橡の木の下で

俳句と共に

「選後鑑賞」令和6年「橡」2月号より

2024-01-28 15:48:14 | 俳句とエッセイ
 選後鑑賞      亜紀子

数へ日やハウスに熟るる桜桃  村山八郎

歳晩の農業ハウスというと、ポインセチア、シクラメン、あるいはスイートピーやストックといった花卉類を思い浮かべるのだが、さすが御当地山形。さくらんぼが熟しているとは。暮れから正月にかけての進物用なのだろう。「ハウスに熟るる」の語に赤く艶々した冬の桜桃を彷彿。

リハビリに勤しむ日々や花八ツ手 斉藤春汀

 倦まずたゆまず、継続が何より肝心のリハビリと思う。花八ツ手の佇まいが相応しい。

訪ふ人もなくて一日や花八手 小林昌子

 物寂しいような、何か足りない一日にふと目を捉えた八手の花だろうか。案外に美しく、冬の蜂や虻、蝿など訪れている。前句と微妙に異なりつつ重なり合う八手の花の趣き。

SLの汽笛に年を惜しみけり 中野順子

 房総を走る小湊鐡道のトロッコ列車だろうか。一度は乗ってみたいもの。確かにSLの汽笛には来し方を振り返りたくなる響がある。

千本の蜜柑育てし昭和あり  寺西敦子

 蜜柑栽培全盛期を担った農家。現況と比べて隔世の感。千本、昭和の語が響く。同作者の
半世紀苺つくりて八十路かな
もまた訴えてくるものがある。

返り花約かなはずに友逝けり 比嘉郁子

 約束はなんだったろう。コロナ収束の目処も立ち、吟行に旅行に、観劇にと色々相談されていたろうか。
返り花は寂しい花だ。

命綱つけて聖夜の飾りつけ  内山照子

 街の商店街、モール、あるいは公園などの聖夜飾りか。屋根や樹木、高いところに電飾。確かに命綱は必須。面白い光景を見つけた。家庭のツリーなら子供の爪先立ちで事足りる。

小春日や牛の匂ひの長寿村 太田順子

 今も長寿村は健在だろうか。ここ二十年あまり世の中は大きく変わった。牛の匂ひの長寿村。こんな小春の日差しに包まれていたい。

七五三家族総出の一張羅  金子やよひ

 家族一丸、皆で寿ぐ様がおめでたい。初めてのお子さんだろうか、両親、祖父母、揃って晴れやか。

木枯を来て小上りや灯の温し 戸井田たかし

 小上がりの語、この頃あまり耳にしないが、そこがまた灯の温しの語とぴったり。ちょっと一杯引っ掛けていきたくなる。コロナの最中、近所のこんなお店が消えてしまい木枯だけが残されたのが悲しい。

点滴棒憩ふラウンジ冬夕焼 川添昭子

 「憩ふラウンジ」なんだかホテルの一光景のようなイメージも生まれ、病窓俳句の陰がなくてほっとさせられる。

錦秋の峠通学遠き日々  倉坪和

 遠き日々の思い出。長い道のりではあったろうが、季節も敵い、いかにも美しい山道だったろうと想像できる。作者は飛騨出身と聞けばさもありなん。


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