ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




萬屋履物店。千代田区神田神保町2-19。1983(昭和58)年9月

神保町のすずらん通りが白山通りを越えるとさくら通りになる。写真の家並みはさくら通りの中間辺り。左から、和紙の山形屋紙店、(路地)、市川商店、志乃ぶそば店、萬屋履物店、日清堂書店仮営業所(旧三河屋運送店)。
山形屋は1879(明治12)年の創業という老舗。今もビルの裏に明治時代からある煉瓦の蔵が残っている。
現在は、山形屋はビルに、写真右の4軒(3棟)はまとめてリーガルタワー神保町(2005年3月竣工)というビルになった。
萬屋は、『下町残照』(村岡秀夫著、朝日新聞社、1988年)に当時92歳だった店主の話を記録している。それによると、家は昭和4年に建てたもの。千代田区成立前の神田区内には85軒の下駄屋があったそうだ。昭和62年では5軒。
写真右端の家は白い板の看板からも運送店だったと分かるが2階の戸袋にも字が書いてある。左の壁は額縁のようにした中に「荷造と運送」、右の戸袋に「リヤカートラック運搬・引越荷物運搬・鉄(旧字の)道貨物客車便」。



手塚印刷。1987(昭和62)年11月1日

1枚目の家並みの続きである。写真右端が第一相銀別館(現・三井住友銀行別館)、その左が手塚印刷。この2軒は今も残っている。写真左上に山形屋のビルがすでに建っている。山形屋の銅板張りの家をちゃんと撮っておくのだった。

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コメント
 
 
 
萬屋さんは遠戚 (kzs)
2009-04-11 03:26:05
やはりコレクションされていましたか。
屋号を失念していましたので、古い名簿で確認しました。ご店主の弟さんに上総屋初代の三女が嫁いでおります。
昭和12年「東京履物商同業組合員名簿」では神田区の履物商は58店です。
 麹町  17 神田 58 日本橋75
 京橋  76 芝  90 麻布 43
 赤坂  31 四谷 34 牛込 73
 小石川 69 本郷 71 下谷 81
 浅草 153 本所111 深川 80
 向島 121 葛飾 46 足立 70
 中野  76 淀橋 73 荏原 95
 品川  54 目黒 49 渋谷105
 滝野川 48 荒川127 豊島107
 
 
 
>kzs様 (流一)
2009-04-11 18:13:54
旧区で集計した履物商の数を眺めると、明らかに下町のほうが山の手より数が多いですね。人口の関係かもしれませんが、住民の職業や生活習慣の違いが読み取れそうな感じもします。浅草区が第1位というのが面白いです。
 
 
 
補記 (kzs)
2009-04-13 23:43:12
 田舎から出て来た少年が、東京では誰もが下駄を履いているのを見て、最初に見つけた下駄屋に飛び込んで年季修行の契約をした、というのが家伝です。下駄は明治期には都会に特徴的な履物だったようです。
 浅草区に店数が多いのは、卸問屋も含んでいるからです。東武浅草駅・松屋の東側が問屋街でした。
 
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