2020年 暑中お見舞い申し上げます、

2020-07-31 12:11:52 | つれづれ思うまま
出していいのかな? 梅雨明けたのかな?
近畿地方は、さきほど11時過ぎに「明けた」そうです(笑)。
伊賀地方は、近畿に入るということで、、、

知人から送っていただきました……

皆様と会える日を待ってま~~す
この映像は、神戸~大阪~東京ですけど伊賀も含めて!とうことで、
みなさま、いろいろ気を付けて過ごしましょう


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島ケ原「行者堂」前の清流で 涼

2020-07-30 00:24:03 | つれづれ思うまま
同じ場所を5月に訪れてます、、、
【200523 行者堂前清流】


まだ梅雨明け宣言がされていない…川の流れの勢いが違う気がします(気のせいか!?)
【200729 島ケ原行者堂前の清流】


国道163号線バイパスを南山城に向かって走ってました、その途中に右折して地道に入ると「行者堂」はすぐそこ。

 
この石段を登ると
   
岩の中に祠があって、「役行者」さま、その右隣に「不動明王」様です
 きちんと説明があります、スタンプもあります

さすがに、5月の新緑の頃とは違います、緑のグラディエーションがなかなか素敵
 5月

   7月

こんな子と、お話してました
  
撮るよ!といえば、場所を変えてくれる、、、いい仕事してくれましたよ(笑)

夏は、すぐそこ

















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長田「芭蕉の森」苔の道

2020-07-29 00:14:53 | つれづれ思うまま
いつまで続くの?この梅雨!という感じですが、雲の流れを見ながら(Web天気予報で)今なら大丈夫!
とわかれば近場へ行くという今日この頃です。(噂では、もうすぐ梅雨明けとか…)

んで、やっぱり目にはやさしい緑を見に行こうと
【ふるさと芭蕉の森】へ
上り坂そのものの距離は大したことない(ほんの数十メートル)が、高低差がしっかりあるので
駐車場脇には「竹の杖」が常備されています
「芭蕉さんの句碑」があちこちにあるのですが、それは今日の目的外なので目もくれず(バショウサン スミマセン)…
広場に着くと
 緑のグラディエーション
さらに進むと、なんと歩道両サイドに苔、
雨の多さと気温の高さでまさに「苔むす」って感じですね、、、
  

 


今日の青もみじはこんなかんじで、、、


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忍者回廊巡り 真っ最中! 番外編 「福地城跡」と「萬寿寺」(柘植地区)

2020-07-28 11:00:14 | 伊賀忍者回廊巡り
訪問日:2020年7月19日(日)、伊賀では33.8度の今夏(といっても梅雨もまだ明けていないのに…)最高気温
こんな日に外へ出て行ってはいけません、午後3時以降の散策がよかろうと、、、一人合点してみる。

今まで『百地砦』・『千賀地城跡』・『比自山城跡』・『柏原城跡』など忍者の痕跡が残る場所を訪ねてきて、
いろいろ資料を読んでいるちに「信長を手引きした者がいる※」ということを知りました、、、
(今頃気付いたん??とは言わないでくださいね(笑)、
過去、伊賀のNINJAを如何に盛り上げるか!ということばかりに気がいってたもんで、、、)

そこで、この城跡の名前が出てきたわけです
福地城跡(芭蕉公園)】 

「天正伊賀の乱ざっとあらすじ」
天正6年(1578)伊勢の国司北畠信雄(織田信長の二男 織田信雄が北畠の養子になり家督を継承)は
丸山城を基点に伊賀攻略を企てますが、伊賀衆の攻撃にあって撤退します。
天正7年(1579)仕切りなおして北畠信雄が伊賀に攻め込みますが、
伊賀衆の抵抗にあって敗退します。(第一次天正伊賀の乱

これを聞いた織田信長は激怒し、自ら出馬を決意し、天正9年(1581)5万の大軍を率いて
伊賀に進軍、伊賀全土を焼き払い大人子どもに関わらず殺戮を繰り返しました。
伊賀衆は最後まで抵抗を続けましたが、和議が成立し、降伏しました。
伊賀地域が歴史上唯一壊滅的な打撃を受けた乱で、800年の歴史を持つ伊賀地域の荘園制度が終焉し、
忍者は諸国に離散しました。(第二次天正伊賀の乱)≫(伊賀流忍者博物館HPより

