先日の湘南色編では撮影記録が全く残っていないのに、こちらのスカ色編には、それなりに記録が残っています。そのあたりにも自分自身のスカ色偏重が良く現れています(笑)
サロ111-1002 市川駅にて
市川駅は通過線があり中1線で撮影が出来ること、特急待避で停車時間が長いこと等、条件がよいので度々撮りに行きました。
サロ111-1015 市川駅にて
無理矢理付けたような電幕がチャームポイントです(笑)
サロ110-1247 1980/09/15 市川駅にて
この車両の落成日は1980/06/30の様なので落成したての1200番台ですね。
サロ110-1304 市川駅にて
この“ひょうきんサロ(死語)”は183-1000の改造車ですね。模型化予定です。
サロ113-1002 市川駅にて
“悲運のサロ”と呼ばれたサロ113、成田空港開業が予定通りだったら、どんな運命になっていたのでしょうかね?
サロ113-1004 1980/09/15 市川駅にて
関西からの出戻りで湘南色のまま営業に就きました。標記も大ミハのままです。この車両のミハ→マリ転属日は1980/08/28の様ですので、この時点で転属から2週間程度しか経っていませんでした。
サロ113-1015 1980/11/04 品川駅にて
“湘南色でグリーン帯が残っている車両がいる!”ということで追い掛けて撮った車両です。タツ→マリの転属日が1980/09/10ですので、この時点で転属から2ヶ月程度です。そしてスカ色に塗り替えられたのは、翌年3月の要検入場時ですので、総武快速線で湘南色のまま走ったのは半年間のみと云うことですね。
おまけ
サロ110-501 1983/03/25 南部信号所にて
説明不要ですね(再掲)
さて、サロの工作も再開しなくっちゃね!
サロ111-1002 市川駅にて
市川駅は通過線があり中1線で撮影が出来ること、特急待避で停車時間が長いこと等、条件がよいので度々撮りに行きました。
サロ111-1015 市川駅にて
無理矢理付けたような電幕がチャームポイントです(笑)
サロ110-1247 1980/09/15 市川駅にて
この車両の落成日は1980/06/30の様なので落成したての1200番台ですね。
サロ110-1304 市川駅にて
この“ひょうきんサロ(死語)”は183-1000の改造車ですね。模型化予定です。
サロ113-1002 市川駅にて
“悲運のサロ”と呼ばれたサロ113、成田空港開業が予定通りだったら、どんな運命になっていたのでしょうかね?
サロ113-1004 1980/09/15 市川駅にて
関西からの出戻りで湘南色のまま営業に就きました。標記も大ミハのままです。この車両のミハ→マリ転属日は1980/08/28の様ですので、この時点で転属から2週間程度しか経っていませんでした。
サロ113-1015 1980/11/04 品川駅にて
“湘南色でグリーン帯が残っている車両がいる!”ということで追い掛けて撮った車両です。タツ→マリの転属日が1980/09/10ですので、この時点で転属から2ヶ月程度です。そしてスカ色に塗り替えられたのは、翌年3月の要検入場時ですので、総武快速線で湘南色のまま走ったのは半年間のみと云うことですね。
おまけ
サロ110-501 1983/03/25 南部信号所にて
説明不要ですね(再掲)
さて、サロの工作も再開しなくっちゃね!
スカ色サロ 拝見しました
いやあ懐かしいです
そういえばサロだけ湘南のだとか
183系などから改造されたサロいましたね
サロって意外に改造車多いんですよね
そういえばステンレスのサロ124なども
改造されて211系につながってたりしますものね
やはりサロは奥が深いです
「サロの工作」楽しみに待ってます
スカ色サロ懐かしいですねー。
自分は113系グリーン車を撮影したのが
東海道末期のK52編成だけでした。
近郊型サロ特集、イイですね~\(^^@)/
サイコーです♪
ちゃんと撮影しているあたり、さすがお奉行さまです(^^)
悲運のサロ113、隠密は1度も見ることなく終わりました。
サロ110-500番台、これは、1/1のフリーランスですね(^^;
ところで、サロ112は撮影されていましたでしょうか?
隠密は小学校の時、1度だけ品川駅で目撃したことがあるだけで、それが最後でした。
サロ112が元サロ152とかサロ163だったと知ったのはずいぶんあとになってからでした。
>サロって意外に改造車多いんですよね
113系末期のサロは改造車だらけになりましたよね。
サロ110なんて番台が多すぎて......ゴミ箱形式とか揶揄されていましたよ。趣味的には大好きですけど、こういうの!
ご無沙汰しています。
>自分は113系グリーン車を撮影したのが
>東海道末期のK52編成だけでした。
末期の東海道は形式が整理されていて、ある意味面白みに欠けちゃいましたね。この時のG車と云えばサロ110-1200番台とサロ124/125だけでしたからね。サロ125だけが特異でしたね、私は撮っていないんですけど。
実はこのチョット後の時代の方が、もっとバリエーションが出来たのですが、そろそろ非鉄時代に突入したようで、写真はこれ以上ありません。もっと頑張っておくべきだったんですが、あの頃、こんなのを頑張って撮る方は少なかったですね。
>サロ112
残念ながら、こちらは古すぎて撮っていません。
画像を拝見させて頂くのに留まる身の私ですが、「悲運のサロ113」ということで、厚かましくコメントさせて頂きます。私は不適切な者で、なおかつ貴殿の意向にそぐわない者ですので、勝手過ぎます発言ですみませんが、削除して頂ければ幸いです。
定員48名、成田空港の遅れで千マリ車もスカ線運用され、これが悲運の始まりで、スカ線で運用されたら、今度は豪華な設備が仇となり、定員が少ないとクレームが付き、昭和51年に関西に転属、そして、転属した関西でも本線筋の快速に連結されていたグリーン車の利用率が悪く、関東にカンバック。
昭和48年から49年にかけて17両の製造でしたが、これほど設備のよい近郊型のグリーン車はなかったですね。成田空港が予定通り開業していれば、17両以上製造されていたかもしれませんし、悲運と呼ばれることはなかったと思われますね。
サロ113に釣られましたね。
歴史に“もしも”は無いのですが、
“もしもSuicaグリーン券システムの時代にサロ113が残っていたら”
私は1本列車を待ってでもサロ113を選んで乗っていたでしょうね。現役時代に乗ることが出来なかったので。