しとど雨つぎつぎ立ちて蕗のたう
雪柳大風のあと一二輪
亜紀子
冬はこべ 亜紀子
鳥どちは霜の朝日へたつ四日
室育ち形ばかりに薺打つ
凍て鴉今朝厳かや喪に服し
明日のこと憂ふなかれと冬はこべ
薄氷のひと日片寄る鷭の沼
大寿林群れて枯芦色めける
初笑より幕開けの初句会
息白し異国より来て家毀つ
冬の虻ひとり悟入の日に浴す
初旅や風姿正しき車窓富士
寒雀はや恋唄をひとくだり
庭に来る先づは風の子目白どち
無事一日寒満月に眠るとき
寒晴や掃除に念を入れてみる
一面は大阪なおみ霜晴るる
庭の鳥 亜紀子
去年の秋からこのかた近隣の軒先のピラカンサが何処もたわわである。びっしりと赤い実が枝も垂れるほど。眩しいくらい日に映えている。温暖化で生りが良いのだろうか。それよりも、毎冬うるさいほど騒ぐ筈の鵯や、歌うたいの目白たちの姿が見えないのだ。
南天の真紅撒きしは鵯か吾子か 星眠
人の住む庭のものを食べに来る野鳥が少ないゆえの豊作かもしれない。と思っていたらHさんの青啄木鳥集の投句の添え書きに「今年は我家の庭に来る鳥が少なくて淋しい思いです。多分山の方に餌がまだあるかららしいです。野鳥の会の方にお聞きしました。」とあった。Hさんは草木や花に詳しく吟行の折などにいろいろ教えていただいた。庭にはたくさんの植物を育てていると聞いている。その庭にも鳥が居ないのであれば、こまごま建て込んだ下町の庭木にやって来ないのは当然かもしれない。
さもありなんと納得していると、何度か寒波に見舞われた。俄に冷え込んだ朝には、目白の群れが飛び込んで来る。鵯の叫び声が聞える。そうしてお隣の垣からはみ出したピラカンサの枝の下に赤い実がこぼれていた。現金な鳥たちだなあと眺めていたが、まてよと立ち止る。山や森にある餌は寒くなったからといって突如無くなるわけではないだろう。気温の下がった日にだけ庭に来る鳥というのは、へいぜい人間の近くに塒を持っていて、寒い日は体力温存、エネルギー保持のために近場で食事を済ませているということかもしれない。そういえば、穏やかだったこの正月四日のまだき、眼下の木の実には見向きもせずどこかへ飛んで行く鵯を見上げて、さて鳥たちも出勤、仕事初めかと思ったことだ。庭の実を糧にするというのは、野生の者にはよくよくのことなのだろうか。実地に観察している人なら分るだろう。私も野鳥の専門家に聞いてみたい。
世の中が始動して、正月五日、金沢の黒田更さんの訃報に絶句。十二月初めにちょっとメールの遣り取りをした。更さんのメールには庭の満天星の真っ赤な紅葉の写真が貼付され、こんな色の気持ちで年越ししたいと添えられていた。年賀状も頂戴した。そこには更さん自身でなく、関西俳句会の折のスナップ、くちゃくちゃの笑顔の私の写真が印刷されていた。コメントに、昨年撮った写真で一番好きな一枚と書かれている。私は自分に手放しの笑顔があったことに改めて気付かせてもらい、非常に有り難かった。聞けば、他の人たちもそれぞれその人の写真入りの賀状が届いているということだった。ご自身のことは何も構わず、ただ黙って皆にカメラを向けられ、皆の気持ちを写真に収めていたのだろうか。穏やかに続いていた道が前触れもなく不意に寸断されたような、いや、もっと急な、なんとも収拾の着かない思いが滞る。
いつもはにかんでいるような、控えめな、それでいて人のために労を惜しまなかった更さん。享年八十一歳。この世の大先輩を更さんと馴れ馴れしく呼ぶのは失礼かもしれないが、そうさせていただける安心感を与えられていたことに気付く。その後、各地の方が心底更さんを惜しみ、そのご縁を語られる。思いがけぬ人繋がりの広さにも驚いている。
名乗りつつ天地俯仰の寒鴉 星眠
