さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

『桂園一枝講義』口訳 128-137

2017年04月24日 | 桂園一枝講義口訳
128 樹陰夏月
なかなかにならの若葉のひろければかへるひまより月ぞみえける
一七八 なかなかにならのわか葉の広ければかへるひまより月ぞ見えける 文化十年

□「中々に」、けつくに、もつけの幸、なまなかといふ事也。なまなか転じてなかなかになりたる方なるべきが、俗言が雅言に転ずることはなきやうなれども、なまなかといへ、よくわかるなり。其の「ま」が「か」になれば、即ちなかなかなり。
「広ければ」、広はにしげる上に広業の若葉が滋るなり。けつく、ひろさにとなり。なまなかと云ふて、少しも古人にかはらぬなり。「なま」は「なま」なり。なまわかき、なま公達など言ふて、「な」はなりながら、ばんじゃくの事なり。「なま」の「なか」なり。生熟とある生なり。然らば「なまなか」の所に「中々」とあるかといへば、さもあらざるなり。「なまなかにくはず」は、よかりし、「なまなかに行かず」はよけれ、といふかと思へば、左様にはつかはぬなり。ともすれば、風のよるにぞ青柳の糸は、なかなかみだれそめける。さて「中々」は、上よりしては、二、三句へだててつかふなり。又、下にあれば、上へ二、三句の所へひびくなり。此れ、古人のつかひなれなり。風がよると、中々にみだれるとなり。御前が世話する故、けつく邪魔になるとなり。「中々」は、「よる」の方につくなり。「みだれ」の方にはつかぬなり。なまじいよる故にみだれたるとなり。「なまじいみだれる」とは、つづかず。此れ一寸はなれるときこえる也。

○「中々に」は、つまるところ、もっけの幸、「なまなか」という事だ。「なまなか」が転じて「なかなか」になった方であるべきだが、俗言が雅言に転ずることはないようだけれども、「なまなか」といえ(ば)、よくわかるのだ。その「ま」が「か」になると、つまり「なかなか」だ。
「広ければ」は、広葉にしげっている上に、(さらに)広葉(業は、誤植か。)の若葉が繁るのである。つまるところ、広さ(のゆえ)に、というのである。「なまなか」と言って、少しも古人に変わるところはない。「なま」は「なま」だ。なまわかき、なま公達などと言って、「な」は(そのままの)語義を保ちつつ、盤石の(安定した)語彙である。「なま」(という意味)の「なか」である。「生熟」とある「生」だ。では(逆に)、「なまなか」の所に「中々」とあるかというと、そうでもない。「なまなかにくはず」は、よいが、「なまなかに行かず」はいいかというと、そのようには使わない。ともすれば、風が吹き寄せることにも、「青柳の糸は、なかなかみだれそめける」(などと使っている)。さて「中々」は、上(の句)からかかる時は、二、三句へだてて使う。又、下にあれば、上へ二、三句の所へひびくのである。これは、古人の慣用だ。風がよると、「中々」に乱れるというのである。お前さんがよけいなことをするから、つまりは邪魔になるよ、と言うのだ。「中々」は、「よる」の方に付くのだ。「みだれ」の方には付かない。なまじっか寄るせいで乱れたというのである。「なまじいみだれる」とは、つづかない。これはちょっと離れると(意味が)聞こえるのだ。

□今この「中々にならのわかば」のうたは、反て、けつく、といふ事にすれば、うちつけに聞えるなり。併し、「なまなか」が元来故、けつくでもなきなり。此の所よくよく吟味すべし。(富士谷)御杖、歳暮の歌に「中々に塵の中にもいとまありて暮れゆく年ぞをしまれにける」。いそがしい中に、「なまなか」ひまがありて、となり。なまなか惜まれにけるとは、つかはぬなり。さて御杖は、「なまなか」のつかひかたは、しられたれども、置所が千年以前とはちがふなり。古人のは、二、三句へだてて仕ふなり。

○今この「中々にならのわかば」の歌は、かえって、つまるところ、という事にすると、唐突に聞える。しかし、「なまなか」(という意味)が元来の意味だから、つまるところでもないのだ。ここの所をよくよく吟味するといい。(富士谷)御杖の歳暮の歌に「中々に塵の中にもいとまありて暮れゆく年ぞをしまれにける」(というのがある)。いそがしい中に、「なまなか」ひまがあって、というのである。「なまなか惜まれにける」とは、つかわないのだ。さて御杖は、「なまなか」の使い方は、知っておられたけれども、置き所が千年以前とはちがう。古人のは、二、三句へだてて使うのである。

□さて、「かへりて」は「かへりて」、「なかなか」は「なかなか」なり。それ故ここに景樹の説あり。先づ松山になみこえ、さらば浜千鳥かへりて、あとはのこさざらまし。されば「かへりて」は「かへりて」にてすむなり。今此の「中々」は「かへりて」の詞と違ひてつかひよきなり。「かへりて」の詞はしらべがなくなるなり。よほど考へねばつかはれぬなり。それ故「かへりて」といふ事に「中々」をつかふは知りてつかふなり。合点してぬいだ頭巾の寒さ哉で、どうも「かへりて」の詞のかはりがなき故に幸に五六百年「中々」が「かへりて」の所になる故に知りて仕ふなり。景樹の疎漏ではなきなり。調をいとふの所為なり。後世にいたりて吟味の足らぬやうに云ふべけれど、さにはあらず。いづれ間違もの故、とてもの事に後世幸に狂乱と云たるに付きて落着したるなり。