伏線として、
※≪天正9年(1581年)4月、上柘植の福地伊予守宗隆、河合村の耳須弥次郎具明の2人が安土城の信長の所を訪れ、
伊賀攻略の際は道案内をすると申し出た。≫(Wikipediaより)という話が出てきました。

≪菊岡如幻著・伊賀国『伊乱記』では、9月27日に6か所(伊勢地口から信雄、津田信澄、柘植口から丹羽長秀、滝川一益、玉滝口から蒲生氏郷、脇坂安治、笠間口から筒井順慶、初瀬口より浅野長政、多羅尾口から堀秀政、多羅尾弘光が攻撃したと記述されている)同月6日より戦闘が開始された。≫
 (映画「天正伊賀の乱」より

さて、名阪国道上柘植ICを降り、163号線へ、国道を東へ数分走ると(普段は点滅信号)この案内


右折して少し走ると   すぐです

『萬寿寺』というお寺を通り過ぎて行くようですが、はて?この光景、いつか見た、いやいつか来たことある…
そんな微かな記憶を呼び戻す場所でした(過去、お仕事で🚌何度か来ていた(笑))。その当時は何も知らなかったということです
(やっぱりね、ワタシってなにも知らずに伊賀人してたんだぁ…)

 
左の道は「萬寿寺」駐車場へ、ここに車を止めさせていただく
右の道が「福地城跡」へ行く道

「萬寿寺」の前を通り抜けて(お寺は帰りに寄せていただくとする)、田園地帯の中の緩やかな坂道を進むと 
  
福地城跡の立派な石碑と芭蕉句碑とその解説
「蕎麦はまだ 花でもてなす 山路かな」 
≪元禄7年9月、松尾芭蕉が51歳の時に、伊勢から芭蕉を訪ねて来た弟子を迎え、
新蕎麦でもてなしたいところだったが、伊賀はまだ蕎麦の花の季節だった為、
この白くて美しい花を堪能下さいという句で、当時の伊賀には広い蕎麦畑が広がっていた≫とのことです。

恒例の案内板とクイズ
  

答:

石段を登ります
  
3mほどの立派な石垣(石塁)が残っています。
その先に行くとすり鉢状のような広場で、周りは土塁とうっそうとした樹木に囲まれています。

その場所が「芭蕉公園」。
芭蕉生誕360周年事業(2004年)の折に整備されたのでしょうか? ちょっと古びてきましたがそれもまた風情かな…
生い茂った苔が絨毯のようにふかふかと足元にやさしかったです。
   芭蕉翁生誕の碑

  

話はまた少し「伊賀乱」に戻りますが、この戦乱によって伊賀國は壊滅状態となりましたが、
1年後の「本能寺の変」で信長が倒れると、福地一族は再結集した伊賀の国人衆によって追放されることとなったそうです。

土塁に登って見渡すと
 柘植の里
反対側は
 名阪国道です(真ん中の道路は側道)

柘植地区の皆様のお世話のお陰で芭蕉さんが大切にされているということです。
と、ここで福地城と芭蕉の関係は??
そうそう、確か≪城主は福地宗隆で福地家は平宗清を祖先に持ち松尾芭蕉の松尾家は分家でした。≫と、、、
柘植の方々の思いが詰まった公園になったわけです。(福地城跡=芭蕉公園なので ちと説明がややこしいのです

戻って「曹洞宗萬寿寺」の境内へ
  芭蕉さんの墓碑になります

    
≪「観音堂」は、長福寺(萬壽寺の前身)と共に鎌倉時代に建造され、伊賀管内では最古の建物≫とのことです。

「忍者回廊巡り 真っ最中!」(ご朱印いただけるところ)として残るは2か所。
寺田・「大光寺」と滝之原・「赤岩尾神社」は、天候次第、暑さ次第…秋になるかもというところ。
番外として「伊賀上野城」・「伊賀流忍術博物館」、ここはいつでも行けるところ(笑)。

ではまた

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梅雨の夕暮れ 虹&夕焼け

2020-07-27 00:14:45 | つれづれ思うまま
伊賀上野の城下町で見えた光景、今日(7/26)は一日シトシトと雨がまとわりついていました。

たまたま初盆前にお墓参りに来てくれた従姉弟たち、
思い出話に さよならしたら この空だった…
ありがとう~~



 

梅雨明けは もうすぐ…かな
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忍者回廊巡り 真っ最中! その13-3 南宮山登ります

2020-07-26 10:47:08 | 伊賀忍者回廊巡り
「南宮山」を登ろうと挑戦したのは、5月15日のこと。

伊賀一之宮の「敢國神社」の表参道を通り過ぎ、道なりにどんどん進む…
ひたすら山の中の道なき道を進む、、、、いくらなんでもこれはおかしいやろ?と、
さすがの方向音痴のワタシも、このまま進んだら(捜索願が必要になる!)エライコッチャと怖くなって引き返しました!

