選後鑑賞 亜紀子
淋しさの狭庭明るく石蕗の花 水本艶子
私の毎日歩いている近所の庭園ではあれこれの草花が衰えてくる頃、蕾をあげていた石蕗が開き始める。その黄の色がいかにも鮮やかであたたかで、はっと胸開かれる思いがする。
作者は言葉では言い表せぬ辛い体験をされた。悲しみの中に居られる。石蕗の花の慰めにいささかでも心動かれた様子に、読者もまた励まされる思い。
友待つやきんもくせいのかざしもに 松本欣哉
友との待ち合わせ、漂う良い香りは金木犀のようだ。それは偶然のことと思うが、どこか能動的に花の風下に立ったように詠まれて詩が生まれた。中七下五を全て平仮名にされたのは、この芳香をのせてくるほのかな風の様を目に見せているのだろうか。
羽広ぐごとき航跡湖の秋 迫間真生子
船が水上を進むとき、船尾に波が生じる。掲句の羽広ぐとは後ろに向かってV字に開き、小さな漣も伴なった航跡か。作者と同じ船に乗り合わせていたが、この発見は見落とした。秋一日、翼広げて吟行の船旅。
期待に弾む心を感じる。
母の忌や夕日染み入る干大根 谷本俊夫
初冬の夕日に並ぶ干大根。母上の逝かれた日。漬物用意の大根を母上も毎年干されていたのだろうか。我々は年を経ると一層母を偲ぶ心が深くなるように思える。染み入るの語に作者の思いの様々が含まれている。
秋の声聴くや比叡の双耳峰 岩佐和子
比叡山の頂は四明岳と大比叡の二山が並ぶ。双耳峰と呼ばれる山は各地にあるが、掲句を見て秋の声を聴く耳は比叡山が最も相応しく思われた。歴史、立地、標高等々の故だろうか。
鷹去りて影一つなきけふの空 栗林さだを
鷹の渡りが終わり、まだ高い空が残されたようだ。昨日の鷹柱の壮大さ、今日の空の青さを共に感じられる。
祢宜やをら箒の素振り神の留守 久保裕子
この祢宜は剣の使い手のようだ。落ち葉掃きもまだ半ば、作者が見ているのは気付かずに。やをらのタイミングがユーモアたっぷり、神の留守でオチも決まった。
褒めらるる畑に一条菊咲けり 田村美佐江
畑にも作る人の個性がある。作物の出来栄え良く、よく整えられた畑。見ていて気持ちが良い。仏様用だろうか、片隅には何かかにか花が植えられている。一条の菊も美しい盛りだろう。
熊出没今日より変ふる散歩道 中川幸子
里に熊出没のニュースを度々耳にしたこの秋。作者の散歩道にも影響があったとは。ルートを変えたそうだが、熊には道はあるようでないようで、なお気をつけて。
夫共に灯火親しむ聖書かな 熱田秦華
穏やかな夫婦の時間が満ちている秋の夜長。灯火と聖書の二つの語が響き合い、眼前に燭の明かりの色が見えてきた。