〇さて、「かへりて」は「かへりて」、「なかなか」は「なかなか」である。だからここに景樹の説がある。先づ松山になみこえ、そうしたら浜千鳥は帰って、あとは残さないだろう。だから「かへりて」は「かへりて」ですむのである。今此の「中々」は「かへりて」の詞と違って使いやすい。「かへりて」の詞はしらべがなくなるのである。よほど考えないと使うことが出来ない。それだから「かへりて」という事に「中々」をつかうのは知っていてつかうのだ。合点してぬいだ頭巾の寒さ哉で、どうも「かへりて」の詞のかわりがないために、幸に五、六百年「中々」が「かへりて」の所になるものだから、知って使うのである。景樹の疎漏ではないのである。調を大切に思っての所為である。後世にいたって吟味が足りないように言うかもしれないが、そうではない。どの道間違っているのだから、とてもの事に(ただしようがなくて)「後世幸に狂乱(ならん)」というところで落着としておくのである。

※「ともすれば風のよるにぞ青柳のいとはなかなかみだれそめける」「拾遺集」三二よみ人しらず。以後、「なかなかに風のほすにぞみだれける雨にぬれたる青柳のいと」(西行)など多数。

129 題知らず
大空に月はてりながら夏のよはゆくみちくらしものかげにして
一七九 題不知 大空に月はてりながら夏夜はゆくみちくらし物陰(ものかげ)にして

□実景なり。夏の夜道を行ふきりにたれも見る事なり。月は夏は白きなり。はきとするなり。夏咲く花は大方白きなり。それ故あきらかなり。
さて夏の夜は至て短し。日の横に行くが故なり。それゆゑ入りこむ月はことのほかよくさし入るなり。「ものかげにして」は、ものかげで、と云ふことにあたるなり。

〇実景である。夏の夜道を行ふきりに誰もが見る事である。月は夏は白いものだ。はっきりとするのである。夏咲く花は大方白いものだ。それだからあきらかなのだ。
さて夏の夜は至て短い。日が横に行くためだ。だから入りこむ月はことのほかよくさし入るのである。「ものかげにして」は、ものかげで、と言うことにあたるのだ。

※結句の「~にして」、近代の「アララギ」で多用された語法である。現代だと、やや勿体ぶった感じに聞こえるようである。

130
夏虫のけちなんとするともし火のかげだにまたであくるよはかな
一八〇 夏むしのけ(消)ちなんとする燈火(ともしび)の影だにまたで明(あく)る夜半(よは)かな 

□「けちなん」、今は消しなんなり。「けす」は「けつ」といふが古のつかひかたなり。けす、けつ、かはりめのことは、又別にいふべし。
夏虫は、けすつもりはなきなり。此方の見えるよりして云ふなり。とふとふ夜明けにとられるなり。
〇「けちなん」、今は「消しなん」である。「けす」は「けつ」といふのが古(いにしえ)の使い方だ。けす、けつ、の変わり目のことは、又別に説くことにしたい。
夏虫は、けすつもりはないのだ。こちらの(そのように)見える側(の視点)から言うのだ。とうとう夜明けに(あかりを)とられ(ておわる)のである。

※「とふとふ」と表記してあるが、「とぶとぶ」ではなく、おそらく「たうたう」だろう。
※「此方の見えるよりして云ふなり」を、「こちらの(そのように)見える側(の視点)から言うのだ」とあえて注した。ここは、景樹が歌を解釈する時にどういう点に気を配っていたか、ということを端的に示している。歌そのものは平凡だが。

131 夏草
蓬生のそこのなつぐさおりたちてはらひしまでを(ママ)人もとひけん
一八一 蓬生(よもぎふ)の庭の夏ぐさおり立(たち)てはらひしまでぞ人もとひけむ

□此うたよろしくもなきなり。
「蓬生」、あたれ(※あれたる、の誤植)る宿にはよもぎ多きものなり。荒れたる宿のかはりになるなり。それ故また、「夏草」とつかふなり。「よもぎふ」とばかり云へば、こたへぬなり。蓬はゆべき場所の、といふ程のことなり。「おりたつ」、おりきることなり。「たつ」は「立つ」ことではなきなり。衣物を仕立て、人を見立つるの「立」は、おりたち下の類なり。俗にいふ「おりきつて」と云ふに同じ。「たつ」は、きるの意あり。
払うて世話やいたまでは人も来たが、「はらはぬ」になりたるゆゑ、人もこぬなり。云ひ合せたやうに人がこぬとなり。「人もとひけん」、「ける」といへば誰れもわかるなり。「けん」といへば、ここに暗に合したる所をきかすなり。夏草のしげりきつた時分はあつき故に人はこぬなり。こぬのはやはり、はらうたまではきたけれども、こぬのはやはりはらうた故じやとなり。

〇このうたは、特段いいというほどのものでもない。
「蓬生」、あたれ(※あれたる、の誤植)る宿には、よもぎが多いものだ。「荒れたる宿」のかわりになるのである。それだから、また、「夏草」と使う。「よもぎふ」とばかりいえば、(響きが)強すぎない。蓬が生えるような場所の、という程のことである。「おりたつ」、おりきることなり。「たつ」は「立つ」ことではなきなり。衣物を仕立て、人を見立つるの「立」は、おりたち下の類なり(※)。俗にいう「おりきって」と言うのに同じ。「たつ」は、きるの意がある。
刈り払って世話をやいた(頃)までは人(恋人、または夫)も来たが、「はらはぬ」(こと)になってしまったので、人もこないのである。言い合わせたように人がこないというのである。「人もとひけむ」、「ける」といえば誰でもわかる。(しかし、)「けむ」といえば、ここに暗合した所をきかせるのである。夏草のしげりきった時分は暑いので人はこない。こないのはやはり、(草を)払った頃まではきたけれども、こないのはやはり払ったせいじゃ、というのである。