もう一度、振出しに戻るつもりで、社務所に戻り尋ねると
「右側に案内があるはずですよ」とのこと。  なぬ? 案内?
再チャレンジします(ここであきらめなかった、ワタシ エライ!?)
じっくり右側ばかりを見渡しながら歩きます、、、
確かに、赤い鳥居から100mほどのところに  若干寝てました

確認のため7/24に再訪問して見てきたら  起きてました(笑)
なので、気付かずに通り過ぎてしまったのですね、もっとよく見ないとダメです!

一目見て、この道行くべきか、行かざるべきか!?一応悩みました。
 ここは「落ち葉道」=滑る
山の中の森を進むわけですが、最近あまり人の手はかけられていないという予感はありました。
当然荒れた山道であろうと、、、

実は、5/12に「霊山初登頂」をしており、ちょっとチャレンジ精神が芽生えてるとこだったので「勢い」もあった(笑)、
途中でアカンかったら戻ればいいや、という気持ちで進むことにしました。

しかし、けもの道みたいだし、落ち葉でツルツル滑るし、岩肌むき出しの急坂だし、水はにじみ出てるし、
言えばきりのないほどの恐怖の道なので、一切写真はなし!
(こういう状況でも一人でブツブツ文句を言いながら進むのです、でもほんま怖かった、
帰り道に滑って転んだらこんなところへ誰が助けに来てくれるんやろ?と真剣に思いましたもの
でも途中でこんな石を見つけた時はうれしかったので撮りました  笑っているように見えたので(笑)

ブツブツ文句を唱えながら(頂上で神様が祀られているということをすっかり失念してました…)、
やっと尾根伝いの道になってきたと思ったら、何やら見えてきましたよ
 NHK中継塔が見えました!
これね、南宮山を遠くから見ると必ず見えるんですよ、2本の塔が立っている風景…
 (遥か遠くですけど見えますか?)

その先に鳥居も見えます! 
いきなり、1/3ほどですが視界が広がります、
そうです、このご褒美があるから頑張れる!という瞬間です、登りだして30分ほどでした。
  ゆめドームから比自岐方面

  大山田方面の田園風景
アンテナやら建物や木々の隙間から、伊賀の盆地が見渡せるのでした。

 南宮山三角点
標高約350m
  
鳥居とツツジ、浅間社の祠と石仏など
(週に一度はここに上ってお世話をしてくださる女性の方がいらっしゃるとききました、
そのおかげでしょうか、きれいにお掃除されていました)
この社(やしろ)には富士山の浅間神社から勧請された「木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこ)」が
祀られているとのことです。

また、織田信長が伊賀攻めの後、この山に登り伊賀一円の様子を観察していたそうです。(伊賀の中世城館より)
参考文献:三重大学伊賀研究拠点「南宮山砦を訪ねて

下りは、20分ほどで滑り下りたような気がします、無我夢中で、、、
おかげさまで無事で何より、きっと神様が守ってくれたんだと思います
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「涼」を耳から…そして疫病退散!願い

2020-07-25 18:11:45 | つれづれ思うまま
廣禅寺風鈴2020年


上野徳居町の「曹洞宗廣禅寺」さん、夏の恒例ですが
今年は特別バージョン「厄除け風鈴祭り」です、
9月末まで風鈴の音色を聞けますよ…
お近くの方はぜひどうぞ   遠くの方は、音色で涼みつつ厄除け祈願、心で…

  


7月25日は天神さんでは恒例の「夏祭り」のはず、、、
でも、今年は「疫病感染除祈願」を願うのみ。

早くみんなが笑顔で会える日を待っています~~
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夕方の散歩で見た木興田園風景

2020-07-25 00:16:31 | つれづれ思うまま
昨日(7/22・木)、午後の所要も終わり運動不足を痛感!
空模様も曇天ではあるけれど、雨の気配はなさそうだったので、
久々に木興(きこ)の遊水池の田園風景を見に行こうと、、、
爽やかな風とはいきませんが、我が家の扇風機の風よりははるかに涼しかった  

