さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

鈴木美紀子『金魚を逃がす』

2024年02月04日 | 新・現代短歌
 詩人の文月悠光の帯がいい。
「私はつい耳を傾けてしまう。/この人にのみ響かせることのできる、/とてつもなく魅力的な胸騒ぎに。/そして本当に驚いてしまう。/知ってはいけない/この世界の秘密が詠われているから。」
あとは、ここには引かないが作者本人の「あとがき」もなかなかよい。

 海色の静脈に絡めとられては心臓だけを遠くへ鳴らす

 巻頭の相聞的な気配をただよわせる一連のなかにある一首。イメージの絵が身体感覚とないまぜになって、わたくしの身体が無辺の海洋につながっているような気がしてくる歌である。
 その一方で、次のような細かい動作の断片を映像として差し込んでゆくあたり、心憎い演出がなされていると感じる。同じページの二首。

 靴底に玉砂利ひとつ入るたび誰かの肩を借りる聚光院

 「調整中」と貼り紙のある時計台みつめてしまうよきみが黙れば

何となく気がかりな恋人らしい「きみ」の姿と、都市のなかで孤独な魂のセンサーとなって動いているわたくしの像とが時にオーバーラップして、「きみ」はわたくしでもあり、わたくしは「きみ」に発する他者性のおののきを自らのものとしながら、それを高度な自意識をもって解析してしまう。この一連に続けて一首だけ置かれている次の歌のように。

 ペディキュアを塗ってしまえば素足ではないから散らばる硝子さえ踏む

ここから化粧という行為の本質というようなことを書きはじめたら、鷲田君なにをきみは始めようというのだね、ということになるけれども、この歌の「散らばる硝子さえ踏む」という強さの自覚が、先に引いた「『調整中』と貼り紙のある時計台」に応答する感性と地続きだということに注意してみたい。もう少し引かないと私が何を言いたいのかがわからないか。

 とつぜんにスプリンクラーはまわりだし水のつばさのひかりにふれた

 ひったりと手錠の代わりに嵌められた腕時計にはいくつの歯車

この二首は同じ一連にある。突然まわりだして大きな弧を描くスプリンクラーの水と、腕を拘束する腕時計とは、同じ円形でもベクトルが真逆である。これは決して意図せずに並べられた作品ではない。言わば激情とそれを抑制する機構とがここには形象化されている。だから、続く作品では、適度に開放されているようでありながら、実は高度化した〈自意識〉がそれ自体の歌をうたっている。

 濃くしてと頼めば百円増しになる檸檬サワーのようなくちづけ

 ええ、たぶんしあわせなのはひとつだけ足りないものがいつもあるから

一首目の「濃くして」の歌を読んだときに、何か痛烈な、と言いたいような感じに感情が発出する感じと、自己否定的にうごめく情動との両方を同時に感じさせられた。そうして、二首目からわかるように、たぶん〈自意識〉には、わたくしが「しあわせ」であるか、そうでないかなんていうことは、関係がない。「しあわせ」と言ってみせているその「欠落」の当体は、「頼めば百円増しになる」という「市場」性に媒介されて存在するほかはない現代のわれわれの〈魂〉とでも呼ぶほかはないような、摑み得ない何ものかである。

 こころって気球のなかで燃えている焔みたいだ そらにふれたい

 これは歌集のおわりに近いところに置いてあった作品だが、私がここでのべようとしていることの傍証ともなるだろう。

 わたしよりたぶん正気だあんなにも首を揺らして近づいてくる鳩

 さやさやと繰り返すだけもし吾が枯野であれば光る仕草を

 炊き出しと献花のための行列とまじりあいつつ舗道に落ち葉

 意外性のある言葉のすり合わせが心地よい詩を生み出している歌の中に、おしまいに引いたような歌がきらりと挟まれている。私はこういうスケッチを信頼する。



パレスチナの少年 齋藤芳生『花の渦』

2024年01月16日 | 新・現代短歌
  「香を焚く、パレスチナの丘遠ければ身にあふれ来る恋しさを焚く」

 これは2014年から2016年の間につくられた斎藤芳生の短歌作品の一連に見つけた言葉である。作者は学習塾の講師をしており、その教室にたまたまパレスチナのガザ出身の少年がいたことを契機として生まれた作品であるということが、一連を読んでいるとわかる。だから、これは、いま現在むごたらしいかたちで進行中のガザでのできごとを契機として作られた作品ではない。しかし、前後の作品をこのあとに引いてみるが、まるで現在進行中のガザでの悲劇を念頭にして詠まれたもののように読める。
 掲出のうたには、括弧が付されている。だから、これは少年の言った言葉なのだ。遠い故郷を想って香を焚く、ということばには祈りがこめられていて、切ない。

