【伊賀忍者道場】こんなんやってます!

2022-04-30 13:20:54 | 伊賀忍者回廊巡り
通年「城下町で『忍者修行』ができるといいなぁ」と動き出したようです。
一日おきに天気が変わるので、遠くへは行けないなぁ、という方、
近場でこんなんいかがでしょ?

【伊賀忍者道場】伊賀忍者認定の激レアバッチ(非売品)をGETせよ!!


 表紙

 修行案内

むらい萬香園では「手裏剣」と茶々さんが待ってますよ~
 看板あり!

お問い合わせ先 
 伊賀上野DMO 0595-26-7788
 伊賀市丸之内122-4 http://igaueno.net まで
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続・二つ目の吊り橋渡るとそこは山添、大川(オオコ)遺跡とキャンプ場、そして大川地蔵(魔崖仏)。

2022-04-29 17:12:09 | つれづれ思うまま
二つ目の吊り橋「大川橋」に出会うまでの道中では、
寂れた道ではありますが、自然はがいっぱいでした。
  
「白拍子橋」の傍の満開のヤマフジの下に🚙を停め、
左に山の斜面、右に予野川を見ながら歩きます。
「ギフチョウ」は「伊賀市天然記念物」です、むやみに獲ってはいけません!
 
ツクバネウツギ、ツツジ、フジなど春の彩り、桜は散り初めし…
  
ピンクの道は「 の花びら」 と「大滝峡(オオダイキョウ)入口」。

いよいよ「吊り橋」を渡ります、今度は「」です(笑)。
橋の真ん中から名張川上流と下流湾曲部辺りで予野川と合流します、
  

渡り切って振り返り三重県側と「大滝峡谷」の眺め、素晴らしい
 

さてどこに着いたのか?
当日はこの時まで、まさか渡り切ったところに「キャンプ場」とは想定外でした。
ここへは🚙でしか来れない!と思っていたので…
何かラッキーな気分で、これは連休中の遊び場の下調べになりそうなので、
グルっと一周してみます。
ここからは『大川遺跡カントリーパーク大川』のご紹介
 
駐車場とキャンプの案内(リンクは問合せ先です)

  
橋一つ渡ると、そこは「山添」だったという地理案内と
縄文時代の大川遺跡を公園化
キャンプ、バーベキューなど家族で楽しめます
≫ 
少し見ただけでもなかなかいいところです、休日の込み具合を知らないので
すでに3台ほどキャンプ準備されてましたよ…
 
 
「炊事棟」を通って園内へ入ると、ツツジ満開 

  
縄文時代の「竪穴式住居」が残され、遺跡の案内もあって、ともかく広い
芝生の管理も余念なく綺麗に管理されています。

ここで本来の目的を思い出して、川岸近くの散策路へ出てみることに。
そこからしか例の「摩崖仏」は見られない、とのことなので…
  
真ん中に見える岩かな、良く見える場所もあったのですが、
いかんせん遠い、船で行くか、泳ぐか、
穏やかな流れとは言えそれはムリなことなので、
アップにして撮るしかないかな…ということで撮ってみましたが 精一杯。

再び、振り返りになりますが「白拍子橋」を渡ると、
右に「白拍子滝説明」、左に「大川地蔵説明」がありました。
ここから見える対岸にある巨岩に彫られた「摩崖仏」の説明です、
あの「摩崖仏」の住所は「三重県伊賀市治田(ハッタ)になります、
ワタシが立っているココは、「奈良県山辺郡山添村中峰山(チュウムザン)」
  
「大川地蔵(魔崖仏)」(伊賀市指定文化財)
広報いが(2018/8/1号)より


いよいよ、この場所を後にしますが、
初訪問でしたがすごくいい場所だったなということでご紹介したいと思った次第。
  
お子様向けに「ローラーすべり台」もあります。
 
バーベキューOK。


「室生・比奈知・青蓮寺ダム」から最終「高山ダム」へ、
こうやって守られているんですね。
 ここまで🚙で来れそう…
但し、橋は3tまでです。
向こうにキャンプ場
  
「白拍子橋」通過、「車屋橋」を渡って広い道に出ます。
  

今日は、ほぼ一日雨だったので、ゆっくり書いてましたので、
長くなってしまいました

ではまた

2024/4/19追記
中日新聞朝刊より

幻のギフチョウ、ちゃんと子どもたちが見守ってくれているのかと思うと嬉しい限りです。
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予野川で「白拍子(シラビョウシ)橋」、その先に「大川(オオコ)橋」、ここは県境。

