さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

春日いづみ『塩の行進』

2019年06月11日 | 現代短歌 文学 文化
 評判になった歌集だし、いまさら私がコメントして何かつけ加えることもないだろうと思っていたのだけれども、一日降り続いた大雨のやんだ夜中に起きだして、手に取ってひろげて読んでいると、さまざまな思いが湧いた。岩波ホールのシナリオ採録の仕事を三十年もやって来られたのだという作者。いつだったか、遺伝子組み換えの問題を扱ったフランスの映画のことを、作者が短歌誌の小さなコラムに書いているのを読んで感心したことがあった。最近、日本の監督官庁は、遺伝子組み換えをした生産物の流通に関する基準を大幅に緩めた。あとに続く世代が大量にガンや慢性疾患で死ぬ可能性があるのに、この国ではそういう警告は無視されて、経済的な要求への便宜をはかることが優先されるのである。だから、作者のような問題意識は貴重である。作品集全体のなかでは、やはり映画にまつわる歌が、とりわけ1949年生まれの作者の世代の歴史的経験として、焦点化されることになるのだろうと思う。

  試写室に小さき連帯生れしかな席立つわれらに目力の湧く

  折々に思い起こせりワイダ映画のわが胸深く打ちたる場面

  亡命を拒み窓なき貨車に乗るコルチャック先生子どもらと共に

 一首目は、アンジェイ・ワイダ監督の映画「ワレサ連帯の男」にまつわる歌である。作品のつくりは平易で簡勁であり、滞るところがない。

 また、高名な歌人春日真木子と暮らす生活のなかに見出した、ゆっくりとした日常の時間の流れや、折々の旅のさなかに得られた充実した空気こそ、作者のもっとも大切にしようとしているものなのだろう。

  境界のあつてないやう二世帯の三人暮しを猫の行き来す

  ページ繰れば「真心」の文字そこここに六十年前の此はおもてなし

   ※ 「六十年」に「むそとせ」、「此」に「こ」と振り仮名。

  若きより心に抱く「晩鐘」の意外に小さし顔を寄せゆく

  心の目開いて見よと富士のこゑ富士に向かひて眼をつむる
    ※「眼」に「まなこ」と振り仮名。

 掲出の三首目は、ミレーの絵「晩鐘」を見に行った際の歌。作者はクリスチャンであるから、「心に抱く」というさり気ない言い方をした句にも深い意味がこめられている。善なるものを指向するこころの純粋さを保っていくために、祈りがあり、作者は祈る存在として、さらにガンジーの名前を出しながら、ひとが生きるということにかかわる、象徴的な、核心的なものへの希求を表現しようとする。

  三月の春のあけぼの杖を手にガンジーの発ちし「塩の行進」

  「人々の目から涙を拭ひたい」丸き眼鏡の奥より聞こゆ

 われわれが生きているこの殺伐とした無機的な時代のなかで、どのように理念的なものについて語るかは大事なところで、怒りと憎悪によらない問題の解決のしかたを示したという一点でガンジーの名前は不滅である。けれども、かつて偉大な指導者を出したインドも中国も理念というところでは、すでに混迷に向かいつつあるようにみえる。世界全体を視野に入れながら歌を作ることは困難なことだが、かつて近藤芳美はそれをしなければだめだと言った。ここから先は、もう書けないのでこの文章もおしまいとする。


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