橡の木の下で

俳句と共に

「風花」令和4年「橡」3月号より

2022-02-28 14:47:20 | 俳句とエッセイ
  風花   亜紀子

風花やどこへ行かうか鉄路沿ひ
一日は大吉引いてそれだけよ
鴨しづか夕日の帯に一並び
寒中の街を動かぬ雲の笠
裸木に遊ぶ雀も松の明け
風花や鴉も急ぐ出勤時
紅濃きがあはれ牡丹の菰一重
寒中ウオークすぐ信号につつかかり
菰閉ぢて夜は眠れる寒牡丹
大寒や鈴鹿伊吹と揺るぎなく
冬牡丹日ざしも菰をのぞきこむ
けふ暮るる青饅うまきことのみに
ささくれて春待つ斬られ唐楓
寒禽天国尾張万歳発祥寺
初講義蛋白時計バクテリア



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「付けたり」令和4年「橡」3月号より

2022-02-28 14:44:01 | 俳句とエッセイ
 付けたり     亜紀子

 今朝も寒い。日の出は遅く自分も少し寝坊する。窓の近くでキイーッという鵯の甲高い声。ホバリングしているような影が二、三度ひらひらする。七階のベランダ、こんなところで何をしているのか。月下美人とドラゴンフルーツ、それにウツボカズラ、今はどの鉢も室内に取り込んである。残っているのは枯葉をまとったパッションフルーツ、石斛、風蘭。隅っこに空にした鉢と広げ干した僅かな土。鵯が惹かれるようなものは何もないはずだ。
 窓の外へ出てみる。ベランダの柵に点々と鳥の糞。黒い紫色をしているのは向こうの徳川園の楠や榎の実を食べたのか。ふいと壁の方を向くと一匹の亀虫。先ほどのホバリングはこの亀虫捕食のためだったのか。木の実の主食の後、動物性の副菜を食べに寄ったということだろうか。
 春から秋にかけてどこから飛んでくるのか分からないが時折亀虫が部屋の中まで入ってきて一騒ぎする。亀虫は成虫越冬するとは、冬も油断ならないようだ。この虫の出す匂いがパクチーの香りに似ていると言う人がいる。それでパクチーは全く口にできないのだと。我が家の娘二人はパクチー大好き派だが、息子は拒否反応派。果たして鵯の嗜好はお嬢さんたちと一緒なのに違いない。してみると亀虫のあの匂いも徒労だなあ。鵯が亀虫を食べた現場を見たわけではないが勝手に結論づける。
 このところコロナの変異株オミクロンの跋扈でいつもの徳川園散策も控えている。俳句の種の不足を託つ日々。朝の鵯騒ぎも面白いから句にしておこう。いやこんなことを読み手が面白いと思ってくれるだろうか。
 自分にとって面白いのだから他人にも面白いと思えとは言えない。ある時家人が子供を連れて旅行に出た。
大変実りのある学究的な良い時間を過ごせた。安心して良いと連絡が来た。疑り深い質で手放しでは喜ばない。ここで実りのある良い時間を過ごせたという感想は家人の思いで、安心するというのは私自身の判断だ。さて子供の感想は面白い所もあったが総じて疲れた旅だったとのことで、お土産話はあまりせず一日ぐっすり眠った後は友達と遊びに行ってしまった。
 子供がほんの小さい頃は親が安心していればそれで良かった。少し大きくなると「大丈夫」という言葉だけでは子供にとってちっとも大丈夫ではない。むしろ余分なことを言えば「それはお母さんの判断、蛇足」と言われてしまう。その通り。
 俳句は蛇足のないところがいい。良いものを見つけて言葉を選んで調べ良くスッキリと組み立てれば先ずは完成。飾りや付けたりは要らない。あとは見た人が判断してくれる。などと簡単にはゆかぬ難しさ。土台がしっかりしていなければ組み立てるところまで届かない。土台があっても自信が持てず、つい飾り付けて読み手に判断を強いる。ある意味痩せ我慢が必要だ。言い過ぎない、作りすぎない。ちょっと薄味だなというところで抑えておく。良い味が自然に出てくるようになるには修練、修練また修練。薄味でも深い風味を持てるようになるには日々を真面目に生きて行くこと。

里に下り熊の親子は罠に入り     鈴木淑子
開戦日幼き頃は旗を振り       奥村綾子
夜々灯す苺の温室の出荷どき     金子やよひ
ふゆ灯ひと言づつのふたりなる    川上延江
大谷の一投一打に沸く炬燵      朝倉恭子

 橡二月号橡集三句欄から。毎月の橡誌を読むのが何よりの修練。言葉は少なく、作者の思いの深さは自ずから伝わってくる。

  星眠
お花畑ゆふべ眞紅の霧を噴く
ひとすぢの茅愛す子やほとゝぎす
亡き祖母の面影梅雨の納戸神
神島や古鏡の色の二月潮
未央柳鵯の水浴大胆に
三尺の墓地妻と買ふ文月かな
生き残る姉より弟へ亥の子餅
口紅をさして散りくる橡の花

