん中からグルっと敵が来ないか見ていたのでしょうか。
※「松坂城跡天守跡」は、三層の望楼型天守であったが、
 正保元年(1644年)7月29日の大風で倒壊。
 天守台の石垣には、古墳時代の石棺材も積み込んであるそうです。

そうか、ここも風雨にやられましたか、残念、、、

 
「本丸上段の敵見櫓跡」から「本丸下段多聞跡」、その下方にグラウンド

さて、ここから「本丸上段」の「多聞跡」を進むと、「金ノ間櫓跡です。
  
「金ノ間櫓跡」から東方面遠くに海(伊勢湾)…
※「金ノ間櫓跡」は、「本丸上段」東角にあった二層の櫓。
 台所棟と付属舎が付いていたが、17世紀中葉に破損。
下から見るとこんな感じ、横には「鈴」型の石碑?(見間違イダッタラ ゴメンナサイ)
 

 

 (名称入り)
「金ノ間跡」から本丸上段に降り、その広場から写真を撮ったら、
例のごとくgoogleさんが「パノラマ」にしてくれました(笑)。

いよいよ残るは南側「二ノ丸」辺り、あと1回お付き合いください。
ではまだ続いちゃいます…


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三重の城郭めぐり №5-④「松坂城跡」多聞跡、櫓跡を歩く②

2022-01-16 11:50:08 | 三重の城郭めぐり
「松坂城跡」巡りに行って、もう一週間経ってしまいました。
だんだん記憶が薄れていきそうですが、毎日写真を振り返っては、
これは何処の「多聞跡」だっけ、この「櫓跡」はどの方角だったかな?と、
案内図とにらめっこ
見どころが多い上、四方違う景色も楽しめる、
おまけに曲がりくねった出入口を見ていると、
「ここを敵が通ると、U字型やクランク型の上の櫓から攻撃される、
これって一網打尽やな…」というほどの複雑な造りになっています。
そんなんを見てたら登ってみたくなるし…

今回は、できるだけ淡々と進めたいなぁと(笑)。
前回、遠くの「鈴鹿山脈」が見えたところで終わりましたが、
まだその続きの北側の「多聞跡」を歩いています。
外側の真下を覗くと、高くて怖い石垣…
内側は「本丸」「きたい丸」「二ノ丸」など広場になっています。

北東の多聞跡、グラウンドの少年野球の試合を見つつ進みます…
  
野面積みの石垣」を上から見ていますが、迫力満点です。
内側の石垣はこの高さで☟
  
右奥に見えるのは「天守跡」の石垣です。
そのまま多聞跡を歩くと
北東角の「藤見櫓跡」、「民俗資料館」も見えます。
 
ということは…ここで一回りかと思いきやまだまだ…
 ここで「散策マップ

一旦、かなり急な石垣の段を降りて、赤い芽は何かとgoogle lensに尋ねると
   
ドウダンツツジの冬芽」と教えられました(笑)。
「上」へ「下」へと大忙しですが、
次は、「本丸下段鐘ノ櫓跡
 
真下は「助左衛門御門となります。

いよいよ「本丸上段」へ向かいます、やっとです(笑)。
「松坂城」は御城番屋敷のある三ノ丸から、
二ノ丸・本丸下段・本丸上段・天守台と順に登るので、「天守までは遠い」ということです。
ここに来るまでの幾つかの門も複雑な造りなので、なかなか攻め難い城だった…と思われます。

では、やっとこさの天守跡」(天守台)

まだつづきます…
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伊賀の冬「花」手水 その2 旧小田小学校から お隣の 平井神社(小田)へ

2022-01-15 14:05:28 | 神社仏閣など
さて、場所を変えて市内小田地区へ
 「旧小田小学校」と青空
明治14年(1881年)に建てられたもので、現存する小学校校舎としては三重県で最も古い建物
そういえば昭和40年頃?同級生の中に小田小学校から編入してきた人たちが何人かいましたね、
近くて遠かった「隣の小学生」が仲間になりました…