緑ヶ丘東町辺りにある「根本坊池」が水源(というかどうかは??Google mapでは池として出てますが、名前はない)となり、
上野台地の大半の下水を集めている「往古川」(おもがわ)という川(というか水路、でも一級河川!)があるのですが、

丁度、福居町の下辺りで木興遊水池の傍を流れ、その先JA付近で木津川に合流します。
その往古川沿いに歩いて遊水池の田園地帯に入ります。

ここは朝夕、お散歩やジョギングしたりする人の姿をよく見かけます。
市街地と違って、車の通行量が少ないからですが、
但し、一旦車同士がぶつかると大事故になってしまいます
見通し良好ゆえの油断の事故です、気を付けましょうワタシ~~

キョロキョロ見渡しながら(危ないよ!)、随分稲の緑が濃くなってきたなぁと感心していると
何やら粒々と見えるし、場所によっては白いものも見えます、、、

帰宅してから教えてもらったのですが、これは「出穂(しゅっすい)」というものだそうです。
粒についている白いものが稲の花で、
この花が咲いて、自己受粉をしてお米の粒が実るそうです。
なかなか稲の花など見る機会がないので、いつもとコースを変えてお散歩してよかった(笑)。
しばらく、観察日記を書かなあかんなぁと…

先ほどの写真で、田んぼの上の方に気になる小さな丘、見えるでしょうか?

これは、5月末に「田植え」の様子を見に行ったときなんですが、
木立の丘のようになっているので、あそこまで行ってみたいと思っていましたが、
近づくと草がぼうぼうで近づけなかったのです。
(この写真の左やや上に見えるのが「世阿弥の母公園」ですね…)

ところが、昨日は様子が違う、なんと畦道や農道は草刈りがされ通りやすくなっていたのです、ラッキー!
  
すぐそばまで行くと、かなり急な坂ですが頑張って慎重に登ります、と、、、
 
ぐるり、田園に囲まれている、眺めがなかなかよろしい
長田の山々もすぐそこに見える気がします…
真ん中に石標があります
 
『桶子神社舊蹟(きゅうせき)』
   『昭和12年3月吉日建立』(裏)
この先20mほど先にも石標があって、そこには『承徳二年八月桶子大神(おけごおおかみ)漂流地之碑』というのもあります。

『桶子神社』の由来を調べますと、
≪伊賀郡高尾村に鎮座していたが、承徳二年(1098)に大洪水にて神体 雨寶童子※(うほうどうじ)が木輿村に流れ着き
村民是を迎えて、古来からの氏神廣國押武金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)を合祀した。
古来から魔除けに霊験があり多くの人が参拝した。
又祈雨の信仰もある。≫と見受けられます。 ※雨寶童子とは、天照大神が降臨した時の16歳の姿といわれている。

青山高尾「前深瀬川」の最も上流地域からここまで、
川の流れに乗って、この地に辿り着いたのだとしたら、、、思えばすごいことです。
 
※参考写真・伊賀市観光戦略課FBより「前深瀬川の黒淵の滝」

伊賀は山に囲まれ、その山からは綺麗な川が流れ、おいしい水に恵まれ、
かつて琵琶湖の底であったため土壌は肥沃で、寒暖の差があって、
ということは、野菜はもちろん米もおいしく育つ!ってことです、
苦労は他所よりはるかに大きいかもしれませんが、、、

いろんなことに思いを馳せながら、これからも歩こうと思います。

回廊巡りの続編がまた中断してしまいました

そうそう、夜にお散歩した時

こんなところに忍者が浮いてました…
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忍者回廊巡り 真っ最中! その13-2 「敢國神社(一之宮)」と「南宮山」登ります

2020-07-24 00:27:02 | 伊賀忍者回廊巡り
5月と7月に2回訪れた「敢國神社」ですが、ここは忍者回廊以外のご縁があります、、、
(我が家2人目の孫ちゃんのお宮参りをここで執り行っていただきました、
天神さんの拝殿が火事(2010/7/1)で焼失してしまったので 一之宮さんのご縁をいただきました
天神さんも今は立派な拝殿を建てていただきましたけどね、当時町中に住む者としては寂しかったもんです