 星眠先生の句を繙けば若き日の作も晩年も一句の中に付けたりなく一読印象鮮明。そして賢明な読者にはこのような文章、講釈こそ蛇足の付けたり。

 



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選後鑑賞令和4年「橡」3月号より

2022-02-28 14:38:38 | 俳句とエッセイ
選後鑑賞          亜紀子

二日はや難なく生れし仔牛かな  大澤文子

 コロナ渦中、北海道の牛乳の余剰が取り沙汰された。それに限らず我が国の酪農全般にある難しさ。またお産は生と死の境であり、動物一般に決して楽なことではない。しかしこんな負の思考は払拭、掲句は正月早々案ずることもなく仔牛誕生に安堵。めでたさひとしお。

雪晴れや頬じろ眼じろ飛びまはる 池田節子

 眼白は群れで、頬白は一羽だろうか。眼白たちは山茶花垣の行ったり来たりに雪を散らしてゆく。頬白はチチッと声を洩らしては梢の雪をちょっと零す。昨夜の雪は止み、白銀に輝く朝の清々しさ。

真剣に遊ぶ余生や初句会     水本艶子

ほろ苦き橡餅余生本番に 星眠 
余生なほなすことあらむ冬苺 秋櫻子

 星眠先生は余生のほろ苦さを、秋櫻子先生は余生における気概を詠っているようだ。余生という語には人によって好き嫌いがあるかもしれない。現に今を生きている中で余生というものが本当に存在しているのかいないのか、分からない。しかしながら大先生も我々も掲句作者と同様に真剣に遊んでいるのだと納得する。
いつも明るい作者、今年もスタートした。

子等去りて慰め顔の四日月    板野節子

 コロナ渦中一年目には会うことのできなかった離れ住む家族たち。二年目の暮れからこの正月は感染も一段落した感があり久しぶりに遠距離移動して親や孫子が一堂に会する機会もあったろう。華やいだ気分も束の間、四日には皆引きあげてしまっている。昨年は我慢もしたが、今年は潮が引いたような静けさがかえって身にしみる。窓に心得顔のお月様。
 掲句の四日月はあくまで正月四日の月ということは句意からすぐ読み取れると思う。この一月の新月は二日だったので、四日の月齢は二。針のように細く美しい月だが月の影の部分も地球からの反射光に照らされてうっすらと丸く見える。煌々と照る満月よりもむしろ優しく寄り添ってくれるのかもしれない。

鶺鴒の川藻啄む寒の入      郡裕子

 街中ではよく駐車場などの舗装された地を歩く鶺鴒に出会う。あれは白鶺鴒だろうか。寒い季節には特に目につく。餌の少ない時期なので人の傍へもやって来るということだろうか。掲句は川辺の鶺鴒。川藻そのものを食べているのか、あるいは藻の中に潜む虫でも探しているのか。水量の減っている岸辺。冬ざれの景の中に、一点ちょこちょこと動き回るこの鳥。寒の入の収まりがいい。

来る孫のありていそしむ寒厨   阿部琴子

 張り合いのある厨ごと。お孫さんの好物をあれもこれもと準備。おばあちゃんのが食べたい、おばあちゃんの味が一番だねと聞こえてきそう。寒さも何のその。いそしむの語が尊い。

リュックからリュックへ貰ふ大蕪 倉橋章子

 京の大蕪といえば、伝統野菜の聖護院かぶらだろうか。まこと大かぶら。味も格別。ちょっと手提げに
入れて運ぶのは大ごと。ご友人だろうか、リュックで持参。いただく方もリュックで持ち帰る。さもありなん。さて、レシピはいかに。

浜塩の甘鯛一尾うす造り     市田あや子

 甘鯛、別名ぐじ。鯛ではなく、スズキ目キツネアマダイ科の魚なのだそう。上品な甘みのある高級魚。元々は関西以西で好まれ、ことに京では欠かせぬものとのこと。若狭から薄く一塩して運ばれていたそうだ。浜塩は揚げ浜式製塩による貴重な天然塩だろう。花びらのようなうす造り。舌にも目にも絶品。




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令和4年「橡」3月号より

2022-02-28 14:33:58 | 星眠 季節の俳句
蟇出でて蛙泳ぎの範示す       星眠
           (テーブルの下により)

 自宅の池に毎年蟇が産卵。辛夷の花咲く頃姿に似合わぬ優しい鳴き声。
 水に入ればまさしく蛙泳法。

                          (亜紀子・脚注)

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草稿02/28

2022-02-28 11:49:57 | 一日一句
芽柳のふくらむほとり流し雛
上の瀬の水奔りをる雛流し
亜紀子

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