そのお隣に、
「平井神社」(リンクは過去ログより
 
「花手水舎」、季節の花が清い水とともにいつも添えられています、
それを楽しみに時折訪れます
 

 

徒歩で来たので帰り道に「鍵屋の辻の公園」へ

池に映る景色の方が色鮮やか
心洗われる、冬の爽やかな景色、自画自賛(笑)。
 
枯れ木も 池の賑わい 哉…

なんてことを書いていて、昨日(1/14)「お城の公園」に行ったら
 
高旗山は見えませ~ん
でも、ここらは積もらなかったです…

真冬の「透けるような青空」と「山をも隠す雪雲」
ここ2・3日、めっちゃ寒いですね、ご自愛くださいね。

では、また
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伊賀の冬「花」手水 その1 二つの猪田神社と…

2022-01-14 18:14:03 | 神社仏閣など
たまのお参りですけど、行くたびに「凛と」した気持ちになります。
そして、お花がいつも綺麗なのです…

「猪田神社」(下郡)……(リンクは「紫陽花の頃」の様子。)
 
何度伺っても、スッキリと美しい景色を撮ってしまいます、
順序は逆になりましたが、活けられたお花たちをじっくり見たかったので…
 
睦月らしく、綺麗でしょ
やはり「本殿」も見たいです…

この本殿は17世紀初頭の建立のようです。
側壁の装飾がとても鮮やかで美しい…
拝殿横から上がればいつでも拝めるので嬉しい場所です。

田んぼの中の道を少し西へ走ると、ここに出ます。
「猪田神社」(猪田)……(リンクは「近くに二つ、猪田神社」です)
  
以前、お参りした時にはなかったものが増えていました、
「さざれ石」(牛サンノヨウニ 見エルノハ ワタシダケ?)、令和3年正月に設置されてました。
桃山時代の粋を集めた、極彩色の「本殿」(国重文)、楽しみなんですよね…
三重県内で最も古い建物と聞き及んでいます。
  
防災設備もバッチリです。(他にもいろいろ設備はあるんですよ)

「猪田神社 天真名井(アマノマナイ)
  
2020年6月に伺った時は、ちょっと行けなかったんです(鬱蒼さが怖くて )
冬なら大丈夫です、竹林も綺麗だし、新年をお迎えしてるので歩きやすく…
  「天真名井覆屋(アマノマナイオオイヤ)」
竹藪も冬の光に輝いて、通るのが嬉しかったデス(夏とはエライ違いです )。
 
天真名井(アマノマナイ)」とは、
≪この天真名井は神事に使う神聖な聖泉で、
倭姫命(ヤマトヒウメノミコト)が穴穂宮(現・神戸神社)に巡幸された時に掘ったとされる井です。
元旦の早朝、若水取りの神事・御井祭が行われる名井で、伊勢神宮外宮の忍穂井と通じており、
大干ばつにも枯れない井≫だそうです。

元旦に「神事」が行われていたようで、
おかげさまで竹林はスッキリととても通りやすかったです
神聖で心落ち着くいい日です。(2022/1/9訪問)

では「平井神社」へつづきます…

2022/1/19 追記
【猪田神社】(猪田)
『三重のステキな歴史的建造物』という冊子(三重県教育委員会発行)で
猪田神社本殿の修理」というページを見つけました。

これを読んでいて、自分の撮った写真の中にあるかしら?と
探していたら、丁度コレ☟
  2022/1/9撮影
かろうじて見えました(笑)
※戦国時代 大永7年(1527年)の棟札が残っており、
 三重県最古級の建造物のひとつ。

猪田神社の本殿は、すぐ後ろの山裾から見ることことができます、
是非一度行かれてみてはいかがでしょ?
令和元年に修理が終わったばかりなので、ほんとに極彩色は綺麗ですよ
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