2022-04-28 18:11:02 | つれづれ思うまま
「義経」が伊賀の道を通って「義仲追討」(1184年のこと)、
次の年には、いろいろ事情があったらしく「頼朝が義経を追討」、その時「義経は吉野から京へ」。
どんな道を逃げていたんだろうと、そんなこんなを検索していたら、
伊賀に「白拍子滝」があると知り、それは花垣地区予野川を渡った辺りにあるとか。
再び「伊賀絡み?」、これはもう行くしかないなぁ…

家人に聞くと、
「昔キャンプ場があった、今はもうないけど…
そのキャンプ場へは『吊り橋』を渡って行く。
その近くに『白拍子滝』があった、今は枯れて流れていない」と教えてくれました。
そんな身近なところに「吊り橋」とか「滝」って
おまけに「摩崖仏もあるで、古代遺跡もあるんやで…」
(なんで、今まで教えてくれなかったのか、とは言いません)
すでに「明日行こう!」と計画し、google mapで下調べしていましたので(笑)。

明けて、本日、詳しいことは「花垣地区市民センター」で聞いて、
できることなら「自治協編集の地図」をもらおう。
🚙の駐車できるところ、その先歩けば行けるのか?
いろいろ聞くことあるなぁ、とルンルンお出かけです(笑)。

 
花垣地区住民自治協作成史跡地図。

親切に🚙を止められる場所、二つ「吊り橋」があること(やっぱり)、
名張川と予野川が合流する辺りに「摩崖仏」、対岸からしか見えない。
二つ目の「吊り橋」を渡ると奈良県、そこは山添らしい…
そこにキャンプ場、そこから「摩崖仏は見える」とのこと。

ワクワクしてきました、では先ず教えられた小さな「橋」を渡ります、🚙はOK。
川沿いの細い道を心細く走ること3分くらいかな、
 見えました!
橋の辺り、若干広いのでここに🚙は駐車。
 白拍子を謳った句碑
一つ目の黄色い「吊り橋/白拍子橋(シラビョウシバシ)
 

 
左は名張川へ注ぐ、右側は予野川上流へ(細いけど一級河川らしい)。
渡り切ったら案内がありました、
(もうひとつ「案内板」あったのですが、それは次回へ)

白拍子滝
≪鎌倉時代の初期、源義経が弁慶と共に頼朝の追討を逃れる為
 吉野より京都へ密かに旅する身である夫 義経恋しさに
 静御前(白拍子)は三人の供を連れて 夫義経の跡を訪ね探し求めて
 この清流の滝で身を清め、 水籠して義経の無事と「今一度遭わせ給へ」と
 祈願 したと伝えられる滝である。時は文治二年(1185) と伝えられている。
 静御前にとっては心こめての力強い頼りの滝であったであろう。
   花垣住民自治協議会 平成二十一年 花垣歴史研究会≫

周りの道を少し歩きましたが見つけられなかったのは残念。
気を取り直して、次の吊り橋、歩くこと数分、
  
赤い吊り橋見えました…
振り返ると大きく湾曲した名張川、あの辺りで予野川と合流かな、
この先、月ケ瀬から高山ダムへ流れ、木津川に合流する川です。
目を凝らしてみると何やら大きな岩が見えますが…
さぁ、二つ目「吊り橋/名張川 大川橋」(オオコバシ)
 

今日はここまで、
また明日~
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「余野公園」と「モッコ山」とその伝説。

2022-04-27 18:12:53 | 花や風景など
 
知っているようで何も知らずに、
「ツツジが綺麗に咲き出したらしい」とか、
 
ここには「デゴイチ(D51)があるから子どもたちは喜ぶだろうなぁ」とか、
 
何度も来ている、又は通っている伊賀と滋賀の県境の地。
草津線より北東方面や土山方面へ行くときによく通ります。
 余野公園案内図(パンフレットより)

余野公園(余野公園パンフレットより)
昭和43年(1968) 鈴鹿国定公園特別地域指定。
この公園は明治30年ごろから漸次整えられ、約8ha の面積がある。
園内には根元から多幹状に伸びるアカマツの大木や、
ヤマツツジ・モチツツジ・ミヤコツツジなどに代表される約1万5千本のツツジが
自生または植栽されており関西随一のツツジの名勝地。
 
また園内には前モッコ山・後モッコ山があり山を覆うように咲くツツジは見事です。
また桜をはじめ多数の花や樹木など四季折々が楽しめる自然公園である。
古代から余野公園は周辺の人々にとって「歌垣」の場所だったと云われてきた。
 空は広く、飛行機雲通る