※二句目は、あきらかに改稿されて「庭の夏ぐさ」よりも抽象的になっている。三句目の「を」は「そ(ぞ)」の誤記の可能性があるが、これも改稿とみると、当初の荒々しさをやわらげているともいえる。

※「おりたち下の類なり」、「下」は略字か。文脈でみると、おりたち(了)おはんぬ、か。

132 風前夏草
風ふけば秋にかたよるこゑすなり夏野のすゝきほにもいづべく
一八二 風ふけば秋にたかよる聲すなり夏野のすゝき穂にもいづべく 文化十年 五句目 穂にハイデネド

□風ふけばかたよるなり。其かたよるは、秋に近づくやうなるをいふなり。出づべく思はるるなり。

〇風がふけばかたよるのだ。そのかたよるのは、秋に近づくような気候をもいうのである。(秋になって穂が)出るように思われるのである。

133
川岸の根白高がやかぜふけばなみさへよせてすゝ(ゞ)しきものを
一八三 河岸のねじろ高がや風ふけば波さへよせて涼しきものを 文化四年 五句目 涼しカリケリ

□「すゝ(ゞ)しかりけり」でもよき歌なるを、「ものにを」(※誤植「ものを」に)したるなり。
高がや、根の白きものなり。根白がやとは、つかはれぬなり。高がやの見ゆる、音さへすゝ(ゞ)しきにとなり。さて「物を」と詞を残すには及ばねども、詞がくづれるなり。それ故に折合せるなり。此れ言語の大法なり。 

○「すずしかりけり」でもよい歌であるが、「ものを」にしたのだ。
高がやは、根が白いものである。「根白がや」とは、使われないものだ。高がやが見えている、(その風にそよぐ)音だけでもすずしいのに、というのである。それで「ものを」と詞を残す必要はないのだけれども、(「すずしかりけり」では)詞が崩れるのである。それだから折合せたのである。これが言語の大法というものである。

※原文、「ものにをしたるなり」、誤植か。「ものを」にしたるなり」と解釈した。

※さりげないふうに作ってあるが、見立てと実景のあわいにあるものを、調べとしてとらえた、なかなかいい歌である。

134 夏草露
かげふかき蓬が末をふくかぜにけさもこぼるゝさみだれのつゆ
一八四 陰ふかき蓬が末をふく風にけさもこぼるゝ五月雨(さみだれ)の露 文化十年 二句目 庭ノヨモギヲ

□よもぎに埋れきりたる閑居のさまなり。「末を吹く風」、晴れたる景色なり。露はない形なるに、やはり名残ありて、今朝もきのふの五月雨の露がこぼるゝなり。

○よもぎに埋れきっている閑居の様子である。「末を吹く風」は、晴れた景色である。露はない形であるが、やはり名残があって、今朝も昨日の五月雨の露がこぼれているのである。

※これも前の歌と同様に何気ない風でありながら、一、二句に繊細な観察が働いており、なかなかいい歌である。

135 
蜻蛉のとぶひの野べのなつくさもわくれば下につゆこぼれけり
一八五 蜻蛉のとぶひの野辺の夏草もわくればしたに露こぼれけり 文化十四年

□かげろふ、とんぼなり。赤ゑんばなり。かげろふのとぶ、とつかふは、炎熱の形なり。

○「かげろふ」は、とんぼである。赤とんぼだ。「かげろふのとぶ」と使うのは、炎熱の型(慣例)である。

※「ゑんば」はトンボの異名(小学館『国語大辞典』)。

136 江戸にありける時野夏草といふことを
むさし野は青人草もなつふかし今さくみよの花のかげみむ
一八六 むさし野は青人草(あをひとぐさ)も夏深し今さく御代の花のかげ見む 文化十五年

□江戸の風、専ら有職を好み、文字を好みて世が開くるなり。しづしづとして何ごともはなやかなり。京都は六十位の人の如し。江戸は二十斗の人のうきうきしたる国なり。今より五十年もたたば、りんときまるなり。江戸と京とは、老若を以てくらぶべし。追々文化ひらけるなり。青人草々は、沢山なることなり。衆人なり。青い草のみならず人草も、となり。今さく御代六月も末なれば、秋近し。今追付さくとなり。御代の栄華をいふなり。此外夏草によそへたるなり。青人草、平田篤胤の書に日本扶桑木二本見えたる国なり。唐より見えたるなり。木に日をかくなり。木の中に日を見るが東の字なり。日本はあきらかとよむ。木の上に日があがりたるやうすなり。不老不死の薬、日本の米なり。扶桑国近くなる時は海水琉璃の如く見ゆるなり。況やそれに参りこんだる人は色も青く見ゆるなり。吉野の一目千本へ入る時は人面ことごとく桜色を帯びて酒に酔ひたる如くに見ゆるなり。今人の青きかたより日本に青人草といふなり。

○江戸の気風は、もっぱら有職(学問や諸芸百般)を好み、文字(を読むこと)を好んで社会が開明的である。(また)静かでゆっくりとしていて、何ごともはなやかである。京都は六十歳位の人のようなものだ。江戸は二十歳ばかりの人がうきうきしている(ような)場所である。今から五十年もたてば、(二つの都市の優劣は)はっきりと決まってしまう(だろう)。江戸と京とは、老若(の年齢差)でくらべてみるといいだろう。(江戸は)次第に文化が開けていっている。「青人」の「草々」というのは、(人が)沢山いることである。衆人の意味である。青い草だけではなく人草も、という意味である。「今さく御代」は、六月も末なので、秋が近い。(そこに)今追って咲くというのである。御代の栄華を言うのである。このほか夏草(の盛んなさま)になぞらえたのである。「青人草」は、平田篤胤の書に(次のようにあるが)、日本は、扶桑の木が二本見えた国である。唐の国から見えたのだ。その木に日を掛けているのである。その木の中に日を見るのが、東の字である。日本は「あきらか」とよむ。木の上に日があがった様子である。不老不死の薬は、日本の米だ。扶桑国が近くなる時は、海水が琉璃のように見えるのである。ましてそこに入り込んだ人は色も青く見えるのである。吉野山の一目千本へ入る時は、人の顔がことごとく桜色を帯びて、酒に酔ったように見える。(それと同じように)今の人の青いようすから、日本で青人草と言うのである。