  香を焚く、
  パレスチナの丘 遠ければ
  身にあふれ来る 恋しさを焚く

こうやって分かち書きにして書き写してみると、一句一句の切れ目ごとに深い嘆息がこめられているように読めて来る。作者は少年の心情に深く観入していると言えるだろう。続く作品には、次のような詞書がつけられている。
   「様々な国籍の子供達がいた。」

  パレスティーン、と少年答えその眼伏せたり葡萄のように濡れいき

 「どこの国なの?」とたずねたら、「パレスティーン」と答えた。その眼は葡萄の粒のように濡れて居た。「き」は直接的な経験を伝える過去の助動詞。
 ここで一連十首の冒頭の歌を引く。

  硝煙のにおうことなき長雨に火を噴くように柘榴花咲く

 長雨は日本の梅雨時である。斎藤茂吉の「たたかひは上海に起り居たりけり鳳仙花紅く散りゐたりけり」を踏まえているようだ。火を噴くように咲く柘榴(ざくろ)は、初句の硝煙という語と響きあっているが、茂吉の歌のようなけたたましい印象は生じない。それは日中戦争のように戦争と直接関係しているわけではないという事情のちがいが反映しているだろう。「パレスティーン、と少年答え」に続く作品を続けて引いてみる。

  死者の数簡潔に伝えらるる夜の器ふるふる豆腐ふるわす

  真夏日の塾の教室冷やされてパレスチナ、遠い国のおはなし

  棗椰子噛むほどにいや増す怒り口腔に甘くはりつく

  火のような柘榴の花も砂となれ 慟哭の深くふかく浸みゆく

  ガザ遠く照らしにゆかん満月に大きく裂けてゆく柘榴あり

  歌っても歌わなくても痛むのだ 眉間にすっと下りてくる蜘蛛

 正調の短歌の骨法でガザとパレスチナをうたって成功している一連だ。右の三首目の「棗椰子(なつめやし)噛むほどにいや増す怒り」というのは、よくわかるではないか。誰の誰に対する怒りか、ということは、ここではあまり詮索しない。それは少年の思いであろうし、この不条理な現実のなかで失われる命への作者自身の憤りでもあろう。そうしてこの「火のような柘榴の花」の色はむろん血の色でもあるのだ。

 歌集『花の渦』は2019年11月に刊行されたものだが、こんなふうにアクチュアルな作品を含む。つけ加えておくと、本書の間村俊一による装丁と表紙の写真は、それ自体がひとつの本の芸術作品である。

諸書雑記 年あけの雪

2024年01月14日 | 本 美術
 古書で、しかも安価だから何となく買った、というような本が手元にたくさんあって、それが身辺に溢れ出してとっても邪魔なのだけれども、拡げてみると結構おもしろかったりするものだから、また元に戻したりなんかして、一向に本の山が片付かない。それがだんだん寝る場所にまで迫って来たので、仕方がないから年末に思いきって四〇リットルのビニール袋に入れて、それを十袋ほどを引きずるようにして車の後部座席に積み入れておいた。年が明けてから紙袋をたくさん買って来てそれを整理し直し、その半分を倉庫に持って行き、残りの本は元の部屋に戻した。それでもまだ手元に転がっている雑書のタイトルを以下に書きだしながら、何か書いてみたい。

・遠藤知子編『吉行淳之介 心に残る言葉』(1997年 ネスコ/文藝春秋刊)
その「編者あとがき」より引く。 

「吉行淳之介が嫌ったのは、なによりも重々しいこと。好んだのは、繊細な機知、批判精神と一体になったユーモア。軽薄さをすすめているエッセイも多い。今、日本には重々しさはどこにもなくなったといってよい。笑いも豊富である。しかし、吉行淳之介の考えていた鋭い軽さとは、なんと違うことか。」

・永野健二『バブル』(2016年 新潮社刊)
 この本の「はじめに」の二ページ目に次のような一文がある。

 「40年刊経済記者として市場経済を見続けてきた私の信念は、『市場は(長期的には)コントロール出来ない』ということである。」
 
 昨日今日の株高を報ずるニュースを聞いていると、この人の警告の言葉を今こそ読み返した方がいいのではないかと私には思われる。著者によればグローバルな資本主義は10年周期で危機を繰り返す。2013年の安倍政権の発足が著者の言う新たなバブルの開始時点とすると、そろそろ十年を過ぎるころなのである。