余野公園のある場所は、
100万年前に隆起してできた「油日岳」(アブラヒダケ)を南端とした鈴鹿山脈
その三重県側の麓に位置しています。
 (再掲)
この余野公園から東へ林道を進むと奥余野公園へ。
林道途中には「壬申の乱古戦場跡」があり、
奥余野公園駐車場から鈴鹿山脈最南端の山々への登山ルートがあります。
「ゾロゾロ峠」を通るルートは「源義経木曽義仲追討の道」と言われています。

余野公園」の「巨人伝説/二つの『もっこ山』(余野公園パンフレットより)
(「風土記」 (8世紀) に書かれ、 他の地域にも各種伝説が残っているようです)
余野公園内にはほとんど似た形をした小山が50メートル程隔てて二つ並んでいる。
これが 「巨人伝説」 が伝わる「もっこ山」である。
昔、ダダボーシと呼ばれる無双の巨人がいて、毎日近江の地を掘って「もっこ」 に担い
駿河の地まで運んだが(これが琵琶湖と富士山の由来と云われる)、
最後の日あまり欲張って担ったため途中で休み 「もっこ」の網の目からこぼれたのが
この二つの小山だと云われている。
「もっこ山」の土質は周囲の黒土と異なり、
いかにも他所から運ばれたようであるのが不思議である。

  
写真は、上り道・頂上・下り道の順です…
前モッコ山へのツツジ道、頂上には「碑」が建立されています。
山全体ツツジ一色です。
※伝説とは別に、100万年前に噴火した溶岩や岩石が
 この「モッコ山」だったと思われ、一面に火山性軽石層が出来たのでは…と。
 ツツジ科は酸性の土を好むらしいので、この山の土壌と相性が良かった、とも言われています。

余野公園と松(余野公園パンフレットより)
余野公園の松は、 直幹性多行松で笠松状の樹冠など見事な様相は
近在になく、平成7年3月20日、 市指定天然記念物 (旧伊賀町) に指定。
また「みえの樹木100選『余野公園のアカマツ』」 (平成10年3月、 県農林水産部) にも選定 された。
しかし、当初は50本ほどの大木があったが年々減少。
公園 内では「後もっこ山」にあった松の根っ子を掘り出し、 保存している。
  
3本の松の根っこが絡み合って1本に見える

「モッコ山」、壮大な伝説なので読んでいて楽しいです、夢があります、
原文のまま掲載させていただきます~~
   **********
【モッコ山】のおはなし
むかしむかし、ずーっとむかしのことでした。 まだまだ
日本の国が生まれるか、生まれないかというせとぎわのときでした。
なんでもこのころは 、晴れた日が少なく、雨の日ばかりがつづいていました。
ある日のこと、日本の中ほどに大きな穴をほって、雨の水をためて、
大きな畑を作ってやろうという大男があらわれました。
伊賀の国をひとまたぎするほどの大男で、たいへん力持ちでした。
名をダダポーシといいました。
「ひとつ、日本のまん中に大きな湖をほって、雨の水をたくわえてやるぞ」
といいながらどんどん湖をほりだしました。
みるみるうちに大きな穴があいていきます。
ところがその土をどうしまつするか、はたとやり場にこまってしまいました。
そのとき、駿河の国から、美しいお姫さまがあらわれました。
「ダダボーシさん、ダダボーシさん、いったいこの土をどうしなさるのじゃ」
「うむ、土のやり場にこまっているのじゃ」
「それならば、わたしの国に小さい湖がたくさんあるので、
ひとつうめてくれませんか」
「ようし、 ようし」
とダダボーシは、大きなモッコ (土をいれて運ぶあみ)に土を入れ、
天びんぼうでかついで駿河の国へ運んでいきました。
毎日毎日、モッコで土を運んで行ったので、
駿河の国には大きな山ができあがりました。
駿河の国にできた山が富士の山で、富士山へ土を運ぶ途中、
モッコのあみの目からこぼれ落ちた土のかたまりが、
大きなモッコ山となりました。
また、ほったあなは琵琶湖になりました。

余野公園のモッコ山についての伝説です。とにかくモッコのあみの目からこぼれ落ちた土のかたまりが、あんなに大きな山を作ったのですから、ダダボーシはさぞ大きな男だった のでしょう。
   **********


