橡の木の下で

俳句と共に

草稿07/31

2022-07-31 15:01:28 | 一日一句
片陰に入りても暑き往き還り  亜紀子

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草稿07/30

2022-07-30 17:42:04 | 一日一句
お洒落して乙女のつどふ氷水
藪蘭をいけて茶室の陰ぞよき
亜紀子

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草稿07/29

2022-07-29 12:01:57 | 一日一句
ボランティアガイドと巡る瀧の園  亜紀子

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「梅雨の傘」令和4年「橡」8月号より

2022-07-28 14:09:00 | 俳句とエッセイ
梅雨の傘  亜紀子

亀虫と聞けばあめんぼわつと湧き
つばくろに蓮池青くひとそよぎ
緑陰の風に頁のあともどり
お喋りが好きよ街つ子四十雀
宝くじ恃む幾たり梅雨の傘
無人店向き合ふ梅雨の冷凍庫
冷房や皆黙々と拉麺屋
ヘイコーと鴉も嘆く溽暑かな
雷神も口籠もるのみただ暑く
種尽きて句材探しの梅雨の傘
蝶ふらり出づ坊ヶ坂尼ヶ坂
注連一縷まだ通さじの茅輪かな
下ぐる頭に夕風わたる夏越かな
蟬鳴くと記す七月一つ日なり
おかつぱに吊りスカートに立葵


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「プラネタリウム」令和4年「橡」7月号より

2022-07-28 14:08:03 | 俳句とエッセイ
プラネタリウム    亜紀子

 朝起きて窓のカーテンを開ける。正面、西の果て伊吹山の辺りが茫と霞んでいる。朝曇り。今日もまた暑くなるのだろうか。いやすでに蒸し暑い。連日猛暑、梅雨も明けやらぬうちから閉口だ。毎日の散歩コースの徳川園が半月ほど改修工事のために閉園していて緑陰の散策ができない。暑い最中に街の舗装路を歩くのはかえって体に良くないだろう。結局我が身はなまくらになる。
 金曜の夜、市の科学館のプラネタリウムへ出かけた。これは科学館友の会天文クラブの催し、会員向けの特別講演。初めて参加した時には途中でいい気持ちになって眠ってしまい、終わって目が覚めた。今回の演題は我が「天の川銀河の姿」。天文も物理もとんと疎い身ではまたいい気持ちになるかもしれないが、この身の置き所の、その始まりを知るのは徒事ではないだろう。
 天の川、子供の頃は見ていた。もう随分長いこと見ていない。真ん中にブラックホールを持つ円盤状の星の渦巻きの銀河系。天の川はこの円盤方向の沢山の星の重なりを目で見ているのだそう。そして目では見ることのできない渦の暗い部分にも実はたくさんの物が存在していて、それを電波で捉えて可視化した姿をこの晩のプラネタリウムで見せてもらった。その中で星が誕生している可能性もあるらしい。可視光で捉えた銀河、X線でキャッチした銀河の姿、共に合わせて映し出された。これが我が足元とは。実感には遠いけれど、美しい。
 電波にせよ、X線や可視光にせよ、一つの望遠鏡で観測するわけではなく、地球上、あるいは宇宙にもある複数の観測点で得られたデータを結んで解析する。今晩の解説者は国立天文台野辺山宇宙電波観測所の研究者でもあり、その研究所内の写真も見せてくれた。デスクに並ぶ何台ものコンピュータ、その画面にずらずらと数値データ。その情報から今夜のプラネタリウムのドームに掲げられた色付きの絵画のような姿に変換。不思議。これこそ俳句以上の詩。
 星眠先生は野辺山観測所を見学して文章を残している。『田園随想』をみると昭和五十八年の二月。当時の東京天文台長の古在由秀氏が柴田茫洋同人の高校の級友という縁で東京から二人で安中に寄り、父と妹が同乗、雪の野辺山に向かう。観測所では建設を主導した森本雅樹教授に案内を受けている。およそ四十年前のことで現在とは異なることも多いだろうが、
ー広い窓ガラスの外には融けない雪が日に映えて、それを縁どるように枯れた萱がむらがっている。清浄たる風景である。この風景の中に住む学者たちも、極上の純度をもって天体を研究している稀有な人ー
という一節は今も共通だろうと想像する。
 さて先日来新聞では「はやぶさ2」の持ち帰ったリュウグウの砂が話題になっている。ほぼ太陽系誕生直後の資料。そこに蛋白質の素となるアミノ酸二十三種が揃っていたとのこと。味の素まで。宇宙空間には生命の種が広がっていて、生命の起源は宇宙からという仮説があるという。この身は宇宙の塵の申し子、本質的には石や岩と変わりなしの感あり。
 昔「アイ・アム・ア・ロック」というサイモン&ガーファンクルの歌が流行った。他者との関わりを避け、愛することもない、それゆえ傷つくことも、泣くこともない、自分は岩だと言う孤独な青年。しかし実際の人間は岩に似て非なる物で不動にはなれない。宇宙の申し子の私たちは塵のスープがギュっと煮詰まった状態だろうか。万遍なく広がっていたアミノ酸も凝縮すれば偏る。世の中極端に偏ると何かと不都合が起きるのが常。辛い思いに涙を流すのも当然かもしれない。
 とはいうものの、この偏りゆえに喜びがあるのだとも言える。岩は笑わない、歌わない。俳句など詠まない。運命論とは違うが、今あるすべては遠い宇宙誕生の時からすでに起こり得るものとして存在していたと思えばそれはそれで安心になりそうだ。
 プラネタリウムを出て星のない街の空を仰ぐ。それから一週間もしない六月の内に早くも梅雨が明けてしまった。























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