さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

原精一、古沢岩美 戦時下の日常

2020年04月27日 | 美術・絵画
 戦時中の日本の国についてのイメージを持つのは、なかなかむずかしいことである。たまたま『出征将兵作品集 戦線点描』という本を手にしたので、少しその本の話をしたい。非常時と言われる時代に、心の余裕を失わずに、確かな平常心を持ちながら、こういう本をさり気なく作って出していた人がいたということに感銘を受けたからである。発行者、日本電報通信社出版部 桝居伍六。昭和十七年四月一日発行。

 私の当初の目的は、原精一のデッサンをみることであった。166 ページに、「木石港の少女」というコンテと鉛筆を用いたらしいデッサンが掲載されており、髪の毛を無造作に頭の後でまとめた中学生ぐらいの年頃の少女が、大きな目を見開いて右側を向いている姿をクロッキーしている。「於木石港2、16」と作品の左隅に書かれてある。原精一の戦中デッサンは、戦後も再評価されてその展覧会が企画され、カタログも出た。原が亡くなった時に洲之内徹は追悼文を書き、それは最後の著書に収録された。原が戦地で描いた戦友たちの姿や、ビルマの人々の表情のスケッチは精彩に富んでいる。

原の絵の左のページには、国分一太郎の「未来亜細亜伝承童話骨書」という片仮名の短文が載っている。おもしろいので、試しに新仮名遣いで引いてみたい。

「よしよし、いま話してあげるから、おとなしくやすむんだよ。
 むかしむかし、おおむかしのことであった。じんむてんのうさまきげん二六〇〇年ごろのことだというから、ちょっと、かんじょうもしきれないとおいむかしのころだよ。
 そのころはなあ、このアジアも、いまのように、ひとつではなくてなあ、たくさんのくにぐにが、ばらばらにわかれていたそうな。一番つよい、くには、この日本だったが、よそのくには、たいてい、イギリスとか、アメリカとかいうくににいじめられていた。うん。アメリカやイギリスは、どこにあるかって。さあ、どこにあるか、いまもあるか、おっかさんも、よくしらないがねえ。むかしは、そんなくにが、このアジアまできて、アジアのひとをふしあわせにしていた。ちょうど、そのころ、しなには、たいへんばかなたいしょうがいてなあ、ニッポンにてむかいした。ニッポンは、このアジアを、りっぱにしようとすすめたが、そのばかなたいしょうはきかなかった。いくさは、はげしくなった。ばかなたいしょうを、イギリスだのアメリカだのいうくにが、たすけた。そのたたかいで、うちのそせんさまも、せんしした。どちらがかったかって。わかるじゃないか、こんなアジアができてるもの……。そのいくさのとき……(未完)。」

 当時の「八紘一宇」のイデオロギーを童話風に仕立てただけの作文にみえるが、末尾の三行は、決してただのハッピーエンドにして書かれておらず、「うちのそせんさまも、せんしした。」という一文がしっかり書かれているところに注意してよいだろう。

 この本は、いさましい戦闘シーンを描いた絵が一枚も収録されておらず、中に収録されている絵は、どれも平和な戦地の日常生活を記録したものばかりである。これは他の陸軍美術協会等がかかわった戦争記録画集の類とは著しく性格を異にしている。むろん日本の国策によるアジア諸国の統治がうまくいっていることを印象づける性格を強く持つ書物ではあるのだけれど、この本をめくってみて感ずることは、戦争の中にも続く日常生活の確かさと大切さへの静かな訴えが本書にはあることである。

 昭和十七年前半までの日本の国民には、まだ精神的な余裕があった。それが右の本からも見て取れる。これよりもう少しあとになって刊行されたものでは、画家の古沢岩美の『破風土』(昭和十七年十一月刊)がある。この本も画家のかかわった本らしく、たくさんのスケッチを収録している。そうして本の最後に載っている文章は、ドゥリットル隊の空母による初の東京空襲後の防空演習のようすを、カリカチュアすれすれの筆致で描いたものである。古沢の本のタイトルと表紙絵の装丁から読み取れるメッセージは、微妙である。当時としては、かなりきわどかったのではないかと私には思われる。古沢は1937年に「地表の生理」というシュールリアリズムの手法で廃墟を描いた絵を発表しているから、よく当局がこの本の刊行を認めたものだ。本の検閲をした担当者は、「地表の生理」を見ていなかったにちがいない。後年古沢はインタヴューに答えて次のように言っている。これは後付けの言葉ではないだろう。

「最初に独立美術展に出した「地表の生理」という絵があるんだが、凄い酷評を受けた。「こんな酷い絵が芸術だとしたら私は生きていたくない、古沢は懊悩過多だ」なんて書かれた。でも、まもなく戦争で日本にもそれ以上に酷い現実が起こった。僕は原爆なんか落ちる何年も前に描いたんだ。そういうことを考えてるから楽天家ではない。こんな馬鹿なことをやってると、今にこんなことになるんじゃないかと描いただけ。ふっと何かの拍子に先が見えることが、僕にはある。」  『一枚の絵』1991年1月号 10ページ

古沢の「地表の生理」は、時代精神への芸術的な抵抗を示したものとして、今日高く評価されるべきものである。

話を『戦線点描』に戻す。戦争中の生活についてのステレオタイプなイメージから自由になるためには、やはり当時のものに直接触れる必要がある。雑誌や本の表紙の絵は歴史の大事な資料と言える。

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