※ここは、「講義」のなかでもっとも興味深い一節と言ってよいだろう。江戸と京都とのちがいを一見して将来を見通した詩人らしい直観が光る。また、平田篤胤への言及もおもしろい。

137 題しらず
春風につのぐみそめしつのくにのなにはのあしは今ぞかるらん
一八七 はる風につのぐみそめし津国(つのくに)の難波(なには)のあしは今ぞかるらむ

□大阪にてよみし実景の歌なり。芦にのみ、つのぐむといふなり。五、六百年此のかた荻に見ゆるなり。つのぐみ、つのくにと重ねたるなり。あしは夏刈るなり。夏刈りといふなり。花の出ぬさきなり。

○大阪で詠んだ実景の歌である。芦にだけ「つのぐむ」と言うのである。五、六百年このかた「荻」だと見られている。「つのぐみ」、「つのくに」と(掛詞にして)重ねたのだ。あしは夏に刈るものである。(これを)夏刈りと言う。花(の穂)が出ない前である。

(本文 一行あけて、「鵜川より海辺見蛍迄闕(欠)席」とあり、小字で「資之曰鎌田用ありて聴聞に出でざりし也」と追記がある。)
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『桂園一枝講義』口訳 118-127

2017年04月23日 | 桂園一枝講義口訳
※ひとつ番号が重複してしまったので、翌日に直した。

118
住む人の袖のひとつにくちにけり草のいほりのさみだれのころ
一六八 すむ人の袖もひとつに朽(くち)にけり草の庵(いほり)のさみだれの比(ころ) 文政五年

□わびしい草庵ずみの人なり。草の庵の朽つるのみならず、人の袖もくつるとなり。わびしい形容なり。
「朽つる」は、ぬれることをくちるともいふ也。きびしくぬ(濡)るなり。「朽果」といへば、くさり-なくなる也。なくなるを「朽る」といふが、もとなれども、「ぬれる」といふことを「朽る」といへば、胸がもえるといふも、燃る迄をいふ也。「ほさぬ袖だにあるものを恋にくちなん名こそをしけれ」。ぬれることのつよき也。「庵」、いほなり。「いほり」は、「庵入」なり。庵に居るなり。やど、やどり、宿入なり。これで段々転じて来るなり。その転ずる時は、「り」の字は、らりるれろ通して、ものに入りてしまふこゑになるなり。それ故「いほり」で「庵」の事になるやうになる也。

○わびしい草庵ずみの人だ。草の庵が朽ちるのみならず、人の袖もくちるというのである。わびしいことの形容である。
「朽つる」は、濡れることを「くちる」ともいう。きびしく濡れるのである。「朽ち果つ」というと、くさってなくなることだ。なくなることを「朽る」といったのが、もとであるけれども、「ぬれる」ということを「朽る」というと、胸がもえるというのも、燃える迄をいうのである。「(相模の歌、うらみわび)ほさぬ袖だにあるものを恋にくちなん名こそをしけれ」。(この歌の「くちなん」は)濡れることが強い(様子を言う)のである。「庵」は、「いほ」だ。「いほり」は、「庵入」だ。庵に居るのである。「やど」だと、「やどり」は、「宿入」だ。これで段々転じて来るのである。その転ずる時は、「り」の字は、「らりるれろ」どれも、ものに入ってしまう声になるのである。それだから「いほり」で「庵」の事になるようになるのだ。

※二句目、「袖の」「袖も」ちがいあり。

※「うらみわびほさぬそでだにあるものをこひにくちなんなこそをしけれ」「後拾遺和歌集」八一四 相模。


119 五月雨欲晴
さみだれの雲間に見ゆる夏山はやがてもそらのみどりなりけり
一六九 五月雨の雲間にみゆる夏山はやがても空のみどりなりけり

□欲の字、もと「ほる」、「ほれ」。物に深入するなり。得たきものじや、と云ふ所へなるなり。もとは、きよろりとする事なり。「ほりす」を「ほつす」と音便で云ふ也。日本では此の「欲晴」の字は、「す」ばかりに仕ふ也。「はれんす」とよむべし。さみだれに雲間はなきもの也。その雲を空と見るは、ちらりと間がある故なり。その間に見ゆる夏山の緑と思ひたるが、やがてすぐに空のみどりぢやとなり。

○欲の字は、もとは「ほる」、「ほれ」。物に深入りすることだ。得たいものじゃ、と言う所へなるのである。もとは、きょろりとする事だ。「ほりす」を「ほっす」と音便で言う。日本ではこの「欲晴」の字は、「す」ばかりに使う。「はれん(と)す」と読むべきだ。さみだれに雲間などないものだ。その雲を「空」と見るのは、ちらりと間があるせいである。その間に見える夏山の青と思われたものが、そのまますぐに空の青色だ、というのである。