最後にこの巨樹も「余野公園の歴史」を見守ってきたと思います。
エノキとツツジ。
 

2022/4/26現在、まだまだ蕾は多いです、
これからどんどん咲いてくると思います、是非どうぞ
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ツツジかサツキか、あぁ悩ましい…

2022-04-26 21:46:13 | 花や風景など
  
所用で出かけた先で、木に絡むヤマフジを見つけ、
さぁ右巻きか左巻きか? そんなん見えませんでした

午後から雨らしいということで、健康管理ウォーキングのため森林公園へ、
いつもの場所で定点観察。
  
(1枚目)4/21 (2枚目)4/26 着々と色づく。

ビジターコテージ裏の「藤棚」
 

コテージ前では
 
こんもり可愛くワァーっと咲いてきました、ツツジ、サツキさぁどっち?
覗いているとハナアブさんでしょうか、いっぱい集まってます。
 
吸蜜は忙しい、すこしもジッとしてくれないのでブレます
サツキとツツジの違いは、
「サツキの雄しべは5本」「花より先に新芽が出る」とか。
「ツツジの雄しべは5本以上」とか、いろいろありますが
「同じツツジ属・サツキ科」なんで、まっいいか
花が大きいのがツツジ、というわけでもなさそうですけどね…

帰り道、田園地帯では、麦の穂がすくすく育っています。
 

午後、だんじり会館のツツジが綺麗ですよと教えられ、
ブラブラお城周り散策へ。
忍者市駅で忍者電車に遭遇
 

「だんじり会館」駐車場のツツジ、
ツツジ、雄しべ5本以上、見えますか?
「旧桃青中の坂の新芽の銀杏」と共に…
  

「伊賀市旧庁舎」周りにもツツジ、
    
ここでもハナアブさん、そんなに花粉を着けてどちらへお出かけかな?
隣は「上野西小学校校庭」(公衆電話はいつの間にかなくなりました…)

ここは、上野公園前「市営駐車場のツツジ」
  「文久時代城下町絵図」
写真に写っている「公園入口駐車場」辺りは、
江戸時代の「牢屋」があった場所らしい…よ。
 一輪で2色のツツジ、
ここで見つけました、雄しべも2色です。

ここは、「西小学校裏手の道」の「石垣とツツジ」、
「瓦屋根」が城下町らしさを主張してます(笑)。
  

この石垣の辺り、江戸時代は「武庫があったようで、
「上野高校弓道場」だったところ。(今もここを使っているのでしょうか…)


駆け足城下町、ツツジ廻廊でした。ふぅ~っ

ではまた
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義仲追討途中、義経が駆け抜けた「伊賀の道」。

2022-04-25 16:29:50 | 神社仏閣など
「大河ドラマ」では絶対に出てこないシーン、
でも、昔の地図が一瞬映り「伊賀・大和」は確かに出てました…
4/24、夜放映のNHK大河「鎌倉殿の13人」を食い入るように見ていて、
「義仲追討の加太越えの道」の場面は出てこなかったけど、
きっと義経が「伊賀の山を越えた証の地図」だと勝手に合点
一人ニヤニヤ笑っていたのです…ここまでは昨夜の話。

では、時間を戻しまして、
伊賀の事を知るための研修を受けており、昨日は柘植地区へ。
柘植倉部(クラベ)地区に風の森社跡があることを知りました。
柘植の歴史などを知るために訪れたわけです。
義経が伊賀を通っていた」という「逸話」か「伝説」なりが
伊賀の三カ所に残っているということに驚きました。

では、そのお話の一つ…「柘植の場合」
源義経が木曽義仲追討の途中、戦勝祈願したと「源平盛衰記」に記されているそうです。
 源平争乱時代の寿永3年(元暦元年) 1184 年、伊勢平氏平定のため伊勢にいた義経は
 木曾義仲討伐の勅命をうけほとんど平定を終えていた伊勢から加太峠を越えました。≫
 (※参考登山ガイド図:余野公園・油日岳・ゾロゾロ峠・旗山

その加太越えの道の案内が「奥余野公園にありますので、
今日(4/25)訪問してきました。
 
余野公園」に🚙を駐車して、健康管理のため徒歩で
  

途中、「壬申の乱古戦場」があります。(詳しくは過去ログで
  下の河原辺りかと…
ここはあっさりと進みます。
余野公園を出発して約25分くらい、正面の視界が広がります。

少し先にトイレがあり、その前に
  
『源義経平氏討伐の道 1184年』(東海自然歩道にもなっていますが)と。
少しだけ覗いてみた山道、こんなもんではないはずですが、
ワタシは登れません、あしからず。