鴉は鵯目白のように庭まで降りて来ることはないが、いつでも付かず離れず身近に居る。何故か更さんの訃の後、常にも増して黒々として静かだった。一昨年の町野先生のお別れの日にも鴉は喪に服していた。鴉には特別な洞察力があるのか。人の生活の傍らにあって、人の悲しみや喜びの折節に添いながら、古より神性や魔性を帯びるようになったのではなどと思い巡らしてみる。誰かにこれも聞いてみたい。
選後鑑賞 亜紀子
短日やトイレ掃除の女子トーク 豊田風露
トイレ掃除、女子トーク、橡集の俳句ではお目にかからなかった片仮名語。かといって現在の日常では特別な言葉ではなく普通に使われている。作者は十代の高校生。ことさらに新しさを意識したわけでなく、ご自身の普段の生活の中から感じたところを自然体で五七五にされたのだと思われる。作為、嫌みがなくすんなりとこちらの胸に落ちる。それでいて短日という季語が利いているのが、俳句作者たる所以。冬の日は早傾いた放課後の翳り。生徒一人ひとり、それぞれの思いがあることだろう。女の子たちは元気そう。彼女たちを横目で眺めている作者は、女子パワーに圧倒されているのか、それとも淡々と距離を置いて写生しているのか、自分の姿を出さないところが心憎い。新鮮さと、俳句らしさの両方で勉強になった。
新鮮であるということは初めの一回限りということ、これは老いも若きも等しく心しておこうと思う。また当たり前のことだが、新しい言葉を使えば新しい句になるかといえば、そうではない。新語の陳腐な句はいくらでもできる。要は詩心だろう。
星眠先生の『俳句入門のために』の「詩心」の章から、
—素手、素裸になった人の心、情、それが詩につながるのかもしれません。教養とか、経歴とか、智力とかを剥がしたところにある情が大切で、これは生得のもの、親から受けついだもの半分、自分の歩く運命が半分なのかもしれません。 巧いけれど、どうもそれだけで後にのこらない句というのは、この情のない人または表わし得ない人ではないかと思います。—
大変難しい投げかけであるけれど、本質を突く言葉として受け止めて進みたい。
幾つもの願ひは闇に流れ星 古川桜子
この作者の昨年十二月号の句、
うなぎ屋や壁の色紙にちびまる子
は記憶に新しい。ちょいと投げやったままのような一句に、まる子の作者、さくらももこの個性がよく感じられた。作者はデイサービスなど利用されて暮していらっしゃる由。重なる脊柱圧迫骨折で身の不自由なこともあろうかと拝察するが、流れ星に願い切れない夢を託される。作句精神はあくまで柔軟。
飛機の灯の音なく引くや神迎へ 宮下のし
高空を行くのは流れ星のようにも見える飛行機の灯りか、あるいは暮れ行く空に引かれた飛行機雲か。いずれにしても神迎へという季語と相俟って、初冬の空を仰ぐときの情趣が惻々と感じられる。
銀座より遠富士望む寒の入 松尾守
銀座のどの辺りからの眺めだろうか。銀座と遠富士の語を寒の入が締めてくれた。
故里の川の名前を書初に 佐藤多美野
懐かしき川、きっと良き名であろう。その書初に懐かしき山河の思い出が溢れてくる。
尼寺に淡きかげおく冬の菊 佐藤法子
尼寺の静かな起居の様が、冬菊の淡きかげに暗示されて趣き深い。
七草や子らつぎつぎに帰りゆく 太田順子
賑やかだった正月が終わり、皆が次々と帰って行くのは寂しいが、子等の家族の一年の健康と繁栄を願いつつ、薺粥で送り出す親心。
鳥引くを子らと見て立つ二月堂 星眠
(営巣期より)
自注に、三人の子供を連れて奈良行。鹿を見て喜んだ子供たちであったが、その後、句会ばかりしているので、評判わるし、と。
民郎先生も佐和子さんも雲の向こう。 (亜紀子脚注)