※ここで言う「みどり」は古代みどりである。「常盤山松のみどりも久方の空の色とやかはらざるなん」契冲。こちらもよい。

※この歌、なかなかの佳吟。空が出て来る景樹の歌は概していいものが多いが、色彩語の使い方が印象的である。

120 五月雨晴
三芳野のたぎつ河内はさみだれのはれて後こそおとまさりくれ
一七〇 みよしのの瀧(たぎ)つ河内(かふち)はさみだれの晴てのちこそ音まさりけれ

□いづくも瀧のあるところの河内を云ふべけれども、吉野に限りて云ふなり。

○どこ(の場所で)も、瀧がある河内(川の深い淵の意)ということを言ってよさそうなものだけれど、吉野に限って言うのだ。

※結句、「まさりけれ」「まさりくれ」ちがいあり。「まさりくれ」は活字起こしの際の誤記だろう。変体仮名の「け」が「く」に見えることはある。この歌は、単純な内容だけれども、下句に実感がこもるところがあり、悪くない。初夏の気配を伝える清爽な歌。万葉調でもあるので、隣の歌と同じく享和年中の作か。

121 夏雲
大空のみどりになびく白くものまがはぬ夏になりにけるかな
一七一 おほぞらのみどりに靡(なび)く白雲のまがはぬ夏に成(なり)にけるかな
享和三年 青雲ニ白雲マジリ大空ノハレタル見レバ夏ニハナリヌ 文化十三年改作

□緑の空に、白雲がすいすいと竹箒でたはいたやうになびく雲がみえる四月の気色なり。緑に白きは、「まがはぬ」枕かたがた出す。

○緑の空に、白雲がすいすいと、竹箒で手(た)掃いたように、なびく雲がみえる四月の景色である。「緑に白き」は、「まがはぬ」の枕として出す。

122 夏山
ふる雪にうづもれながら五月雨のくもまをいづるこしの白(高)山 
(「白山」の字の横に「高」とあり。弥冨が誤記と認めて訂した。)
一七二 降雪にうづもれながらさみだれの雲間を出(いづ)るこしの高山

□越の白山でもよからん、と云ひたる人もあれども、上に降雪と云ひたる故、白はいひともなきなり。

○越の白山でもよいだろう、と言った人もあるけれども、上に「降雪」と言っているので、「白」とは言いたくないのである。

※だから絶対に「高山」でなくてはならない。たぶん実景だろう。

123 
水無月のそらにかさなる白雲の上に奇しきみねはふじのね
一七三 六月(みなづき)の空にかさなるしら雲の上に奇(あや)しき峯はふじのね 文政四年 二句目 大空ニタツ

□「夏雲多奇峰」をよむなり。「かさなる」は、多き所なり。
此かさなるは、奇しき白雲なるに、其上に、も一つ奇しき峯はふじと也。

○「夏雲多奇峰」(という題)を詠んだ。「かさなる」は、(雲が)多い所だ。この「かさなる」のは、めづらかな白雲であるのに、その上に、もう一つめずらしい峯は富士だというのである。

124 夏衣
なれがたく夏のころもや思ふらん人のこころはうらもこそあれ
一七四 なれがたく夏の衣やおもふらむ人のこころはうらも社(こそ)あれ
文化二年

□もと更衣のうた也。更衣に少しうときやうなる故ここに出す。夏衣はうらのなき単衣なれば、人のかたを衣やなれがたく思ふなるべし、となり。もこそ、もぞ、は一つ格ある也。ゆるめる詞なり。よわりもぞする、などつかふなり。うたがはしてまだ手にとらぬ所と云ふ程の所につかふなり。うらはあるにちがふ事はないが、ありもこそすれ、となり。

○もともとは更衣のうただ。(聴講者が)更衣に少しうといようだから、ここに出す。夏衣は裏地のない単衣だから、(心のうらがある)人間を衣の方がなれがたく思っているだろうよ、というのである。もこそ、もぞ、は一つ格がある(言葉)だ。ゆるめる詞である。「よわりもぞする」などと使う。歌を交わして、まだ手にとらない所というほどの場所に使うのである。裏(本心、誠意)があるのに違いはないが、(そこをあえて)「ありもこそすれ」というのである。

125 水鶏
卯の花のかきね見えゆくあけぼのにそことも知らずくひな鳴なり
一七五 卯花の墻(かき)ね見えゆく曙(あけぼの)にそこともしらず水鶏(くひな)なくなり 文化二年 四句目 そこと定メず

□ほのぼのと夜あけて、卯の花が見えるほどの時にどことも知られず、夏になつたわい、くひながなくと也。はかなき云ひかたを二つ合せて云ひたるなり。

○ほのぼのと夜があけて、卯の花が見えるほどの時間にどことも知られず、夏になったわい、クイナが鳴くことだというのである。はかない言いかたを二つ合せて言ったのである。


126 夏月
とけてねぬ子持がらすの一こゑにやがてあけゆく月のかげかな
一七六 とけてねぬ子もち烏の一声にやがて明行(あけゆく)月のかげかな 文化十二年 三句目 宵鳴にを訂す

□五月雨に烏、子をうむ也。烏は夜半に一こゑ発するものなり。烏のくせ也。子持烏のならひ也。「万葉」に「子持烏の」とあり。一声に子故に鳴きたる一こゑじゃ。夜明のためではなきが、短夜故、それが直に夜明のためになつたと也。

○五月雨(の時期)に烏は、子をうむ。烏は夜半に一声発する(習性がある)ものだ。烏のくせだ。子持烏のならいである。「万葉」に「子持烏の」とある。「一声に」、子故に鳴いた一声だ。夜明のためではないが、短夜だから、それがただちに夜明のために(鳴いたのと同じことに)なったというのである。