・芳賀徹『文明としての徳川日本』(2017年 筑摩書房刊)
 日本の人口が江戸時代レベルまで減ったとしても、その気になれば豊かな文化を維持創造することは可能である。それを教えてくれるのが、本書に登場する江戸時代の人々である。まずは日常の消費の質を見直すところからはじめるといいだろうと思う。生のたのしみに繊細な工夫をめぐらせるということである。好奇心や関心、インタレストというものを消費一方にだけ誘導しないことが大事なのだ。

・藤田久一『戦争犯罪とは何か』(1995年 岩波新書)
 現在の世界情勢のなかでプーチンとネタニヤフを同列のものとして論ずることはできない。それが同じように見えてしまうのは、彼らの軍隊が、民間人、とりわけ子供達とその母親の多くを容赦なく巻き込んで殺しているからである。でも、それを「戦争犯罪」と認定できるかどうかは、抽象度の高い「議論」となる。彼らの残虐な行動をどういう根拠に基づいてわれわれは「戦争犯罪」と呼ぶことができるのか。外交や戦争を論ずるということは、なかなかたいへんなのだ。

・加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(平成二十八年 新潮文庫)
・平井啓之『テキストと実存』(1992年 講談社学術文庫)
・真保裕一『栄光なき凱旋 上・下』(2009年 新潮文庫)

・喜多昭夫『青の本懐』
 簡素で読みやすい本のつくりに感心。二首引く。

  若き友よりの手紙の一節に「小さな物欲を供養する」とあり

  折鶴を黄金の紙にもどしつつ願ひをひとつ帳消しにせり

 二首目の歌の「黄金」には「こがね」とルビがある。北陸は浄土真宗がつよい地帯だけれども、真宗では、欲というものは抱いてもかまわない、そのかわりにすぐわすれなさい、と説く。喜多さんの歌にあらわれている倫理的なもののなかに、そういうものがあるように私には感じられる。喜多さんの歌が持っている機知的な要素は、自分も含めた世間のひとびとの心の内側に生ずる認識のまちがいや勘違いのようなものに気付かせるために、あえて今在るものをそのものの安んじてある位置から動かそうとするものだ。そのため多少臍が曲がっているところがあるが、別にふざけているわけではない。これは吉行淳之介の説く軽薄さに近いものだ。

  道のべに赤茄子の轢死体を見て作中主体は歩み去りにき

   ※「作中主体」に「さいとうもきち」と振り仮名あり。

〇別の話を。
 湘南海岸公園駅の近くに画廊が在った。今日三岸節子のリトグラフをそこでまとめて見た。三岸のリトグラフは、写真やネットで見たことがあるものの実物をこれだけたくさんまとめて見たのは、これが初めてだ。どれも状態がいいので感心した。この画廊とは関係のないところで、たまたま大磯でも展示があるらしい。行ってみるかな。

よきひとのよきことについて

2024年01月06日 | 本 美術
 

 年末に拡げてよんでいるうちに、いい感じの風があたまのなかに吹くような気がした本として谷川俊太郎とブレイディみかこの往復書簡『その世とこの世』がある。岩波の「図書」に連載されたものだというが、最近「図書」はみていなかったので、すべて初見のものである。それがよかった。谷川さんの詩は、「朝日新聞」に連載されている詩を折々みるのを楽しみにしている。どれも自身の亡びや老いを見つめる日々のなかで書かれていることがよくわかる詩で、本書の詩とそんなに大きなちがいはないのだが、一つとりあげてみると、「その世」という言葉が出て来る詩がおもしろかった。「あの世」と「この世」のあわいにある「その世」の世界。芸術とか、美というようなものは、みんな「その世」とかかわりが深いものなのかもしれないと思う。「その世」についての思念は、日本語がひらく世界だ。

 年末に書庫に出かけて、気になった本を何冊か抱えて戻ってきた。そのうちの一冊が坂出裕子著『無頼の悲哀 歌人大野誠夫の生涯』(二〇〇七年 不識書院刊)だった。大野誠夫は、生まれてすぐに里子に出され、やや大きくなって引き戻された生家では義母から邪魔者として育てられ、その親の口利きで就職した一流会社に勤務することを潔しとせずにあえて辞して苦難の生活に踏み出し、しかし病気がちで生活は不如意のまま、結婚に破れ、愛子とも別れ、意地と短歌への思いをよすがに苦難の人生を歩んだ。しかし、黙して語らず、晩年に近い頃の自伝ではじめて自身の幼少期以来の苦難と秘密を明らかにした。その残された短歌作品をもとにして、過不足ない解説を加えてゆく筆者の手際がすばらしい。大野が若い頃絵描きになりたかったが挫折したくだりと、そのことが短歌作品のなかに色彩語が多く用いられていることと関連していることについての指摘には説得力がある。