険しい「現・鈴鹿国定公園」の山の中、
加太から「ゾロゾロ峠」を経て柘植へ下りてきたと思われます。
山を下りてきた義経さんを癒したかもしれない風景です
  ウワミズザクラ

余野公園に戻って
 ツツジ咲き出しています…

そして、倉部川支流の「風の森橋」の辺りにある森で休んだと言われます。

それが風の森社跡(カゼノモリヤシロアト/柘植倉部)
民家の間を入らせていただきます(静かに~~)
  

 
遠い昔は「竹藪」ではなかったようです、
石碑には「風森神社」とありますので「社」があったはず。
この石碑のあるところに、実は立派な巨樹があったそうです。
言い伝えとして
「その昔、ここにあった大木を、お城の材にすると切り出そうとした役人に、
 鎮守の森の木を切ると祟りがあると年寄りが言ったそう。
 しかし、木は切られお城は建てられた。
 ところが、完成間近に台風(暴風雨)で倒壊したというお話がある」、、、とか。

「風の森社跡」を出て、北側に行ってみました。
 
「社」の後ろ側です、向こうを見れば高い山々はここからは見えません。
琵琶湖辺りから吹く風が大きな山に邪魔されることなく、
この地域を通るので、冬場は特に「伊賀の北海道」と言われる由縁かと。
「風の森」とは地形からきたのか、素敵な名前だと思いました。

さて、その先義経は、、、「新居の場合」
 ≪この地から南宮山を拝し新居まで来た時、 里の人に京へ向かう道を聞くと
 「首落滝」※から御斎峠を越えるのが一番近いと聞いたが、
 これから戦いに行くのに名前が縁起が悪いとして他の 道を聞くと、
 長田の射手神社の前から笠置に向かう道があると聞き、
 それは縁起が良い名前だ として射手神社に戦勝祈願をして笠置に向かったといわれる。
 伊賀平氏はこの時ほとんど源平合戦に参加せず、
 平氏一丸となった義仲追討軍十万の大軍の北陸の合戦にも参加せず、
 義経が加太越えて通過した時も傍観した。≫ 

(参考※「首落滝」のお話は過去ログをご参考に)       

そして、「長田の場合」、【射手神社】で
 ≪木曾義仲を討つため、宇治へ向かっていた源義経の一行が、
 戦いに勝つようにとお祈りをし、かぶら矢を奉納しています。≫(「観光三重」より
 

お勉強会だった4/24は雨でした、よって翌日再訪問してきましたので、
綺麗な明るい空気の中で写真が撮れました、ツツジも綺麗でした。
余野公園はまた改めて~~

ではまた
(間違いなどありましたら即、修正いたします)

2022/4/26追記
【ゆっくり解説】『源平盛衰記』より源義経と伊賀


情報をいただきました、分かり易くまとめられておりました…
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「かざはやの里」 藤シャワーの如く、これから伸びますよ~~

2022-04-24 12:35:37 | 花や風景など
まだまだこれから勢い良くどんどん伸びそうな予感。
 (2022/4/22撮影、かざはやの里)

最近山道などを走ると目につくヤマフジですが、
園芸品種?の「藤」とは巻き方が違うらしい…
ヤマフジは蔓が右巻きで、左巻きのノダフジ系とは逆とか。
巻き方の違いを知ったのは最近のことなので、今度ヤマフジを見かけたら
じっくり観察してみることにします(笑)。

私的恒例訪問先「かざはやの里」、この前は3/11に観梅に来ました。
その時、クロガネモチに巻きつく藤を見て、まさか40日後に「藤」を愛でられるとは…
花々の勢いに圧倒されるばかりです。
冬が寒かった分、勢いがいいですね

駐車場辺りから順に~~
  
「コバノガマズミ」の白く小さな花の集団を見つけ、思わず可愛いっと

  
「クヌギ」に寄り添う「藤」(口紅藤)、
花手水の水紋に沿う藤の花、重厚な藤の束…

ここの花手水は
  

広~い園内の1/5から1/4くらいのスペースが「藤一色」、
所々の大木に「藤が絡まる」姿は圧巻、
「藤棚」の下では紫のシャワー、これを浴びると美人になれる気がする(笑)…
昔、「和傘」を扱っていた長老に言われました、
紫は女性を綺麗に見せるって、さ。
嘘でもいい、そんな気にさせる「藤の紫」はやっぱりエエもんです。

  