127
夏ふかみ木がくれ多き山ざとの月のひかりはふけてなりけり
一七七 夏深み木がくれおほき山ざとの月の光はふけてなりけり 文化三年

□夏ふかき故に木がくれが多きなり。さて此の句、月にかかつて出づるなり。なつのよの月は、白きなり。白き色は、空にあり。下は木がくれ多きなり。夏のみどりのしげり多き故にくらきとなり。山里でなくてもよけれども、此れは実景なり。黒谷の山中にて、夜よみたる時の歌なり。「月の光はふけてなりけり」と云ふ詞の使ひ方はなき也。「あかぬ色香は折りてなりけり」と云ふが、うらやましさに此の下句をよみたり。「木がくれ多し」は「後撰」にあり。

○夏ふかいために木隠れが多いのだ。さてこの句、月にかかって出たのである。夏の夜の月は、白い。白い色が空にある。下は木隠れが多いのだ。夏のみどりの茂りが多いために暗いというのである。山里でなくてもかまわないけれども、これは実景である。黒谷の山中で、夜(吟行して)詠んだ時の歌だ。「月の光はふけてなりけり」という詞の使い方は、ないものだ。「あかぬ色香は折りてなりけり」というが、うらやましさにこの下句を詠んだ。「木がくれ多し」は「後撰」にある。

※ 「春くれば木がくれおほきゆふづくよおぼつかなしもはなかげにして」「後撰集」を踏まえる。「よそにのみあはれとぞみし梅花あかぬ色香は折りて成けり」「古今集」素性。
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政府は早急に新種子法を制定し直せ

2017年04月21日 | 政治
 私は数日前のこのブログで、以下のように書いた。

「これは日本の文化と国益を守るための、大切な法律だ。三月の末に、アメリカの意向にさからえない農水省と、自民党の買弁政治家たちが、この法律を廃止してしまった。これをいったいどれだけの報道機関が問題視して、大きくとりあげたか。このことは、豊洲や森友の問題よりも、今後の国民生活にじわじわと長期にわたって影響を及ぼすであろう。

たぶん、ТPP交渉の中でアメリカに要求されたことを受けたかたちでの法律整備なのだろう。種子の会社と言えば、遺伝子組み換え種子の大手、モンサントなどの名前がすぐに思い浮かぶ。モンサントがわからないと言う人は、堤美香の本など見て勉強したらいい。

規制緩和の美名のもとに、いったいどれだけ「日本固有の文化」を損ったら気が済むのか。安倍政権は、日本の文化を守ろうとなどしていない。日本産の「種子」がどうなろうと、知ったことではないのだ。一番守らなくてはならないところで死守する気持がない。いくら愛国を言ったって、行動がそれを裏切っている。
敵失のスキャンダルに目を奪われて、たたかうべきところでたたかわない野党も、馬鹿面を下げているのは一緒である。」

「買弁」というのは、中国の清朝末期に外国勢力に自国を売り渡した人間のことを言う。私はあえて「買弁」と書いた。そう言われたくなければ、政府には、安倍政権には、きちんと仕切り直しをしてもらいたいものである。

 愛国心のかけらでも持ち合わせがあるのならば、今回のことは愚挙であったと、後になってでも認めるべきである。メンツでそれができないならば、早急に「新種子法」を立ち上げるべきである。防波堤をみずから取り払う農業政策なんて、聞いたことがない。

 自国の種子、大切なお米、希少種の赤米。そうだ、今度の件は、伊勢の神様をはじめ、全国の神様がお怒りにちがいない。モンサントの組み換え種子が、メキシコのように一気に入ってきて、日本の固有の希少種の米が亡ぶ。各地のお祭りで使っている希少種の稲が滅ぶのだ。



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岡井隆『マニエリスムの旅』の詞書

2017年04月17日 | 現代短歌
一太郎ファイルの復刻。「未来」に以前載せた文章の一部を改稿してここに再掲する。いま副題をつけるとしたら、短歌の「私性」論というところか。

 詞書を用いたテクストの重層化という方法は、今日ごく見慣れたものとなったが、それを確実なものとしたのは、岡井隆の歌集『マニエリスムの旅』(一九八〇年刊)の影響が大きかった。二度目の『岡井隆全歌集第Ⅱ巻』の別冊でも読むことができるが、歌集の解題というかたちで、「連雀転位考」という懇切丁寧な文章を巻末に寄せ、岡井のそれまでの実験が、一つの安定した方法として成熟を遂げたことを一般読者にわかるようなかたちで明らかに示したのは、塚本邦雄であった。

 私自身の印象では、この歌集はいわば谷間の産物で、その前に出された歌集に一度十全に表現し終えている内容を再度歌い直したもののように思われる。タイトルも様式的な繰り返しをしている、という作者自身の意識を反映したものだと思う。

 ジュネットなどを持ち出すまでもなく、小説を論ずる時に、「語り手のテクスト」と「作中人物のテクスト」を別のものとして論ずるのは、今日常識である。短歌の場合、両者が重なっているものだという暗黙の前提が、近代短歌のなかで形成され、強化された。周知のように古代の和歌においては、それは比較的自由なものだったのである。

 詞書があると、先に出て来る詞書の文章は、「語り手のテクスト」という要素を強く持ち、その後に出て来る短歌は、「作中人物のテクスト」という要素を強く持つようになる傾向がある。詞書のあとの短歌においては、定型によって言葉の様式性が強調されるために、演技的な自意識を持って作っているのだという提示の仕方が強調されることになる。

ところで、『マニエリスムの旅』において、詞書は往々にして短歌そのものであったり、短歌と散文の中間的な詩的組成物であったりする。ということは、詞書も演技的な自意識を持って作られているという認識を読み手に強く強いてくるわけである。これは場合によっては、反転することもあり得る。