敢國神社】(公式HP
忍びの里伊賀・甲賀日本遺産
伊賀国一之宮。中世には諏訪信仰が広がり甲賀三郎を祀る小祠もある。服部一族による黒党祭は、忍び装束の発祥といわれる。≫

伊賀市寺田から北へ、一之宮を経て千歳へ抜ける道沿いにあります、道端に駐車場もあるのですぐに分かります。
資料によると、≪この道の歴史は古く、「壬申の乱」(672年)に大海人皇子(おおあまのおうじ・後の天武天皇)が
吉野を発って伊賀国に入り近江に攻め入る途中で通ったと言われている道です。≫
(歴史上、伊賀の国はなかなかミステリアスなことが多いんです、またいずれご紹介できればと思っています…)

駐車場に車を止めて、表参道と書かれた参道を進むと赤い鳥居が目に入ります、その前に芭蕉さんの句碑と境内案内図。
  
「手はなかむ 音さへ梅の 匂ひかな」 貞享五年芭蕉翁参拝の折の句です。
≪句意:花盛りの梅の傍らで、無造作に手鼻をかむ音がする。そんなはしたない音さえも、
野趣を感じさせて快い、静かな山里の春である。≫(昭和37年建立)

さて、境内へ入らせていただきます
玉石が敷き詰められた境内では、例大祭の折、獅子神楽(三重県無形民俗文化財)が奉納されています。 
≪この獅子神楽は、遠く慶長年間の頃から続いており、昭和の初めまでは伊賀中を廻って演じられていた≫そうです。

ご挨拶
 手水の龍さん

  狛犬さん

   
「御神水井戸」 「桃太郎岩」(安産祈願)
南宮山上にご鎮座木華咲耶比咩命(このはなさくやひめのみこと・安産の神)をお祀りしています。

石段を登って拝殿へ 

お参りさせていただいた拝殿で「茅の輪」のご案内 


ご神木の一つ、やはり幹で分かれているのですね…

別方面の裏参道から進むと、「むすび社」があります
  

  新しい竹もぐんぐん育ってます、いいご縁がありますように~~

そうそう、駐車場では例のご案内
   クイズ

答:

「敢國神社」の表参道を通り、赤い鳥居から100mほど進むと、、、南宮山入り口があるらしい。

伊賀富士と呼ばれる「南宮山」には「敢國神社」の末社浅間社が奉祀されているとのこと…
「南宮山登山」(知人が小学生の時の遠足のコースだったと言ってましたが(笑))の様子は、長くなりそうなので
次回13-3で~~





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忍者回廊巡り 真っ最中! その13-1 「比自山城跡」

2020-07-23 00:34:52 | 伊賀忍者回廊巡り
今回は、過去と現在が織りなす記録です(笑)。

2020年5月15日の午前中、長田地区にある「ふるさと芭蕉の森公園」に行きました。
小高い山に登った時、東方面の遠くに見える「三連の山」を眺めていました、、、


その時は「忍者回廊巡り(ご朱印集め)」のことはまだ脳裏になく、何となく健康のためと伊賀のことを知りたくて…
という単純な動機で伊賀巡りをしていたのです(笑)。

「ふるさと芭蕉の森公園」のことはまたいずれご紹介しますが、5月の新緑の様子をどうぞ
   まるで、青もみじのトンネル

ほん隣には「常住寺」があります、ここもいずれご紹介したいと思っています。
  「常住寺」石段の上から見渡す伊賀盆地
むかし、伊賀の盆地が焦土と化していくさまを、長田の山から見ていたのでしょうか、、、


比自山城跡(砦)
≪天正伊賀乱の主戦場となったところで、蒲生氏郷や筒井順慶らの軍勢と激しい攻防戦を繰り広げた≫ところです。
が、意外と詳しいことは知らされていないというのが事実、知る人ぞ知る場所だったのかもしれません。
その情報を初めて知ったのが、「ふるさと芭蕉の森公園駐車場」だった、、、

案内板とクイズ
  

答:

実際には単独ではなかなか行けそうなところではなさそうなので、史実として残っている…ということでご勘弁を。

初めに「三連の山」と書きましたが色々調べてみると、
多分こんな山が見えていたのだと、、、 
長田の山から対面に見えるところに「上野公園の丘陵地」、次に「南宮山(なんぐうさん)」があり、3つ目は「霊山」。
その中の真ん中の山の前には「一之宮敢國神社」があります

行かなければ、、、と思い立ち、昼食後出かけたのです。
では、Go~~

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