ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




栗原羅紗店。千代田区神田須田町1-11。1987(昭和62)12月31日

まつや(そば)の前を東に行った、横丁の角。錆びついた「栗原羅紗店」の看板が架かっているが、閉店してだいぶ経つようで建物も空き家のようだ。木造の看板建築だと思うが、横側も洋風のコンクリート造のように造られている。現在は隣の手塚株式会社の建物などと一緒に「スカイコートカンダ壱番館」という7階建マンションに替わった。
昭和30年頃の火保図では、手塚㈱は「手塚ラシャKK」。下左写真の「FUSO TEX」の看板の家は「扶桑商店」だが、火保図では「扶桑ラシャS(商店)」。
当ブログで写真の家並みを地図から書き写してみると、須田町=羅紗屋、というイメージがしだいにぼくの頭に定着してくる。以前は須田町といえば、交通博物館に見たこともない広瀬中佐銅像とか「乗りかえしげき須田町や」という「電車唱歌」が頭に浮かんだ。長女が生まれたとき、誰かが童謡のレコード全集を出産祝にくれたのだが、なかに電車唱歌などという古い歌が入っていた。子供のころに覚えたというわけではない。



左:栗原羅紗店。1983(昭和58)年8月。右:堀井質店。1987(昭和62)年9月13日

栗原羅紗店の横を入ると、あんこう鍋のいせ源の角に出る。その横丁に出世稲荷があり、その神社は今も変わらないようだ。いせ源の手前に堀井質店の看板建築があった。現在は手前の和風の家と共にいせ源別館のビルに替わっている。

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