 しかし、簡単に言うと、詞書は、一定の制約を受けながら、ほぼ何でもありという自由度を持っており、ここに自由詩を持って来ようが、日記の断片を持って来ようが、引用を持って来ようが、それは作者の思いのままなのである。短歌は一見すると小説よりも不自由にみえるけれども、詞書を導入したとたんに、語りの「水準」(ジュネット)の設定において、ほとんどアナーキーと言っていいような自由を獲得するのである。ここのところは幾度も強調しておいていいだろう。すると、あたかも短歌の負性であるかのように言われたことのある機会詩(オケージョナル・ポエム)としての性格は、文芸ジャンルの中で最大の強みを持っているということもできるのである。

 ただ基本的に詞書は、短歌の連作や歌集の中にあるという約束の場に置かれているかぎり、読み手の意識としては、主役はあくまでも短歌であり、詞書は従である。そうして、後に来る短歌作品と前にある詞書には、連歌の付句のような微妙な照応と応対が存在することが暗黙のうちに要求されている。つまり詞書は、あとに添う短歌から完全に独立した自由なテクストではない。

 さらにまた、連作の場合、先に出てくる歌が「語り手のテクスト」となり、後に出てくる歌が「作中人物のテクスト」の要素を強く持つといったことが起きて来る。それらは全体としてひとつの物語言説を作りだしているのである。

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『桂園一枝講義』口訳 108-117

2017年04月17日 | 桂園一枝講義口訳
108 関子規
せき守のうちぬるひまにかよふらんしのび音になく時鳥かな
一五八 関守の打(うち)ぬるひまにかよふらんしのび音(ね)に鳴(なく)ほとゝぎすかな 文政八年

□「人知れぬわが通路の関守はよひよひごとにうちもねなゝん」とあり。「ひと目の関」、「波の関」、目がありて通さぬ波のせきは、波がうちて通さぬなり。

○「人知れぬわか通路の関守はよひよひことにうちもねなゝん」と(業平の歌に)ある。「ひと目の関」は「波の関」で、人目があって通さない波の関は、波が打って通さないのである。

109 社頭郭公
あし曳の山田の原のほととぎすまづはつこゑに神ぞきくらん
一五九)あし引の山田の原のほととぎすまづはつこゑは神ぞ聞(きく)らむ 享和二年

□伊勢の山田の原。「こゝをせにせんほととぎす」とあり。見れば郭公のなくべき所なり。音羽山か、いかにも子規のなくべき所なり。「こゝをせにせん」と思ふなり。「初声」、はつものは、まづ神に供へるよりしての思付なり。

○伊勢の山田の原である。(西行の歌に)「こゝをせにせんほととぎす」とある。見るといかにも郭公の鳴くような所である。音羽山が、いかにも子規のなくべき所だ。「こゝをせにせん」と思うのである。「初声」は、初物はまず神に供えるというところからの思い付きである。

※「きかずともこゝをせにせん郭公山田のはらの杉の村立」「新古今」巻第三夏歌 題しらず。

110 郭公稀
初こゑを一こゑなきていにしより山ほととぎすことづてもせぬ
一六〇 初声を一声啼(なき)ていにしより山ほとゝぎすことづてもせぬ

□「山」の字、やくにたつなり。此の題の意は、盛になきたるが、ふとやみて聞かぬ、或は六月ちかくなりたるな、と也。

○「山」の字が、役に立つのである。この題の本意は、(ほととぎすが)盛んに鳴いていたのが、不意に止んで聞こえない、或いは六月近くなったな、というのである。

111 杜鵑帰山
ほととぎすかへる山にはこゑもなし世にふるほどやなきわたりけん

一六一 時鳥かへる山には聲もなし世にふるほどや鳴(なき)わたりけむ 文政六年 四句目 世にスム 

□六月下旬の歌なり。帰りし山には、といふことなり。郭公山にかへりてからは、頓と鳴かぬなり。帰りたらば山に鳴くかといへば、帰るころは、最早山でもなかぬなり。世にへてありしほどに、鳴きわたりたりとみえるなり。

○六月下旬の歌だ。帰った山には、ということである。ほととぎすが山に帰ってからは、とんと鳴かないのである。帰ったら山で鳴くかというと、帰るころは、もはや山でも鳴かないのである。(それが、このうつつの)世に過ごしている間に(だけ)鳴いて飛びすぎて行ったようにみえるのである。

※言い古された素材だが、景樹のこの歌には一種の愛唱性がある。


112 菖蒲
あやめぐさかりにのみくる人なれば池の心やあさしとおもはん
一六二 あやめ草かりにのみくる人なれば池の心や淺しとおもはむ

□恋のこころなり。かりにくる、かりそめに真実なしに来るなり。池の心や、心にやの意。池が浅い人ぢや、と思うであらうとなり。心は底なり。ただなかなり。物の真中、ただなか、どんぞこ、みな物の上へうつし仕ふなり。

○恋のこころである。「かりにくる」は、かりそめに真実(の心)なしで来るのである。「池の心や」は、心であろうかの意。池が浅い(誠意が薄い)人じゃ、と思うであろうというのである。「心」は、底のことである。ただなかである。物の真中、ただなか、どんぞこ、みな物の上へうつして使うのである。

