橡の木の下で

俳句と共に

草稿03/31

2011-03-31 10:23:14 | 一日一句

初花の一樹今年も違はざる

春愁の手放せばある空の色

亜紀子

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草稿03/30

2011-03-30 10:10:23 | 一日一句

滞るままに流るる弥生尽  亜紀子


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草稿03/29

2011-03-29 11:05:28 | 一日一句

春光のただに遍し音の絶えて

初音せるひたに無心に二度三度

亜紀子


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成23年「橡」4月号より

2011-03-28 14:32:19 | 俳句とエッセイ

 辛夷の芽     亜紀子

 諸手あげ朝日を受くる辛夷の芽

緞子着て暗き土蔵に立つひひな

土雛のかむり大きく倒れざる

うらうらの春は別れを重ねきし

今昔や神楽坂上朧なる


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『故庭』平成23年「橡」4月号より

2011-03-28 14:25:40 | 俳句とエッセイ

    故庭      三浦 亜紀子

  正月四日、帰省。父に会うのは一昨年の暮れ『テーブルの下に』出版記念祝賀会以来のこと。実家の庭の土を踏むのは三年ぶりのように思う。祝賀会は東京で開かれ、父も上京し、同じ卓を囲み、多少の手の不自由は見られたものの歓談しながら食事を共にしたのだった。それからは電話で時折俳句に関する話をしていたばかりで、迂闊なことであるが、この一年間の父の生活の変化は想像だにしていなかった。

 家の中がこざっぱりと片付いて、家具や寝室の配置が以前と変わっている。父の日常はほぼあらゆる場面での介助が必要になっていた。その生活に沿って暮らしぶりが整えられていたのだ。私の住む名古屋の下町は目の前のごちゃごちゃした物に視界を遮られ空が行き止まる。故郷は高い建物はなく、各々が適当な間隔を保ち、空は途切れることなく広がる。その違いに似た感覚。

 父はだいぶ言葉少なくなった。日中もうつら、うつらしていることが多い。病そのものの症状と、食後に呑む薬の作用と、両方の影響のようだ。それでも俳句の選の話などすると乗ってくるのは少しも変わらない。選をしても狂いがない。時折出る軽口も昔のまま。体は不自由になっても父らしいと私が感じている父の姿は変わりがない。

 頭がしっかりしていたので、安心したと言えば「中身はあっても、言葉が出てこないんだから仕方ないや」全面介助を受けながら「手も足も出なくて降参だ」と笑っている。

 十七年余り可愛いがってきた目白も羽が抜け、艶が失せた。かつてのように引っ切りなしに籠を飛び回るということがない。時折ひとふし歌い、果物をつついて、あとはじっとしている時間が長い。

 一晩泊まった翌日散歩に出る。強霜の朝。庭は霜柱でいっぱい。河原に沿う道脇の冬菜畑。大根の緑の葉に白い霜の縁取りがきらめいている。鋤返されたまま眠る土塊にも霜が輝く。向こうから来た人と白息の挨拶を交わす。名も知らぬ同士である。まだ松の内だ。

 碓氷川の橋をひとつ渡る。子どもの頃は危うい吊り橋が架かっていたところ。それからまた川沿いを次の橋まで歩く。そこまで来ると、行く手の雲ひとつない西の虚空に、巨船のごとき荒船山が浮かび、妙義嶺の荒い山襞も澄み切って見晴るかすことができた。ここらは犬を連れて父がよく歩いたところ。

 折り返して田畑の中道を戻る。朝日が少し高くなり、見渡す限りきらめく霜の光。もと来た橋に出る。橋の半ばで耳慣れぬ鳥の声。向こうの切り岸に翡翠が閃いた。

 翡翠の一閃枯野覚ましゆく  星眠

  しばらく立ち止まり岸辺を眺めていると、今度は甲高い鳰の声。自分が暮らしていた頃はこの辺りには居なかったと思う。冬川の水面は朝日を返して、目を凝らしてもそれらしい姿が見えない。石かしらと思っていた小さい固まりが横へ滑るように動き、それが鳰であった。岸辺に沿う道を帰ると葭叢から河原鶸の小さな群れが飛び立つ。根方に薄氷、水は澄んでいる。川幅が少し広くなり、一段流れが落ちる手前のよどみに鳰がもう一羽水をを潜るのを見る。宅地に出てくると、そろそろ出勤の車やバイクのエンジンの音。

 帰宅して父に散歩で見た鳥の報告。「結構いろいろいるなあ。いいねえ。」父は鳰のいつもいる場所を覚えていて、私はあのよどみが定位置であることを知る。ノートしてきた句を整理して、ひとつ質問をする。

「故庭という言葉があるかしら?」自分の携帯した辞書には見あたらない。父はゆっくり、遠くを探すような表情を見せた。

「嗚呼あるよ。いい言葉だいね。」

里言葉であった。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする