「番屋の辻・芭蕉句碑」を後にしてどんどん進みます。
丁度、「高倉神社 一の鳥居」が見える辺りに
【九丁石】
お坊さんが「大日堂」への案内をしてくれてます、今回はパス。
始めて通る道なのでちょっとおさらいをすると
地図的にはこんな感じで進んでいます。
「ケヤキの大木」横の鳥居をくぐると
「國史見在郷社」碑
この先を川の方に降り「明神橋」を渡る(本来この道が「参道」です)と、
いよいよ…到着です。
【高倉神社】(祭神:高倉下タカクラジ)
ここで「神話」より「高倉下」ってどんな人?
※高倉下:神武天皇東征中の最大の危機を救った熊野の土豪。
『古事記』『日本書紀』に登場する。
それによれば、神武天皇は、紀伊に迂回して大和を目指すが、
途中、熊野の村で大きな熊の毒気によって兵士たちともども気絶してしまう。
このとき高倉下が天皇に大刀を献上し、目を覚ました天皇はその大刀で荒ぶる神の邪気を払った。
高倉下がいうには,「夢に、武甕雷神(タケミカヅキノカミ)が天照大神の命を受けて、
下界の平定を手助けするために大刀を下すというお告げがあり、
翌朝、倉を見ると夢の通りに大刀があった」という。
高倉下というのはこれによるが、クラジは倉主の意ともいわれる。
その大刀は石上神宮(イソノカミジンジャ天理市)に収められた。≫(コトバンク:朝日日本歴史人物事典より)
さて、ここで伊賀と熊野の関係も分かったことで「縁」を感じます。
--- この場所で、ワタシの個人的な「縁」を見つけました(笑)、
「富士正宗」(平和酒造)
家人の家は元々酒蔵があり、酒造りをしていました、
やがて数軒合同で「平和酒造」を起こし、美味しい「富士正宗」というお酒を造っていました。
今は酒蔵そのものもないし、酒造りもしていません、
でも懐かしいその「樽」を見つけて、ちょっとホロっときてました…
余談でした。 ---
「高倉神社拝殿扁額」「八幡社」「本殿と春日社」
(もう少しきちんと撮りたかったです)
朱塗りが美しく、「檜皮葺屋根」、「擬宝珠付き高欄」を持つ、
彫刻や彩色には「桃山時代」の特色が表れています。
本殿・八幡社・春日社の三社すべて「国重要無形文化財」。
ここで、下記ブログ御参考に
(dawnさんのブログをリンクさせていただきます「倉庫・運輸の神を祀る」)
(拙い当ブログ「高倉神社」)
伊賀コリドールロード横断要注意
再び宮谷川沿いに旧道を進むと、
【八丁石】
昭和29年に拾得された石碑なので「国指定」から洩れています。
次に、「獣害対策用柵」の向こうに
【七丁石】
そして、ここに司馬遼太郎さんの紀行文集「街道をゆく」に登場している炭焼き窯跡、
「炭窯と司馬遼太郎」説明版。
炭窯の隣は「高倉区配水池(タンク)」があり、
旧道とコリドールの交差する辺り「大杉谷と大杉谷橋」の説明版。
これは自動車で通った時によく見ていましたが、
いつもは素通りなので、今回はじっくり読みました(笑)…
そのまままだまだ旧道を進みます。
ではまた続きます…
丁度、「高倉神社 一の鳥居」が見える辺りに
【九丁石】
お坊さんが「大日堂」への案内をしてくれてます、今回はパス。
始めて通る道なのでちょっとおさらいをすると
地図的にはこんな感じで進んでいます。
「ケヤキの大木」横の鳥居をくぐると
「國史見在郷社」碑
この先を川の方に降り「明神橋」を渡る(本来この道が「参道」です)と、
いよいよ…到着です。
【高倉神社】(祭神:高倉下タカクラジ)
ここで「神話」より「高倉下」ってどんな人?
