橡の木の下で

俳句と共に

草稿01/31

2020-01-31 08:59:59 | 一日一句

つぼみたる唇のごともの芽出づ  亜紀子


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草稿01/30

2020-01-30 09:17:52 | 一日一句

つぎつぎと木の芽張りゆく大通り

良き朝や白腹一羽屋根に来て

亜紀子


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草稿01/29

2020-01-29 11:22:02 | 一日一句

春ならむ鴉の声音七色に  亜紀子


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「時雨雲」令和2年『橡』2月号より

2020-01-28 10:34:39 | 俳句とエッセイ

 時雨雲  亜紀子

 

思ひ出を曵いて大綿飛ぶ日なり

酒舗出でて花ちるやうに時雨くる

風の子を目守る母どち寒さうに

草枯るるやうに枯れゆく虫どちも

毀つ家の黐の実赤き門辺かな

天を衝くごとく枯れゆくもくげんじ

一町を蓋して通る時雨雲

熱燗や似たり寄つたり集ひをり

認知症講座受講や開戦日

楽しみのもみぢとりどり掃く朝

わづか干す干藷のよく香りたる

酢海鼠や酒量落ちたり汝もまた

掃き寄せて桜もみぢの塚ひとつ

居直りて頬に傷ある榠樝の実

幼らに時とどまらず舞ふ落葉


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「鶴舞公園散策」令和2年『橡』2月号より

2020-01-28 10:28:26 | 俳句とエッセイ

 鶴舞公園散策     亜紀子

 

 車は止め、自転車にも乗らなくなって二年余り、行動範囲は狭くなったが、歩く距離は伸びた。師走の日曜日の真昼間、鶴舞公園まで行ってみようと思い立つ。家からなるたけ車の往来の少ない裏道を行くルートでおおよそ二キロ半、三十分余の行程。迷子にならなければ大した距離ではない。田舎の実家に暮していた時には最寄りのJR駅までが二キロあった。

 鶴舞公園は明治の終わりにできた名古屋市が管理する都市公園。今年は開園一一〇周年になる。広い敷地内には池あり、花壇あり、公会堂、奏楽堂、噴水塔などの建築物としても面白い施設の他、図書館、児童遊園、野球場、テニスコート、グラウンドなど。それらがよく育った樹木の間に落着いて配置されている。桜の頃は花見に浮れ、紫陽花や薔薇の季節はカメラマンのメッカとなる。

 二年程前、いささか日常生活の見直しをはかり、ことの優先順位を思案した時から髪の黒染めを止めた。これがなかなか良い。ある時大荷物を抱えて地下鉄の階段を登っていると、とんとんと上から下りて来た部活帰りの女子学生さんが「お持ちしましょう」と駆け寄ってくれた。裏通りの信号のない辻に立てば、たいてい車が止まって先に渡らせてくれる。荷物のない今日は三十分とはかからずに、あっと言う間に目的地に着いてしまった。

 公園内は落葉樹(櫟、楢、プラタナス、南京はぜ、銀杏などなど)はあらかた散ってしまい、紅葉が僅かに残っているのみ。散り敷いた落葉の色は思いのほか明るい。枯れ尽くした芝生の色も美しく、鳩が何やら啄んでいる。鈍い緑の楠の木がいつもより一層背高く感ずる。

 その楠の梢の中で、鵯たちがわめいている。あの枝、この枝と鳴き交わしつつ移っている様子。この時期神社や学校などでも楠の実を啄む鵯の群がけたたましい。もしかしたら楠の実には何か怪しい成分が含まれているのではないかと思うのだが、そのような話は聞かない。

 「秋の池」の名の、公園内では一番小さい池。葦もミズカンナも枯れ果てて蕭条。向いには大学病院の病棟が立っている。いつも此処へ来るとその病楼を見上げる。そしてあの窓のどこかで、きっと誰かがこちらを見下ろし、公園の景色に目を休めているだろうと想像する。

 年も詰まっているゆえか、日曜にしては人出が少ない。それでも園のあちらこちらに置かれたベンチには誰か彼かが座っている。ケータイ、読書、瞑想、それぞれまるでそこが自分の部屋のような、他人にはまるで関わりのない様子で。

 明治期に造られたルネッサンス風の奏楽堂の前まで来ると、中国の学生さんらしいグループが歌と踊りの撮影中。見目麗しき男女のカップルの中国語のデュエットの後ろで民族衣裳に扇を持った女の子たちが踊る。それを数人で撮影。Uチューブにでも載せるのだろう。ばらばらと人が集まっては去って行く。若者たちはいたって朗らか。

 胡蝶ヶ池では羽を広げたブロンズの鶴が嘴先から空へ向かって水を噴いている。寒そうで何だか気の毒。そのさらに向こう側から、何やらマイクの音。この週末はクリスマス・イベント開催。ライブコンサートがあるらしい。昼どき、小さな特設ステージは準備中。観客席は折りたたみ椅子が三十程。コートとマフラー、ベレー帽の暖かそうななりの小柄な女性が壇上に出てきて一節歌い、マイク調整中ですと笑う。あら、はっとする力強い声。落ち着ける場所を選んで腰を据えて聞いていくことにする。名も知らなかったその歌手は普段は大阪のライブハウスやカフェなどで自作の曲を演奏しているとのこと。一時間足らずのコンサートで若い女性の気持ちや生活を歌った曲の数々。希望、絶望、ポップス、ジャズ風、高く澄んだ声、低く深い歌声ととりどり楽しいが、聴衆は疎ら、子連れの客は途中で席を立っていく。それでも最後まで熱唱。ラストの一曲がことに響く。はねてから小さな机の販売ブースでラストの曲の入っているCDを探し、サインを入れてもらう。私が尋ねもしないのに「これ最後の曲が入っているやつです」と言われたので驚く。寒さは喉に応えるのでは、お気をつけてと。身ひとつ、ガラゴロとスーツケース一個の旅。羨ましい。

 公園駅から地下鉄で帰るつもりだったが、もと来た道をやはり歩いて戻る。その夜はいささか膝が痛くなった。

 


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