橡の木の下で

俳句と共に

草稿10/31

2021-10-31 06:34:25 | 一日一句
戸をひらく茶室一茎石蕗の花  亜紀子

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草稿10/30

2021-10-30 10:14:51 | 一日一句
秋蝶や紫しるく日にかざし
茶の花を蜂もよろこぶ日和かな
亜紀子

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草稿10/29

2021-10-29 08:56:38 | 一日一句
黄葉して隠れもやらずかくれみの
松手入高きに風のつのりくる
亜紀子

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「秋ひそか」令和3年『橡』11月号より

2021-10-28 10:30:51 | 俳句とエッセイ

 秋ひそか  亜紀子

灯を消してやにはに虫のうそ淋し
草の花君の恙を風に聞き
窓越しの松のひと枝に小鳥来る
凪ぎわたる街を見下ろす野分前
列正す嵐の前の彼岸花
爽籟や伊吹山をビルの頭ごし
月見むと池のほとりに人集ふ
人声は無月を言ひて過りたる
秋霖や有楽灯籠石の笠
四阿にしばし遣りたる萩の雨
沢ふたぎ瑠璃濃くなると澄む瀬音
しひの実を踏む音たのしも朝の径
邯鄲や小さき広場に風わたり
傘さして椎の実時雨やり過ごす
秋ひそか積み肥にほふ牡丹園


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「窓」令和3年『橡』11月号より

2021-10-28 10:24:25 | 俳句とエッセイ
    窓     亜紀子

 七階の自室の窓から児童公園が見える。ほぼ窓の真下に枝を張った楠の木があり、その周りに遊具が垣間見え、さらに向こうに小さなグラウンドの乾いた地面が見渡せる。隣接した日本庭園、徳川園の敷地内の一画という位置づけで、子供公園の名も徳川園と刻まれている。庭園の方は大人は有料だが、こちらの公園は大人も子供も誰でも自由に利用できる。
 毎朝六時半になるとラジオ体操の音楽が流れてくる。ソーシャル・ディスタンスよろしく、コロナ渦中の体操は十四、五人の大人たちがグランウンドに目一杯散らばって手足を伸ばす。終わればお喋りはそこそこに皆帰ってゆく健やかなお年寄りの一群。この音が聞こえてくると今日一日の平穏が予感される。
 一度だけ、梅雨どきのある朝、ラジオ体操開始よりずっと早い時刻にギターの弾き語りの歌が聞こえてきた。まだ通勤の車の音も聞こえぬ時間帯、はて何事が起きたのかと驚いてカーテンを繰ると、若者が一人楠の根方に座ってジャンジャンと歌っている。それが日本語でなくて東南アジアのどこかの国の言葉のようだった。タイかフィリピンか、インドネシアか、私には分からないが楽器も歌も結構さまになっている。しかし如何せん音量がいささか大きい。音は広いところから狭いところに入ると大きく聞こえるそうだから、かの歌も私の部屋では壁や天井に反響してより大きく聞こえるのかもしれない。子供広場で歌っているご本人にはさほどには響いていないのかも。小一時間して、何事もなかったように吟遊詩人は消えていた。コロナで県の緊急事態措置によりこの辺りでも飲食店の休業、廃業が相次いだ。バイト先を失った若者が祖国へ戻ることもできない行き場のない状況を歌っていたのではと、そんな気がした。

朝寝せり幼き跫音階鳴らし 星眠(営巣期)

 星眠先生は寝坊助だったので、ラジオ体操とは無縁。父を起こしに階段をのぼった子はどの子だったろう。

 夏休みの間の公園は朝から夕方遅くまで、一日中子供達の声が絶えなかった。隣の庭園の森からは熊蝉の轟音。これぞ夏の日々。遊びの人気は水飲み場らしい。三年生か、四年生くらいだろうか。大容量の水鉄砲、ウオーターガンというのか、男の子も女の子も毎日びしょびしょ。プラスチックバケツに一杯の水を入れてそれを浴びせる子もいる。池にはまったような、その濡れっぷりがすごい。もっと小さな子を連れて来る若いお母さんは水遊びには近寄らない。いや、この時間帯はそもそも姿が見えなかった。
 新学期に入るとぱたりと喧騒が消えてしまい、午前中は幼い子を連れたお母さんたちが戻ってきた。二組くらい何となく寄り合う親子もあるが、大抵は母子二人だけの遊びの時間だ。時折り四十雀や目白の声を「ああ、小さい秋だな」と聞く。帰るのを渋る子とお母さんたちが居なくなり、外回りの会社員らしい様子の若者がベンチや楠の木の下でお昼を食べる。食べながらスマホを繰っているのは私用か仕事か、仕事のような感じがする。学校がひける時間になればいつの間にか自転車が並んで、また子供達が集まっている。水遊びはもうしないが、何が楽しいのか、とにかく楽しそうな声。この時が永遠に続けばいいだろうに。

吊花よ森は小人の秋祭 星眠(テーブルの下に)

 秋の日が落ちてもしばらくは明るい。私の窓はちょうど西を向いていて夕焼けが真中に広がり消えてゆく。子供達はまだ帰らない。だんだん声の数が減っていき、やがて虫の音だけになる。森の樹上の青松虫の合唱。

不意に秋万葉に風しみわたり 星眠(テーブルの下に)

 街の明かりが灯りきるまでカーテンを引かずにいる。

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