オリンピックビル。中央区銀座2-7。1985(昭和60)年4月28日
中央通りの伊東屋(写真右)という有名な文具店は現在も変わらない。その隣は現在ではティファニー銀座本店だが、以前はオリンピックというレストランが入ったオリンピックビルだった。中央通り銀座2丁目の東側は大震災後に軒並みカフェーが立ち並んだ場所になった。北から、ロンドン、銀座劇場、銀座会館、黒猫、オリンピック、キリン、である。オリンピックという店名について、戦前のカフェーと戦後のレストランとの関連はどうなのか考えてしまう。
銀座館ビル。銀座2-9。1985(昭和60)年4月28日
戦後すぐに三十間堀川を戦災の瓦礫を放り込んで埋立てた跡に建った建物だ。1丁目にあった第一ストアービルと長さは同じくらいあるが3階建ての上に4階が増築されていて容量では大きい。写真では少しも長くはないのだが写真左端で凹型にへこんでいるのである。第一ストアービルの写真、パチンコ銀ブラの日よけのある側の向かいである。
場外馬券売り場が近いのでその関係の人が大勢いる。撮影日は春の天皇賞だったようだ。昭和60年だから優勝はシンボリルドルフで、当時の数え方で5歳。4歳時に三冠馬になったシンボリルドルフはこの年、ジャパンカップと有馬記念も勝っている。
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幼い頃によく週末になると
両親と銀座へ食事に出掛けた
オリンピックを見て
赤いジュータンや
初めてナイフ・フォークを
使った記憶や美味しかった
「かにクリームコロッケ」
の味が鮮烈に蘇りました。
貴重なお写真を有難う
ございました
★又、TBをさせて頂き
有難うございました。
オリンピックビルのような昭和30年代以前に建ったビルはいつのまにか建て替えられてしまう場合が多いです。ちゃんと撮っておけばよかった。
昭和40年代~50年代、
家族でちょっとおしゃれしてお食事、となれば
オリンピックでした。
1Fはグリルで簡単な食事と喫茶、
2Fはビクトリア調のウッディなインテリアのレストランで、イギリスにいるみたい…と子供心にドキドキしたものです。
シャーロックホームズが出入りするような、
ロンドンのジェントルマンズクラブの重厚感がありました。
私のお気に入りは、タンシチューかハンバーグ。
子供の私にも、黒服のメートルが恭しく、サーブしてくれるのです。一度、ちゃんとサーブしてから、
「こちらで切り分けて参りましょうか?」と断って、子供が食べやすいように切り分けて再度サーブしてくれました。今はどんな有名店でも、ああいう行き届いたサービスってないですよね。
1Fのグリルには名物、アイスクリームの天ぷらがありました。
テアトル東京で映画を見て、オリンピックでお食事。
銀座の思い出は、美化しすぎてしまいます。
ずっと、オリンピックの資料がないか、ネットなどで探しておりました。有難うございました。
テアトル東京、私は「ベン・ハー」を見たのが最初だったでしょうか? 地下にテアトル銀座がありました。
それにしても当ブログの写真はビルの半分しか写っていなくて申し訳ないような……
当ブログの『鎌倉風月堂』で、店の外観がそっくりだということで、モナミを取り上げています。ご覧頂いているでしょうか?
現在、弊社で担当している「食彩の王国」という番組にてあさりをテーマに番組を制作しています。
それに辺り今回取材をしたシェフの方が幼少の頃に銀座にあった「オリンピック」というレストランで食べたボンゴレパスタに感動したというエピソードがありました。
それに辺り、こちらの記事で使用しているオリンピックビルの外観の写真を番組内にて使用したい思いご連絡致しました。
お忙しいところ申し訳ないのですが、下記のメールアドレスまでご連絡していただけますでしょうか。
メールアドレス:onikubo@tv-asahipro.co.jp
よろしくお願い致します。