さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

大塚健『言ふいふ川』

2020年07月05日 | 現代短歌
 人間というのは等身大に生きるということがなかなかむずかしくて、いつでも自分の「身の丈」以上のものを求めてしまうものだ。文学においても、仕事においても、愛恋等の諸相においても。大それた夢や願望というものは結局かなわない。ある程度の齢を重ねると、はじめから諦めるということが先だって来る。サマセット・モームは「幻滅の悲哀」と言ったが、幻滅の伴わない人生というものはないのだから、何とか辻褄を合わせて日常を繕って行く。そのことの苦さをうたった大塚健の作品に私は共鳴するところが多かったから、この人には何か親しい思いをずっと抱き続けて来たのである。

  身をかはすのも才能のうちならむ右にひだりによく動く肩

  たたつ殺すたたつ殺すと声あげて走る電車のなかに目つむる

  二番ではなく二番手をめざしつつそこに到らずとも悔ゆるなし

 二首目は通勤電車のなかで、いささか過労気味でいるという一連のなかの歌。たたん、たたん、と聞きなしているうちに、それが「たたつ…」と聞こえて来るのだという。三首目は、そう思い決めてしまえば結構すがすがしいものだし、張り合いもあるのである。 

  茹で玉子はだへむきだしわが席の前をふたげばしばし息のむ

  テリーヌに口つけてからまた進めたり懸案とされたる議事を

  気を抜かぬ訳にもゆかぬどこで抜くいつ抜くそこで結果は変はる

  この川の水も一枚ではないと見るときこころさわだちはじむ

  ささら波ものを歪めて映せればそこは違ふと言はねばならぬ

をみなには佳人の意味もありといふその所作にほひたつ春の窓

 私は作者の具体的な職業を知らないし、お会いした時に直接尋ねたこともない。それなりの大きなお金を動かす位置にあって、交渉やサジェスチョンがものをいう仕事らしい。前の歌集にも、うす暗い感じのする歌、鬱屈の中身を具体的にそれと言えない歌が多かった。そうして酒席らしい場所に女性の影がさす歌もある。短歌では別にここに歌として示されている以上のことを言わなくてもいいので、読者もそれで充分である。どんな感じかは、これだけでもよくわかる。一首目も六首目も作者のこころもちは清いものである。

  遠い日の遠いさざなみこの耳のどこかが覚えゐてこよひ聞く

  どこの国からきたのかと言はれたら虫魚の国の生まれと応ふ

  ひとがたを選ぶ理由もなかりけむそれでもエイトマンのひとがた

  クローンが殖えて人口の半数を占めてある国かとうたがひぬ

  軍艦を曳くタグボートその気概なくして渡りゆけぬ世といふ

 こういう歌がなかなかいい。

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