橡の木の下で

俳句と共に

草稿04/30

2022-04-30 12:14:23 | 一日一句
すいれんに親指姫のかはづ鳴く  亜紀子  

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草稿04/29

2022-04-29 09:37:21 | 一日一句
椎の花徒な連休長々と  亜紀子

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「花ほつほつ」令和四年『橡』五月号より

2022-04-28 11:53:29 | 俳句とエッセイ
 花ほつほつ   亜紀子

スケボーのジャンプ一寸春動く
遠足の幼について牧場まで
菜の花や小さき馬柵を一巡り
弥生の日ざしあまねき堆肥小舎
水抜かれ鳴くを忘れし亀ならむ
落葉より覚めてもつるる蝶二つ
芽吹きをり小啄木鳥が叩く楢林
きぶし咲き鵤が笛を整ふる
榛の花水走り出す石の上
一心に日はまんさくに集まりぬ
また同じやうな句を詠む日永かな
しやぼん玉日和のあちらこちらかな
並び出て鯉回遊の水温む
前撮りの楚々と二組青柳
花ほつほつ道を問はれて二丁ほど

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「平安」令和四年『橡』五月号より

2022-04-28 11:15:10 | 俳句とエッセイ
 平安   亜紀子
  
 新型コロナ、オミクロン株の感染状況、多少は落ち着いてきたように見えて未だ油断ならない。二月二十四日「え、嘘でしょう」という間も無くロシア軍のウクライナへの夥しい数の砲撃。出口の見えないプーチン軍ウクライナ侵略戦争。地図を廻してみれば、アフガニスタン、シリア、イエメン、ミャンマー、アフリカ各地。気候変動には決め手を持たず。今じりじりと、否駆け足でこの世の終末に向かっているのかと悲観的に。いけない、いけない。明るい方向を見なければ。じっとしていると知らず知らずに暗い所にはまってしまう。三回目のコロナワクチンも打ったことではあるし、久しぶりに徳川園の散歩へ。
 丘の芝生の広場の梅林。紅梅も白梅もすでに終わり、緑を取り戻した芝の面に散り敷いた花びら。その片隅で梅よりずっと早くから咲き始めていた三椏の花はいまだ健在。木五倍子や四手、猫柳など早春の花がやはり残っている。
 小流れに沿って大池へ。しばらく逗留していた真鴨の二つがいは消えている。鶺鴒が尾を振りながら石を渡る。煙るように芽吹いた楓の梢がせせらぎを覆い、根方で著莪の蕾がふくらむ。池のほとりの枝垂れ柳の緑が際立ってきた。木下に立って一緒に風になぶられてみる。錦鯉の群が向こう岸を指してゆく。あちらで子供達がしゃがんで水に手を伸べているのは冬の間は休止されていた餌の販売が復活したらしい。真白に眩しい雪柳。牡丹園を歩けば小さく固かった赤い芽は葉を開きそれぞれの株が蕾を掲げている。季節は色を混ぜ合わせ、暈しを混じえ、時には折り重なるように進んでいく。
 花鳥諷詠。虚子の標榜した言葉が浮かぶ。戦も災害も疫禍も、この世の真実を見つめながら花鳥諷詠の境地を保てれば。しかしその真実とは。フェイクも誠もごちゃ混ぜのご時世。歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリが言うには真実とは痛みを知る者。お金も国家もAIも傷つくことはない。真実はその背後で痛みを被るあらゆる人々。それに応えて台湾のデジタル大臣オードリー・タンが言う。いつもこの世で最も傷つく人々の力になるように、皆の協力でコンピューターコードを織り成して行けばより良い人類の将来へ繋がるでしょうと。光ある未来は自ら志向して行動あるのみ。しかし僅かな身の回りだけの痛みが一大事でそれに拘泥する日々。
 さて花鳥諷詠に戻る。虚子に関する一冊の本を頂戴した。『虚子点描』矢島渚男著。点描の語の通り、著者が選び出した虚子の句の綿密な鑑賞文を綴り合せた体裁。その中に虚子の周りの人間関係と時代、俳句というもののあり様などが語られる。そして自ずから虚子という人間の形が立ち現れてくる。根底に筆者の虚子に対する並々ならぬ興味関心、敬愛と憧憬の念が流れる。巻末にアイウエオ順の掲出句索引が付され、虚子を学ぶ手引きともなる。
 例えば一句引いてみる。

   碧梧桐とはよく親しみよく争ひたり
たとふれば独楽のはぢける如くなり 虚子(昭十二)

