日米商会。千代田区神田小川町2-1。1988(昭和63)年1月15日
靖国通りと本郷通りが交わる小川町交差点の西南の角。写真中央に日米商会ビル、その左に刃物と砥石の菊一文字東京支店、日米商会ビルの右に清雅堂印章店、田沢時計店、伊東歯科医院である。昭和25年頃の火保図では、「赤羽電気店、日米商会/写真、かめや(食堂?)、神沢、田沢時計店、伊東歯科」で、写真の日米商会、清雅堂、田沢時計店、伊東歯科がすでに載っている。
菊一文字はいつのまにか4階建てのビルに建て替わっていたが、2011年1月末で閉店して、現在は寛永堂という京都の和菓子の老舗の小川町店になっている。日米商会ビルは写真ではすでに解体に向けた工事に入っているようだ。9階建ての現在のビルが竣工したのは1989年6月。その右の3軒は今も建物はそのままで、清雅堂、松屋、上等カレー。
日米商会はネット検索で『内桶功一さんの神田の思い出談義(その4)2012.3.2』というサイトが見つかった。それによると、「カメラの日米商会」は、戦前は京橋に本店があつた三栄堂カメラの小川町店。戦後は都心の占領軍施設に近く、米軍からのDPEの客の方が多かったので日米商会を名乗る。やがて日本にはない特殊なフィルム・印画紙などを輸入して、大学や官庁に収めるようになる。特に近くの東京電機大学には頻繁に出入りしたという。現在はビルの運営が主な業務のようだ。
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