「和銅の道」②  補陀洛寺(フダラクジ)への町(丁)石を追う

2022-01-21 15:39:24 | 和銅の道補陀洛寺跡丁石巡り
前回のウォーキングマップのA地点辺りから歩きます。
  
(本通りと裏道っぽいその中間地点になります)

A:「廃補陀洛寺町石(国指定)」(三重県文化財データベースより)
史跡補陀洛寺町石碑】があり、そこを曲がると【十五丁石】があります。
『碑』には「町」と彫られていますが、「石」にはこの字なので、
ちょっと悩ましいのですが、こちらの字で統一することにします。
  
 ≪伊賀市の高倉神社から約800m上(西高倉字水上)に、
 鎌倉時代である建長年間(約710年前)に、補陀落寺が建てられました。
 この門前から、一町(約109m)ごとに石が置かれ、
 道しるべとして立てられたのが廃補陀落寺町(丁)石
である。
 信者たちが建てたもので、現在十基が残っています。
 自然石の表には、梵字や寺からの距離、それに寄進者名などが彫られています。
 自然石を用いた町石では、在銘最古の町石として広く知られています≫

また、10基のうち「国指定」は8基、市指定は2基、復元町石1基です。
それを順に追いかけます…
 「和銅の道」案内碑
そのまま北進すると、
 「高倉神社」&「和銅の道」石碑
ここを「右」へ進むと、
「十四」がなくて(多分、水害時に流されたかもしれない…と)
十三丁石
 

十二丁石
 
振り返るとこんな感じ…


すぐに、三差路っぽいところに来ます、
ここは【番屋の辻
  石仏さまたくさんおられます
 ≪奈良街道の四ツ辻で、田水を配る水分神の依る処である。
 五月より八月まで毎夜 水番 が交代で出役した場所なので
 「番屋の辻」と呼ばれるようにな った。
 子どもの作った燈灯がヨノミの木に掛けられ、
 夜十時頃まで子供の声がしきりに聞こえて夏の夜の風物詩になっている。≫

昔の風景が蘇るような場所です、その前には

芭蕉句
『しぐるるや 田のあらかぶの 黒む程』
 ≪元禄三年(1690)冬の作。季語は「時雨」。伊賀上野の実家へ帰る道中の吟。≫
 ≪句意:山道沿いの田圃に点々と居並ぶまだ新しい稲の刈り株が、
 折しも回り来たった潔い時雨にぬれて、みるみる黒ずんだ濡れ色に変ってゆく。
 こういう時雨が、通り過ぎていくたびに伊賀の冬は深まっていく≫

ここを過ぎるともうすぐ「高倉神社」です。
 
鳥居の横にはケヤキの巨樹、圧倒されました。
が、実はワタシはここからお参りするのは初めてでした、
いつも県道沿いに「西山」への入り口から行っていたので…
でも、この鳥居が「一の鳥居」だと思います、正式参拝です(笑)。

ではつづく
十一丁石、十丁石はありません
コメント
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