113
刈りふけば軒端にあまるあやめぐさ根のみながしと思ひけるかな
一六三 刈ふけば軒ばにあまるあやめ草根のみ長しと思ひける哉

□菖蒲は葉の長きものなり。根を長きとは昔よりいふなり。葉も長きぞよとなり。

○菖蒲は葉の長いものだ。その根が長いというのは、昔から言っていることだ。(それだけでなく)葉も長いことだよ、というのである。


114 澤菖蒲
住の江のあさざはぬまのあやめぐさ松とかはせる根ざしなるらむ
一六四 住の江の淺ざはぬまのあやめ草松とかはせるねざし成(なる)らむ 文政十三年

□いままのあたり行きて見れば、いよいよわかるなり。

〇今、目の当たり行ってみれば、ますますわかるのだ。

※戦前の写真などあればここに挿入したいところ。

115 櫨橘薫袖
たちばなのなつかしき香ににほふ夜はわがそでならぬ心ちこそすれ
一六五 たちばなのなつかしき香に匂ふ夜はわが袖ならぬここちこそすれ

□移り香の多い袖は、なつかしき人の香のやうな、となり。

○移り香の多い袖は、(「古今」集の歌にある、昔の)なつかしい人の香のような(気がするものだ)というのである。

116 
にほひをばいかにせよとか立花のはなちる袖にかぜのふくらん
一六四 匂ひをばいかにせよとか橘のはなちる袖に風の吹(ふく)らむ 文政十二年

□立花の香、蓮の類とは違ふなり。「古今」に詳に解く。
梅のちるは、花が軽き故わきにゆくなり。橘は重き故にそこにたまるなり。「たちばなの花ちる里も」と「万葉」にあり。里の中の庭也。花散る庭といふ事を、里といふことはりをすてて、調べをいたわるなり。古人のまはりどほいやうなるののあるのは、調をいふ也。「万葉」は最も詞を大事にせり。「万葉」はあらく、言葉をざつと仕(使)ふと思ふは、ひがごとなり。されば梅散る里といひても、とんとおもしろからぬなり。橘故妙があるなり。「いかにせよとか」、つよくつかふなり。あかざるものの重りて、おもしろくなつかしき気色をいふなり。

○立花の香は、蓮の類とは違うのである。「古今(和歌集正義)」に詳しく解いてある。
梅が散るのは、花が軽いので脇に行く。橘は重いのでそこにたまるのだ。「たちばなの花ちる里も(ママ)」と「万葉集」にある。里の中の庭だ。花散る庭という事を、里という理を捨てて、調べをいたわるのである。古人の歌に回りくどいような表現をしたものがあるのは、調を言っているのである。「万葉」は最も詞を大事にする。「万葉」は荒く、言葉をおおざっぱに使うと思うのは、間違いである。それだから「梅散る里」と言っても、とんとおもしろくないのである。橘だから妙味があるのである。「いかにせよとか」(の句は、言葉を)強く使うのである。嘆賞する思いが(ますます)深くなって、おもしろくなつかしい様子をいうのである。

※「橘の花散る里のほととぎす片恋しつつ鳴く日しそ多き」(大伴旅人)

117 五月雨
ふりそむる今日だに人のとひこなん久しかるべきさみだれの雨
一六七 ふりそむるけふだに人のとひ来なむ久しかるべきさみだれの雨 文政十年

□初さみだれの歌なり。今日なりとも人のくればよいがとなり。「(古今和歌)六帖」に「春雨のこころは君を知りつらん七日しふらば七日こじとや」。春雨の長いことは知りてあらうのに、春雨のふるを言だてにして、こじといふは、七日もふらば七日も来ぬつもりか、となり。今はこれとはちがへども、およそ此のやうすにて、ふりそめたら長いことはし(知)れてあるとなり。「五月雨」とばかりも雨なり。「さみだれの雨」といふても同じ。さ、あめだれ。さばへ、さなへ、さつき、五月のことには、多く「さ」といふことがつくなり。何を「さ」といふか知れねども、何分五月のものを「さ」といふ也。「日本紀」に五月蠅をさばへとあれば、五月を「さ」といふなり。「たれ」は、天より落つることをいふ也。「あられ」は「あれたれ」、「しぐれ」は「しぐたれ」也。「みぞれ」は「水たれ」なり。さて、今「たれ」などいふことは、今いへば語勢がのろりとなれども、昔はきびしく聞こえたりと見ゆ。今も「たれ」に「なだれ」といへば、つよくなるなり。昔は「たるみ」といへば「瀧」のことなり。今「たれる」といへば、ぬるいやうなり。時代のちがひなり。

○初さみだれの歌である。今日なりとも人が来ればよいのだが、というのである。「(古今和歌)六帖」に、「春雨のこころは君を知りつらん七日しふらば七日こじとや」。春雨が長く降ることは知っているだろうに、春雨が降るのをはっきりとした言い訳にして、来ない(つもりだとか)と言うのは、七日も降ったら七日も来ぬつもりか、というのである。今はこれとはちがうけれども、およそこの様子で、降り始めたら長くなる(長く来ない)ことは知れていますよ、というのである。「五月雨」とだけ言うのも雨だ。「さみだれの雨」と言っても同じだ。「さ、あめだれ」だ。さばへ、さなへ、さつき、五月のことには、多く「さ」ということがつく。何を「さ」というかはわからないが、何分五月のものを「さ」というのである。「日本紀」に「五月蠅」を「さばへ」とあるので、「五月」を「さ」というのである。「たれ」は、天より落つることをいう。「あられ」は「あれたれ」、「しぐれ」は「しぐたれ」だ。「みぞれ」は「水たれ」だ。さて、今「たれ」などという言葉は、今言うと語勢がのろい感じになるけれども、昔はきびしく聞こえたものとみえる。今も「たれ」に「なだれ」と言えば、強く聞こえるのである。昔は「たるみ」というと「瀧」のことだった。今「たれる」というと、ぬるいように聞こえる。時代のちがいだ。
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