 これは備忘であるが、『開化期の絵師 小林清親』の著者であり、歌人でもあった吉田漱さんについて、青木茂という人が『書痴、戦時下の美術書を読む』(2006年 平凡社刊)のなかで追悼の文章を四ページほど書いているのをみつけた。小林清親の本については「ああ、こんなのが書けたら死んでもいいだろう」と思ったという。
これは吉田さんに歌誌「未来」に載せるためにインタヴューをした時にうかがった話だが、戦後すぐの頃に、義務制の美術の時間を一時間では何もできない、二時間はとらなくてはいけないと言って、文部省と掛け合ったことがあるという。吉田さんは戦後の美術教育のためにも仕事をしたのである。美術家でもあった吉田さんのスケッチは手堅いオーソドックスなもので、プロ画家でも通用する腕前だった。その作品の陶板は土屋文明記念館に飾られている。「青幡」に載った吉田さんの土屋文明についての文章や講演記録は一本にまとめる必要があるが、「アララギ」も土屋文明も歴史の地層に埋もれてゆきそうな昨今であるし、実現可能性は低そうだ。
 
 昨年は画家の野見山暁治さんが亡くなって、私も「ユリイカ」の十年前の特集をたまたま手に入れたので読んだが、野見山さんという人のおもしろさ、スケールの大きさがよくわかった。ついでに読んだみすず書房刊の『ベイリィさんのみゆき画廊』という本をみると、近くにいた女性ファンの心理もよくわかる。

 全然関係ないが、病院や市役所やマンションのエントランスに絵が年に四交代ぐらいで常時かけられていたら、日本の文化ももう少し良くなるのではないかと私は思う。若手の美術家の作品も、そうやってレンタルでぐるぐる全国を回遊してゆくシステムを作っていけば、いいのではないだろうか。(うしろ暗いレンタル絵画ではないですよ。)
特に美術大学(の学生たち)などが教育機関(壁面が多い!)と連携して音頭をとって、展示場所の設置とその維持管理をしてゆくというようなことを、プロジェクトとしてやっていくこと。現代はインターネットもあるし、戦後すぐの瑛九らがデモクラート美術協会の活動を通してやろうとしていたことは、充分実現可能である。

 年末につい買ってしまった絵。大きめなので、ときどきしか飾れないが。宮田重雄作「カーニュ風景」。

二〇二四年 年頭所感

2024年01月01日 | 寸感

昨年はブログの文章を書くことに魅力を感じられなくなって、ほとんど更新しなかった。その理由を考えてみると、一つには、どうしても不特定多数を意識しながら気を使った文章にしなくてはならないという意識がはたらいてしまったということがある。一冊の本をとりあげる場合に、書評のようなものを書かなくてはならないという意識が強くなってしまって、ますます書けなくなってしまったということもあった。あとは、そもそも家に帰ってパソコンの前に坐る時間が少なかった。畳の上に寝そべって、クッションを背中に本を読むうちに寝てしまうことが多かった。夏から秋にかけての異常気象のせいもあったけれども、まあそれは半分言い訳だ。多少は加齢と仕事の疲労のせいもあるかもしれない。

 今年は何か小さい冊子のようなものを作成して、文学フリマなどで直接売ろうと思う。ネットにはその一部を出すことにしたい。本当にそれができるかどうかは、わからないが、文字だけでなく、絵や写真などを入れて自由に楽しくやりたいという思いが強くなった。ネットの不自由感が憂鬱である。

 以下は、年頭所感にかえて、一句引く。

  舌いちまいを大切に群衆のひとり     林田紀音夫  昭和三十三年作

         『昭和俳句作品年表(戦後篇)』現代俳句協会編(東京堂出版)より

 座五の「群衆のひとり」の「群衆」の読みは、六〇年安保闘争の直前という時代背景を考えると、「ぐんしゅう」なのかもしれないが、この一句だけ取り出して私の好みで読むなら、仏典風に「ぐんじゅ」がいいように思う。

現在の手ごわくファクトが揺れ動くインターネットの時代の到来など夢にも想像できなかった時代に作られた一句が、こうして取り出してみると、異なったコンテクストのもとで、たしかな手ごたえをもって受け止められるのである。己一個の「舌」だけは、確かな、信用の出来るものでありたいという願いと、ただの群衆の一人でしかないちっぽけな存在である自分自身への矜恃とが同時にここには表出されていると感じる。現代とちがって、この「群衆」は歴史を動かす力を持った信頼できる存在でもあった。 

この頽落した時代に、晴朗な精神をもって生きてゆきたいものである。