 親友、河東碧梧桐への追悼句。子規を兄貴分として虚子と碧梧桐は弟分。子規と碧梧桐なければ虚子はなしと矢島氏は書く。俳句の方向性では袂を分かった二人ではあるが、その交流は生涯に渡る稀有なる友情とも。実は虚子の良き伴侶であったいと夫人は二人が下宿していた先の娘で碧梧桐の婚約者であったが、碧梧桐が天然痘に罹り隔離されていた間に虚子と結ばれてしまったということだ。この件に関しても表立って二人の間に波は立っていないとのこと。ただ矢島氏は碧梧桐の句集に、大事にしていたベイゴマをお前に取られてしまったという句

虎の子の海驘を汝が袂かな  碧梧桐

を見つけ、あるいは虚子の句の発想もこんなところにあろうかとも思えると記していて面白い。碧梧桐の新傾向俳句の対立として虚子が定型を守り、花鳥諷詠へと進んでいったのだとも。昭和九年、子規三十三回忌に出された碧梧桐著『子規を語る』の中の一節「子規没後年と共に平凡化して行く、今の碌々たる自分を顧みて、当時子規を驚かした時代が、自分の一生の中、最も華やかで純粋で無邪気で無我な美しさに充ちていたとしか思われない」と読み合わせるとき、はぢける独楽は一層胸に沁みる。
 長くなった。季進む園を歩くとき、書物の草叢を散策するときひとときの平安。


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選後鑑賞令和四年「橡」五月号より

2022-04-28 11:09:05 | 俳句とエッセイ
選後鑑賞     亜紀子

屑野菜片す畑より蝶生る   大澤文子

 今年最初の蝶の飛来。蛹から目覚めた紋白蝶だろうか。成虫で冬越ししたタテハ蝶の仲間だろうか。野菜屑を片すという上五の情景に、なんとなく成虫越冬していたものが動き出してきたように感ぜられた。日差しが嬉しい季節到来。畑仕事も本格になるのだろうか。小さな喜びがやがて広がり満ちていく。

突然の戦テロップ冴返る   松島道代

 ウクライナ。まさに衝撃。冴返るに共感。

永き日や朝昼夕と薬あり   後藤久子

 一日を服薬時刻が律している感あり。同感の読者も多いのではと想像する。永き日やの詠い出しはのどやかな気分なのか、多少倦む思いなのか。作者の気持ちは別として、読む側の心持ちにかかっているかもしれない。

髪押さへ気象予報士桜東風   香西正博

 これはテレビの天気予報の画面だろうと思うが、桜東風に髪が乱れるのはスタジオを出て戸外からの放送のようだ。髪押さへの語に今まさに花の風に煽られている予報士、おそらく女性の姿を彷彿。北風や台風でないから楽しい。

地の便り速達便に揚雲雀  宮下直樹

 大地の春の喜びを雲雀が速達で青空に届けている。雲雀の郵便屋さん、ちょっと賑やか。

大黒像並ぶ岸辺や獺祭   寳來喜代子

 長崎市深堀町の波止恵比寿が思い浮かんだ。古より港町の安寧と繁栄を願い祀られてきたそうだ。並んだ祠に獺祭のイメージ。実際釣果の残りものもあるかも。波の輝きも明るく。海辺に春到来。

籠り居や庭へと誘ふ福寿草  吉田八千代

 冬籠り、コロナ籠り、出不精になると少し歩かなければと思いつつ、ちょっと庭先へ出るのさえ億劫に。それでも福寿草が顔を出す頃になり、今日は幾つ出たろうか、明日は咲くだろうかと庭下駄を。有り難い季節。


みの虫に小さき窓あり日脚伸ぶ  吉沢美智子

 みの虫が顔を出して蓑を着たまま壁を登るところを見たことがある。確かに小さな窓がある。掲句は日脚も長くなり、北窓を開けたというところだろうか。調べてみるとこの窓から四十雀などが嘴を突っ込んで虫を引っ張り出すことがあるとのこと。また雄は桜の終わる頃に蛹になりひと月ほどで成虫になってこの窓を飛び立つそうだ。一方雌は蛹から大人になっても蓑に籠ったままで交尾、産卵。幼虫が孵化するまでには干からびて蓑から落ちてしまうとのこと。幼虫は蓑を出て糸を長く垂らし風に揺られて移動していくという。蓑虫の窓という発想、思いつかなかった。小さな窓に数々のドラマ。


茶畑の宇治や一面風ひかり  立林きよの

 茶畑の宇治と正面から詠い、一面に輝く新芽も美しく、宇治という良き名が響く。郷土愛の賜物。


東京に大雪といふ十センチ   小野田晴子
 都内に大雪注意報が出される基準は十二時間に深さ五センチ、十センチとなると警報レベルだそうだ。今年の降雪は各地大変だったが、都会は本当に脆弱。便利さの不便を思い知った。

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