※高倉下:神武天皇東征中の最大の危機を救った熊野の土豪。
『古事記』『日本書紀』に登場する。
それによれば、神武天皇は、紀伊に迂回して大和を目指すが、
途中、熊野の村で大きな熊の毒気によって兵士たちともども気絶してしまう。
このとき高倉下が天皇に大刀を献上し、目を覚ました天皇はその大刀で荒ぶる神の邪気を払った。
高倉下がいうには,「夢に、武甕雷神(タケミカヅキノカミ)が天照大神の命を受けて、
下界の平定を手助けするために大刀を下すというお告げがあり、
翌朝、倉を見ると夢の通りに大刀があった」という。
高倉下というのはこれによるが、クラジは倉主の意ともいわれる。
その大刀は石上神宮(イソノカミジンジャ天理市)に収められた。≫(コトバンク:朝日日本歴史人物事典より)
さて、ここで伊賀と熊野の関係も分かったことで「縁」を感じます。
--- この場所で、ワタシの個人的な「縁」を見つけました(笑)、
「富士正宗」(平和酒造)
家人の家は元々酒蔵があり、酒造りをしていました、
やがて数軒合同で「平和酒造」を起こし、美味しい「富士正宗」というお酒を造っていました。
今は酒蔵そのものもないし、酒造りもしていません、
でも懐かしいその「樽」を見つけて、ちょっとホロっときてました…
余談でした。 ---
「高倉神社拝殿扁額」「八幡社」「本殿と春日社」
(もう少しきちんと撮りたかったです)
朱塗りが美しく、「檜皮葺屋根」、「擬宝珠付き高欄」を持つ、
彫刻や彩色には「桃山時代」の特色が表れています。
本殿・八幡社・春日社の三社すべて「国重要無形文化財」。
ここで、下記ブログ御参考に
(dawnさんのブログをリンクさせていただきます「倉庫・運輸の神を祀る」)
(拙い当ブログ「高倉神社」)
伊賀コリドールロード横断要注意
再び宮谷川沿いに旧道を進むと、
【八丁石】
昭和29年に拾得された石碑なので「国指定」から洩れています。
次に、「獣害対策用柵」の向こうに
【七丁石】
そして、ここに司馬遼太郎さんの紀行文集「街道をゆく」に登場している炭焼き窯跡、
「炭窯と司馬遼太郎」説明版。
炭窯の隣は「高倉区配水池(タンク)」があり、
旧道とコリドールの交差する辺り「大杉谷と大杉谷橋」の説明版。
これは自動車で通った時によく見ていましたが、
いつもは素通りなので、今回はじっくり読みました(笑)…
そのまままだまだ旧道を進みます。
ではまた続きます…
高倉神社のことは子どもの頃から知っていて、何度も訪れていましたが、これほど倉庫・物流業界から崇拝されているのは全く意識の外でした。
そのことは、今から30年ぐらい前に、東京の人に初めて教えてもらいました。こんな物流業界から尊崇されている高倉神社をなぜ三重県としてもっとアピールしないのかと指摘を受けたのを覚えています。
他にも地元の人が気づいていなくて、他地域から見て価値あるものがあるかもしれないので、そういうのをぜひ掘り起こしたいものですね。
「富士正宗」がなくなったのは残念です。
知ってたつもりでもワタシの場合、薄っぺらいものでした。
掘り起こせばもっと深いことがある、他地域との深い「縁」があるとかわかると、何かしら嬉しいし、伊賀を誇らしく思える気がします。
行政がどんな方向に行くかみえないので、私たち個々人がしっかり伊賀をどうしたいのか、見据えて歩みたいものです。
また、御菓子の事も含めて、もっといろいろなことを教えていただきたいです。
いつも美味しそう…って思いながら読ませてもらってます(笑)。
「富士正宗」ご存知でしたか、昔は毎夜「富士正の2級酒」を楽しんでました、懐かしい響きです。