  
藤棚と「つどい橋」

 
藤はマメ科、納得。

 
池に映る「藤棚」と一番高いところから園内半分くらい。

梅雨時期の「紫陽花」も待ち遠しい、
一生懸命手入れに余念がない様子が伺えます。
今年度から
・協賛費:大学生以上800円
    (高校生以下、障がい手帳持参無料)
 ・開園期間 年中無休
 ・花まつり開催期間有料
  期間外無料(DogLand年中有料)


最後に 

これも春の景色、「クローバー」とこれから芽吹く「クロガネモチ」。

午後になって晴れてきたので、より紫が映えました
もちろん「白藤」も青空に映えます

ではまた
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長野峠越えの前に「菜の花畑」、「新大仏寺」で御衣黄桜(ギョイコウザクラ)新緑と共に

2022-04-23 12:48:48 | 花や風景など
 
ここを通ると寄りたくなる「寺音寺古墳」、曇り空なのが残念だけど…
この近くで「菜の花畑」、以前見た時より熟女っぽくなってます(笑)。

「ピンクの桜」が終わると「薄緑の桜」が咲き出します、
その「御衣黄桜」がたくさん見られるのはココ「新大仏寺」(大山田富永)。
  
多くの「薄緑の花」(=萌黄色モエギイロ)が咲いているのに、なかなか上手く撮れません
カメラ技術の限界を感じたワタシ、
そしたら朝刊でスッキリと写ってました、さすがやなぁと感心…

 (中日記事より)

新緑に目が洗われる気分です、傍らには咲き出した「シャクナゲ」。
  
三枚目は参道の土手で見つけました、あまりにも小さい、
とても可愛かったけど名前はわからない、そこでgooglさんに尋ねると、
ヤマルリソウ(山瑠璃草)」という山野草かもと教えられ、
ワスレナグサに似るそう、そいえばよく似てる気もします。

山門前で「モミジの花」たわわ!
 
心も目も健康になります。「新大仏寺の花々

服部川沿いの対岸の山々の景色は、まさに「山笑う 」。
絵心があったら画用紙に描きたくなる色合いですが、
🚙で走りつつ、撮れないし描けないなぁワタシ、といつも思って見ています。
(青子さんにお願いしようかな…(笑))

さて、ここから長野峠を越え、津市榊原町へ寄り道。
「射山神社」に寄って榊原温泉の歴史を垣間見、
4/22の最大の目的地「かざはやの里」へ「藤紀行」…
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鉢植えのネモフィラと風薫る体感中のネコたち

2022-04-23 11:45:23 | つれづれ思うまま
2022/4/23 風に揺れる鉢植えのネモフィラ


 風薫るニャン

そんな様子を見ていたら弟も寄ってきた図。
 

家の中では、枯れた一株のネモフィラのその花たち。
小鉢の中、水だけで元気に成長中!
この健気な生命力に感動


まだつづく、花三昧
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アフター桜はいっぱい、上野森林公園で…

2022-04-22 22:46:45 | 上野森林公園
 目の前で小鳥がチョンチョン歩いています
それをジッと見つめるハナさん、でした。

桜を見損ねていつの間にか「ツツジ」が咲き出していて と思って、
それから10日。
「ツツジ」にもいろいろ、ここは自然公園なので至る所で出迎えを受けます…
  

 

湿地帯辺りでは
 「ハルリンドウ」(アップ写真アリ)の群生
地面の近いところで咲いているので、踏まないように気をつけましょう!

「菩薩池」の周りを歩いてみました、
  
冬眠?を終えた「睡蓮の葉」も、なんだか生き生きしてきました、
その池に「ツツジ」、綺麗に写せたかな。

「モミジ」もいろいろ、
空を見上げると「赤ちゃんの手」いっぱい!でした。
ツツジの小さな花が集合すると「シャクナゲ」になるのかなぁ??
調べたら「ツツジ科」でした(笑)。
  

「桜」と同じバラ科のウワミズザクラ」※
「繭が飛んでる」みたいで、ふわふわっといい感じ…

ウワミズザクラの開花は新葉が展開した後の4月から5月。
 直径6~8ミリほどの小さな白い花が、長さ10cm前後の穂状に集まって咲く。
 多数の雄しべがブラシのように並び、5枚ある花弁は雄しべよりも短い。
 花言葉「持続する愛情」だそうです。

ビジターコテージ辺りで
  「カリン

八重桜」の苗木に花、ジッと見つめると
  
「蜜を吸う虫たち」…

ではまた
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